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英國の尚美主義

 

 

 

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     歐文學中の日本

 

西洋の文學藝術の中に日本といふものゝ入つて居る、其の入り方に付ては、自から變遷があつて、詳しく調べて見たら面白い題目であるが、茲では大略記憶に殘つて居る範圍で一端を述べて見る。

近代の歐羅巴の小説の中に日本を入れたものでは、比較的に古く且つ有名なのは彼の仏蘭西の小説家ピヱル・ロチーの「マダム・クリサンテーム」即ち「おキクさん」といふ小説である。而してこれは一時非常に汎く讀まれた者で、今でも汎く讀むまれる小説の一つである。其作者のピヱル・ロチー其人がまた相應に名の有る且腕の有る作者である。然し此「マダム・クリサンテーム」で日本が西洋に紹介せられたといふ事は、餘り香しい事ではない。寧ろ日本を嘲弄の材料に使つたといふ傾きを免れない、從つて此小説で日本を推察して居る者は、日本を以て未開野蠻の邦だと思つて居る。尤も此小説の出たのも可なり以前の事で今からざつと二十年も昔である。此作者には此外にも「ジャポンネリー、ドートン」と題する作などがあるといふ事で、作者の本名はルヰ・マリー・ジュリアン、ヰ゛オーと云ふ人であるが、兎に角「マダム・クリサンテーム」が其の傑作の一つで、此の書は右にいつた如く日本に同情して書た小説ではなかつた。

元來歐羅巴の文學の中に外國、就中彼等の知識と懸離れて居る亞非利加であるとか、亞米利加の土民であるとか東洋の印度支那等であるとかゝら材料を取るといふ事は、近代の一つの流行といつても可い位である。それには無論種々なる理由があつて、單に珍しいからといふ好奇心に基くものも多分にあるが、今少し深い理由もある。例之英吉利文學に付て見ても、かの所謂寫實小説眞理小説即ちヱリオット等の作風が稍世に厭かれて、第二のローマンチシズムを要求して來る。即ち日常現實の事柄よりも、今一層自由な空想的な事柄を喜ぶ氣味になつて來る、而して如是場合には或は去つて超自然な神怪不思議の世界に入るか、またはズーッと現代と懸離れた過去の世界に入るか、または我々の棲んで居る社會と縁の遠い文明人の足跡の多く到つて居ないやうな社會に入り込むのが一番便利になつて來る。即ち生中な科學上の知識や、習慣道徳などで制限せられてゐない、奈何な亂暴な事も不思議な事も行はれさうに見える、いはば文明以外の世界に入らう、而して其所で自由に我々の想像に羽搏つて翔け廻らうといふ傾向になる。其の結果の一つが即ち亞非利加、印度、支那などいふ樣な所を舞臺に取る事になつて來た。つまり此前に話した小説中のアドヴエンチユアスなどいふ事と同じ系脈に屬して居る。冒險的な非常な事をするには、如何しても文明の社會よりは亞非利加や印度の方が行り宜い。それであるから善くいへば、斯樣に亞非利加や印度などが歐羅巴の文學の中に入つて來るのは、つまり新ローマンチシズムの傾向から來た事といふことが出來る。而しローマンチシズムといつても、單に珍しい事や空想的な事のみを眼目として行つて居る日には、其物は文壇的の價値は漸次無くなつてしまつて、所謂通俗文學の中に墮落して了ふだらう。筋がおもしろかつたり、荒唐なものであるためにおもしろかつたりするのみであるのは、以て文學の生命とするに足らぬ。而して今日英吉利などに數多くある所の亞非利加物、印度物などには、此の通俗文學の部に屬すべきものが頗る多い。例之ライダー・ハガード等の亞非利加小説などいふものは、尠くとも半ば此の通俗文學の域に陷つたものと見られる。

また今一つの根據ある理由は、同じく新ローマンチシズムの脈に屬して居て、而も行き方も少し違つて此外國物を材料とする事になつたものである。それは從來の文學の中にある人物事件等が、無論例外はあるとしても、概して言つて餘りに紳士的に君子的に傾いて居る、いはゞ文明的なのである。而して文明的、紳士的、君子的といふやうな調子の社會に在ては、自然に激烈な感情の發表といふやうな事は比較的困難になつて來る。

ワイルドな〓[#「宀」+「サンズイ」+「駸」の旁]もすれば野性を帶びた蠻的な、從て男らしいやうな人物行爲は、今少しくワイルドな蠻的な社會に一層起り易い。而して其ワイルドな蠻的な中にも人間の美といふものは見出される。現代の傾向は或る意味に於いて、餘りに紳士的な温和しい社會に現はれる人生の美に倦んで、寧ろ調子の荒つぽい社會に現はれる人生の美を味つて見んと欲して居る。言はゞ一種の反動的機運である。斯樣な意味からして印度の社會を材料に使つたり、支那とか亞非利加とかを材料に使つたりなどする者がある。例之今生きて居る人では、英吉利のキップリングの如き即ち即ち其一例で、無論渠は印度育ちであるから、從て多く印度の材料を使ふ便利もあらうが、而し其作風が一面寧ろ死んだスチーヴンソンなぞと同じく、新ローマンチシズムの脈に屬すべきもので、單なる男女の戀愛問題なぞいふものよりも、寧ろ今少し男らしい、若くば蠻的な調子な文學を喜ぶ、其結果は例之印度人が復讐の一念に身を燃やすといふやうな凄い調子とか、または印度に流浪して居る冒險者乃至印度駐在の兵隊なぞの血に渇いて絶へず鬪爭を夢みて居るとか、喇叭の響き、鐵砲の音に狂うて居るとかいふやうな人物の、胸に燃えて居る情を描くといふ風に、男性的興味を中心にして作つて居るものが多い。また極く新しいところではコンラッドなどいふ若い作者が好んで支那海などの凄味ある舞臺を自分の文學の長所にして居るなども皆此一味のワイルドな即ち野的といふところを要求して居る結果であらうと思はれる。斯樣な意味からしても、東洋諸國、其他野蠻な亞非利加などを材料とするものが出て來るのである。

そこで話が前に戻るが、日本を材料にして居るのは以上に述べた何の意味に中るかといふと、ピヱル・ロチー物など、また引續て出て來た幾多の同脈の作は、概して好奇心に驅られたのが多いのである即はち前に言つた樣な深い意味で日本を材料に取つたのではなく、寧ろ輕薄な、唯もう歐羅巴と違つた習慣風俗を見せるとか、渠等の眼には野蠻未開とも見える種々な異つた社會の現象を嘲弄の材料として使ふとかに過ぎなかつた。英吉利では、例之目下彼の國に流行つて居る滑稽オペラの中などにも有名な「ゲイシャ」と題するものなど、皆同じ脈を趁ふたもので、孰れも非常な好評を搏して世界中の到る處に繰返さるゝものであるが、「ゲイシャ」の中では何所が尤も有名であるかといへば、其中に例のチョンキナの調子を取つてチン・チン・チャイナマン云々といふ歌に合はせた音樂が非常な喝采で、此部分だけ抽て樂譜になつて出て居るものなぞもあつて、これが喝采の主因になつて居る。即ち斯樣な點に於て日本の音樂は歐羅巴に紹介せられたもので、名譽の次第といふべしだ。また「ミカド」と題する滑稽オペラの中では何うかといふと、是は日本の「ミカド」を嘲弄の材料に使つたもので、これにも同じく例の宮さん宮さんの唱歐など譜を付けて入れてある。要するに日本の社會を嘲弄せんとして作つた形ちになつて居る。

然るに斯樣な意味で日本を材料に使つて居たのが、近時に及んで漸次變つて來て、寧ろ眞面目な意味でもつて日本を材料にする傾向になつて來た。殊に最近日露戰爭前後からといふものは、倫敦あたりの寄席劇場などで出す日本物までが、多く同情的な眞面目な作になつた。亞米利加には大分斯種の物があるやうであるが、それは知らない。倫敦で見た中では記憶して居るのは、或る大きな寄席で「おマツさん」と題する一幕物にしんみり[#「しんみり」に傍点]した日本物を見た事がある。また彼の當時日本にも噂になつて居つた、ツリーの演じた、「ダーリング・オブ・ゼ・ゴッヅ」(神々の思ひ物)と題する劇の如きは大物であつて、兎も角も日本の過去の社會を忠實に畫き出さうと努めた一例である。これ等の作は近時に於ける日本物の變化の例であらう。而して此の種眞面目な日本物の部に屬する一つの例として、茲には倫敦の某座でカーテン、レーザー即ち日本の中幕、西洋ではこれを本物の短い場合に罕に始めに附け加て演ずるものとする、それで興行した「ゼ・ミローア」即ち「鏡」と題する一幕劇の事を一言しやう。

此「ゼ・ミローア」(鏡)の作者はロシナ・フヰリップといふ女作家であつて、作は當時眼識ある社會に好評を博したものである。これはかの松山鏡(?)の傳説を飜案して、これに近世的なシンボリックの意味を加へたもので、女主人公はおハナといひ、これに其夫ミウラと今一人トヨといふ老人を配した三人の劇であつて、すべて日本式に演つたのである。舞臺はミウラの家の體で、ミウラは片意地な若い男、おハナは無邪氣な快闊な美しい若嫁、先づ二人差向ひで、男は何か濟まぬ顏で眞面目になつて居る。女は其機嫌を取つて仇氣ない事を言つて居る。結局男が疲れた體で眠くなつたといふ。女はそれでは私が眠れるやうに唱歌を唄はふといつて唄ひ出す。唱歌の調子は西洋の調子で、合はしてゐる樂器も無論三絃ではない。唱歌の意味は(下の谷に、美しい茶畑に、浮世の汚れ離れて、いとしきミウラは茶を摘みに)といふやうな、極く奇麗な唱歌を靜かな調子で一齣唄ふ。而して唄ひ唄ひ自分も眠くなつて唱歌の尻が絲のやうに切れて眠る。極めてしんみり[#「しんみり」に傍点]として西洋の劇の活溌なのとは全然其目先きを異にしたものである。それでおハナが眠ると同時に、唱歌の後を引取つて老人のトヨが(おんみの眼には眠り來れり、我は平和を齎らせり)といふやうな意味の唱歌を、これも極くしんみり[#「しんみり」に傍点]した調子で唄ひながら入つて來る。其老人の足音に男のミウラは眼を醒し、而して、唐突に入つて來るのは誰れかと怒ると、老人はこれに答へて、自分はトヨであるといふ。男はこれを聞て、あゝさうであつたか、それではお茶でも入れやうといふ。老人は其所に坐つて、何故お前は美しい妻に對して冷淡であるかと問ふ。ミウラは、自分は妻を非常に愛して居るし、また彼女の美しいのを知つて居るが、萬一自分が然う妻に打明けたなら、妻は付上つて、或は自分を振り棄てるやうな事がありはしまいかと心配する、それで彼女には態と汝は醜い女であると云ひ聞せてある。といひながら壁の方を指して、見られよ彼所に繪が掛けてある、あれは先日自分が他所から持つて來た醜い婦人の繪であるが、自分はこれを妻に示して、此繪こそ汝の肖像である、汝は此樣な醜い女であると僞つてある。彼女は此繪を見て泣いたが私が愛してゐるといつたので、彼女も漸く安心して氣を取直して素直に仕へて居る、なんと自分の策略は旨いものではあるまいか。とミウラは誇り顏にいふ。老人はこれを聞て、それはえらい策略かも知れぬが此所にお前に一つ見せる物がある。といつて自分が持つて來た一面の鏡を取出して、それをミウラに見せる。見ると、其鏡の中には立派な男らしい若い男の顏が寫つてゐるので、愕いて老人にこれは何人であるかと訊く。老人は答へて、それこそおハナが尤も愛して居る男の肖像であるといふ。ミウラはそれを聞て大に愕き忽ち顏の相が變る。すると鏡の中に映じて居る男の肖像の樣子も變つて來るので、愈よ不思議がつて、ミウラはいふ、自分の何たる馬鹿であらう、今日が日までもハナは自分を愛して居る者と思ふて居たが、斯んな立派な男が彼女にあらうとは思ひも寄らなんだ、自分が彼女を欺き得たと思つたのは自分が欺かれつゝあつたのだ、と自ら悔む。其問答の聲におハナが眼を醒しかける。老人ミウラに教ておハナに其鏡の中の男の何人であるかを聞けと云て自分は屏風の背にかくれる、其間に女は眼を醒しミウラの樣子の常時と異なるに愕いて何事と走り寄る。ミウラは鏡をハナに突付けて、此中の肖像の男は何人であるかと詰問する。おハナは鏡を取上て見ると美しい女の顏が映るので、これも大に愕いて、忽ち嫉妬の焔を燃やして、これは屹度ミウラの愛して居る女の肖像であらう、斯樣な美しい情婦があるに、自分が壁にかけてある繪のやうな醜い女であるかと、突如と起つて壁の繪を引下して鏡の中の女の像と比べて泣く。男は異しんでそれを女とは何事ぞ、男も男、そなたの情夫であらう、誰であるかを白状しろといふ。それで互に夫婦喧嘩の推問答があつて、終りに老人のトヨが屏風の後から再び出て來て、言ひ爭つて居る兩人を宥める。おハナがこれを見てくれといつて差出す鏡を見ると、今度は老人の顏が寫つて居るのであるから、トヨは態と冷やかに、此鏡中には唯一人の白髪の老人があるばかりで他に何物も無いといふ。此老人の言に愕き左右から若い二人の男女が窺くと、今度は三人の顏が皆寫つて居るので、再び吃驚する。ミウラは叫んで不思議な事だ、おハナの顏が其所に出て居る、そして老人の顏があるといふ。おハナは、それから實にも自分の愛する夫ミウラの顏も寫つて居るといふ。ミウラは愕いて、それが自分であるかといふ。おハナは、何うも不思議な事であるから理由を説て聞してくれといふ。其所で老人は其理由を説明して結局兩人を仲直りさせ、眞實の愛は詐りの上には宿らないから、互に眞實の自分を知り合つてこそ、其所に眞實の愛が出來るのである、といふことをそれとなく説き聞かせ、此鏡は自分が持つて歸るが、其代りとして兩人には他の鏡を殘して置くから、それを見合つて眞の愛を知れと。兩人を引寄せて、互に眼と眼を見合はして見よといふ。兩人は互の眼と眼を凝乎と見合せる。女は思はず叫んで、げにも貴方の瞳の中に私の顏が映つてゐるといふ。男も、おう汝の瞳の中にも乃公の顏が映るといふ。老人莞爾として、兩人はそれに由つてお互を知らなければならぬ、それが眞の愛であるといふ。それで幕。

つまり此劇は、眞の自己を見合つて而して其上に愛を立てよといふので、別段大した教訓ではないが、一寸したシムボリズムに古い傳説を飜案したもので、手際に出來たものゝ一つといつて宜しからう。(明治三十九年談話筆記)


 

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獨逸現代の音樂家