奇跡の復活

マツダAEVA型ライトバスをサルベージ

マツダライトバス。何の変哲もないマイクロバスの名前ですが、その姿形を見れば、ある年齢層以上の人なら必ず頷いてくれるはず。まだ大型バスは丸っこいボディで、マイクロバスも窓の小さい垢抜けない車両ばかりだった1965年、未来のバスを想像させるフォルムで登場したのがこのバスでした。
その特徴はなんと言っても大きな曲面ガラスを使ったフロントスタイル。その近未来的な丸みに対して、側面は積み木のような四角で構成されている。一度見ると癖になるスタイルでした。
そんなライトバスが何の予告もなく海和さんたちの手によってサルベージされることになったのです。今回は廃車体の発見から含めて当サイトで何かかかわったわけではないので、海和さんから聞いたことを元にして記事を構成させていただきます。
(画像は海和隆樹さん撮影)

それはボンネットダンプを引き上げた日

海和さんは当サイトでご紹介したバス廃車体の引き上げ以外にも色々な旧車の復活にかかわっていました。その日は、トヨタボンネットダンプを引き上げた後、疲れ切って4t車の後部寝台で寝そべっていました。
しかし、第6感で何かを感じた海和さんが窓の外に目をやると、そこには懐かしい近未来フォルムが置かれていたのです。さすがにそのときの海和さんは何も言わずにその廃車体を車内から見送りました。

トヨタボンネットダンプ

撮影:海和隆樹様(2006.5.26)

ピンキーとキラーズのバス
マツダライトバス

撮影:海和隆樹様(高畠町 2006.6.17)

その後しばらく経って、海和さんは「日本昭和の車保存会」の椋元さんとあるボンネットトラック譲渡の交渉に行った帰り道、このマイクロバスを見に行くことになりました。奇しくも椋元さんも「ピンキーとキラーズのバスだろう」とこの廃車体を知っていたそうです。
この場所に着いてみると、たまたまオーナーの方がいて、譲渡の話には二つ返事でOK頂いたのでした。

テレビの取材も入りました

このライトバスは電気工事店の送迎バスとして使われていたもの。廃車後は座席が取り外され、物置となっていましたが、状態は悪くありません。何と言ってもガラスがすべて残っていることがラッキーでした。
なお、当日は仙台放送のテレビ取材が入りました。「宮城昭和の車保存会」が「NPO日本昭和の車保存会」に変わる過程などを含め、かなり長期の取材だそうです。地元の方はしばらくお待ちいただきまして、番組完成の暁には是非ご覧下さい。

マツダライトバス

撮影:海和隆樹様(高畠町 2006.7.1)

近未来フォルム
マツダライトバス

撮影:海和隆樹様(高畠町 2006.7.1)

正面スタイルはこんな感じです。ほとんどがガラス窓です。私の目から見ると、これが今新車として登場しても充分通用すると思います。そう思うのは私がおじさんだからでしょうか。
多分、今回サルベージに参加したおじさん達も同じ思いでこの顔を見ているんだと思います。

マツダライトバス

いつものように後ろ向きに荷台に上げていく様子です。
床が低いので、これまでの大型バスなどよりもちょっと注意しながらの作業です。

大きな顔!

絶妙なアングル!
このバスの特徴ある曲面ガラスが余すところなく見えるアングルです。
こうして斜めになっていてもサマになってしまうところがこのバスのすごいところです。ブランコとかゴンドラとかにも共通する工業デザインなんですね。当時のマツダと川崎航空機のセンスと決断に敬意を表します。

マツダライトバス
マツダライトバス
積み込み終了
マツダライトバス

撮影:海和隆樹様(高畠町 2006.7.1)

トラックに載せ終えて、ほっとした皆さんで記念撮影です。
皆さん、ご苦労様でした。あと、テレビ取材もご苦労様でした。すばらしい番組にしてください。出来れば全国にも放送してください。

マツダライトバス

さて、多分20年以上住み慣れた電気工事屋さんから出発です。ご家族の皆さんも名残惜しげに見守ってくださったとのこと。「バスがなくなって日当たりがよくなる」とは言うものの、本当はさびしかったのだと思います。
このマツダライトバスは、「NPO日本昭和の車保存会」によってレストアされる予定だそうです。座席がないので、室内の整備には当面手がつきそうにないのが残念です。座席が取り付けられた暁には、見晴らしのよさそうな最前席に、是非座ってみたいものです。

SALVAGE
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80s岩手県のバス“その頃”