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新裝飾美術

 

 

 

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     英國劇と道徳問題

 

れまでも幾回か繰返して話した通り、眞面目な演劇といへば歐羅巴では、今以て或る程度までイブセン式の所謂問題劇の色を帶びて來るものが多い。換言すれば眞面目な世話狂言の落想は、多く社會問題――といへば種々の語弊が生じませうが、寧ろ道徳問題即ち人生根本の道徳觀を取扱ふこととなるのです。

イブセン風の演劇は最早時代が過ぎて居ると觀る者が、西洋にも無いではありませんが、實際に於ては前に申した如くまだ中々重要の位置を占めて居ります。

私は彼の國の演劇壇が此の傾向に觸れてゐるかをお話することにいたしませう。

勿論根本の着想又は觀念はイブセン式であつても、これを取扱ふ方式又は風格といつたやうなものは、自然に其作者により、其國民によりて異つて來る譯であります。英吉利の作者がイブセン式の劇を書くといへば、其根本觀念がイブセン式であると同時に、其外形若くば風格も自から英吉利式になつて來ざるを得ない。獨逸人の書くものは自から沈痛の氣を以て勝り、伊太利人の書くものは自から色彩に富んで居るとか、諾威人の書いたものは、自然沈欝の色を帶びて居るといふやうな工合に、英吉利人のものは自から輕くなつて來る。其歸結は概して喜劇的に、または輕い悲哀を中心にしたものになることが多い。

それで茲にお話しまするのは、二ツとも先づ喜劇といつて宜い、で然もイブセン式である所が、英吉利劇の面白味のある所であります。加之こゝにお話する二ツの劇は道徳問題を中心にして居るものとはいへ、自から異つた反對の道徳觀念を現はして居ります、一は其道徳問題の解決の工合が寧ろ快樂派的であるし、一は其解決が道徳的である、即ち尤も對照するに趣味のある二つの劇であると思ひます。それで一つの劇は、兩三年前に倫敦のへーマーケット座で演つて非常の喝采を搏したもので、外題は「カズン・ケート」(従姉のケート)といひます。作者は當時英吉利の若手の劇作者として賣出した一人でデーヴヰスといふ人であります。

で此劇は都合三幕で成立つて居りますが、其筋の大略を申しますと、序幕がアミーといふ若い女の家の體であります、で此アミーの父は既に彼女が幼き時に亡き人となりまして、現在は母と弟と自身との三人暮しの家であります。それで此幕でアミーといふ女の性格が現はしてあります。

幼にして父を失ひ、浮世を母の手一つに育てられて人となつたアミーには、豫て許嫁の若い畫家がありますので、此女の性格は年よりも優せて、顏も何所となく淋しいところがあり、非常に正直な神經質な、身體の痩せた而してい衣裝の好みなども黒味の勝つた極素朴な、一言以ていへば面白味のない、若々しくない婦人である。それで彼女が斯樣に自から育たざるを得なかつたのは、畢竟早く父を亡くして小兒の時から彼女及び彼女の弟までもの義務を負擔して世故に於いたからで、弟の十ニ三許りなのまでが早や三十か四十にもなる人のやうな優せた風に出來てゐて、それが滑稽の材料になつて居る。要するに家内中がひねて優せた者の寄合である、と斯樣に説明すれば自から了解さるゝでありませうが、此アミーといふ若い女で、作者は先づ言つたら一種のシンボリズムで義務とか道徳とかいふ方面を標象即ちシンボライズして居るのであります。

而して彼女の従姉に「ケート」といふ若い恰度アミーと同年輩位の女を作つて、これはアミーとは直反對に、非常に華やかな活々とした、氣性の面白い、顏も美人で、衣裝の色の好みなども非常に華美なものを好む風に出來てゐる、少々は不品行といはれやうが構はない、自分の面白いと思ふ事なら他の毀譽は氣に仕ないでやつて見やうといふ女に出來て居ります。即ち此女を以てアミーが標象する所と反對なる快樂派を、シンボライズさせて居るとも見られ、これは一寸見れば、少し教育のある者には誰にでも氣が注くやうに、明らかに特色を附けて作つてあります。

由來英吉利の社會なぞで能く申します言に、デューチー・エンド・プレヂュアー、即ち義務と快樂といふ反對熟語がある。これは本來人間の根本的傾向の矛盾したニ方面を表はしたもので、一方には我々が此世に生存して行く必要條件からして、義務といふものを要して來る、即ち我々は必ず如何なる程度までかは自分を犠牲として他人の爲めに働かなければならぬ、即ち義務である。然れども同時にこれと直反對なる、自分のおもしろい事がしたいといふ感情をも我々は持つて居る。これも亦た僞と否定することの出來ぬ心内の事實であつて、即ち快樂性ともいふべきものである。人間が或は習慣教育の上からして、道徳には從はなければならぬものといふやうに教へられてしまつて、其以上に眼を開いて見ない間は、義務一遍でも滿足して行けやうが、一度矛盾した困難事に行當つて、考へ込んで、其所に最う一つ自分の心の底に異つたものゝある事に氣が付て、遂に此二股道に行迷ふ、これは即ち現代に於ける一番深い道徳問題であります、で此消息は我邦にても最近の思想界に現はれて就中かのニイチェ論などから此かた、若い人々が如何なる形ちに於いてか、此問題に觸れんとしつゝあることは誰も認める所でありませう。

それで前申した英吉利の熟語デューチー・エンド・プレジュアー即ち義務と快樂の對稱も、此問題を通俗的に諺のやうな形にした句であります。ですから普通の觀客でも此「カズン・ケート」の劇を見れば、すぐ義務と快樂との對照の劇と呑込み得るのであります。

それで又た劇の筋に立戻つて話しますと、序幕はアミーの結婚準備の取込み騒ぎであるとか、または前申したひねた、而して優せた、人々の集つた可笑味であるとか、又た斯樣な人々から見た従姉のケートの不品行がましいやうな種々の行ひの噂さであるとかいふやうなことで賑やかに終る。で其幕からしてケートが或る男と汽車の中で邂逅つて、其の男がひどく氣に入つて居るやうだといふやうなことを嗅はせて、そしてケートはワース・エンド・ワース(段々惡くなッて行く)だといふやうな噂さをして居る。所がケートが邂逅つたといふ男は實はアミーの許嫁の畫家であつて、此畫家が亦た美術家でもあるしするから、自から極華美ずきな、ケートと氣の合ひさうな、そしてアミーとは眞反對でありさうな性格に出來て居る。つまり作者は……明らかに自からさう意識して書いたか如何かは知りませんが……此男でもつて快樂又は感情といふやうなものを標象さして居るのです。で其快樂感情の代表である男子と、義務の塊又は義務を追求することを一代の務めとするアミーを配合した。アミーは如上の性質で義務の爲めといふことを居常口に離さない女でありますから……要するに義務の爲めなら何事でも爲る。左樣に義務を追求する女に快樂を代表する畫家を配合したのであるから、作者の考へも大體は察し得られます。而して快樂を追求するに專念なるケートが見染めた男が、アミーの許嫁の畫家であつたため、茲に劇の葛藤が生ずる。

次の幕はケートの部屋借りをして居る居室であつて、或る大雷雨の日に再びケートと彼の畫家とが出會つて相伴つてケートの居室に歸つて話をする場である。これは英吉利の輕い滑稽を混ぜた濡場であります。で結局二人は戀を明し合ふといふことになる。そして終りの幕……三幕目は再びアミーの家になつて、アミーが自身の許嫁の男とケートとの間を聞て種々に煩悶をする所である。然し其の煩悶の工合が滑稽に出來て居る。即ち先づ普通の人情ならば、兎も角我が許嫁の夫を自分の従姉に奪られたのであるから、道徳の方ではなくして忿怒、嫉妬の感情の方向から來た煩悶でなくてはならぬ。然るにアミーの煩悶は其方ではなく、ケートが夫れ程思ふ男であるなれば、これに讓るのが義務であるが、男に對しては自分は夫とすべきことを誓ひをして居るのであるから、自分から其誓ひを破る事は出來ぬ、といふやうな意味に煩悶する。アミーは心底から其許嫁の夫を慕ッては居なかつたかも知れぬが、然しながら戀しない男でも一旦許嫁した以上、それを他に奪られたら普通の人情からいへば快くはない所であるが、此點が滑稽になるところで、アミーが普通の人情に反した煩悶は、觀客がこれに同感せずして寧ろ笑ふ形ちになるのであります。尤も細に文藝の標準からいへば、人情を滑稽の犠牲にして同感して泣かすべきところを笑はせて見せて居るのであるから、味の無いものとなる。然し茲では此無理な滑稽が意味のある事になつて居りますので、斯樣にしてアミーは煩悶します。然れども結局母とも相談しまして、男に許嫁の夫たるべき誓ひを自分から破るといふことを心配しながらも相談して見ます。即ちケートの願ひを達せしむべく、許嫁たる自分が身を退いて、男にケートと結婚する下心があるか何うかと聞いて見る。すると男の方ではケートに十二分の意が有るのであるから願つたり叶つたりで、寧ろ驚き喜んで、アミーとの破約を承諾する。其所で家に出入する牧師で、これは職掌が職掌であるだけに、畫家とは直反對に義務道徳に心を傾ける淋しい性質で、矢張優せた男に出來て居る。此男と結局母の媒で新たに許嫁になる。でニた組とも目出度目出度で手を引いて食堂に入るといふので幕になる。

以上の筋を一括すると、始めアミーと畫家を結び付けたのは義務と快樂と矛盾した二つを結合調和することが出來やうかといふ問題を提出したもので、然るにこれは到底結合が出來ず、遂に快樂は快樂を追求する運命となりアミーは義務の塊の牧師に行くことゝなる。結局二つの分れたものになる、二元相並んで行くべきものであるといふ結論に歸するのであります。然れども前に申したアミーの性格が見物には凡て滑稽の材料であるため、其結果は作者自から意識せるか否かは知らず、アミー即ち義務、道徳といふ方面を嘲笑して、寧ろ快樂派のケートや畫家の方に同感を多く寄せて居るといふことになッて居ります。即ち劇を見終つたる後に全體の調子として觀客の頭に殘る感銘は、窮屈らしく道徳のそれのみを追ふことは笑ふべく、寧ろ十分の快樂を追うて走るこそ人生の活々したところであらうといふやうな解決の感であります。今一度換言すれば、根本的道徳問題に此劇が與ふる解決の感情は快樂派的といふことです。

矢張同じやうな問題に觸れて、而も其解決の異つて居る一つの劇は、去年倫敦のガーリック座で演つて居りました「ウォールズ・オブ・ゼリコー」即ち「ゼリコーの城壁」と題するものでありまして、作者はスートローといひ是れも若手で一寸名の知られた人で、大陸のマーテルリンクなどを多く英譯して有名であります。

此の劇は番附を失なつたために役の名を忘れましたが、表題の「ゼリコーの城壁」といふ「ゼリコー」は、英吉利にもヘンリー八世の事蹟と關係して人に知られた名であるが、これよりも古くかの舊約全書の第六卷「ジョシュア」の條にある所の、バレスタインのゼリコーといふ街のあの名の方が此作者の用ゐたものであらうと思はれます。たしか舊約全書にある如く「ゼリコー」の城壁は落つべし、といふやうな句が劇の中にも嗅はせてあつたと記憶する。即ち「イスラエル」人が埃及に四十年の流浪の後歸つて來て取つた一つの都會であるといふやうな意味から取つたのではなかつたかと思ふ。それで筋は英吉利人が彼の國で能くある如く、徒手で殖民地の濠洲に渡つて、幾十年の間稼ぎ働いて遂に鉅萬の富をなして、これから一つ本國倫敦に歸つて其所の樂しい社會に自分の殘生を送らうといふので歸つて來た。所が倫敦で交際社會に巾を利かせるには財産と同時に今一つ便利なものは身分又は爵位であるが、哀哉、此男は成上りの俄分限者であるからして、金はあるが身分や爵位はない、それで身分を得たいと捜して、漸く或る貴族の未亡人と結婚をしまして、そして身分もあり金もあるといふ申分のない體になつて、西倫敦の眞中に飛込んだのであります、西倫敦といへば前にも他の所に書いたことがありましたが、英吉利の富貴權勢榮華の中心でありまして、西倫敦の交際社會に巾を利かすのは豪勢な事である。で此上流社會の裏面の有樣を一方には此劇中に曝露してありまして、それに打撃を加へたものともいはれる、ですから或る人なぞは此劇を見て、アッタック、オン、ウエスト、エンド、ライフ即ち西倫敦攻撃と呼んでゐる位のものであります。

で、此劇の幕は先づ其貴族の未亡人たる妻君の驕奢の有樣で聞きしにまして、此妻君が西倫敦の腐敗を代表した婦人に出來て居て、夫はあれども無きが如く、家庭の内は大亂脈、唯金の有るに任せて晝夜を分たず客を招き、酒池肉林の豪華を衒ひ、煙草も吸へば酒も飲む、腐敗した貴婦人の多くを集めては徹夜骨牌を弄び賭博を爭ひ舞踏會は毎晩のやうに開かれる、夫は其方除けにして、若い男と手を組んで躍り狂つ夜を明かし、あらん限りの歡樂に溺れ、快樂を盡す状態を見せる。であるから、これから樂しい人生を味ふつもりであつた夫は、愕いて失望し、豫期と反した不愉快な生活の裡に快々として煩悶する。かくて夫は如何にして此不愉快な生活から脱れ得、如何にして妻君を諭してこれを家庭的のものにしようかと、時々妻君に種々訓誡して見るが寸毫も其益なく、結局女は夫の訓誡に對して、私の結婚は金故の結婚である、自分は快樂の爲めに結婚したのであるとまで放言するに到つた。で夫は妻君の此言に對して、それでは道徳といふものが亡くなつて了ふ〓[#「こと」合略仮名]になるではないかといふと妻は、決して不道徳な行爲はしない、が然し快樂は自分の本領である故にこれを廢する譯にはゆかぬといふ。で此落想からいへば……作者が意識して書いたものか奈何かは別問題として……結果からいへば此の女を以て快樂を代表させ、それで行き方は前のカズン・ケートと異つて我々が快樂一點張りでやつていつたら那邊までいけようかといふことを示して、而して其結果到底人生は快樂一點張では維持が出來ぬ、當然の結果として不道徳に陷る。換言すれば道徳に觸れずして快樂を追求することは出來ないといふことを示して居る。けれどもそれが此劇の最後の解決ではなく、其解決は更にそれより後にある。

妻君は自堕落である。自分一人は快樂のためにやると思つても、四圍が然うは爲せず、何時も相伴に舞踏の對手となる若い男があつて、これが特に妻君の氣に入りで、常に此男と酒を酌み、音樂を奏しなどして、特別に親しくして居るために、妻君の方からは別に然る心は無く、唯これを快樂の道具として居るのであるが、男の方はやがて妻君を戀することになつた。で妻君に向つて道ならぬ戀を仕かける。ところが妻君は腐敗はして居るが元來惡人ではない、それ故まさかに姦通といふ罪惡を犯すといふことはなし得ない性格である。一歩すれば姦通といふ大なる罪惡になるといふことも、快樂のためといふ……換言すれば情を弄んで其若い男を弄んで、而も不道徳に踏込まない範圍といふ自分に對しての申譯で滿足して居ようとする。ですから男から戀を持かけられた時には、愕いて茶化すやうな、避けるやうな態度であしらつて居る。これは中の幕であります。

妻君の妹なども心配して深入してはならぬと妻君に注意すると、妻君はオンリー、フォーア、マイ、プレジューア即ち只自分の快樂の爲めであるといつて取合はない。然るに若い男の方では弄ばれて茶化されて滿足する譯にはいかぬ。一夜かの妻君の夫の不在を窺ひ、妻君を訪れて遂に接吻を迫る。妻君は愕き避けて脱け廻る。男はこれを追ひ回はるといふ騒ぎで、結局妻君を捉へて抱きすくめ不義の接吻をする、妻君は驚愕のあまりに卒倒する、其刹那に夫は外から歸る、劇は一大破裂に達する、若い男は身を躱す、夫は其場の樣子で事情を察し、妻を介抱して種々これを責めもし慨きもしする。そして結局不義の女であるから改悛することのない以上は、共に添つて居る譯にはいかぬから別れよう。それとも全然思ひ直すならば、自分と共に濠洲に往けといふ、これが終りの幕である。

そして種々夫の言ふ事があるが中に、自分は四十年濠洲のワイルド、ネーチュア(荒漠たる自然)と闘つて、そしてこれから快樂をと思つて故國に戻つて見れば萬事は豫期と違つて眞の快樂は茲に無いことを發見した。矢張眞の快樂は濠洲の自然の懷にある。これから亦た彼所に歸つて快樂を求めるから一緒に來いといふ。所が妻君は西倫敦の腐敗した空氣が骨身に染み込んで、此快樂の味が忘れられないから、愈々此破裂の場合に達したにも關らず、尚快樂に執着して居て、夫の言に從ふことは出來ぬと拒む。然るに二人の間には小兒がある。これが鎹になつて、夫にそれならば自分は一人で小兒を伴れて濠洲に歸るといはれて、此時始めて親子の愛情を胸に點ぜられたので、流石に小兒を手離すことが出來ず、快樂の慾を抑へて妻君自身も夫と小兒と三人一緒に濠洲に行かうと改悔の詞を述べる。それで夫も安心して清い接吻をして、從來の腐敗せる生活を一洗して、再び荒漠たる自然の濠洲に赴くといふので幕になるのであります。

それで此劇の結論は、快樂一本筋でいけば人生は不道徳の範圍に飛び込む、道徳と衝突する、妻君は即ちそれを證して居る。人生に於ける眞の快樂は道徳と調和し得る範圍でなければならぬ。即ち文明的でない濠洲の生活といふやうなことが、一層容易にこれを成し遂げることが出來るのである。西倫敦的生活には道徳と矛盾しない快樂は存在して居ないといふことを表はして居る。

即ち前の「カズン・ケート」が、快樂と道徳との矛盾及び道徳に對する嘲笑を結論とするに對して、此劇は道徳と快樂との調和の道を自然の中に示さうとした、それが即ち此劇の與へる解決であるのでせう。

好一對の對稱とは即ち此意味であります。これに依つて一方には歐羅巴現時の思想界の状態をも窺ふことが出來ませうと思ひます。(明治三十九年談話筆記)


 

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英國劇と道徳問題|文頭

 

 

 

ピネロ作「二度目のタンカレー夫人」