目次

 

英國劇と道徳問題

 

 

 

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     ピネロ作「二度目のタンカレー夫人」

 

     (上)

 

丁度イブセンの死んだ後であるから、イブセンの勢力感化の如何に歐洲文藝壇に大であつたかといふ一例ともならうと信じて、茲に英吉利脚本作者の最高位を占めて居るピネロのことを話して見る。

前にもニ三度言つたかと記憶するが、現在の劇作者の中ではフヰリップスとか、バーリーとかいふやうな人々は別として、今少し格の古い人で、最近こそは餘り振はないが、兎も角も斯界の頂點に達して今尚劇作者の首席を占めて居る人は、即ち眞面目なものでピネロ、喜劇でアーサー・ジョーンズの二人であらうと思ふ。ピネロも以前は矢張り英吉利在來の喜劇作者であつたが、中頃から眞面目な社會悲劇ともいふべきものゝ範圍に入つて、一轉化をしたのである。丁度其回轉期に入つたのは、今から十五六年前であつて、即ち此回轉期に入つたことが、一方からいふとイブセン風の劇を作り始めたとの〓[#「こと」合略仮名]である。就中一八九三年に出した「二度目のタンカレー夫人」一八九五年に出した「エブスミス夫人」などいふ作が尤も明白に此回轉期を示したものであつて、同時に此等の作がピネロの最傑作と目されて居る。即ち此等の作は殆んど英吉利の劇壇其ものゝ、近時の回轉期を代表して居るとも見られる。いはゞ英吉利の劇史に重大の關係を有して居る作であるからして、下に先づ「二度目のタンカレー夫人」の梗概を稍詳しく話して見よう。記者自からは丁度兩三年前倫敦で昔初興行の當時之を演つた名女優カンベル夫人といふのが、久し振りで倫敦のニュウ、シャターで之れを復興したのを見たから、今これを原作によつて話さうと思ふ。

此劇の倫敦で復興した時は丁度カンベル夫人が、同じく倫敦での名優の一人なるマーチン・ハーヴェーと一座して、かの獨逸のズーダーマンが近作の一つたる「エス・レーベ・ダス・レーベン」を「生の喜び」と英譯して演つて、大喝采を搏した直ぐ其後であつた。而して此「生の喜び」の女主人公乃至今話さんとする「二度目のタンカレー夫人」の女主人公の如き役が、尤も此女優には適して居るのであつて、其ズーダーマンの作は矢張イブセン張の者であつた。さればカンベル夫人が好んでピネロのもなぞを演ずるのは、一方からいへば此女優が近代劇のイブセン的傾向に尤も適應して居るのかと思はれる。

筋に入る前に先づピネロの傳をざつと話すと、渠は一八五五年の生れで、全名はアーサー・ウヰング・ピネロである。而して其ピネロといふ苗字が示して居る如く、祖先は英人ではないらしい、葡萄牙人の系統だといふことである。始めは法律を學んだが之れを好まずして、十九歳の時初めて俳優になつて蘇格蘭エヂンバラーのウヰンダム一座に加はつた。後にはリヴァプール邊から倫敦に來て、其所で始めてかのアーヴヰングの一座に加はつて、有名なライシャム座で種々の役を勤めたが、勿論俳優としては重要の位置には上り得なかつた。バーミンガムで沙翁劇の「ハムレット」の中の王を勤めた時には空前な不出來な王といふ評判を取つた。其他アーヴヰング一座では、例へば「ヴェニスの商人」の中のサラリノの役を勤め、其法廷の場で三十五分間も何も言はないで立たせられるなどは隨分苦しい役だと頻りにこぼして居たといふ話である。然るに一八七七年渠は二十三歳の頃始めて作者としての生活を始めた。勿論俳優としての傍に書いたのではあるが、其初めての作は「一年二百ポンド」と題する作であつて、それは倫敦の世界座のために書いたのである。これは極く短いものであるが、また其年にライシャム座のために「其勝負は二人でやれる」と題する短いものを書き、一ニ年經つて後、またアーヴヰングの勸めで、同座のために「デージーの逃れ」、「ヘスターの祕密」、「過ぎし事」などいふ短篇を作つた。而してこれには多くピネロ自から一役を勤めて居た。然るに其同じ頃一八八〇年にセント・ゼームス座の名女優ケンドール夫人のために「福蜘蛛」(マネースピンナー)と題する劇を作つた。これが劇作者としての彼の位地を得た第一歩であつた。而して此作は當時一つは名優の技倆にも由つたであらうが兎にも角も成功した作として評判が好かつた。而し作風に於ては、極くコンヴェンショナルな在來の英國式の喜劇の範圍を脱しないものである。但しこれに付て或る批評家はピネロが後年回轉期に達すべき資質は既に此作に現はれて居たのであるが、只當時作者に其新方面に大膽に直進する勇氣が缺けて居たのであると評した。それで其の評の仕方がおもしろいと思ふから茲に掲げて見よう、曰く此の「福蜘蛛」の筋に付いて作者の根本の思想は、茲に若い夫婦があつて、其夫には死んだと思つた先妻がある、それが意外にも尚生きて居た爲に葛藤を生ずるといふのであるから、斯樣な場合に我々は如何に處すべきかといふ問題が生ずる。如何にも解せられぬ複雜な人生問題に觸れかけて居るのである。されば若し作者に勇氣さへあれば、此所から出立して深い意味のある人生の底を痛切に攪き起こすことが出來るにも拘はらず、此作者は當時此大膽なる事業を敢てする勇氣がなかつたと見えて、平凡な在來の米國喜劇の型で、此大一場に現はれた非常の地位をば解釋し去つて了つた。それは即ち調和といふことであつた。結局疑は解けて結末は目出度く終るといふことであつて、即ち喜劇になつた所以である。而して此風は此の作者に尚暫くの間續いて、後の「墮落者」、乃至「二度目のタンカレー夫人」に到つて始めて此上に頭を擡げたのである云々。勿論今でも英國喜劇の佳いものには頗る味ふべき人生の眞味も籠つて居て立派なものがある。古くはシェリダンの或るものより、下つて現代に及んではアーサー・ジョーンズの或る種の作、例へば「虚言者」なぞの如きは、一種別樣の妙味を有して居るものと信ずる。而し多數の喜劇は、やゝもすると俗趣味に投ずるだけの極くつまらないものになる。其一番主もなる理由は元來世の多數衆俗といふものは、一日頭や身體の疲れる仕事をして、夜分にでも劇場に行つて笑つて一日の勞を息めやうといふのであるから、好んで肩の凝るやうな藝術を味ふことなぞは出來ない、是れが現時の大都會の形勢であらう。さればこれらの多數を對手にする喜劇は、勢ひ餘り沈痛なものや、深刻な悲劇は不適當になつて來る。倫敦はじめ巴里伯林の劇壇に近年所謂音樂的喜劇といふものが盛んに入つて眞面目の悲劇の範圍を蠶食し墮落せしめて行くと、一部の人の慨歎するものも即ちこれらの事實から生じた現象である。かの大陸でイブセンの「人形の家」の結末を今少し調和的に緩和して、ノラが家出を思ひ止まるといふ事にして、以て俗人の趣味に投じようとしたといふ話。または倫敦でキップリングの小説「失明」を劇にした時に、其結末のあまりに悲慘なのは、倫敦の多くの人の快しとする所にあらずといふ趣意からか、其結末を目出度いやうに書き替へたなぞは既に心あるものゝ批難を蒙つたことで皆上に言つたと同じ事實を證明するものである。要するに喜劇を喜ぶといふことは、やゝもすれば人生の底に潜んで居る悲慘の流れに觸れることを嫌つて、表面の調和とか、平和光明とかいふ事に止つて居ようとする一種の通俗な考へから來る恐れがある。上に言つたピネロの初期の例が即ちこれらの一例と見られないでもない。一八七〇-八〇年頃英吉利の劇壇を司配して居つたコンヴェンショナリズムの喜劇的嗜好はピネロをして「福蜘蛛」の如き材料にすら、強て光明的の結末を附するの止むを得ざるに到らしめた。それは成程實際世界に於て殊に英吉利の如き道徳の進んだ社會に於てこそかやうな事件の多くは立派な紳士の心、寛大な性質からして、忍ぶべきを忍び以て其事を無事圓滿に結局せしむるかも知れないが、其無事な結局を強て避け、本然の人性の到る處を極めて、其所に普通道徳以上の深い眞理の輝き出づるのを認めんとするのも、一つの事業でなくてはならぬ。イブセン等が文藝の光でもつて照し出さんとしたものは、即ち此底の暗いところに横つて居る眞理である。死んだアーヴヰング次での英吉利の名優たるウヰンダムが、好んで演ずる喜劇、若くは喜悲劇ともいふべき「デーヴヰッド・ガーリック」または「ローズマリー」なぞの如きは、即ちこれと反對の側に立つて立派な紳士寛大な心の人物が忍ぶべからざる本性の要求をじつと耐へて、此世を平穩無事に治め行かうとする、其忍耐の刹那に生ずる淋しい悲哀を描き出したもので、これはまたイブセン式な著作と方向こそ反對なれ、人間の本性の底から閃き出づる美しい火花の一片で、ある點に於いては、選ぶところはないのである。英國喜劇の上乘なるものゝ妙所は、多く此點に存するといつてよろしい。さてピネロは「福蜘蛛」の後、一八九三年に「二度目のタンカレー夫人」を出すまでの間、二十四篇の作を有し、又其後最近までに七八篇の作を出して居るが、例へば一八七一年に書いた「郷土」、一八九〇年に出た「復興」、「女校長」、「ダンデヰー・デヰック」、「スウヰート・ラヴヱンダー」、「墮落者」、「内閣大臣」、「アマゾンス」などが、「二度目のタンカレー夫人」以前に出た重なものである。批評家に依つては、これらの中で「墮落者」と「二度目のタンカレー夫人」とを男女が過去に於て身に帶びた汚點の如何に執拗く一代に祟るかを示したものと見る。而してイブセンの男女觀の尤も明らかに渠に影響を及ぼしたのは、寧ろ之れに次いでの作即ち一八九五年に出た「エブスミス夫人」及び「疑の利」の二作だとする。就中其「エブスミス夫人」中の所々には、明かにイブセンの「ブランド」を想起させる所すらあるといふ。而して此二作は寧ろ男女の兩性が相合せんとする時に、其間如何に複雜なる困難の起り來るかを示し、兩性問題に筆を着けたものであると稱せられる。而してイブセン其人が眞に英吉利に承認せられたのも、丁度一八九五年頃であるといふ。然れどもこゝでは、要するにこれらの四作に通じて深い人生問題が提出せられて居るものと、我々は解釋したい。最近の作では一九〇一年の「アイリス」、一九〇四年の「レテヰー」などが、人の記憶に新たなるところであつて、「レテヰー」はこれまた記者が倫敦に居る間に初興行をやつた作である。

 

       二度目のタンカレー夫人

 

第一場は、富豪オーブレー・タンカレーの部屋、オーブレーは四十二歳の立派な紳士で今丁度友人三四人と晩餐を共にした後の態。此オーブレーはこれより先き、妻を失つて今は鰥生活であるが、今しも彼れは舊友と種々懷舊談などして遂に自分の身の上に及び、突然に、實は自分は明日を以て結婚しようと思ふと告げる。一同はこれを聞て其意外な話しに愕いて、奈何いふ理由で奈何な婦人と結婚するのかと訝り問ふ。然れどもオーブレーは時の經つ間には解るからさう追窮してくれるなといふ。而して今夜諸君を招いたのは、結婚がやゝもすれば朋友との交際を冷淡にする世の慣はしであるから、自分と諸君との厚誼も、これから奈何なるか解らない、今夜はいはゞ今までの交りの最後の一節として、諸君を招いたのである。明日からは自分の生活は新たに其第一節をば開いて行くのであるから、今夜は何卒心置きなく話してくれといひ、而して自分の結婚は普通の社會を滿足させるやうな舊式の結婚とは何程か差つて居るから、其積りで居てくれなど話して居る所へ一人特別に親しい處のドランムルといふ友人が遲刻してやつて來る。そして自分遲刻の申譯けをして、其申譯の理由からして漸次、或る友人が新たに結婚した話に及び、其友人の妻になつた婦人はメープル・ハーベーといふ女であるが知つて居るかといふ。これを聞た人々も愕いて、メープル・ハーベーといふ婦人は女優であつて、隨分道徳上にも批難のある婦人である。それとあの男が結婚するとは意外の事だ、あれ程男を替へたり、離婚沙汰なぞにたづさはつて居る婦人に關はつて居るとは、紳士の耻辱であると議論してゐる。其間主人のオーブレーは手紙を書いて居りながら、これらの話を耳にして激したやうな調子で居る。一方では新結婚者の話がだん/\進んで行つて、議論に花が咲く。其結婚した男も不憫な事には精神的に死んで行つて、遂に埋没し去つて了ふ。社會には一つの死海といふものがあつて、人間も其淵に足をかけては駄目だなどいふ。オーブレーは遂に其席に堪へかねて、一寸失禮すると言つて別の部屋に行つて手紙を書きつゞける。後はドランムルと他の三人の友人のみとなつて、オーブレーの身の上の噂さに移る。奈何いふ婦人と、奈何いふ結婚をする積りだらうと頻りに訝つて、オーブレーも四十二歳といへば實に危險な年であるといふやうな事から、結局ドランムル一人が後に居殘つて篤と主人の祕密を聞き出すから他の客人は一足さきに歸れといふことになる。而して尚オーブレーの過去の噂さに移つて、渠の先妻は非常な舊教の信者であつて、美人ではあつたが而し非常に寂しい靜かな冷いやうな夫人であつた、從つてオーブレーは一生其婦人とは十分打解けることが出來なかつたやうである。夫人の方でもまた到底オープナーは、自分ほど嚴粛な信仰を有つことは出來ないものと慊めて居たものらしい。で二人の間に一人の女の子が出來たが、其子は母の主張で斯樣な父の傍に置ては可かぬと、尼寺に入れて清い生活をさせる事になつた。オーブレーは種々反對して見たが、遂に妻君は頑として聞入れなかつた。其間に妻君は死んで了つたから、其所で早速オーブレーは尼寺から自分の娘を伴れ歸らうとしたが、意外にも女は母の氣象を受けて、自分は清い此寺から俗世間に歸るのは嫌だといつて、父の勸めを聞入れなかつた。といふやうなことを話して、丁度先日もオーブレーが女を迎ひに行つたのは、君等も知つて居るだらう、今は其女は十九であるが、可哀さうなものである。といつて居るところへオーブレーも手紙を書き終へて入つて來て、また暫らく雜談に耽つて三人の友人は立ち歸る。

後は親友のドランムルとオーブレーと二人になつて、ドランムルはオーブレーに種々の事を聞糺し始める。オーブレーも遂に隱し切れず、實は明日結婚しやうとする婦人はジャーマン夫人であるといふと、ドランムルは非常に愕く。蓋しドランムルは此婦人を知つて居るのであつて、今こそジャーマン夫人と名告つて居るが、昔はダアドリー夫人と名告つて居た時代もあるし、其他二三の男と同一に棲んで居たこともあつて、最後にジャーマン夫人となつたのすらも、實は正當な夫婦ではないのである。ドランムルも種々な席で種々な場合に此婦人と逢つて、能く夫人の素性を知つて居る。然るに今オーブレーがかやうな婦人と結婚するのは非常の誤りであると信ずるから、これを諫止しやうとする、此婦人の本名はパウラ・レーといふ矢張女優のやうな經歴を有つたものである。そこでオーブレーがいふには、君は彼の婦人を賤しいものゝやうにふけれども、其經歴に同感して見れば憫れむべきである、成程種々の男にも關係はしたらうが、それらの場合に於て全く罪人か惡人かのやうに取扱かはれて、其本性の美しく立派な方面は、それが爲めに隱されて了つたのである。普通の平凡道徳の眼から見ればこそ、不道徳のものともいはれようが、少し高い見識から見てそれは寧ろ憫れむべきもので、畢竟狭い社會から虐待せられて居るものである。自分は其立派なところを認めて、彼女と結婚しようと思ふのである。といふと、ドランムルはそれでは君は平凡世界の道徳の批難は調はぬといふのであるかといふ。オーブレーはこれに答へてさうである、自分は靴を磨く代りに、自分の蹠を厚くして寧ろ自分の本性を尊び、僞善的な道徳をば振り棄てる。といふやうな趣意の激烈な意見を吐く。それで如何なる事情があるとも眞情を以て愛し、また此婦人の中に眞の美を認めて居るから結婚して眞實の美を證據立てようと思ふといふと、ドランムルもそれでは今夜は訣れるが、今後君と再び逢ふ時は、此結婚が立派であつた事を見せて貰いたいといつて歸らうとする所へ、取次ぎの男が入つて來て、今門口にジャーマン夫人が見えましたといふ。時刻は夜の十一時過ぎであるので、オーブレーは友人に對し極まりを惡がるといふ事なぞあつて、やがてドランムルは自分は只人生の見物人であるから、人々が奈何な運命に成行くかと見てゐるのである。願くばそれが幸福な結局であるやうにと思ふ。決して何の主意も抱いては居ないから、君の將來をも美しいものにしてくれと、別れて行く。引違へてパウラが入つて來る。種々相愛して居る男女の挨拶などあつて、パウラが昨夜の夢の話しを仕出し、其夢見の末が甚はだ良くなかつたから、自分は直樣オーブレーに見せようと思つて、思ふ通りを手紙に書きつけた、其手紙を持つて來たから後で讀んでくれと手紙を渡す。話しが漸次シンミリして來て、お前さまも曾て妾からも聞た通り、また他人からも聞かれたであらう通りに、妾の過去には隨分種々な事があつて、どうせそんな風に汚れた身體であるから、妾がお前さまを慕ふことが強ければ強い程、妾のためにお前さままで墮落させるに忍びない。妾は死ぬほどお前さまを慕つて居るが、萬一お前さまの心に不安の念があるなら、今の間にそれを奇麗にいつて貰ひたい。明日結婚してからでは仕方がないから、切れるなら今の間に切れて了はふといふ。男は種々これを宥めすかして萬一お前と私と縁を切るなら、お前は奈何するつもりだといふと、パウラは、さうなれば妾は自分で死ぬまでのことであるといふ。男は決して見棄てるなぞといふことはないから安心しろと、再び男女は熱烈な愛情を確かめる。丁度其所へ手紙を取次ぎの者が持つて來る。開けて見ると、先達て逢つた娘が尼寺から遣したもので、女の名はエリーンといふ。其の文句の趣意は、自分で種々考へて見たところ、一旦あゝいつたが矢張り父の傍を離れて居るも本意でない、傍に居つて其寂寥を慰めるのが、天に居る母の意にも叶ふであらうから、妾は父上の傍に歸つて行きたい、呼んでくれといふのである。パウラは其手紙には意を留めず、遲くなるからといふので衣裳を着替へなどして、馬車で自分の宅へ歸つて行く。オーブレーはそれを送り出す。明日こそは我幸福の日よ、といつて相訣れる。それが第一場の終りである。

 

       (下)

 

第二及第三幕で富豪オーブレーが妻のパウラ及先妻の娘エリーンと共に田舎に邸宅を構へて、其所で後妻パウラの過去の汚れを洗ひ淨めてやつて清き新家庭を作らんとした其結果が豫期豫想通りに往かないで、パウラが身の汚れが機に觸れ折に觸れては夫妻の間を妨げる因由となつて風波が絶えない、丁度其間際に、女エリーンの新に意中の人として同道して歸つたアーデールが舞臺に現はれて來て、それが昔パウラの關係して居た男であつたゝめに、漸と纏りかけんとした家庭も再び混亂の状に陷るところまで來る。(此ニ幕都合により略す)

一體此作は、舞臺で非常に成功した作だけに、全體の組織が社會劇として遺憾なく戯曲的に出來て居る。波瀾は波瀾を生み、葛藤は葛藤を生じ、毎齣殆んど息も吐かれぬ程氣合ひの合つた劇だ。それが第三幕の終りで右に言つた如く危險の形勢にまで高つて來たのであるから、次に第四齣の大破裂の場は自ら想像せられる譯であるが場所も矢張同じ家の同じ室で、若きアーデールが必ず自分との關係をば匿してくれよと死を以てパウラに迫つて置て出て去つて後、パウラは獨り其部屋に取殘されて我ともなく其所に落ちて居た鏡を取上げて我顏を寫し見て茫然として居る。其儘の形ちで第四齣の幕を開くのである。

さて幕が開くと、先刻玉突部屋に出て行つたオーレード夫人が入つて來て例の通り種々卑しい身振り言葉で、何故玉突きに來なかつたか奈何して居るのかとの問答がある。最早茲所ではパウラは殆んど煩悶に煩悶を重ねて意地も張りも挫けかけて居る所であるから優しく言葉をかけて、折角來てくれた貴方達に對して主人振りが行届かず不滿足を與へたのは何卒恕してくれられるやうになどと言つて居る。所へ續てオーレード夫人の夫も入つて來て、例の通り愚圖の本性を出して滑稽の事を言ふ。これをオーレード夫人が引立つて無理矢理に寢室に伴れて行く。それと引違ひにオーブレーの友人ドランムルが入つて來て、エリーンが急に歸つて來たといふ事を聞て、それは何故かと愕くと、パウラは其理由を語るには自分は今餘りに疲れ過ぎて居るため、これを語るのが厭であるから、丁度今其件で隣家に往つた夫のオーブレーが直きに戻るであらうから、それから委細を聞いてくれといふ、ドランムルは、それでは其事は然うとして置て、私は明日の朝は此地を出立するから、茲所で貴女にお別れをして往かう、兎に角貴女と夫との間が再び以前のやうになるのを祈ると別を叙して出て行くと、これと入れ替つて夫のオーブレーが歸つて來る。渠は勿論エリーンの情人アーデールの先刻茲所へ來たのは知らないのであるから大喜びで入つて來て、今コーテリオン未亡人に聞て見ると、アーデールといふのは申分の無い人物で、軍人として印度に勇名を轟かした立派な若者である。お前も定めてエリーンからも聞たであらうが、此獅子の如き勇悍な聟をエリーンが目つけたのは非常な手柄であると、頗る勢込んで述べる、それで私も其男に逢つて見やうと思つたが折惡しく不在であつた。然し聟としては私には更に異存はないが、お前の意見は奈何かと聞く。パウラは暫時言ひ淀んで居たが思ひ切つて、無論異論はないけれども、第一に言はなければならないのは、私は既にアーデールさんにお目にかゝつたことがあると言ひ放す。オープレーは愕然として「あのアーデール大尉にか。」パウラ「アーデール大尉に」、と答へる。そして、丁度貴方が不在の間に其處の庭を突切つてエリーンに逢ふために來た、それで私は逢つたのであるといふ、オープレーは顏を顰めたが、唯それだけなら宜いといふ樣子で、結局其人柄は奈何かと問ふ。パウラは屹と決心の態で話を昔に戻して、丁度私が結婚をする前の晩に夢見が惡いと言つたのを貴方は覺えて居らつしやるか、其時私が貴方に手紙を渡して、其手紙には私の身の上を書て置た、而し其時貴方は其手紙を見るに及ばぬとて燒き棄てられた、それを今も覺えて居らつしやるか、覺え居らつしやれば、あの手紙の中にはアーデール大尉の名も載つて居た筈です、と聞てオープレーは再び吃驚して、パウラの傍を離れて沈と向つてパウラの顏を見詰める、而して全體其アーデールの名の載つて居たといふのは如何いふ譯かと聞く。パウラは答へて、然うです、アーデールと私は一時一緒になつて居ましたといふ。オープレーは一言も發せず、目瞬きもせずにパウラを見詰めるばかり。パウラは尚も夫に向つて、斯樣に打明けた以上、さア貴方は此顏を打つても尚足りないと思はれやうが、請ぞ打つて下さい。私は今は奈何貴方にされようとも厭はないといふ。オープレーは漸く我に返つた體で更に、先刻お前はアーデールに逢つて如何したかと問ふ。パウラは結局、私はアーデールに對して此事を貴方に打明けようといつた。然しアーデールはそれを望まなかつた、是非此事を匿してくれといつた、とこゝまでいふ間感情は層々激越した體で、彼女は遂に堪へ得ずして泣付しながら請か暫時貴方は彼方へ往つて居て下さい、私は此座に堪へる事が出來ないといふ。オープレーは尚傍を去らずして問ふ、其間娘のエリーンは如何して居たか。パウラは答へて、それは部屋の外に立去らして置たから、事の顛末は知らぬ。大丈夫であるといふ。所へ取次人が手紙を持つて入つて來る。それはアーデールからパウラに宛た手紙である。でそれを夫妻して讀んで見ると、書中の文句は、自分はこれから直樣巴里に立歸つて返事を持つて居るから、事の成行きを知らしてくれ、そして請か何分ともに事を圓滿に取計つてくれとの趣意である、讀み終つて二人は互に顏見合せて溜息を吐たが、萬事は是れまでであるとオープレーは其手紙を〓[#「テヘン」+「止」]き棄る。パウラは其〓[#「テヘン」+「止」]き棄られた手紙を拾ひ集めて、此手紙は請か此儘燒てくれとオープレーに渡す。

其所へ娘のエリーンが入つて來る。夫妻はぎよつとして振り向くと、娘も一寸おど/\した樣子で、何事か起つたのですかと聞き問ふ。茲に於てパウラは最早席に得堪へずして此室を出て行つて了ふ。エリーンは其擧動に不審して、父に向つて、パウラはアーデールの上に付て何かいつたかと聞く。父は曖昧な返事をする。エリーンはアーデールの今夜茲所に忍んで來た事に付て父が不興を抱て居るのではないかと思ひ煩つて、其の事を辯護して、明日の朝になればアーデールも悔悟するであらうから、今夜茲所に來た事は何卒赦してやつてくれといふ。オープレーは思ひ定めて、娘の名を呼びかけて、エリーン、お前は最早あの男と相見る事はならないと言ひ終つて、覺えず後方にたじろいたが、また氣を取直して宥めるやうに女の手を執る。女は其執られた手を振放して愕きの餘り、それは奈何した事かと迫り問ふ。オープレーは暫時返答に考へあぐんで居たが遂に、實はアーデール大尉の身上に關して少し聞き及んだ事があるから、お前とあの男との關係は是非ともこれ限りにして貰はなければならぬといふ。女は尚も父の自分の傍に寄つて來るのを避けながら、嫌です、嫌です、私に何の心變りもない以上は、あのコーテリオン夫人だつて一處に居たのであるから、別にアーデールさんの讒訴をする譯はなし、奈何あつても理由なく父の命に從ふ譯にはいかぬといひ切る。そして、何卒其理由を聞かして下さいと迫る。父は尚も賺して其理由は聞かない方がお前の利益であるから、自分の胸の苦しさを察して斷念してくれといふ。エリーンは、それでは明日の朝アーデールに逢つて疑點を當人に辯護さしてくれといふ。父はこれに對して、併しアーデール大尉は最早茲所には來ないといふ、そして結局それは自分が間接に差止めたのであるといふ。エリーンはそれを聞いて、それでは屹度それはパウラから讒訴を聞いたに違ひない、先刻の話に由ると、パウラは倫敦でアーデールに逢つた事があるといつたが、それは屹度そうであらう。オープレーはそれを制し止めて、左樣に輕卒な判斷をするものでない、兎に角アーデールの事は思ひ切つてくれ、そしてお前は此場合信じて居る宗教から精神の慰めを得てくれなければならぬ。エリーンはこれを拒んでいふ、屹度父上はアーデール大尉が未だ血氣定らない頃の事をパウラから聞て、それでアーデールを批難されるのであらうが、其事ならば私も疾くに聞て居る、アーデールは正直に男らしく過去を白状して、男の生涯といふものは皆一度は斯樣なものであると説明してくれた。と話しつゞけるのを聞たオープレーは思はず溜息を吐たが、エリーンはそれには心付かず、言を進めて、それだけの範圍ならばアーデールの過去の不品行を恕して相愛したのであるから、一向それは咎め立てをするには及ばないといふ。オープレーは歎息して、お前が先頃此家を出立する時までは清淨無垢の婦人であつたが、お前も遂に所謂浮世の塵が着物の袖に泌むといふ身の上になつて了つたか、男の生涯といふ一句がお前にも解るやうになつたか、凡ての世の罪惡から離してお前を育てようといふ私の願ひも今は全く破れた、殘念な事であるといふ。エリーンはそれを聞て、それは父上の無理である、人間は生れながらにして善惡二つながらに觸れて判斷する本能を持て居るのであるから、それから離して置かうといふのは出來ないことでせうといふ。此邊が一種の哲學に入つて居る處である。オープレーはエリーンの言に次で、それは兎に角必ずお前はアーデールとの關係を絶てと言ひ切つて此室を出て行かうとすると、エリーンはこれを引止めて、私は決心して思ひ切らないと定めたといふ。オープレーは覺えず娘の顏を見て、矢張お前は死んだ妻の子である、母の氣性其儘が今こそ現はれたといひ、尚語を次で、然し今夜は私も何を言つて居るか解らない程思ひ亂れて居るから、凡ては明日の朝の事といつて、室を出て行く。

舞臺面は更に變つて、エリーンが獨り取殘されたまゝ偶と耳を傾けると、窓の外に人の氣合がするので、立ち上つて見ると、庇の下にパウラが居る。でエリーンはパウラを此室に呼び入れる。パウラの顏は眞蒼で髪も稍亂れて居る。エリーンはアーデールを思ひ切らねばならぬといふ父の命令は無論パウラの讒訴からだと思ひ込んで居るから、心に憤りを含んで、今までの父との話も其所で立聞きをしたのであらうと詰る、そして何故私とアーデールとの情交を斯樣な慘酷の事をして裂いて下さつたか、アーデールの身の上といふものも恐らく人の口の端を信じて取次だだけでせう、それならば奈何して貴方は其通り違ひないといふ保證を附けますか、それとも貴方自身で……といひかけて、不圖エリーンは言を切つて、覺えず眼を据ゑてパウラの顏を睨みつけた儘、ニた足三足我ともなく後方に退いて、パウラ!、と愕きの一言を發する。蓋し偶と思ひ及んで、此の時はじめてパウラ自からがアーデールと關係したのであらうかと推察をしたのである。彼の女は、オー、と愕きの叫びを殘したま〓[#踊り字「二の字点」]部屋を出で去らうとする。パウラはエリーンの今の言に得堪へず、出で去るエリーンの腰の邊りに手をかけて引戻す、そして今の言は何を理由にして言つたかと聞くと、エリーンはそれは貴方の顏に見えて居るといふ。パウラは見脈を變へて、ではお前は私が其樣不埒な人間だといふのかと息迫しく問ひ詰める。エリーン「最う何でも宜いから其所を離して下さい、」パウラ「いーや離さぬ、返答をおし、お前は私を嫌つて居た、其性根を除けて話してくれ」といつて、こづき廻す。エリーンは聲を立つて、「奈何するのです。」パウラは繰返して「常時もお前は私を嫌つて居た、さア返答をしろ。」エリーン、「宜うござんす答へましよう、私は必定貴方が如何な人物であるといふのを知つて居ました。」パウラ「ふーむ、誰がお前に其樣な事を言つた。」エリーン「誰でもない、貴方自身で、私は初めて貴方を一目見た時から、決して貴方が立派な婦人ではない事を知つて居ました、それが理由で私は如何しても貴方を愛する事が出來なかつた、あゝ何たる恐しい家庭であらうぞ、吁々。」パウラ、「嘘、嘘、それは皆嘘、お前は嘘を吐く。」といひながら、エリーンを膝の下に引敷て、其樣な嘘を言ふか、お前は私に詫びなくてはならぬ、私は立派な良い婦人である、私は常時も良い婦人として過して來た、如何してお前は、私を良くない婦人なぞと斷言し得るか、お前は嘘を言つた、といひざまに激しく突き放す。途端にオープレーが其所へ入て來る。そして此有樣は何事であるかと問ふ。要するに此場が大破裂に到る前の大葛籘の頂上で、茲所で覺えずパウラの性格に同感する、彼女は情の激したまゝに手暴な事はしたけれども、其心根は飽までも純潔で、自分の性質は善良で立派な婦人であると信じて居る。唯境遇が自分に強く逆つて居つたゝめに不品行はしたかも知れぬが、惡人ではない、天性立派な婦人であるとの自信を持つて居るから、今エリーンから、過去の事を言つて辱められ、覺えず自分が胸にある事を打出したのである。父が入つて來たのでエリーンは弱つたまゝ、「何でもありません。私が惡いのです、私は最うアーデール大尉に二度とはお目に懸りますまい」と言つて、部屋を出て行く。後にはパウラは夫を呼びかけて、エリーンは最早何も彼も悉皆察して了つた、私とアーデールの事も察して了つた、初めから私の性質を疑つて居た、それが原因で私に親まないのであると白状した、といひかけて其所へぐたりとなる。オープレーはそれを助けて椅子に着かせ、尚もパウラを慰めて、お前は何とかそれを辯解すればよかつたのではないかといふ。パウラ、「それは無用です、私の顏に凡てが出て居るといはれて見れば、其辯解の辭は無いのです、あのエリーンのいふ通り、私の生涯は散々汚されたものに違ひない、誰にでもそれは見えるのでせう。」オープレー、「然し其樣な考へは娘の頭から取除けるやうに仕なくてはならぬ、全體如何したら宜からう。」パウラ、「一體斯うならない前に貴方が、エリーンが如何私を見て居るかといふ事を注意して下されば宜かつた、今となつては仕方ない。」オープレーは茲所に到つて覺えず、兩手に顏を填めて泣く。パウラは暫時無言の後夫を呼びかけて、「私は實に濟まなかつた、最早此儘一緒には棲れない身の上であるから、自分が身を引きませう」といふ。オープレーはこれに答へて、併し娘は斯うなれば再び尼寺に歸つて行くであらうから、お前とは依然夫婦となつて居やうと慰めて、抑も先妻と共に棲んだ、此家に歸つて來たのが間違ひであつた、此上はお前と私と外國へでも往つて新生涯を始めよう、今までは夢であつたと思つて呉れといふ。此の邊からが全篇中最も有名な臺詞になる。パウラはいふ、「新生涯をまた始めるといふのですか。」オープレー、「これから先きまた幸福にならないとも限らない。」パウラ、「然し貴方は今夜の此の事を決して忘れてはなりますまい、二人で茲所へ引越して來て、エリーンが歸つて夫婦の中には風波が起つて犬と猫のやうに睨み合つて、コーテリオン夫人が間に入る、オーレード夫婦が來る、ドランムルが來る、そして最後にアーデールが來る、丸で引續いた永い夢に魘はれて居たやうではありませんか。」オープレー、「然しそれは忘れて了へる。」パウラ、「貴方は何時も然うおつしやるけれど、奈何して然う容易く忘れられるものではない。」オープレー、「然し我々は唯將來を考へなければならぬ、將來の算段、將來の話、それでやつて往かなければ立ち行くものではない。」パウラ、「貴方は將來將來とおつしやるが、將來といつても矢張一度は過去になるもの、たゞ是迄の過去と入口の違つた過去であるのに過ぎない。」オープレー、「其樣な考へは廢めてくれ。」パウラ、「でも今夜の事が其の證據ではありませんか、如何しようが、何所へ往かうが、私がむかし奈何な身分であつたかといふ事を忘れる譯には行かないぢやありませんか。」オープレー、「然し今夜のやうな事は滅多には起らない、世の中は然う狹いものではないから。」パウラ、「然うかも知れない、夫婦の仲の隔たりに比べれば世の中の方が狹いくらゐ、併し貴方は實に良い人だけれども事情が惡かつた、私の言ふ事を覺えて居て下さい、勿論私は現在は未だ奇麗な女です、私は然う信じて居るばかりでなく、尚ほいつまでも美しくありたいとは思ひます、けれども今でさへもう私の顏には皺が寄つて來ました、眼は窪みかける顏には今までにない暗い影が差して來る、私は段々棄てられて行く身になりかゝつて居る、臙脂や白粉は嫌ひだけれども、それも何日かは人のするやうに塗らなければならない日が來る、そして何時か一度、恐らく案外に早く妙な機會で、貴方は私の顏を見る事がつくづく厭になる。其時貴方の心が變つたら私は奈何して貴方に對抗する事が出来ませう、奇麗な女といふ武器は私には無く、萎びて、朽ちて、髪は白くなり、眼はどんよりとして、體は骨ばかり、頬はこけて、幽靈、朽ちた船、鳥羽繪、蝋の流れた蝋燭、斯樣な哀れな身の末になつたら、奈何して貴方がそれでもといへませう、これが貴方の口癖の將來ぢやありませんか。」

オープレーはパウラの此言を慰め兼て、唯其名を呼ぶばかり、パウラは最早言ひ疲れて、來て私は眠くなつたと言つて、夫の肩に頭を擡せかける。其時室の外から再び友人のドランムルが歌を唄ひながら來るのが聞える。パウラは私はドランムルに逢ふのが厭だからといつて室を出で往く。ドランムルは事情を知らないから、オープレーの跡を趁ひ、暇乞ひ旁々深夜に拘らず復た來たのであるが、エリーンとアーデールの話をばコーテリオン未亡人から今聞いて來たといつてこれを祝すると。オープレーは、「私はアーデールの如き人物を咒詛する、然り自分は今こそ呪つてやりたく思ふ、かういつたら自分で自分を呪ふことになるかも知れないが、男の生涯といふやつを經て來た人間、即はち私や私の仲間等のやつた事柄のために、世間の人は幾ら迷惑を蒙つて居ることか、それが廻り廻つて今こそ我が身の上に報ひて來た。これで自分が昔しやつた男の生涯といふ罪業も帳消しになるから、今はこれを咒つても疚しうない、渠咒ふべし、渠咒ふべし」と激した體である。この有樣に前後の樣子を知らぬドランムルの愕くを更に其の手を把て、オープレーは「パウラだ、パウラだ、彼女とアーデールと二人は今夜茲所で逢つた、而して彼二人は滿更の他人同志ではなかつた、」と言ひ放つ。ドランムルは意外の事に愕いて、オープレー!と一言その名を呼んだばかり。オープレーは言を續けて、「彼れ咒ふべし、哀れむべきは我が妻、」といふ時エリーンが入つて來る。エリーンの顏色は變つて見える、そしてエリーンは一寸父に來て下さいといふ。オープレーが連れ立つて室外に出ると、「パウラの室に往つて下さい、早く、早く、」といつて、父が愕いて驅けて往かうとする、其の手を扣へて、怖さの餘りに、「イャ/\往かないで下さい、」と前後忘却の態である。父は振り切つて奧に入る。エリーンは倒れる。これをドランムルが起こして、何事かといふ。エリーンは「私が先刻パウラに酷い事を言つたものだから、今それを詫ようと思つてパウラの部屋の戸の所まで往くと、室内で人の倒れる音がした、愕いて入つて見たらパウラは自殺して居た、然うです、實に私が惡かつた世間では自殺だといはうけれど、實は私が殺したも同然、私さへ今少し寛い心を有つて居たら斯樣な事は無かつたでせうに、」といつて椅子の上に氣絶して倒れる。それを介けてドランムルが戸を排けて向ふを見込む。それで幕です。(完) (明治三十九年談話筆記)


 

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ピネロ作「二度目のタンカレー夫人」|文頭

 

 

 

演劇問題