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沙翁の墓に詣づるの記
千五百八十六年の春、四月の央《なかば》でもあつたらう、ウッドストック街道《かいだう》からオックスフォードの北の宿《しゆく》はづれに差しかゝつた、二十二三の旅人がある。疲れた足を停《とゞ》めて今宵《こよひ》の宿《やど》はと見廻はすと向ふに何某《なにがし》のインといふ、古風な、蔦なんどの這ひかかつた旅籠屋の土壁が、今しも薄《うす》れ行く春の日影を一抔に浴びて、あか/\と照り榮《は》えてゐる。
北の都會からロンドンへの街道筋《かいだうすぢ》とて、此邊は殊に上《のぼ》り下《くだ》りの人馬《じんば》繁く、宿屋の門《かど》には、朝夕の送り迎へが賑やかに見られる。インの狹い梯子《はしご》を昇《のぼ》つて、明りのついた取りつきの部屋に這入ると、茲《こゝ》は石入《いしいり》の厚い叩き壁に古色ゆたかな、天井の低い、小さな、穴倉の樣な室《しつ》である。四月といつても北歐羅巴の夜陰はまだ薄寒ひ。ストーヴには薪火《まきび》が今丁度燃え上つて、マントルピースの上の燭臺の明りが却つて心細い。
椅子をストーヴに近く引き寄せ、手を拱《こまね》いて、默然《もくねん》として燃え立つ火影を見つめゐる、彼の旅人《たびゞと》の面《おもて》は赤く輝いて、額《ひたい》の廣いのが目立つ。
折から靜に扉《と》を押して這入つて來たのは、此の家《や》の娘であらうか、十八九ばかり。客は不圖《ふと》瞳《ひとみ》を擧げて其の方《はう》を見た。娘は面《おも》はゆげに顏を背けて、無言のまゝに晩餐のテーブルを調《とゝの》へやがて出て行かんとする。
「姉《ねえ》さんは此の内のお娘御だね。」
「どうですか。」
「まあ、聞きたいことがあるから、お座《すわ》んなさい。さあ此の椅子に。」
「有りがたう。何ですか聞きたい事つて。あなたはロンドンへお出でなさるのね。」
「さう。ロンドンへ行くのだが……。其のロンドンがね…………。」
「結構ですわ。わたしも來年の誕生日は、ロンドンの伯母の處で爲る筈ですが、來年といへばねえ、隨分待ち遠いこと。」
「あゝあ、ロンドン! そして何ぜさうロンドンへ行くのが嬉《うれ》しいのだらう。」
「何ぜつて、それはロンドンですもの。わたしの從兄妹《いとこ》だけでも三人居りますし、其の中のフレッドといふのは、去年の暮も此處《こゝ》に來てゐました。男《をとこ》には珍しい程《ほど》美しい眼《め》を持つてゐて、そして唄が上手《じやうず》で……。それは善《い》い聲ですよ。」
うつとりして、目《ま》のあたり其の唄に聞き惚れてゞもゐるかと思はれた時、入口の戸をコン/\と叩く音、メーリーと優しき呼び聲、イエスと輕く答えて、女は立ち去つた。
「あゝ! 戀だ! 戀を求めてロンドンへ行く。あれで人生が濟めば仕合せなものだ。自分は何を求めてロンドン三界へ迷ひ出るのであらう。自分だつて故郷《こきやう》には戀もある、夢もある。その故郷に住みかねて、行く手は雲のはる/\。是れから浮世の波風《なみかぜ》と戰はねばならぬ。前途《ぜんと》の闇《やみ》の明け方《がた》は、空《そら》に明星《みやうじやう》か、海に眞珠《しんじゆ》か、望みの的《まと》はあざやかに我が手に落ちやうか。それともロンドンの大路《おほぢ》の塵にまびれて、一代をすがれ行く荷馬《にうま》の如く、死して跡なくなるであらうか。天使《てんし》の樣なあの乙女《をとめ》が身は、成程光明に包まれてゐる。それに照り合はせて、今さらのやうに我身の謎《なぞ》が目につく。此の謎の解き場はロンドン。あゝ、ロンドン!」
と獨り思ひに耽つた旅人《たびゞと》は、翌朝オックスフォードの町を越して、重ねて南へ/\と旅《たび》を續けた。
我れには此の弱《わか》き旅客の名がウヰリアム[#「ヰ」は小文字]、シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]であつたらしく思はれる。
二
山の懷《ふところ》水の畔《ほとり》と、地上の住ゐは廣いが、こゝ英國のロンドンから西北《せいほく》へ百マイル許り、エヴン川の岸のさゞ波に夜毎の夢を洗はする、スツラッフォードの片隅《かたすみ》に、方《はう》五間には足るまじき一地を劃してそこを長《とこ》しへに世界の眼目とし、そこに不滅の靈火を點じた、造化の寵兒シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]が家は、まことに人の世の譽れかな。大英國は縱《よ》し亡びても、シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]は亡びぬ。此の一|地域《ちゐき》ありしが爲に永劫《えいごふ》不壞《ふゑ》なる英國も亦た幸ひではないか。
ロンドンに出でしより後のシヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]、殊にも其の著作ありてより後の彼れは、千の傳記、百の考證よりも、彼れみづからの書こそ最も明白に之れを傳へて居る。『ハムレット』『マクベス』の著者は『ハムレット』『マクベス』の著者として天日《てんじつ》の輝くが如く遍く後昆《こうこん》を照らしてゐる。之れに想像を加へんには既に余りに煌々《くわう/\》たるに過ぐるであらう。唯我が最も想ふは、スツラッフォード、オン、エヴンの一青年たりしウヰリアム[#「ヰ」は小文字]、が身の上である。
斯やうな思ひ出に導かれて、我が始めてスツラッフォード、オン、エヴンの土地を踏みしは過ぐる年の春、某月某日であつた。オックスフォードから汽車で二時間が程、巴旦杏《はたんきやう》の花の暖に赤い家|幾《いく》つかを過ぎて、停車場《ていしやば》近《ちか》く來れば、かしこに見える一|群《むれ》の樹立《こだち》が、早やホーリー、ツリニチーの森といふに、何となく心ときめく、繁みの色はまだ調《とゝの》はぬながらの蒼さ、中央から肅然《しゆくぜん》として立ち上《あが》つたる尖塔《せんたふ》は、げにも默して天をさす指の如く、其の深い意義をば、唯感涙あるものが測り得やう。停車場から新開の道を病院の前に出で町に取りかゝると、もうそこに行き當りがある。廣い四つ辻の眞中《まんなか》にしつらへた噴水《ふんすゐ》はいま樣《やう》ながら、町は何所《どこ》ともなくさつぱりとして優雅の趣を具へてゐる。店の構へ看板の具合などまでどうも唯の町では無いやうだ。右手《みぎて》は商人|宿《やど》で向ふに農作物の店が見える。あの店! シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]の父の店も盛んな時はあんな風であつたらう。見れば店先に小供が遊んでゐる。ひよつとするとあの子の顏がシヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]の幼な顏にでも似ては居まいか。と用もないに其の間近まで行きかけると、小供は外國人と見て逃げ出した。馬鹿らしいとは思つたが、いや併《しか》し、此のあたりは、古來交通が薄く、血統が單純であるため、面相《めんさう》がおのづから類似型を有してゐると聞いた。シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]の面相にはスツラッフォード型《がた》といふものが過《あやま》たず現はれてゐるといふ。さすれば今の小供に、彼れの幼な顏が寫つてゐまいにも限らぬ。も一度《いちど》跡をつけて見やうか。
など忙しき空想に耽つてゐるあひだ、時には午《ひる》に近くなつた。地圖によると、此處から向ふの角《かど》の小路《こうぢ》を拔ければ、すぐ其処《そこ》がヘンレー、スツリート。シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]の舊宅の殘つてゐる所である。と思ふと飛び立つやうには感ずるが、先づ宿を取つた上と、大橋通りのゴールドン、ホテルといふを探した。廣い通りを眞つ直ぐに辿《たど》ると、幾らもあるかぬ内《うち》に早や、橋が見える、其の下はエヴン川であらう。町は之れで盡きるのだから、誠に小さい可愛《かはい》らしい都會である。ホテルは橋のすぐ手前であつた。
三
旅行の季節とて、ホテルの客室《きやくしつ》は凡て約束濟、よつて是非なく近所の室内裝飾品を賣る家の一室を借りさせ、食事だけはホテルに來てすることゝとなつた。晝食はひとり後れて調《とゝの》へたれば、食堂の摸樣などはまだ見ず。兎も角もと、近まのヘンレー、スツリートへ先づ驅けつけた。
あれがシヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]の生まれた家といふ、其の前には成程多勢の人が入場《にふぢやう》を許されるのを待ち合わせてゐる。また此方《こちら》の軒下《のきした》には馬車の客待ちをしてゐるのもある。併し斯う見わたすと、さして長くもない通《とほり》ながら、何となくからんとして、人の往來《ゆきき》も少ない、如何にも田舎の小町といふ趣である。折しも空には薄雲が掛つて冷氣を含んだ風が町を吹き渡つて來た。何だか淋しいやうな悲しいやうな風情である。
想像して見ると、シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]がまだ腕白《わんぱく》盛りの頃は、例のグラムマー、スクールに通ふ朝夕の途《みち》すがら、弟と肩を組んで、此の邊を行きつ戻りつしたものであらう。そして年よりも老《ま》せた彼れは、十六七にもなると、もう一廉《ひとかど》の若《わか》い衆《しゆ》氣取りで、日本ならば湯歸りの手拭を肩に、つつかけ下駄か何かでそこらをそゝりあるく方《はう》であつたらう。いや彼れは案外におとなしい質《たち》で、朋輩からは若年寄といふやうな綽名《あだな》とも附けられてゐたかも知れぬ。父が家産《かさん》の傾くにつれ、生活の辛苦は早くもこの大天才が青春の夢を蝕《むしば》みそめて、弟と共に商品の質出しから、偶《たま》には得意回りもする、稼業の手傳に追はれて好きな雜書にも讀み耽ける暇は無くなつた。夜遲く店を仕まつてから、僅かに自分の寢室《しんしつ》で覺束ない蝋燭の光をたよりに、昔の心ゆく唄の本などを讀んでゐると、其の明りが、あの今見える東北角の窓から微《かす》かに漏れる。
頃しも秋の末、月も無い霜夜の事であつた。シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]が優しい情《なさけ》を忘れかね、八つの姉でありながら、我れから戀をして、深くも彼れと契《ちぎ》つたアン、ハサウヱー[#「ヱ」は小文字]は、三月《みつき》の身《み》重《おも》く、窶れた樣《さま》の目につく頬《ほゝ》を風に吹かせつゝ、窓の明りを心あてに、そつと尋ね寄て呼び出せば、男は心得て忍び出づる。つれ立つて指して行つたはあの橋の袂《たもと》、アンが身の始末と二人しみ/″\泣きつ語りつしたであらう。
氣がさして、ふと橋ある方《かた》を見かへれば、二人《ふたり》の後姿《うしろすがた》にはあらぬ一群《いちぐん》の男女《なんによ》が、アメリカ音《おん》に語り興《きよう》じつゝ、此方《こなた》を指して來かゝつた。
四
げに世界の如何なる處にも見がたい偉觀は、此の矮屋《わいをく》の一隅《いちぐう》、シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]の誕生室であらう。金字《きんじ》に雕《ゑ》られては、帝王の書架をも飾る文學史上の大名《たいめい》が、見よ、此の一室に來ては、如何に賤小《せんせう》に、如何に謙抑に、窓、壁、天井に其の跡を留めて居るかを。説明係の男が、一葉の薄紙を窓の硝子に當てゝ指し示す所を見れば、縱横に切り込みたる名字《めいじ》の中に、鮮《あざや》かにスコットの名も見られる、カーライルの名も見られる。天井にはブラウニングの名が切つてある。そして此等の人々は、此の室の主人の前には、一切の地位階級を棄脱《きだつ》して、無名微賤の巡禮者として讃仰の意を主人に捧げてゐるらしい。
其の外に、いはゆる何人も一度は腰かけて見る紀念の椅子。我が其の側に立つて長々しい説明に耳を傾けてゐる間、傍《かたはら》にありし一老紳士と、そが娘とも見える妙齡の一婦人とは、先づ紳士から始めて試みに其の椅子に腰を托した。
「シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]は、さう太《ふと》つた男であつたとも思はれんが、私《わし》のやうなものがしばしば腰をかけると、成程是れでは脚《あし》も減《へ》りさうぢや。はつは。見物人が腰をかけるために椅子の脚が減るといふのは、丁度あのカンターベリーのお寺で、巡禮共が禮拜《れいはい》の膝を突くために石段の中程が凹《くぼ》んでゐるといふのと好一對の話ぢやな。さあお前の番ぢやぞ。」
娘は輕く周圍の人に會釋して、しとやかに身を落とした。
「お父つさま、似合ひまして?。」
と心持ちそり身になつて見せる。
「うむ、クヰンぢや。」
「ほゝゝ、文學の玉座に直《なほ》つたのですもの。」
と父と我れとの方《かた》を等分に見て立ち上《あが》がつたが、父の側に寄つて「日本の紳士を」とささやいた。すると老紳士は我が肩を叩いて、
「さあ、あなた、一つ腰をかけて御覽なさい。」
我れも同じ道に心を寄するもの、縁なればこそと、人のする通りを爲《し》て見た。續いては、シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]の指輪、シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]の印形《いんぎやう》、シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]の肖像と、確否は知らねど、斯かる場所には附き物の遺物の數々を巡覽して、再び町に出る。
五
大通りに沿うて、シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]が專ら羅典の知識を得たといふグラムマー、スクールの前からホーリー、ツリニチーの寺地《じち》まで、殆ど此の土地を縱斷しても、三十分とはかゝらぬ。
町の周圍に散在する、菅笠《すげがさ》を伏せたやうな丘《をか》、其の間に廣がる牧場《まきば》、畠。立木《たちき》は楡《にれ》柏《かしは》、山毛欅《ぶな》、水松《いちゐ》の類が多からう。總じて緑《みどり》の廣い縁《ふち》をつけたやうな瀟洒たる小都會、その東南を限つて流れるのが、可憐《かれん》なエヴン川である。
春であつたからでもあらうが、打ち見た所、町の雅趣あるに對して、四圍の色調《しきてう》は青いといふよりも緑《みどり》である。いかにも若々《わか/\》として、新鮮の氣は森に漲つてゐる。
華やかな日光が青紗《せいしや》のやうに透《す》ける青葉の蔭には、水の乙女、空の乙女が踊つてゐ、あのコローの繪にでもありさうな趣。我は曾て、始めて鎌倉に勝を探つた時、先づ其山色の、いかにも歴史と相呼應して蒼古の調を帶びてゐるのに魅せられた。其の土地が有してゐる内容と、之れを覆ひ包んだ色調との間に、自然の調和があるのを面白く思つた。然るに今スツラッフォード、オン、エヴンに來て見るに及んで、そこに一種の、意義ある對照を認める。鎌倉三代の歴史は、如何にドラマチックであつにもせよ、畢竟歴史である。其の調《てう》は茂古老蒼を加ふるに從つて愈々妙を増す。スツラッフォードの内容は詩である、藝術である、シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]である。年時《ねんじ》を忘れて常に清新に、常に快活にして、却つて回顧の情を深うするではないか。「歴史は老いよ、藝術は長《とこ》しへに若《わか》くあれ。」
寺の門《もん》は、幾百年の菩提樹|道《みち》の兩側に列を正し枝をわたして、青葉の天蓋を引く。左右に、楡《にれ》の葉蔭ひろく塵も留めざる一面の墓地は、凡ていはゆるホーリー、ツリニチーの神領《しんりやう》である。その楡《にれ》の木隱《こがく》れから、遙かに尖塔《せんたふ》の頂《いたゞき》のみを示して、人をして想望の情に堪えざらしめた聖院《せいゐん》は、今は、菩提樹の若葉《わかば》香《かを》る穹道《きうだう》の奧に扉《とびら》を見《あら》はして來た。我より先に、遙か離れて行く小さい人影は、黒い外套と空色《そらいろ》の絹服《けんぷく》と、男女《なんによ》二人《ふたり》の後姿《うしろすがた》天國の門《もん》を叩きにでも行く人かと思はれる。
入口には黒き法衣《はふい》の僧がゐて、出入《しゆつにふ》を取締まり、入場料も取れば、案内記、繪葉書、紀念印紙の類も賣る。之れも寺の維持費と思へば故障はあるまい。
さて建立《こんりふ》の由來、建築、窓、繪の説明はざつと聞いて、つか/\と香壇の前に進めば、此處《こゝ》である、欄を隔てゝ右より二つ目の床石《ゆかいし》の銘《めい》は、
[#ここから2字下げ]
善き友よ、耶蘇の願なり、止めよ、此處《こゝ》に納めたる塵を發《あば》くことを。幸ひあれ、此の石を庇ふものに、將た呪ひあれ、我が骨《こつ》を移すものに。
[#ここで字下げ終わり]
三百年のあひだ、斯くの如き銘を負うて靜に眠つてゐる大詩人の骨は、今後といふとも、彼れが著作の亡びざる限り、永劫に亘つて動かさるゝことはあるまい。思ふに敢て此の願ひを亡《な》みせんと企つるものがあつたら、世の憎み禍ひは必ず其の頭上《づじやう》に集まり來たるであらう。墓の主《あるじ》が遺したる呪詛《じゆそ》の祈りは、今や夫《か》の古の豫言の如く事實となつて功力《こうりよく》を現《あら》はし來たつたと言はずばなるまい。
右《みぎ》手には、之と并んで妻アンが墓、左には三ツ相續いて、娘スザンナ及び其の夫等一族の墓がある。
回顧すれば我が始めて學窓にシヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]を習讀して以來、殆ど十年、しばしば想像の間に出入りしてゐたスツラッフォード、オン、エヴンの地、別けても彼の銘を刻んだ詩人の墓を、今目のあたりに見て、我れは眞實我が身の此の境にあるかを疑ふの情に堪えなかつた。
けれども、斯やうにして墓前《ぼぜん》の欄に手をかけたまゝ、しばし茫然たる胸の底から湧いて來《く》るものは、一種の喜悦光明の情であつた。伽藍《がらん》の中は取りわけて空氣がひやびやとしてゐる。光線は色硝子に透《す》けて明るさを減ずる。場所は人氣《ひとけ》の少ない寺院の而も十字架像の前である。それにも拘らず、此の時の我れは、千古の詩人が冷《ひやゝか》に骨を横たへてゐる傍《かたはら》に立《た》つて、一種の温《あつたか》さを感じた。嗚呼茲にこそシヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]の靈は安まれと思ふに、おのづから、肅然として容《かたち》を正しうするの氣は生ずれど、されども哀傷《あいしやう》の心|寂寞《じやくまく》凄愴の情は絶えて萌さぬ。むしろ愛慕の感、同悦の感、光明の感が身邊を圍繞するやうに思はれた。由來英雄の追懷は如何なる莊嚴美麗の形に於いてするも、畢竟生時の燦爛と死後の變易《へんえき》荒廢《くわうはい》との對照に外ならぬ。玉壘浮雲、無主の江山、何れか廢墟を痛《いた》み荒殘を哀《かな》しむの情でなからう。所詮英雄を弔するの意は荒廢を弔するの意である。而して斯くの如きは亦實に現人生を弔するの意味ではないか。人生は到底其しりへに變易を豫想し廢滅を豫想しなければ、深切の感味を發しない。ひとり我は今、詩人シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]を弔せんと欲して此の以外のものに逢着した。彼れの追懷は繁榮である、光明である。而して夫《か》の藝術の追懷もまた茲に歸するであらう。滅び行くは人生の姿、之を、暫く天上不滅の光に照して示すものが藝術ではないか。さればいふ、「人生は常に荒廢也、藝術は常に繁榮也」と。
六
後年|巴里《パリイ》にナポレオンの墓を訪うた時は、其の構造の如何にも壯麗を極めてゐるに拘らず、金粉榮華の底に、堪へられぬ程の淋しさ物悲しさを感じ、愴然として寺を辭したが、シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]の墓に詣でゝは、我れは覺えず笑《え》みの眉を開き、和親の面を輝かして、周圍を見まはした。
ホーリー、ツリニチー、バストと言つて此の寺にある半身像は、世にあるシヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]の肖像中でも最も古いと信ぜられるものゝ一つである。是れからそれを一見しやうと、振りかへるはづみに後《うしろ》から聲をかけるものがある。誰れかと見れば、曩に誕生室で會つた老紳士親子であつた。
「あすこにあるバストを見落しちやいけませんぞ。」
成程像はすぐ香壇の横、我等の左手《ゆんで》の壁龕《へきがん》に安座してゐる。床《ゆか》から數尺の上に、黒い大理石を彫り窪め、同じ石のコリンス式圓柱で左右を裝飾した龕中に、半身をあらはしてゐる石灰石像が即ちそれで、本來は赤の上衣に黒の袖無しガウンと、粉塗の跡あざやかであつたといふ、その服裝は人のよく知る通りである。左に紙、右に鵞ペンを持つた手は臺の上にさゝへられて像の下には夫《か》の「停まれ行人《かうじん》、何とて御身《おんみ》然《さ》は急いで行き過ぐるぞ」云々《うんぬん》の文句を彫つた石が箝めてある。
「お父つさま、此の像をよーつく見つめてゐますとね、笑つて來ますよ。そら御覽なさい、ね。」
と眼《め》は我れの方《はう》を見ながら、娘がいふと、
「あ、それは此の像についての有名な話ぢや。是れはもと墓作りのジョンソンといふ土地の石工が刻んだもので、一つは据えやうが心持高過ぎるからでもあらうが、あの通り顎は二重顎《ふたえあご》のやうで、顏が總體下から見上げた形になつてゐる。御覽なさい、日本の紳士、唇が少し開《あ》いて齒でも見えさうではありませんか。あれが此像に特殊の表情を與へて、愛くるしい小供のやうな所が見えるのぢやと言ひます。」
「いかにもさうのやうですね。そしてあの眼と眉とがまた………」
「さうですよ。わたしもさう思ひますの。何か斯う向ふに見詰めてゐるものがあるやうですね。」
「さうです。何か普通の人には見えないものを、はつきりと見据えて寫し取らうとでもしてゐるやうではありませんか。おもしろいですね。」
「いや私《わたし》の考は少し違ふ。あれはアブスツラクト、アイといつて、深く思想を一事に集中してゐる時の状態ぢや。眼《め》は明いて居ても何も見當《けんたう》をつけて見てはゐない表情ぢやと思ふ。私《わたし》には寧ろ何か我々には聞こえぬ靈妙の音樂どもを、耳で一心に聞いてゐる時の眼と見えますな。」
「それはお父つさま、考へやうですけれども、若しあれが耳の方に氣を取られてゐる眼《め》なら、今少し上を向くか下を向くかして欲しいと思ひますわ。」
「私《わたし》もどうも其の方の説に賛成したいですね。あれをアブスツラクトの眼《め》としては、ちと意味があり過ぎるやうに思ひます。」
「さうかな。私にはどうもさうは思はれんが、併しこんなことは主觀的な所の多いものぢやから何とも言へん。」
と和して同ぜざる英國紳士のゆかしい氣質を見せた老人は、更に言葉をついで、
「それであなたは此の像に對して全體に何《ど》ういふイムプレッションを得ましたか。」
「さうですね、それは、ちやうど今の前《さき》私《わたし》が此の墓石を見てつく/″\と感じてゐた所と一致した一つの感じですが、言はゞ、藝術は如何なるものをもブライトにする、藝術の標徴はブライトネス、プロスペリチー、プレジュラブルネスといふやうなもので、シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]の此の像は、よく此の事實に結論を與へてゐるやうに思はれるのです。わたしのシヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]觀及び藝術觀の一部が此の像によつて完結せられる、と云へば少し大層《たいさう》なやうですが、まあそんなものです。お嬢さんのお考はどうです。」
意外の見識に驚いたといふ風で、我が方《かた》を見つめてゐた娘は、あわてゝ眼《め》を外《そ》らすと共に、其の縁《ふち》をさつと紅《あか》めて、
「わたし、あなたのお説にすつかり賛成ですわ。」
「ぢや多數決ぢや。しかたが無い。どうです是れから墓地《ぼち》を見やうではありませんか。」
紳士に導かれて戸外に出た。
七
川に沿ひ寺を圍《かこ》んだ廣い墓地には、楡《にれ》の大木《たいぼく》が所々《ところ/″\》に蔭《かげ》をなして、細工を凝らした花壇や、硝子箱に入れた造花《つくりばな》の仰々《ぎやう/\》しい新墓《あらはか》の脇を通りすぎれば、青苔に埋もれた古い墓、試に手で拂へば、木蔭《こかげ》の露がしとゞ滴《た》れる。地は一面に掃き清められて、塵一すぢも落ちてはゐない。時々さらゝの音を立てるのは、エヴン川を渡る微風に、楡の葉の摺れるのであらう。川向ふの牧場《まきば》からは、稀れに牛の鳴く聲が聞こえる。墓地を一巡して川に臨んだ小高い土手の上に出れば、木の下に共同椅子が据ゑてある。三人は之れに腰をおろした。見渡す限り、エヴン川は、水嵩《みづかさ》ゆたかに牧場《まきば》の草の根を浸して、漣波《さゞなみ》の果て遠く、もとは一面の葦の繁みであつたといふ小島の跡に續く。別けてゆかりは此の川の白鳥《はくてう》である。ベン、ジョンソンがいはゆる「エヴンの美《は》しき白鳥《はくてう》」こそは去つて繼ぐものも無けれど、まだ肌寒い川風に羽を掻く鳥の風情は、今も昔のまゝであらう。
「あすこにシヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]が。」
といへば娘は崩れるやうに笑つて、
「スヰート、スワン?」
「此の白鳥《はくてう》はスヰートであるか、どうぢやらうか、わからんな。」
「わたし、向ふの牧場へ行つて見たいのですが………。」
「もう茶《ちや》の時刻ぢやらう。一旦歸つて、茶でも呑んでからにしてはどうぢや。あなたも御一緒にお出でなされてはどうです。まだ御名前も存ぜなかつたが、お名が伺《うかゞ》はれませうか。」
我れも名刺《めいし》の交換を乞うて宿所を聞くと奇縁か、同じホテルの相客《あひきやく》であつた。されば論もなく同道して四時といふに、ホテルの食堂で茶を共にした。紳士は愛蘭土の者で身分のある人であるが、妻を失つて、娘|一人《ひとり》をたよりの身であるといふ。血の冷熱の激しいアイヤリッシュの所は少なく、却つて英蘭土の気象を多く持つてゐる。
八
ホテルの客は二十人の上に出でゝ食堂は中々の賑ひである。我等は今一人亞米利加に育つて、獨乙に長くゐたといふ、五十左右の元氣《げんき》な婦人を加へて、四人|片隅《かたすみ》のテーブルに席を占めた。
今日《けふ》の話題《わだい》は、自然《しぜん》のこと、あちらでもこちらでもシヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]で持ち切つてゐる。亞米利加の婦人は盛んに獨乙が文藝の國であることを説いて、シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]は本國たる英吉利よりも却つて獨乙に多くの眞知己を有してゐると主張した。そして英國が此の大詩人を表彰する〓[#「こと」合略仮名]の尚足らざるを慨した。彼方《かなた》のテーブルで一際《ひときは》高くベーコンといふ聲がすると、それを捉らへて、この饒舌博識な婦人は、さらにベーコン、シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]論に移る。
「おゝ馬鹿々々しい。先達つても或る書物を見ると、二人《ふたり》の名を一つにしてシヱーコン[#「ヱ」は小文字]、ベークスピーアなんて書いてゐました。そして言ひやうが面白《おもしろ》いぢやありませんか。一つ此の際に折衷案を立てゝ名をベークスピーアと改めたら善からう、眞理はいつも中庸にあるから、ですとさ。人を馬鹿にしてゐるぢやありませんか。」
「ではあなたはシヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]とベーコンとは全く別人といふお説なのですね。」
「勿論ですとも。まあ、考へても御覽なさい。『學問の進歩』を産み出した頭が、どうして『ハムレット』や『キング、リア』を産み出し得ませう。『學問と進歩』と『ハムレット』と、どれ程違つてゐるかといふことが分かれば、跡は議論をするまでもないぢやありませんか。ベーコンのやうな、あんな羅典|狂《きちがひ》、活字引《いきじびき》、論理《ろんり》機械《きかい》が、どうして/\シヱークスピリアン[#「ヱ」は小文字]、ソンネッツの、唯の一句でも作れたら世界の不思議でせうよ。是ればつかしはわたしが………。」
と鼻息あらくテーブルの上から手を引くはずみに、飲みさしの茶をひつくりかへした。ミルク入りの灰色のものが白いテーブル掛けを浸して、スカーツに流れかゝる。あわてゝ立ち上《あが》らうと椅子を後《うしろ》へ押せば、後《うしろ》の椅子とからみ合つて此所にも一騷ぎ、給仕人を呼ぶけたゝましい聲、あちらの方ではくす/\と笑ふ聲。我等は總立ちで、急いでハンカチーフを取り出し、婦人の前の洪水を防いでやつた。座が靜まると、日本のシヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]は誰であるかといふやうな話から、老紳士は、愛蘭土の人が往々人種上の偏見に驅られて英蘭土と反目せんとする結果、シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]にまでも冷淡なのを批難した。
「さうですね、今英國でシヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]反對の旗頭《はたがしら》はお國のバーナード、ショー氏だといふことですね。」
「耻《はぢ》ですね。わたし、あの人は大嫌《だいきら》ひ。書いたものを讀んで見ましても、何だか冷《つめ》たくて、皮肉《ひにく》で。」
「あれは佛蘭西の系統《けいとう》ですよ。佛蘭西ではあの通りヴォルテヤの昔から、今のサードゥに至るまでシヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]嫌ひが多いのですからね。なあに佛蘭西人なぞにシヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]が分かるものですか。一體ケルト人種は………。」
といひかけて、婦人は氣が附いた風《ふう》に、跡を引き込める。座の白けるのを恐れてか、娘は先づ立ち上り、老紳士も我れもつゞいて立つた。
九
夕暮前の一時間|許《ばか》りは、橋を渡つて、川向ふの牧場《まきば》、近郊《きんこう》などをそぞろあるきした。娘が、持つて來た菓子をしきりに白鳥《はくてう》に與へてゐるあひだ、老紳士は岸づたいに水下《みづしも》へ下《くだ》つて行く。我れは立木《たちき》の幹に倚《よ》つて眺め飽かぬ川の景色を見てゐたが、心は何時かまた空想に這入《はい》る。
此土地の風格の、何とはなく清らかで、情《なさけ》ありげなのは、畢竟この川あるが爲めであらう。シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]と、エヴンとは、土地の命《いのち》である。若しあの白鳥《はくてう》がシヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]の靈であつて、それがエヴンに浮かんでゐるとすれば、其の關係はいよいよ面白くなる。
など考へてゐる間《ま》に娘はそこらで一つまみの櫻草《さくらさう》を摘んで來て、笑いながら、「之れを君に捧ぐるの名譽を許したまへ」といつて我が胸の左の釦穴《ボタンあな》に挿《さしはさ》んだ。
「何を考へて居らしつて?」
「今妙な事を考へました。あの白鳥《はくてう》がシヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]の靈《れい》ではないかといふ……。」
「ほゝあなたも迷信家ですことね。」
「迷信といふ譯でもないのですが、今日《けふ》午《ひる》にも、あのシヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]の家の窓を見てこんなことを考へた。夜《よる》遲くあの窓から明りが漏れてゐると、アン、ハサウェーが村から尋ねて來て、そつとシヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]を呼び出して、この牧場の邊から舟でも出して夜中《よぢう》月《つき》の下《もと》に身《み》の振方《ふりかた》の相談をしたのではないかといふのです。」
と言つて不圖《ふと》見ると、娘は赤面《せきめん》して俯《うつむ》いてゐる。是れはしまつた、アンが身の振方《ふりかた》といふ裡《うち》には、私通《しつう》の懷胎《くわいたい》といふ疑が籠つてゐる。デリケート、センスの淑女紳士の前では言ひ及ぶまじき事柄であつたと思つたが追つかぬ。話題を轉じやうとしてゐるうち、娘はポッケットから美《うつ》しい袖珍本《しうちんぼん》を取り出し、
「わたし、シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]のソン子ッツを持つて來ました。二人《ふたり》で讀んで見やうぢやありませんか。さあ入らつしやい、此所がよござんす。」 みづから草を敷いて席を造つた。歌の中《なか》からは、所々《しよしよ》會心の章を引き出して、自分も誦《じゆ》し、我れにも讀めよと勸める。我れに朗讀を迫つて抑揚の正しからぬ箇所をば一々|直《なほ》して呉《く》れる。
はつきりしなかつた夕日が、ぱつと一時に榮《は》えて沈みそめると、川づらも遠くから靄《もや》の幕を引いて來る。と思ふ途端に流れに沿うて一艘の端艇が下《くだ》つて來た。漕いで居るは二十歳ばかりの若者、情人でもあらうか、一人《ひとり》の若《わか》い女を載せてゐる。我れは之れを見ると、何となく心とゞろいて立ち上《あが》がった。シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]とアン、ハサウェーとが話の繼《つ》ぎめを、また思ひ合はせたのである。すると娘も同じ電氣にでも感じたかのやうに、まじろいて身を起《おこ》した。端艇は過ぎて行く、そして遠靄《とほもや》の中に没してしまふ、岸にはあゝとの嘆息《ためいき》のみが取り殘された。
しばらくして、娘は、
「シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]が此の土地に居られなくなつたのは、サー、トーマス、ルーシーの蓄《か》つてる鹿を盗んだからだと言ひますが、わたしは何だかそれにはシヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]に言い譯がありさうに思はれます。」
「さあ、それはどうとも言へないやうですね。」
といふとき、老紳士は後《うしろ》の畠道《はたけみち》から歸つて來て、我等の傍《そば》から口を挿《はさ》んだ。
「私《わたし》の讀んだ範囲での傅記によると、よし盗んだにしても、それは半分は習慣、半分は徒戯《いたづら》くらゐのものでは無かつたか。『盗んだ』といふ語が餘り強いから、彼れを呪ふやうに聞こえるのぢやらう。そんな例は今でも田舎にはよくある事ぢや。それで私《わたし》はシヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]の此の事件に關しては、一種の哲學を立てゝゐますよ。」
「おもしろいですね。どんな哲學でせう。」
「倫理上では善と惡との中間に無善惡の事柄があるかどうかといふことは既に人も論じてゐる所ぢやらうが、私《わたし》は其の外に、半善惡といふやうなものがあると思ひます。シヱークスピーア[#「ヱは小文字]の場合が丁度それぢや。盗んだは盗んだがそれは普通の盗賊が夜陰に他人の家へ忍び入るといふたぐひとは、心持が違ひはせんか。土地の若《わか》い者等がよく自分の庭へ紛れ込んで來た鷄を締めて喰ふ。又は通りがけに葡萄園の葡萄の房を摘《つ》んで行く。是等は田舎の習はしによくある事ぢや。行《や》る者は善い事とは思はぬが、さして惡い事とも思はぬ。徒戯《いたづら》をして叱られるくらゐの心持で行《や》つて居《を》るのです。シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]の鹿の事も、事實なら恐らくはこんなものぢやつたらう。それをルーシーが意地わるく咎め立てをしたのでせう。あなたはどう思ひます。お前もどう思ふ。」
我等はちよつと答へかねたが、娘は滿足の體に見えた。
オックスフォードのインで見た時、直接に彼れに質《ただ》して見れば好かつたと不圖《ふと》考へて、思直せば、何の事、それは平生我が空想から造り上げてゐる夢に過ぎなかつたのである。
ホテルへ歸る途々も、娘は、かの舟の事が心にかゝると見えて、月の冴えた夜、自分等も、エヴン川に露墜ちるまで葦《あし》を分けて、シヱークスピーア[#「ヱ」は小文字]の歌の本でも讀んで興《きよう》をふかして見たいと繰り返して言つた。けれども今は生憎《あいにく》月が無い。明日《あす》は早や三人ともに此の地を去らねばならぬ。我れも月のエヴンの舟遊びは期してゐたのであるが、此の度は齟齬して了つた。名月《めいげつ》の一夜を、露が骨身《ほねみ》に冷《ひ》え《とほ》るまで此の流れに上下して、或時は牧場《まきば》の岸に舟を寄せ、或時は木蔭《こかげ》にしばし纜《ともづな》をかける。耳を澄ませば彼方《かなた》の牧場には銀絃《ぎんげん》を彈《はじ》くやうな蟲の聲、寺を周《めぐ》つてさゝやくものは、楡《にれ》や菩提樹《ぼだいじゆ》の葉に戯れる風《かぜ》。あゝ此の時、願はくは舟に樂手《がくしゅ》のあれかし。樂器はワ゛イオリン、曲は戀、泣かずには已みがたい興趣であらう。
而して東海の一後進が捧ぐる愛慕の歌に、詩人の夢も凉《すゞ》しめられやう。
十
オックスフォードのアイシス川の月も美《うつく》しい、來て見られよ、といへば、さらばバーミンガムよりロンドンへの途《みち》すがら、必ず立ち寄ります。彼處《かしこ》で月の思ひは果たさせ給へと、言葉をつがへて、夕食《ゆふしよく》の後、急に親子はバーミンガムへと出立《しゆつたつ》した。我れも翌日は見殘したものを見て、此の靈地を辭した。
* * * *
* * * *
越えて數日、一封の書状によれば、彼の老紳士とは、遂にオックスフォードへは立ち寄る機會がなくなつた、殘念との事である。そしてスツラッフォート、オン、エヴンの一日の紀念《きねん》は永《なが》く消えざるべしと書いて、末に當日讀んだソンネッツの一節が抄してある。
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When to the sessions of sweet silent thought
I summon up remembrance of things past,
I sigh the lack of many a thing I sought,
And with old woes new wail my dear time's waste;
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But if the while I think on thee, dear friend,
All losses are restored and sorrows end.
[#ここで字下げ終わり]
歌はおもしろいが、思ひ出《で》は淋しい。噫「我れは記憶か、藝術は悦びか。」
[#行末揃え](明治三十九年四月)
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