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繪畫談
日本畫の歐羅巴繪畫界に及した影響に付ては、近時我邦でも多少議論があるが、尠くとも傳彩法で、日本畫の影響が歐羅巴の繪畫界に現はれたのは爭ふべからざる事實である。でそれが如何に大に、而してまた如何に長く續くべきかは、精細に研究しなければ斷言する事は出來ませぬが、日本畫の流行の最も盛んであつたのは、今から二十年許り前であると思ひます。無論日本畫といつても此場合には、北齋歌麿などを主としたものである。で其以外の趣味は甚だ多く解せられて居ない。亦今でもそれ以外の畫風の日本畫を如何なる程度まで咀嚼し得るか、亦これを咀嚼し得る者の數が如何に多くあるかは問題であります。二十年前の書物や雜誌を見ると、次のやうな事が言つてある。即ち
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日本の美術特に北齋の如きは、今や本國日本では却て輕視されて、歐羅巴で眞の研究が盛んになつて居る。而して例へばホイッスラー。チッソー。アルバート、ムーアの如き、皆日本畫の影響を受ける事の大なるを、自から承認して居る畫家である。今の處歐羅巴に於る日本畫の流行は、ファッション(流行)といふよりも、寧ろクレーズ(熱)といふ程の位置に達して居る……。
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などゝいつて居ります。
右の内でも就中ホイッスラーが近年に於る英國の大家で、而して日本畫の影響を最も多く受けた人である事は此前回にも一言しましたが、佛國では例のアンプレショニズム(印象派)……特に其印象派から進んで行つた所の新アンプレショニズム若くはポインチリスト(點彩派)に至つて日本畫の影響を最も強く感じたといはれて居ります。然らば日本畫の影響が如何なる風に出て來たかといふに、前に申した如く專ら色の上にそれが見えて居るのであつて、特に全體の色の調子を鮮かな對照色のまゝで統一して見せるなどの事を工夫して居る、これが日本畫の彩色法から生れた一つの結果であるといはれてゐる。然れども之れと同時に此節日本で能く行る、寧ろ輕薄な、淡彩を使つてぼかす[#「ぼかす」に傍点]といふやうな行き方は、歐羅巴の人は却て好まない。或る美術眼の有る歐羅巴の婦人が曾て言つた事がある。日本では日本固有の色の塗法が漸次滅んで行くやうではないか。あの昔の浮世繪などに出て居た所の、強い而して味の有る色の塗法は、近來の日本畫には餘り見られなくなつて、我々歐羅巴の人が何時でも眞似の出來るやうな、佛國あたりへ往けば何程でも見付りさうな塗法ばかりが流行つて居るやうではないか。我々が奈何して斯樣強い一種特得な美しい色を日本人は出し得たかと思つて研究して居る古い彩色法が、近來殆んど見られないのは殘念である。と言つて居つた。
日本畫の中で歌麿は暫らく措き、北齋があの如く、歐羅巴に歡迎されたのは、曾て誰かも言つて居た如く、主として其畫いて居る題目が、近世の歐羅巴の文藝に通じた特色である所のネチュラリズムと通ずる所のある點であらうと思はれる。即ち寧ろ題目を下層社會若しくば普通に見醜いやうなありふれた社會に取つて、それを其儘に寫して來る意味が北齋などが似て居る。從つて彼れの畫は日本繪畫の中で最も寫實的であつて、且題目が活動のある社會を現はして居る、或る意味で強いキャラクタリスチックなエキスプレッションを持て、畫がすべて動いて居る。これらが歐羅巴人に喜ばれた所以に相違ないのであります。
日本の繪畫を見て、無論其特色が、アイデアリスチックで且デコレーチヴ(裝飾的)である點に存して居ると認めるのは識者の説であるが、一般に言つて其アイデアリスチックである中にも、尚一味の寫實を求めるといふのは彼等の傾向であつて、寫實といへば語弊があるが、寧ろ生命……其生きた所を求める其點に於て、稍もすれば日本畫は其要求に應じ難くなる。或る時私が大學の教授に『國華』の中に出て居た畫を數々見せた所が、其の中で一番先に取り出して止まなかつたのは狙仙の群猿の畫であつた。で日本にも亦斯樣な寫實派の畫家が居るかといつて酷く感心して居つた。以て歐羅巴人が如何に心の底に寫實を求むる傾向のあるかは想像せらるゝ所であらうと思ひます。日本の繪畫の線の妙味といふものは、多數の歐羅巴人には解つて居ないのが多い。勿論日本の線畫も線のみに餘りに重きを置て見て行くと、始めの中はよいが往々嫌になつて來ることがあります。が兎に角日本の線畫は、畫に生命を認めた上でなければ好い味が消える。然るに西洋の普通の人が線畫を見ると、畫の上の生命を見得ないでかの國に於る窓畫の類と早合點をして了ふ。西洋では窓畫といふのが、重大の地位を占めて居る一種の裝飾美術であつて、例へば寺院の窓なぞの玻璃に描くものである。これが色と色との間をば常に太い黒い線で區劃を立て行く。畢竟これは光線を透しての裝飾の意味が主であるから線には何の意味もない、線は唯色の境目である。然るに日本畫の線をば直ちにこれと思ひ比べて了うからして、日本の線畫を窓畫と思ひ做して了ふ、亂暴な話であります。
亦た或者は曾て雪舟の畫の寫眞版を見て、要するに渠の畫は悉皆スケッチではないかと言つた。それは理由のある事で、例へばかのレンブラントのスケッチの如きは、今非常に尊いものになつて所々の畫堂に集つて居るが、これ等は誰が見ても殆んど日本で言つたら雪舟などの畫を見ると仝じ心持ちである。亦た去年死んだ獨乙のメンツェルなぞも眞物の油繪なぞよりも却てその下繪やスケッチの方に餘程おもしろいものがある。これ等が或る意味で日本の雪舟派などの墨繪と似通つた所があるやうに、歐羅巴人には見えるのであります。
佛蘭西のアンプレショニズムと、英吉利のラファエル前派とは、種々の點で仝じ運命を有つて居る氣味がある。特に其出立點が一種の寫實主義若しくば自然主義であつて、而して確に其一面をも畫風の中に所有して、而も大體の調子は却て其反對のローマンチシズムとか、理想派とかいふものに近いといふ結果になる點なぞ、兩方とも似て居ります。佛國の印象派は或る評論家の言に從へば、かのコローやルソー等のローマンチシズムに反動して起つた結果といふのでありますが、兎に角始めの旗幟は寧ろ極端に、科學的な寫實的な精神から來て居た。即ち色彩の上で我々が普通にローカル、トーン(部分色)を、存在して居るものと認めるのは間違ひであつて、これ等は光線の我等が眼を刺戟する其價値に由つて出來る相違に過ぎないので、畫家も亦其畫の上に直接に部分色を塗るのは自然の方則に違つて居るから畫面には唯二つか三つかの原色を塗つて、それが我等の眼を刺戟するに及んで始めて我々が普通に考へて居る明暗の度、即ち光線の價値が種々に現はれて來るやうに爲なければならぬといふのが根本の意である。即ち非常な寫實派たる所以である。然れども其結果は全體の畫面が極大まかに一調子の色でもつて描き出されて居る。近くへ寄つて見ては細々した形ちはなく、離れて見ると全局の上に種々の景色が出て居るといふ面白味になつて來て居る。ラファエル前派の畫でも始めは正直に誠實に、自然を寫すといふのが標榜であつて、細かい點に於ては極端にまで寫實を行おうとしたのでありますが、全體の調子に於ては、反對なローマンチックな強い情緒の表現を主にした畫風になつてしまつた。これはラファエル前派の畫家の中でも專らロゼチ及びバーン、ジョンスの畫風から來たもので、これを普通にロゼチ、ツラヂションと呼んで居ります。
それで印象派は啻に今尚ほ繪畫壇の主要な地位を占めて居るばかりでなく、歐羅巴の凡ての畫風に影響を及ぼして、如何なる畫風でも多少印象派の影響を彩色法の上に有つて居ないものはない位であります。之れに反してラファエル前派の方は、印象派よりも更に多く其盛りを過ぎ去つて了つた意味がある。然れども勿論今尚ほ後繼者は、例へばケーレー、ロビンソンとかバイアム、ショーとかいふやうな若手に命脈を續けて居るのであるし、他の畫派に影響を及ぼしたことの大なるは何人も認める所でありませう。且最近數年に於て、此畫派の畫は夫のワッツの畫風などと双んで、再び世の注意を惹くやうになりかゝつた氣味があります。尤もラファエル前派の榮えたのは一千八百五六十年頃であつて、其尤も衰へた頃と思はれる十年許りも前の書物を見ますと、ラファエル前派は今や一つの冗談と認められて、これを名告るのは耻とする風があるとすら言つてある。それが最近の思想界の傾向に伴れて、亦た稍復活し來らんとする氣味なのでせう。(明治三九年談話筆記)
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