金沢浪漫紀行回顧録(3)


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◇金沢市民芸術村にて

1999年、平成11年。

この年、「市政110周年にちなんで、ブラスを110人でやろう。」なんてプロデューサーが言い出したもんだから、さあタイヘン。前年の反省もあり、この年から4月から月いちで練習する事に。その練習初日には、確か40人前後ほど集まったんじゃなかったかな?徐々に増えて、結局104人となった。110人には及ばなかったが、それでも100人超えたのだ。奇跡だ。

 

この年から、お城は工事中で使えないため、芸術村で開催することに。

今回は出演者として参加。朝はボランティアとして準備をして、昼のリハーサルからは出演者になり、それが終わるとまたボランティアになって後片付け。タイヘンだったけど、なぜか充実していた。

オープニングファンファーレ、ブラスバンドのステージ、そしてバンダ。ステージ裏は、おちおち休憩しているヒマがないくらい大忙しだった。

 

次の日の市民コンサート。途中から雨が降ってきて、セットの位置がだんだん変わっていくというハプニングもありました。

忘れられないのが、ギターの太田真佐代さん。オーディションの時の話。出演者側からすると、このオーディションは異様な雰囲気の中で行われていたらしい。そこに1人での参加だったせいか、すごく緊張していた。でも、とても素晴らしい演奏で、それ以降、史跡コンサートに出演することになった。

アトリオで、太田さんとパウダーをゲストにプレキャンペーンをしたのも、今ではいい思い出ですなァ。

 

史跡は、芸術村の里山の家と尾山神社を客で、東山の真成寺はスタッフとして初めて参加した。

 

金沢浪漫紀行スペシャルとして、「諏訪内晶子ヴァイオリンリサイタル」を開催。

この時は参加していない。前日の準備だけ。

 

2000年、平成12年。

この年、石川県トランペットソサエティ(ITS)が発足。このITSがブラスバンドのステージに参入。トランペットだけで30人くらいになったんじゃなかったかなァ。そんなブラスバンドって、本来ありえない!

また、この年からカラーガードが参加。それ以降、ブラスバンドの演奏に華を添えてくれることになりました。

 

この年も、出演者としてステージに立たせていただきました。時には出演者として、時にはスタッフとして、忙しかったけど、全然苦にならなかった。むしろ、タイヘンだったからこそ楽しかった。

 

市民コンサートの方は、駐車場係だった。ステージを横で見ながら、気楽にやっていたような・・・。

 

史跡は、大乗寺と芸術村にスタッフで参加。

芸術村のホルンアンサンブルに、アレンジを手がけたボブ佐久間さんも来ていた。ボブさんと浪漫紀行との付き合いはここからとなる。

 

スペシャルとして「アジアの巨匠たち」を開催。これは参加しました。ドア係をしてました。

 

2001年、平成13年。

次の年、金沢城に戻ると言う事もあって、一度スタッフの視点で見てみたいと思い、この年はスタッフオンリーで参加。呼び出し班として、各工房の控え室からステージへ送り出す係をしていた。

 

市民コンサートは、久しぶりのセットチェンジ班。K-CUBICの人達と一緒にやりました。K-CUBICは、芸術村のサポートスタッフとして活動しているボランティアグループ。普段芸術村で鍛えられているだけあって、てきぱきと仕事していたのはさすがでした。おかげで楽しくできました。

 

史跡では、兼六園に時雨亭が復元され、そのこけらおとしとして史跡コンサートが行われました。また、金石の専長寺は客で、寿経寺の民話と小幡さんとのコラボはスタッフで参加しました。芸術村のマリンバは朝の準備だけ参加。色んなマリンバがあり、中でも木のかたまりのようなでっかいものまであり、「これもマリンバなんですか?」て思わず聞いてしまいました。

 

今回のスペシャルは、史跡コンサートが通算100回を迎える事になり、史跡スペシャルとして開催。ドア係をしていました。また、色んな展示物を作成したのも、いい思い出ですね。

 

夏には、沖縄から来た子供たちで『花やから』が行われました。客で見ましたが、子供とは思えないのびのびした演技に感動しました。

 

ン〜、こうして振り返って見ると、中身の濃い1年だったんですねェ。

 

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