金沢浪漫紀行回顧録(5)


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◇変革期

2004年、平成16年。

この年から、夏のコンサートは星空のコンサートのみとなり、市民コンサートは、翌年の2月開催となった。

 

今回は、史跡から話さないとつながらないので、まずは史跡から。

史跡は大乗寺と深谷温泉のみ。大乗寺はスタッフとして、深谷温泉は客で見に行った。

 

深谷温泉の時の話。

その時の出演は、富山で活動しているスティールドラムのグループ。この深谷温泉には能舞台があり、当初はここでやる予定だったらしい。ただ、この日は雨が降ってあいにくの天気と言う事もあり、中のお座敷でのコンサートとなった。途中、能舞台を使って演奏すると言う演出もありましたが。

とにかく、すごく盛り上がった。特に後半、スティールドラムのリズムに合わせてみんな踊り出してしまうほど。アンコールは「上を向いて歩こう」で、大盛況のうち終わった。私自身、この興奮がしばらく消える事がなかった。こんなに心に残ったコンサートは初めて。

 

で、星空のコンサート。星空のコンサートに、ブラスバンドが再び参加。

ブラスの練習の時、演奏曲目の中に「坂本九メドレー」があり、練習中からこの曲を聴くたびに、あの史跡でのスティールドラムの興奮が蘇ってきた。

 

今回は、観客導線という係を担当した。観客をステージへご案内したり、また、立ち入り禁止の所に入っていかないように警備するという所を担当する事になった。復元された菱櫓の近くで、観光客の写真サービスもしていた。

そこからはステージは殆ど見えなかったけど、音はすごく鮮明に聞こえた。ステージからは結構離れているはずなのに、こんなによく聞こえるとは思わなかった。

驚いたのが、遅くなっても入ってくる客がいる事。9時近くになって、そろそろフィナーレの時間なのにまだ入ってくる人がいる。別の角度から見てみると、今まで気がつかなかった事もわかってきますね。

 

年が明けて、市民コンサート。

餅つきと言うアトラクションもありました。

ゲストとして、桜ヶ丘高校の吹奏楽部と、遊学館高校のバトントワリング部が参加。この遊学館高校のバトンは、実は一回目の市民コンサート(市民ステージ)に出ている。この時は金城高校という女子高だったのが、共学となったのをきっかけに、校名も変わった。高校生とは思えない素晴らしい演技を披露してくれました。

 

この時はドア係でした。客を客席に誘導したり、写真を撮る人や携帯電話の音などを注意するお仕事です。本番は中で警備をしながら(本当はいけないんだけど)見させていただきました。

 

2005年、平成17年。

この年から、ブラスバンドの出演はなくなりました。(寂しい!)

 

星空のコンサートでは会場班をやりました。ブルーシートを敷いて客席(?)を作ったり、客をあいているスペースに案内したり。思っていたより忙しかった。気がつくと、後ろには人がい〜っぱい!芝生に座って聞いている人がこんなにいるとは。やっぱり、星空のコンサートは野外に限りますねェ。

 

史跡は、この年は個人的に密かな記録を作りました。

史跡の完全制覇。実行委員会主催のものはスタッフで、そうじゃないものは客として。自分のHPで、携帯用を作ったらミョーにハマってしまって。この年はちょっと頑張りました。だから私のHPでは、この年のものが一番充実しているのです。

 

年が明けて、市民コンサート。

金沢浪漫音楽祭として開催。今回も餅つきがありました。

ゲストに根上中学校の吹奏楽部(パーカッションアンサンブル)が出ました。

 

今回は呼び出し班で、この吹奏楽部の担当でした。この年は近年にないくらい寒く、この日も大雪が降っていました。中学生の中にも風邪を引いている人が多く、ちょっと辛そうでした。体調も万全とはいえない状態なのに、一生懸命演奏している姿には、心を打つものがありました。お餅の差し入れには喜んでもらえたようです。(ヨカッタ!)

 

2006年、平成18年。

市民コンサートがなくなった。(ザンネン)

 

星空のコンサートも、「金沢浪漫音楽祭〜夏まつり〜」として、観光会館で行われた。

今回の係は、出演者の受付と楽屋の警備。要は、出演中の楽屋の荷物番。

毎回、フィナーレは『北斗』、『小さな世界』そして花火を上げて終わる。今回、初めてフィナーレに『北斗』をやらなかった。観光会館なので花火は無理だとしても、『北斗』のないフィナーレがこんなにしまらないものだとは。今思えば、すでに兆しはあったのかもしれない。

 

史跡は、この年は実行委員会主催ものはスタッフで参加しましたが、それ以外は見に行く事ができなかった。(2年連続の完全制覇はできなかった。ザンネン。)

芸術村では、日本古来の楽器(尺八)を外国人が演奏。まさに和洋折衷。ジャズアレンジにした事もあって、新鮮で楽しい演奏でした。

 

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