奇跡の復活

行くぜ東北・・・鵜の巣断崖まで僅か2q

鵜の巣断崖まで僅か3q 若い頃、大好きなアーティストが毎年のように出す新譜を必ず買っていたのに、いつのまにか数年に1回くらいしかニューアルバムが出なくなり、そういえば最近新曲も出ないし、こっちも買うのを忘れるくらい話題がない。そんな経験、誰しもあるんじゃないでしょうか。
どうして新譜が出なくなったのか。もう印税で十分稼げるので仕事をしなくてもよくなっちゃったのか、ほかの人の曲を書くのが忙しくてそれどころではないのか、それとも年取って新曲を書くイマジネーションも湧かなくなってしまったのか。その辺のことはよく分かりません。
そういえば、バス廃車体のサルベージも、2005年の第1発目からしばらくは、年に数回は実行していたのが、最近はどうなってしまったのか、2014年2月の富士山麓以来すでに5年の月日が経ってしまいました。
(写真は、一部を除いて2019年2月24日撮影)

はじまりはこの1枚

発見されたのは、今から10年前の2009年のことだったそうです。
そして、写真を送って頂いたのは、5年前の2014年。
写真を頂いてすぐに、キュービック様の許可を受けた上で、サルベージ隊の伏見さんに連絡。伏見さんも大いに関心を持ったのでした。

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撮影:キュービック様(岩泉町 2009.5.29)

しかし、この場所は、行き止まりの道路の一番奥。それも、Googleアースの航空写真で見ても、木々に埋もれてバスの姿は全く見えません。
何とか辿りついた伏見さんは、所有者の方とお会いし、いずれはこのバスを引き取りたいとの交渉が成立。
「いつでも引き出しますから!」と張り切ったメールを受けたのは、まだ2014年の夏が終わるか終らないかの頃だったように思います。

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画像:Google Map

行くぜ東北!
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そんな交渉成立情報から4年半。もう忘れかけていた頃、ようやく「2月24日にサルベージさやります」との連絡が入りました。
よりによって、こんな真冬の岩手県でサルベージをやるなんて・・・とブツブツ言っていたら、どうやらこれは「冬のごほうび」の一つなのかもしれないと気付きました。
サルベージの決行は日曜日の朝からなので、前日に岩手県入りすることに決めました。
良し悪しはともかく、東北に行く新幹線はこの色というイメージが定着しました。大宮の次は仙台、その次はもう盛岡という「はやぶさ」に乗って、盛岡まで2時間足らずの旅に出ます。

岩手山がお出迎え
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盛岡では、雪を頂いた岩手山が迎えてくれました。
確か“その頃”の盛岡は今頃は根雪になっていた記憶がありますが、今年の盛岡市内には全く雪がありません。
それでも雪化粧した岩手山の偉容が、冬の岩手県の記憶を呼び起こします。その岩手山の前を横切る屋根は、岩手県北バスです。

電気バスも走る街
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盛岡駅前からは、見慣れない綺麗なバスが発車しそうだったので、ためしに乗車。この2月1日に走り始めたばかりの電気バスでした。イオン盛岡南までの10分程度の乗車です。
走行音が静かなのは当たり前ですが、外車なので車内の造作もシンプル。日本製のバスがこのように作れないのはなぜなのか、いつも不思議に思います。

スマートバス停だってある
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せっかくなので、バスを乗り換えて盛岡バスセンターへ。都南村民様から教わった「スマートバス停」を見に行きます。
ななっく前(私にとっては中三前なんですが)に2月20日に設置されたばかりというスマートバス停は、デジタルサイネージを使った見やすくてリアルタイム表示が可能なバス停標識でした。
お食事帰りの二人連れも、次に来るバスを見つけやすかったようです。

冬のごほうび・・・朝が来た

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日曜日の朝、終点横川目さんとKT100さんが盛岡駅前まで迎えに来てくれました。
そして、早坂高原線のルートを通って、一路岩泉町に向かいます。途中、一面に氷の張った岩洞湖ではワカサギ釣りの人々を眺め、国鉄バスの廃車体は2016年の台風10号による水害の影響か土に埋もれており、龍泉洞を過ぎて太平洋に近づいたころ、三陸北道路という見知らぬ道路の鵜の巣断崖インターチェンジを降りることになります。

そして目的地まであと少しというところで、キュービック様も撮影していた県北バスの廃車体の脇を通り過ぎます。
この地区は、そういうエリアのようです。

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間もなく現地到着です。
既に海和さん、伏見さん、下河原さんの宮城県ベテラン勢が到着していました。
「あと桂田さんのバックホーが着くのを待つだけだけど、またトラブルで、出発サ遅れるって連絡あった」と伏見さん。
「桂田さんが来ないと、サルベージさ始まらねえべ」

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今日のお題
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今日サルベージするボンネットバスとのご対面です。
木々に囲まれて、その全容はよく分かりません。10年前にキュービック様が撮影した時にはバスの右側に木は植わっていなかったのですが、今は両側を木に囲まれています。
バス自体が少し動かされているようですが、10年の間に木も育ったようです。

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伏見さんの御案内で、車内を見てみます。
「登録に必要な書類が見つかったら教えてください。・・・んでも、お子様の勉強部屋になってたみたいで、何もなさそうだぁ」

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ぼんやりしていたら、海和さんがいきなり働き始めました。木の椅子とか机を運び出し始めたようです。
手伝おうとしたら、「これだけ運び出せばいいそうです」。
子供さんの小学生時代の学習机だったのでしょうか。

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中学生時代の教材がありました。「最近5年間の出題傾向と学習の進め方」というようなテキストです。中身を見てみると、「最近5年間」とは、昭和60年から平成1年でした。まさに“その頃”です。

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小本分校のマンドリン部に所属していたんでしょうか。
もっとも私はこれを琵琶だと思っていたのですが、海和さんに「どう見てもマンドリンでねぇすか?」と冷静に指摘されてしまいました。
弦楽器なんてみんな同じに見えます。

桂田さんが到着して作業が始まった

10時ごろになって、ようやくバックホーを積んだ桂田さん御一行が到着です。いつものことなので驚きませんが、今回は車両トラブルと言うより、予想外の渋滞だったそうで。

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作業開始。
チェンソーを使って、バスの周りの木を伐採する永山さん。
予め桂田さんは下見をしていて、必要な道具は揃えてきたようです。さすが・・・。

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隣接地側からは、バックホーで植木を引き抜いてゆきます。
ボンネットバスが顔を見せました。

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その数分後には、もう既にバスが持ち上げられていました。

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バックホーの巧みな操作で、ボンネットバスが引き出されます。
先頭部分が引き出されると、そのまま全身が現われ、あれよあれよという間に敷地の外に引っ張り出されました。
この間約2分。あっという間でした。

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久々に太陽の光を全身に浴びたボンネットバス。
鼻がないのがちょっと残念ですが。
ちなみに今回のバックホーは、年明けに中古で買ったばかりで、初現場がこのサルベージだったそうです。

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今度はボンネットバスを道路に引き出します。
長年放置されていた割には、タイヤに空気が入っていて、固着もなく、スムーズに前進してくれます。
今回の引き出し作業に最も協力的だったのは、ご本人(ボンネットバス)だったのかも知れません。

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セルフローダーに最接近させます。
「もうちょっと前、そこそこ、行き過ぎ。あ、大丈夫」

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セルフローダーを傾斜させ、いよいよ積み込みです。

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ケーブルをボンネットバス側に結び付ける作業。

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ケーブルでの引き上げが始まります。

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ちょっと右に寄りすぎているので、バックホーを使って微調整に入ります。

「私のケータイで記念に写真撮ってけろ」
このバスの所有者だったおばあちゃんも、サルベージには興味津々。長く庭に置かれていたバスにはことさら愛着があるようです。
シャッターを押してあげるのは、旭川から来たジープJ30オーナーズクラブの小倉さん。

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危険のないように前後左右に気を配りながら、バスを荷台に揚げて行きます。荷台の奥でケーブルを巻き上げるのは丸山さん。
後輪を固定すれば、作業はほぼ終了です。

積み込み完了の記念写真
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所有者のおばあちゃんを囲んでの記念撮影。
これは、緊張が解けた後の3テイク目。皆さん三枚目に撮れました。

このボンネットバスの素性は

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さて、この辺でこのボンネットバスはどのような車両なのかということについて、いつものように解明していこうと思います。
まずボディメーカーの北村製作所のプレートがついています。この時期のボンネットバスには多く見られた新潟のボディメーカーです。
リアには、ニッサンのバッジが二つ。丸い奴は何かの蓋かネジ頭に見えますが、見慣れた日産のマークが中央についています。フロントにエンジンのあるボンネットバスは、ボンネット部分が失われているとシャーシメーカーを知るのが困難ですが、これでこのバスのシャーシが日産自動車であることが分かります。

しかし、ボンネットの右側には、もう一つ面倒なものがついていました。日産ディーゼルと書いてあります。普通はこれを見ると、「日産自動車」ではなくて大型車メーカーの「日産ディーゼル工業」で作られたバスなのだと思うわけです。
でもそうではなく、エンジンが日産ディーゼル工業製であるということを表すロゴのようです。

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このことが正式に分かるのが銘板というものです。
車内にはボディメーカーの銘板が、ボンネット内にはシャーシメーカーの銘板がありました。
型式はU690、年式は昭和43年4月と書いてあります。ボディの製造番号は「M3930」、シャーシの車台番号は「U690-00124」です。
機関型式UD3とありますが、これが日産ディーゼル工業製のUDエンジンです。

1968(昭和43)年式ということは、失われたボンネットの前面には、横4灯のヘッドライトが並んでいたはずです。
ニッサンのボンネットバスは、1967年までは「縦目」でしたが1967年に「横目」にモデルチェンジされているのです。しかし、そのスタイルのバスは数が少なく、実物の写真がないので、パンフレットから同世代のトラックの写真をお見せします。

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画像:取扱説明書(日産自動車1967年発行)

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このボンネットバスをなぜ家の裏に置いていたのか。それは、持ち主のおばあちゃんが語ってくれます。
「この奥にあった営林署サなぐなっだとき、作業所と一緒にバスも持って来たんだっけ」
歳の近い(?)下河原さんには何でも語ってくれます。

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岩泉営林署のバスだったということですが、KT100様があることに気づきます。正面の行き先窓に「乙」の文字が見えるのです。
「このあたりに乙のつく地名はねぇべが?」とおばあちゃんに聞いてみます。
「小本ならあるだども・・・」
更によく観察すると、リアには「野辺地地区交通安全協会」のステッカーがあります。野辺地というのは、青森県下北半島の付け根あたりにあります。
「野辺地の近くに乙供という地名サあって、そこに営林署サあったはず」とKT100様が言います。岩手県は青森営林局の管内なので、青森県内との車両の移動はあって不思議ではないのです。

岩泉営林署の面影

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ボンネットバスと一緒に持って来たという元岩泉営林署の建物を見に行きます。家の隣に曳家で引っ張って来たそうです。
ここに「青森営林局」管内であったことを示す火の用心の丸板が原形を保っています。少し奥の茂みには、「岩泉営林署」の名前を今に残す山火事用心のホーロー看板も退色せずに残されていました。

この先は未舗装になり、道は途切れてしまうようですが、かつては岩泉営林署があったそうです。
更に2kmほど行くと、海に到達するはずです。
もう1本違う道を行くと、そこは鵜の巣断崖であるはずです。

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出発前の最終調整
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高さを抑えるため、タイヤの空気も抜きます。
このバス、長らく放置されていた割には、4輪とも空気がしっかり入っており、空気を抜く作業も結構苦労しました。

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長距離移動に備え、外れそうな部品を針金で固定する四竃さん。
「手慣れたもんだねえ」海和さんが声を掛けます。

植木も原状復帰
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ボンネットバスを引き出した場所に戻り、抜いた木を元に戻します。
バックホーと手作業で、手際よく“木を植える”仕事です。
大きなボンネットバスを引き出したとは思えない姿に、原状復帰しました。

すべての作業を終えて安堵の表情の皆さんは、桂田さんとともにトラックの運転からバスの引き上げまで最前線でこなしたメンバー。ほうきにまたがって過去に飛んで行こうとしているのは小松さんです。

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本日の海和さん

サルベージの進行を、やさしいまなざしで見守る海和さん(右)。サルベージの第一人者も、今ではサポートの側に回ります。
冒頭のアーティストに例えるなら、自分が育てた若手のレコーディングを見守るため、スタジオに普段着でふらっとやってきた秋元康という感じでしょうか。

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本日の伏見さん

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保存会の広報部長伏見さんは、いつも最前線で段取りや危険防止に目を光らせます。
それでも、下河原さんとともに高いところは大好きです。

本日の下河原さん

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いつもならバスの屋根に上っている下河原さんですが、今日はバスを引っ張った後をほうきで掃いて回ります。もちろん、公共の道路を汚さないための大事な作業です。
よく見ると、ヘルメットには「日本昭和の車保存会」のサルベージステッカーが貼ってありました。

本日の桂田さん
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結果的に今日のサルベージは、桂田さんの独り舞台だったように思えました。
引っ張り出して、載せ込んで、微調整して、出発する。すべての場所で桂田さんがイニシアティブをとっていました。

出発します
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12時50分。ボンネットバスを載せたセルフローダーが出発します。
桂田さんの基地に立ち寄った後、茨城県までバスを運ぶ予定です。
1978年の廃車以来、40年間にわたり過ごしてきた岩泉を後にします。
さて、このバスに次に出会えるとき、どのような姿になっているのでしょうか。楽しみです。

秘密基地に到着
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撮影:小倉和浩様(茨城県 2019.2.24)

夕方までに茨城県の目的地に到着することができました。
セルフローダーからボンネットバスを降ろします。積み込むときと同じように、地面に擦らないかどうか確認しながら、慎重に降ろします。

割れていた方向幕のガラスは、出発前にガムテープで補修されていましたが、到着時にはこんなことが書かれていました。
岩泉発の岩岡バスターミナル行きだそうです。これは運搬ドライバーの役目も果たした小松さんの力作だそうです。

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撮影:桂田康由樹様(茨城県 2019.2.24)

ボンネットバスには、しばらくはこの場所でゆっくり休んでもらいます。
ん? 後ろに何やら気になるボンネットバスもいますね。

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撮影:桂田康由樹様(茨城県 2019.2.24)

SALVAGE
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80s岩手県のバス“その頃”