1970年代奥の細道

岩手県交通5(元中央バス・自社発注車)

板橋不二男様から頂いた1970年代撮影の岩手県交通の写真を掲載します。
ここでは、元岩手中央バスの車両の中から岩手中央バスが自社発注した車です。

岩2く301
岩2く301

撮影:板橋不二男様(黒石野営業所 1977)

岩手県交通 いすゞBA741(1965年式)

岩手中央バスが最初のワンマンカーとして購入した前中引き戸車のうちの1両。いすゞ車には川崎ボディと北村ボディがありましたが、これは川崎ボディ。
方向幕には「黒石野−盛岡駅」と出ており、駅上田線に使用されているのが分かります。

岩2く306
岩2く306

撮影:板橋不二男様(盛岡営業所 1977.7.14)

岩手県交通 いすゞBA741(1965年式)
岩2く306

撮影:板橋不二男様(盛岡営業所 1977.7.14)

1965年に岩手中央バスでは最初のワンマンカーとして30両を越える前中折り戸車を導入していますが、そのうち5両が存在したと思われる北村製作所製ボディのいすゞ車。
車番はA65306です。最初のアルファベットは所属営業所を示すと思われるので、この車両は青山営業所ですが、この時は盛岡営業所に転入しているようです。方向幕には「内丸・バスセンター経由山賀橋」と出ています。私の知らない路線です。

岩2く322
岩2く322

撮影:板橋不二男様(盛岡営業所 1977.7.14)

岩手県交通 日野RB10(1965年式)

岩手中央バスが最初のワンマンカーとして購入した前中折り戸車のうちの1両。車番はM65322で、盛岡営業所所属の1965年式を示します。
中ドア前位の窓には方向幕の箱が内蔵されているのが見えますが、中身は空で使われていません。さらに、前ドア脇の表示窓には後ろドアから乗るような文字が書かれていますので、ツーマン車として使われているようです。

岩2く327
岩2く327

撮影:板橋不二男様(盛岡バスセンター 1977.3.14)

岩手県交通 日野RB10(1965年式)

やはり前中折り戸のワンマンカーで、日野車のうち5両が金産ボディだったようです。帝国ボディと比べると、中ドアの前に側面方向幕の用意がありません。
車番は65327で、この時点では配置を示すアルファベットはありません。
方向幕と側面行き先板を見ると「長岡経由日詰駅前行」なので、長岡線です。前ドアを締切にしているので、紫波営業所に移り、ツーマン車として使われています。

岩2く330
岩2く330

撮影:板橋不二男様(盛岡バスセンター 1977.3.14)

岩手県交通 三菱MR510(1965年式)

この年度のワンマンカーでの三菱車は一部飛び番号で13両が呉羽ボディで入っています。写真の車両は飛び番号でラストナンバーです。車番はA65330
中ドア上部に側面方向幕がありますが、使われた形跡はありません。
方向幕には「滝沢ニュータウン−バスセンター」と出ているので、この車両は車番通り青山営業所で青山町線に使われていることが分かります。また、前乗り中降りのワンマンカーとして使われています。

岩2く337
岩2く337

撮影:板橋不二男様(盛岡バスセンター 1977.3.14)

岩手県交通 日野RB10(1966年式)

1966年にも30両を越えるワンマンカーが導入されていますが、この年度からは前中引き戸になっています。この写真では側面が見えませんが。
側面が見えない写真をここで載せたのは、中ドア引き戸の純粋なワンマンカーでありながら「急行大迫行」に使われているからです。もちろんツーマンです。
53様からは同一車両が1982年には盛岡市内線で使用されているのが報告されており、この時期の車両の使い方には分からないことがあります。

岩2く341
岩2く341

撮影:板橋不二男様(盛岡バスセンター 1977.3.14)

岩手県交通 日野RB10(1966年式)

前中引き戸のワンマンカー。このタイプの日野車は9両ありますが、7両が金産ボディで帝国ボディは2両のみ。
車番はM66341です。
この時は「日詰駅前−盛岡バスセンター」という方向幕で日詰線に使われています。前乗り前降りのワンマンカーでの使用です。

岩2く343
岩2く343

撮影:板橋不二男様(盛岡駅 1977)

岩手県交通 いすゞBR20(1966年式)

岩手中央バスがワンマンカーとして購入した前中引き戸車。帝国ボディですがいすゞ車です。上の日野車と見比べると、前照灯4灯である点などが異なります。
方向幕には「本町経由山賀橋」と出ています。後に松園外山岸線に延長された路線の原形でしょうか。

岩2く345
岩2く345

撮影:板橋不二男様(河南営業所 1980頃)

岩手県交通 いすゞBR20(1966年式)

この時のいすゞ車には、帝国ボディと川崎ボディのほか、北村製作所ボディが2両ありました。後面が3枚連続窓の過渡期のタイプです。
私が岩手県入りした頃には、これと同一車両が矢巾営業所で廃車体となって置いてありました。
方向幕は「日の戸」。玉山方面に向かう日の戸線で、ツーマン車として使われています。

岩2く354
岩2く354

撮影:板橋不二男様(盛岡バスセンター 1977.3.14)

岩手県交通 いすゞBR20(1966年式)

川崎ボディのいすゞ車。バスセンターの車庫の中にいるのでよく見えませんが、中ドアは引き戸のワンマンカー。川崎ボディのこのスタイルでは末期の車両です。
車番は66354。県営野球場線に使われています。

岩22か512・岩22か222
岩22か222

撮影:板橋不二男様(花北営業所 1979頃)

岩手県交通 いすゞBU15KP(1972年式)

花北営業所に並ぶ貸切バス。2両とも岩手中央バス時代に新造されたもので、は1972年に2両が入ったオバQボディ、は1974年に3両が入った73SCボディ。
投入当初は緑色の花巻電鉄カラーでした。というのは、当時の中央バス本体は貸切部門を分社しており、花巻電鉄から引き継いだ部門のみの営業となっていたため、そのような選択となった模様です。
岩手県交通成立後、右に姿が見えている新車導入に合わせて、県交通カラーに化粧直しされました。

岩22か514
岩22か514

撮影:板橋不二男様(早坂高原 1977)

岩手県交通 いすゞBU15KP(1974年式)

岩手中央バスが1974年に6両を導入した観光タイプで、そのうち3両は中距離路線用として国際興業カラーに塗られていました。投入路線は盛岡−岩泉間の早坂高原線で、国鉄バスともども冷房付のデラックス車両で運用していました。

(参考掲載)岩22か518
岩22か518

撮影:板橋不二男様(東京都 1977.5.26)

岩手観光バス いすゞBU15KP(1974年式)

岩手中央バス系列では、1974年に9両の同形車を導入し、岩手中央バスに6両、岩手観光バスに3両を配分しています。岩手観光バスはこの写真のカラーでした。
なお、私が岩手県入りした1984年には、岩手観光バスの3両は国際興業貸切カラーに塗り替えられていました。一方、岩手県交通(元岩手中央バス)の6両は青と銀の県交通カラーに塗り替えられており、同じ国際興業貸切カラーでダブった時期があったかどうかは微妙です。

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