金沢浪漫紀行回顧録(2)


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◇ボランティアデビュー

1997年、9年。

私のボランティアデビューである。前年のコンサートのアンケートに記入したのがそもそものきっかけ。

 

星空のコンサートは金曜日に行われた。朝、土砂降りの雨が降って、その対応にタイヘンだったらしい。コンパネをかき集めて、出演者の足場を作ったり、会場では水はけに大あらわだったらしい。

この日は仕事だったため、仕事が終わってからの参加。楽屋警備をしていた。

 

次の日の市民コンサート。

前日の雨が信じられないようないい天気。足元はグチャグチャだったけど。この日はケータリング班で、出演者の楽器運びを主に手伝っていた。

尚、出演者の選出方法がオーディション形式になったのはこの年から。

 

史跡では、能楽堂のハープを聞きに行ったのが最初。ボランティアとしてはまだ参加していない。

 

1998年、平成10年。

私にとって、運命の年となる。

星空のコンサートに、ブラスバンドが参加することとなった。所が夏はコンクールがあるため、思うように集まらない。練習らしい練習もできず、ほとんどぶっつけ本番でステージに立たなければならないと言う、ブラスの人にはちょっと酷なデビューとなってしまった。

 

この日、私はセットチェンジ班のチーフをする事となる。特に星空のコンサートにおいては、ボランティアの中でブラスのことがわかるのが自分だけという事もあり、そのパイプ役も兼ねていたわけだ。

 

次の日の市民コンサート。

星空のコンサートと違って、入れ替わりが激しいので、セットチェンジ班としては、むしろこっちのほうが忙しかった。しかも、音がうるさくてインカムがよく聞き取れなくて慌ててしまった。

 

史跡は・・・、パス。

 

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