目次

 

イブセン小傳

 

 

 

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    イブセンの解決劇

 

イブセンが十幾つの社會劇中、唯一純粹の喜劇でまた解決劇、理想劇であると見られるのは『海の夫人』である。標象的、神秘的、詩的といふやうな數々の特點から、一方には非常に秀でた作のやうに稱へられる。さうかと思ふと、他力では、餘りに技巧的、空想的、理窟的と見てむしろ失敗の作とする。全く矛盾した判斷を下されるのは此の作の特色である。兎に角『海の夫人』がイブセンの劇中で、善にもあれ惡にもあれ、一種特絶の地位を有してゐることは爭はれない。今先づ大體論をする前に稍々精しく其の梗概を述べて見ると、

此の劇は五幕から成つてゐる。時は夏、場所はノルウェー海濱のある町、男主人公はワ゛ングルといふ醫師、女主人公は其の後妻のエリーダ、之れに先妻の娘で年頃になるのが二人、姉をボレッタと呼び、妹をヒルダと呼ぶ、其の他一人の奇怪な旅人及び畫を書くバレステッド、彫刻師になるといふリングストランド、姉娘の舊師アーンホルム、此れ等が重なる登場人物である。勿論中心人物は海の夫人即ちエリーダである。

第一幕、ワ゛ングルが家の、庭から海濱につゞく遠見、晴れた朝、バレステッドは寫生の繪具をそこらに取り散らしたまゝ、此の家の娘ボレッタが旗竿に旗を揚げるのを手傳つてやる、舊師アーンホルムが今朝こゝへ訪ねる筈だから、それでそこらを裝飾するのだといふ話をして、娘が引込むと、向ふからリングストランドが出て來て、繪具に眼をつけ兩人の立話になる。

バレステッドは『人魚の最期』といふ畫で、海のものが陸に囚へられた哀れな死を描くのだといふ。是の題意がまた全篇を通じた感想のライト、モチーフの一つである。此の男はもと旅役者の殘黨で、今は斬髮師をすぎはひにし、傍ら音樂會を組織して其の會長だといふ。避暑客の案内役もするらしい。人間は其の風土境遇に同化して行かなきや駄目だと口癖のやうにいふ。たゞそれだけだが面白い人物だ。其の風土化といふ語をいつも言ひ損ふ言葉癖まで寫したのは、イブセンが何處かでモデルを見たものと察せられる。リングストランドは彫刻家にならうといふ病身な若者である。此の海水浴地に來てまだ間も無いが、此の家のものと近づきにならうとしてゐる。やがてバレステッドが行つてしまふと、娘二人が出て來る。リングストランドがそこらの飾りを見て今日は御親父の誕生日でもあるのですかといふと、妹娘のヒルダがおッかさんの誕生日祝ひだといふ。實は亡くなつた實母の誕生日にあたるのだから、其の事は繼母に氣を兼ねての内證であるに拘らず、濶達な聞かぬ氣の妹は、姉が目まぜで叱るのに頓着なく、つけ/\と言つてのける。さてリングストランドと入り換りに、ワ゛ングルが旅先から歸つて來ると、つゞいてアーンホルムも見えて、一通り挨拶のすんだ所で、娘等は退く。跡二人になつてワ゛ングルは妻のエリーダが兩三年來氣分の勝れぬことや、毎日々々海に沿するのを唯一の樂しみとも命ともしてゐる樣子など物語り、世間ではあれを「海の夫人」だといふ。それで君を招いたのも實はエリーダを慰めたい爲だといふと、アーンホルムは不思議さうに、それは何うした譯かと聞く。ちやうど其のときエリーダは海水浴から歸つて來た。ぬれ髮を肩に捌いて輕い上着に身を包んでゐる。挨拶が一通りあつて、ワ゛ングルは外科室へ暫時仕事を濟ませに行く、あとアーンホルムとエリーダと亭の中に差し向ひになり、十年の昔、エリーダがまだ燈臺守の娘であつた頃、アーンホルムが言ひ寄つて、拒絶せられた物語をする。エリーダは、當時其の申込を承知することの出來ない理由があつた、といふのは其の時自分はもう自由な身では無かつたからだといふ。其の譯が聞きたいと男がいふとき、リングストランドがまた這入つて來て花束をエリーダに捧げ、誕生日の御祝ひをいふ、自分の誕生日では無い爲小供等の本心を、エリーダそれと心づく。併しエリーダは其の場を取りつくろうて、世間話から不圖リングストランドが彫刻して見たいといふ圖柄の話の中に不思議な事を聞く。リングストランドは先年航海に出た途中、奇怪な事を輕驗した、それを元にして、舟乘りの妻である若い婦人が眠つて夢を見てゐると、側に溺れ死んだ夫が、自分の不在中に誓ひを破つた妻を見まもりながら、影のやうに立つてゐる所を刻んで見たいといふ。其の輕驗といふのは、斯うである。自分等の船に中途で一人のアメリカ人が船員として乘り組んだ。或日此の男は船長から古新聞を借りて讀んでゐるうち、何事にか非常に驚いて顏色をかへたが、其のまゝ新聞紙を破つては投げ破つては投げながら、極めて靜に「結婚した——他の男に——私の居ない間に」とつぶやいた。而して驚くべきことには、「けれども私のものだ、あの女は。そして此後とも私の物にする、私について來させる、溺れ死んで、暗い海から歸つて行つて、連れて來なくちやあならないのだが」と言ひ足した。其の後船はイギリス海峡で難破して、右のアメリカ人は何處へ行つたか分からぬが、多分溺れ死んだのであらう。此の話を聞いたエリーダは、身を震はせた。リングストランドが去ると、アーンホルムはエリーダが誕生日の事から氣色を損じたのであらうと思ひ違へをして慰める。其のうちワ゛ングルも娘等も出て來て誕生日の祝ひに花束を貰つたと聞き、姉はぎよつとする、妹は「蓄生!」と口の内でいふ。父は途方に暮れる。エリーダは氣に留めぬ樣子で其の場を取り持つ。幕。

第二幕、見晴しの高臺、夕の景色先ず二人の娘が人の噂話などしてゐると、つゞいて皆々上り來たる。やがてアーンホルムはボレッタと腕を組み、リングストランドはヒルダと腕を組んでそこらを散歩せんと出かける。跡はワ゛ングルとエリーダ二人になり、しんみりとして、ワ゛ングルは妻に今日の誕生日祝のことを辯解すると、そんな事を氣にしては居ない、もつと深い事があるといふ。ワ゛ングルは、それも知つてゐる、此の周圍が御身に適しないのだ、山が御身の精神を抑へつける、光線が十分に無い、眼界が狹過る、空氣が御身を刺戟するほど強くないといふ。女、それだけは本當である「夜も晝も冬も夏もわたしの身につきまとうて何うすることも出來ないのは、この想ひ、たゞもう海が懷しい」併しまだ其の上に深い事情は、自分が結婚約束をした人のあることであると答へる。ワ゛ングルは合點して、それも察してゐるが、その男こそあのアーンホルムであらうといふと、女はそれを打ち消して、その事はもう前にも略〓[#踊り字「二の字点」]打ち明けて置いた通りである、現に自分の心にかゝつてゐるのは別な人、先年アメリカ船で船長を殺して姿を隱した、あの二等船手こそは當時自分が言ひかはした男であると、始めて打ち明ける。ワ゛ングルは驚く。エリーダがまだ燈臺守の娘であつた頃、此の船手と逢つて相語る事柄は、海の事ばかり、女も殆どみづから海の一族かと思ふがかりに、海が其の心に通ふ。そして彼と夫婦約束をした。男がさうしなくてはならぬと言つた。女は何といふことなしに、ただもう其の指圖に背くことが出來なかつた。そこで男は鍵輪に二人の指輪をつないで、遙か沖へ投げ込み、固めのしるしとした。其の後男はカリフォルニアから、支那から、オーストラリアから手紙を寄越しては、還つて來るから待つて居れと言ふ。けれども女は最初男が行つた後直ちに我に戻つて、何のため斯んな結婚約束などしたのかと、不思議でならず、返事を出して破約のことを申込んだ。併し男は一向それを聞きもせぬものゝやうに、屹度歸つて來るから待て居よとのみ言つて寄越す。それ以來何うしても今一度海へ歸らねば濟まぬ心地がして、恐ろしい想が振りすてられぬ。エリーダが斯う物語つてゐる所へリングストランド等がまた這入つて來る。エリーダはリングストランドに再び航海の話の續きを問うて、不思議な事には丁度其の出來事と同じ三年前の同じ刻限から、自分の氣もそんな風に感じて來た。其の男が胸に刺してゐたピンの飾りの眞珠、それが死んだ魚の眼玉のやうであつたことを今でもあり/\と覺えてゐる。それが自分を睨んでゐるやうに思ふ。其の上まだ恐ろしい事は、ワ゛ングルに嫁いでから生まれて死んだ赤兒の眼、あの眼が右の船手の眼そつくりであつたといふ。ワ゛ングルの妻は氣病みを慰め兼ねて嘆息する。幕。

第三幕。ワ゛ングルが庭の一隅、木陰の濕地、時は夕方、姉妹の娘、リングストランド、後アーンホルムが出て來てボレッタとの二人になり、ボレッタは世間が知りたい、何時までも斯んな田舎に居るのは殘念だと述懷し、父の頼りにならぬ事など言つて、父は弱い人、多く言ふけれども實行の精力の無い人、周圍に常に笑ひ顏があつて、家の内には日光と滿足が無ければ生きて行かれぬ人であるといふ。そこへエリーダが出て來て、三人の話になり、エリーダは、人間の本能の底には悲みがある。人間は始めから邪道に迷つて憂愁を根としてゐるものだと述べる。アーンホルム「私はそれと反對に考へますね、多數の人は愉快に氣輕に生を送つて行く——大きな靜な無意識的な喜びで以て」エリーダ「いゝえ、さうでないのですよ。其の喜びてのは——それはちやうどわたし達が長い明るい夏の日の喜びのやうなものです。暗くなる前兆がその中にあります。この前兆が人間の喜びに蔭をさすのです。」といつて愁ひに堪えない樣子を見て、アーンホルムはワ゛ングルを呼びに行く、ボレッタも同行する。跡にエリーダ一人でじつと池を見入つて思ひ沈んでゐると、忽ち外から旅裝した一人の旅人が近づいて來る。中を覗き込んで、エリーダに呼びかける。誰れかとびつくりして見込んだエリーダは、飛び退いて覺えず「あの眼!、あの眼」、と叫ぶ。旅人は靜に、今こそ御身を連れに歸つた、一緒に來たくは無いかといふ。そこへワ゛ングルが來合はすと、エリーダは飛びついて助けを求める。ワ゛ングルは驚き怪しみながら女をかばうて、旅人との問答になる。旅人は誰れよりも先にエリーダと約束したのは自分であるから、エリーダが心の變らぬ限りは自分と一緒に來る筈である、心からいやと言ふなら仕方が無いが、よく/\考へて自由な意志で決定するがいゝ、エリーダが自由な意志のまゝである。明日の夜迎ひに來るから、それまでに篤と決心して、一緒に來るか來ないか、來なかつたら、それが一生の別れである、後悔しても及ぶまいぞと言ひ殘して靜に立ち去る。ワ゛ングルは、彼の船長殺しの件で旅人を捕縛させる外はないといふとエリーダはそれを押し止め、必ずそんな事を外へ漏らして下さるなといふ。其の内にリングストランドがヒルダと驅けて、來て、彼のアメリカ人をまざ/\見たといふ。屹度今夜の眞夜中にその不貞な妻に取りつきに行くのであらうと噂する。ワ゛ングルは、是れには何か背後にまだ物が潜んでゐるやうに思はれるといふと、エリーダは、自分を誘ひ寄せるものが背後に潜んでゐる、「あの男はちやうど海のやうです」といふので幕。

第四幕。ワ゛ングルの家の庭に面した室、午前、ボレッタとリングストランドが結婚論をしてゐる。結婚といふものは一つの奇蹟だ、女を脱化させてしまふ、女が何時か男の趣味や氣風に染化せられる。併し男は外に氣を使ふから妻に化せられることは少ない、それで女は男を慰めて、其の事業をする元氣を増進さすのが本分である、といふリングストランドの結婚觀をボレッタは利己主義だといふ。リングストランドは自分が利己主義と言はれるのを不思議がる。彼れはやがて南方へ彫刻の修業に行くから、其の間ボレッタが自分の事を忘れずに居て呉れゝば、自分は幸福に勉強が出來るといふ立場で、ボレッタの愛を求めんとしてゐるのである。やがてワ゛ングルとアーンホルムとが出て來ると前の兩人は其の場をはづす。ワ゛ングルはエリーダが丸で海そのものゝやうな特殊の血統を持つてゐることを言ひ、自分とは年も違ふから、半分は父のやうな氣持ちで慰めてやりたいと、不圖思ひついてアーンホルムを手紙で呼び寄せた、其の譯は、エリーダが萬一心の奧で昔の戀人アーンホルムを思つて鬱いでゐるのなら當の相手に逢はせて慰めさすのが上策と考へたのであるが、事實は全く意外であつた、アーンホルムには濟まぬ、と詫びをいふ。アーンホルムも始て呼び寄せられたる次第を聞いて意外に感ずる。話が段々エリーダの事に移つて、アーンホルムはワ゛ングルに對し、全體エリーダのいふやうな不可思議を信ずるかと問ふと、ワ゛ングルは、信じもしないいが、嘘だとも言はない。たゞ分からないから、そつとして置くのだといふ。アーンホルムは種々エリーダの言ふ所に曖昧な點のあるのを指摘して、病的な生命心理の幻像に歸しやうとする。此邊凡て不思議な樣な不思議でないやうな物心干係や科學と迷信との干係の問題を香はせてゐる。其内エーリダが加わつて、アーンホルムが去ると、エリーダは、夫を傍に腰かけさせ、思ひ定めた事を打ち明ける。自分等二人は今まで嘘を言ひ合つて居た。一緒になつたのは二人の不幸であつた。「本當は——交ざりけの無い本當は——あなたが入らしつて——わたしをお買ひなすつた。」ワ゛ングル「買つた——!、お前の言ふのは——買つたと?」エリーダ「わたしだつて同罪です、一緒になつて取引して、自身をあなたに賣りつけたのですもの。」斯う喝破して、エリーダはワ゛ングルとの結婚が自分の自由な意志で成り立つたもので無いから、別れて呉れといふ。自分の家はやはり船員の方にあると思はれる。何うしても其の方に引きつけられる、恐ろしいやうな力がある。別かれてその方へ行くより外は無いといふ。そこへ娘二人、アーンホルム。リングストランド等が這入つて來る。エリーダが明日は旅に行くと聞いて、ヒルダは、行くがいゝやと絶望的な樣子を見せる。何故かとエリーダが聞くと、姉が、ヒルダは本當はエリーダから暖い言葉をかけられないのを口惜しがつて、それで反抗してゐるのだから、一言優しい言葉をかけてやつて呉れと説明する。エリーダもさてはと思つたが、今さら何うならうぞと兩手を頭の上に組んで、眼を見据える。幕。

第五幕。ワングルが庭の一隅、薄暮の景、娘二人以下皆々引退くと、ワ゛ングルとエリーダのみとなる。エリーダは肩掛を頭からはをつてゐる。もう昨日のイギリス船が來るに間もないから、ワ゛ングルが獨りで待受けて彼の男に應對しやうといふと、エリーダは承知せず、自分の心が其の男に引きつけられる以上、ワ゛ングルの力で如何ともすることは出來まいといふ。兎に角まだ時もあるから二人で散歩しやうと退場する、引きたがへてアーンホルムとボレッタ登場、ワ゛ングルは到底ボレッタを遊學させる餘力がないから、アーンホルムが一切世話して學問させやう、しかし同時に自分の妻になつては呉れまいか、自分がワ゛ングルから來いといふ手紙を貰つた時、昔の教へ子の御身が自分を慕つて呉れるのでは無いかと、ふと思ひついたのが本で、今では戀になつてゐるといふ。此の邊すべて老けた戀をよく書いてある。ボレッタ始めは拒絶するが、段々説得せられて、遂に遊學がしたさ、世間が知りたさに、何うせ一度は片づくものだからと、承知をする。ヒルダとリングストランドが現はれると前の二人は其の場をはづす。ヒルダがリングストランドにからかふ事などあつて、ワ゛ングルとエリーダが再び出て來ると、船がついたといふ、ヒルダ等兩人が去ると間もなく、奇怪なかの旅人が再び垣の外にあらはれる。さあ仕度はよいか、一緒に行くといふ決心が自由の意志でついたか、とエリーダに迫る。エリーダ「約束通りといふのですか」旅人「約束が男や女を結びつけるものぢやない。執念深くわたくしがあなたに着きまとふなら、それはさうしか出來ないからだ」エリーダ「それなら何ぜもつと早く來て下さらなかつた」といふのを聞いて、旅人は垣を乘り踰えながら、エリーダの聲で、自分の方へ來ると決心したことが知れるといふ。ワ゛ングルこらへ兼ねて進み出て、船長殺しの事をいふと、旅人は忽ち懷中から短銃を取り出し、其の用意は是れである、いざとなれば自分が是れで死ぬ、自由な人として生き且つ死ぬるのだといふ、エリーダは是非とも不可知の果てまで行くべき自分であるから、此の上は留めて下さるなとワ゛ングルに頼む。ワ゛ングル「よく分かつた。一歩々々お前は私の手からすり拔けて行くのだ。その廣大無邊——手の屆ないものを慕ふ心がお前を到頭暗黒に追い込むのだ。」エリーダ「さうです/\黒い翼が音も立てないでおひかぶさる樣に思はれます」ワ゛ングル「それをさうさしては置けない、ほかにお前を救ふ道はないから、少くとも私には見つからないから、だから——だから私は——私は此の座で今までの取引を帳消しにする。今こそお前は自身の行くべき道を選ぶがいゝ——十分——十分の自由で以て」エリーダはあきれて言葉もとぎれ「真實ですか——眞實——あなたのおつしやるのは?。本當にその通りですか——心から?」ワ゛ングル「さうだ苦しい胸の奧底から其の通りだ」エリーダ「そして其れがあなたにやれますか。やり遂げられませうか?」ワングル「勿論、やれる。やれる——此れほど深くお前を愛してゐるのだもの」エリーダ震へながら優しく「それほど思ひつめてそれほどやさしく、わたしを愛して下さる!」ワ゛ングル「連れ添うた長の年月が教へて呉れたのだ」エリーダ「そして、わたしは氣がつかないでゐた!」ワ゛ングル「お前の考は脇道へ向てゐた。けれども今こそ——今こそ全く私の繋累から自由になつた。お前の本當の生涯が正しい畦に戻るのは今だ。今こそお前は自由に選擇していゝ、そして自分で責任を負ひなさい」エリーダはワ゛ングルを見つめて「自由に——そして自分の責任?責任もですか?——それで何もかもがらりと變つてしまひます?」汽船の二度目の鈴の音が聞こえる。旅人「聞こえますか、最後のベルだ、さあ行かう?」エリーダ、向き直つて決然たる調子で「斯うなつた以上、もうあなたの方へは行かれない。」旅人「行かない?」エリーダ、夫に取りついて「おゝ——斯うなつた以上、決してあなたは見すてない」ワ゛ングル「エリーダ!エリーダ!」旅人「ではそれが總仕舞だ?」エリーダ「さうです、永久の總仕舞ですよ」旅人「あ〓[#踊り字「二の字点」]、私の意志よりも強いものが此所にはある」エリーダ「あなたの意志はもうわたしに取つて羽ほどの重さも無い。わたしには、あなたは海から歸つて來た死人、——またその海に歸つて行く人です。けれどももう恐ろしくも無い、引きつけられるやうにも思はない。」旅人「さやうなら、ワ゛ングル夫人!この後私の生涯に取つちや、あなたはほんの通りがゝりの一難船に過ぎない」旅人は言ひすてゝ立ち去る。跡にワ゛ングルとエリーダとは自由を得て始めて誘惑を斥け得たといつて、喜んで相抱き、新しい夫婦の情合に入る。其の場へヒルダ。ボレッタ。アーンホルム。バレステッド。リングストランド、みな/\入り來たり、事の結果を聞いて驚き喜ぶ。ヒルダとエリーダとも始めて親子の暖かな情を感じて、一家は茲に新生涯に入る。之れが此の劇の大尾である。

さて此の作は例によつてさま/″\なイブセンの問題なりを提示してゐる。試に是れを研究してゐる學生の一團に所感を言はしめて見た結果は、下の如き雜多の項目を得た。すなはち第一、結婚に關する研究、之れは勿論イブセンに多くある問題で、此の作中でもリングストランドがむしろ套襲的で利己的な、男の側から見た結婚觀、またボレッタがアーンホルムに對する結婚は愛より便宜利益といふ、婦人側の利己的な、平凡な、しかしながら思慮ある結婚である。ワ゛ングルがエリーダに對する關係は無論ずつと高い結婚問題であるが、茲にもワ゛ングルが自分の愛の爲めまた自分の家庭のために強いてエリーダを引き取つた利己的意義をワ゛ングルをして自覺せしめてゐる。結婚と利己、是れはおもしろい研究問題の一つに相違ない。エリーダから見た結婚問題は、直にまた此の劇の根本問題で、一層廣い意味を有するから是れは後に廻はす。第二には自由といふ問題。第三に不可思議力といふこと、第四に北方傳説と此の作との關係如何といふこと、これは夫の種々な文學に取り入れられてゐる遁竄のオランダ人乃至北海の人魚や海の妖精などいふことに干聯して趣味ある研究となるであらう。第五に人生の不安を描いたのではないかといふ事。第六に奇怪な旅人と神秘主義。第七に舞臺上の當てこみ、これは總體にイブセン劇の幕切などの頗る技巧的な所が多いのに想ひついたのであらう。第八にエリーダと標象。第九に強烈な意志と愛の力との對立。第十、全體動的な中に非常な靜的分子を點出した作風といふこと。第十一、全く無興味といふ説。第十二、性格描寫が他の作よりも不明瞭ではないかといふこと、是れは主人公よりも却つてヒルダや、リングストランドやの如き周圍の人物に一層際立つて描かれた性格があるから起こつた問題かも知れぬ。第十三、結末でエリーダが思ひ返す心的經過がよく合點が行かぬといふ説。第十四、それは女が責任を持たせられると逡巡するといふ弱い本性から來たものと見ては何うかといふ解釋。第十五、全體あまりに知力的であるといふこと。第十六、婦人の自覺といふこと。第十七、夫婦相互の理會といふこと。第十八、北方婦人の知識欲といふこと。第十九、科學と不可思議との關係等が其の重なる提案である。其の他ゴッス氏が擧げた箇條などをも加へれば二十ヶ條を越える。吾人はこゝで一々此等の論點を研究する餘地が無いから、此の作の全體論をなして、おのづから此等諸要點の重なるものを統括して見やう。

イブセンの社會劇が、殆ど凡て所謂無解決的、未完了的である〓[#「こと」合略仮名]は、爭ひ難いと思ふ。此の點から言へばイブセン劇は一種の中間劇である。事件の頭と尾とを殘して、中間の一節だけを見せるといふ趣である。イブセン劇の幕が開く前には、既に雜多の事件が展開してゐる。作者は必要な限り之れを本文中に折り込み疊み込んで見せる。しかも劇の發端までには、既に余程の事件が進行してゐる。同時にまたイブセンは幕の降りた後に多くの事件を殘して置く。芝居を見終つて後、更に我々は心裡に其の續きを見る。『人形の家』のノラが不思議が起こつたらと言ひすてゝ出て行つた後、『幽靈』のオスワルドが太陽々々と叫んだ時、我々は今まで氣のつかなかつた、妙な世界を眼の前に見せられて、何うも考へ込まずには居られぬやうな氣がする。即ちまだ解けない、考へない、見ない人生が其の奧に暗く長く横はつてゐるやうに思ふ。こゝがイブセン劇の味ひの重な一點である。

然るに『海の夫人』に於いては、趣が一變する。表面の結論からいふと、此の作は先づエリーダが滿干の盛んな北海のやうな、烈しい、鋭敏な、絶えず動くのを活き甲斐としてゐる精神に、人間の生命を代表せしめ、奇怪な旅人はやがて人間の此の生命と根本を連ねた不可知、無限、乃至其の標象たる海を更に標象したものと見られる。而してエリーダの精神は斷えず不可知の絶對無限に還沒せんとする一種の畏怖と誘惑とを感ずる。畢竟海から打ち上げられた人魚の如く、一たび相對有限の普通道徳に縛られゝば縛られるほど反撥して無限の廣大、絶對の自由に還りたくなる。此時之れを救ふの道は、潔く其の縛を切り放つにある。所謂自由である解放である。放つて絶對無限の大自由に入らすれば、責任は其の放たれたものの上にかゝる。おのづからの結果として、他制的でなく自制的な道徳が内から發する。而して落ちつく所は始めの制縛的道徳と大差もないが、味が丸で違ふ。一は盲從屈抑の踏襲律であり、他は復活し新生した自産律である。

斯んな風に見るのが先づ最も抽象的な解釋であるが、更に今一歩具象的に見れば、其のいはゆる「意志よりも強いもの」即ち愛の解決とも取れる。一旦解脱し解放せられた男女が、依然として相對存在を保たんとするには、獨り愛の力にたよらざるを得ぬ。愛は最後の救ひであり解決である。といふ風に見るのがそれである。兎に角此等のいづれとするも、これだけの解決は明に作中の事柄に現はされて事柄の終結はやがて意義の終結である。あとに其の以上の解決を考へさすといふ趣は殘らぬ。光明的たり、理想的たり、解決的たる所以はそこにある。イブセン劇として慥に一種特殊のものといつてよい。 しかしながら問題はこゝから生ずる。此の作は果たして有解決のために幾ばくの興味と深さを加へたであらうか。吾人の見るところを以てすると此れだけの解決を兎も角も文字の上に見はさんとする結果は、結末の邊が甚しく知力的になり過ぎて、エリーダの心機一轉など、理窟の刄渡りの氣味がある。理窟の上だけでは面白くとも、情味の上の會得が容易に來ぬ嫌はないか。また理の上に比較的明白な結論がつくだけ、動々もすると底の涸れる感がある。限り無く我等の瞑想を誘起するといふ幽玄な味に缺けはせぬか。是れは凡ての理想的藝術が往々にして有する弱點である。

更に一つの見やうは、夫の『イブセン秘義』の著者等の如く、此の作を以てイブセンが社會劇のラスト、ワード、即ち最後の決斷とするのである。イブセンは始めまづ所謂社會問題を提起して、社會の缺陷、矛盾、不完全に自覺を呼び醒まさうとした。併し結局社會は外から救はれるものではない。各個人が中から救はれゝば、社會はおのづからにして善くなる。個人の心靈問題が社會問題よりも先であつた。斯う考えて個人の救濟を書いたのが『海の夫人』である。さればイブセンの使命は此の作に達して始めて全うせられる。此の以後の作は即ち所謂肖像劇で、前來のものを更に一つ々々に取り出して細かく書いたに過ぎぬ。といふのが其の大要である。

其の他技術の上から見れば、此作の特色は所謂自然的寫實的な一面と神秘的標象的な一面を綯ひまぜた所に存する。而して此れあるがため此の作には前にも言つた如く兩種の矛盾した判斷が下される。一方から言へばあまりに空想的で、劇としては到底舞臺上に他の自然的寫實的な一面と調和せぬのみならず、讀み物としても粉塗の痕が見え透く心地で、おもしろくないといふ。他方から言へば其の詩的標象的な所が讀物として絶妙な所以である。イブセンの最も美しい作は是れであらうといふ。

此の作が殆ど屋外を舞臺とする如く、作の調子はいかにも盛夏の海濱の強い花やかな光線に滿ちた趣である。隨つて夫の憂欝な神秘な北海の標象から見れば、舞臺が明るすぎる感がする。さればこそイブセンは必要の場合に夜や夕暮を多く使つた。しかも尚それが夏の夜であるから明るく花やかだ。暗い方を主にして見れば、是れもたしかに缺點の一つであらう。今若し單に明るい方のみから見れば、此の劇は、イブセンの作中で最も色彩に富んだものゝ一つである。終りの方の過度な理窟の刄渡りや解決を忘れて見れば、却つてそこに美しい一幅の畫が見られる。收場に於けるバレステッドの言ひ草ではないが、海の人魚は陸に上つて死ぬる。人間の人魚は風土に化して行く。どちらも繪である。(明治四十一年四月)


 

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目次

 

「イブセンの解決劇」文頭

 

 

 

沙翁の墓に詣づるの記

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イブセン小傳

 

 

 

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    イブセンの解決劇

 

イブセンが十幾つの社會劇中、唯一純粹の喜劇でまた解決劇、理想劇であると見

られるのは『海の夫人』である。標象的、神秘的、詩的といふやうな數々の特點

から、一方には非常に秀でた作のやうに稱へられる。さうかと思ふと、他力では、

餘りに技巧的、空想的、理窟的と見てむしろ失敗の作とする。全く矛盾した判斷

を下されるのは此の作の特色である。兎に角『海の夫人』がイブセンの劇中で、

善にもあれ惡にもあれ、一種特絶の地位を有してゐることは爭はれない。今先づ

大體論をする前に稍々精しく其の梗概を述べて見ると、

此の劇は五幕から成つてゐる。時は夏、場所はノルウェー海濱のある町、男主人

公はワ゛ングルといふ醫師、女主人公は其の後妻のエリーダ、之れに先妻の娘で

1

年頃になるのが二人、姉をボレッタと呼び、妹をヒルダと呼ぶ、其の他一人の奇

怪な旅人及び畫を書くバレステッド、彫刻師になるといふリングストランド、姉

娘の舊師アーンホルム、此れ等が重なる登場人物である。勿論中心人物は海の夫

人即ちエリーダである。

第一幕、ワ゛ングルが家の、庭から海濱につゞく遠見、晴れた朝、バレステッド

は寫生の繪具をそこらに取り散らしたまゝ、此の家の娘ボレッタが旗竿に旗を揚

げるのを手傳つてやる、舊師アーンホルムが今朝こゝへ訪ねる筈だから、それで

そこらを裝飾するのだといふ話をして、娘が引込むと、向ふからリングストラン

ドが出て來て、繪具に眼をつけ兩人の立話になる。

バレステッドは『人魚の最期』といふ畫で、海のものが陸に囚へられた哀れな死

を描くのだといふ。是の題意がまた全篇を通じた感想のライト、モチーフの一つ

である。此の男はもと旅役者の殘黨で、今は斬髮師をすぎはひにし、傍ら音樂會

を組織して其の會長だといふ。避暑客の案内役もするらしい。人間は其の風土境

遇に同化して行かなきや駄目だと口癖のやうにいふ。たゞそれだけだが面白い人

物だ。其の風土化といふ語をいつも言ひ損ふ言葉癖まで寫したのは、イブセンが

何處かでモデルを見たものと察せられる。リングストランドは彫刻家にならうと

いふ病身な若者である。此の海水浴地に來てまだ間も無いが、此の家のものと近

づきにならうとしてゐる。やがてバレステッドが行つてしまふと、娘二人が出て

來る。リングストランドがそこらの飾りを見て今日は御親父の誕生日でもあるの

ですかといふと、妹娘のヒルダがおッかさんの誕生日祝ひだといふ。實は亡くな

2

つた實母の誕生日にあたるのだから、其の事は繼母に氣を兼ねての内證であるに

拘らず、濶達な聞かぬ氣の妹は、姉が目まぜで叱るのに頓着なく、つけ/\と言

つてのける。さてリングストランドと入り換りに、ワ゛ングルが旅先から歸つて

來ると、つゞいてアーンホルムも見えて、一通り挨拶のすんだ所で、娘等は退く。

跡二人になつてワ゛ングルは妻のエリーダが兩三年來氣分の勝れぬことや、毎日

々々海に沿するのを唯一の樂しみとも命ともしてゐる樣子など物語り、世間では

あれを「海の夫人」だといふ。それで君を招いたのも實はエリーダを慰めたい爲

だといふと、アーンホルムは不思議さうに、それは何うした譯かと聞く。ちやう

ど其のときエリーダは海水浴から歸つて來た。ぬれ髮を肩に捌いて輕い上着に身

を包んでゐる。挨拶が一通りあつて、ワ゛ングルは外科室へ暫時仕事を濟ませに

行く、あとアーンホルムとエリーダと亭の中に差し向ひになり、十年の昔、エリ

ーダがまだ燈臺守の娘であつた頃、アーンホルムが言ひ寄つて、拒絶せられた物

語をする。エリーダは、當時其の申込を承知することの出來ない理由があつた、

といふのは其の時自分はもう自由な身では無かつたからだといふ。其の譯が聞き

たいと男がいふとき、リングストランドがまた這入つて來て花束をエリーダに捧

げ、誕生日の御祝ひをいふ、自分の誕生日では無い爲小供等の本心を、エリーダ

それと心づく。併しエリーダは其の場を取りつくろうて、世間話から不圖リング

ストランドが彫刻して見たいといふ圖柄の話の中に不思議な事を聞く。リングス

トランドは先年航海に出た途中、奇怪な事を輕驗した、それを元にして、舟乘り

の妻である若い婦人が眠つて夢を見てゐると、側に溺れ死んだ夫が、自分の不在

3

中に誓ひを破つた妻を見まもりながら、影のやうに立つてゐる所を刻んで見たい

といふ。其の輕驗といふのは、斯うである。自分等の船に中途で一人のアメリカ

人が船員として乘り組んだ。或日此の男は船長から古新聞を借りて讀んでゐるう

ち、何事にか非常に驚いて顏色をかへたが、其のまゝ新聞紙を破つては投げ破つ

ては投げながら、極めて靜に「結婚した——他の男に——私の居ない間に」とつ

ぶやいた。而して驚くべきことには、「けれども私のものだ、あの女は。そして

此後とも私の物にする、私について來させる、溺れ死んで、暗い海から歸つて行

つて、連れて來なくちやあならないのだが」と言ひ足した。其の後船はイギリス

海峡で難破して、右のアメリカ人は何處へ行つたか分からぬが、多分溺れ死んだ

のであらう。此の話を聞いたエリーダは、身を震はせた。リングストランドが去

ると、アーンホルムはエリーダが誕生日の事から氣色を損じたのであらうと思ひ

違へをして慰める。其のうちワ゛ングルも娘等も出て來て誕生日の祝ひに花束を

貰つたと聞き、姉はぎよつとする、妹は「蓄生!」と口の内でいふ。父は途方に

暮れる。エリーダは氣に留めぬ樣子で其の場を取り持つ。幕。

第二幕、見晴しの高臺、夕の景色先ず二人の娘が人の噂話などしてゐると、つゞ

いて皆々上り來たる。やがてアーンホルムはボレッタと腕を組み、リングストラ

ンドはヒルダと腕を組んでそこらを散歩せんと出かける。跡はワ゛ングルとエリ

ーダ二人になり、しんみりとして、ワ゛ングルは妻に今日の誕生日祝のことを辯

解すると、そんな事を氣にしては居ない、もつと深い事があるといふ。ワ゛ング

ルは、それも知つてゐる、此の周圍が御身に適しないのだ、山が御身の精神を抑

4

へつける、光線が十分に無い、眼界が狹過る、空氣が御身を刺戟するほど強くな

いといふ。女、それだけは本當である「夜も晝も冬も夏もわたしの身につきまと

うて何うすることも出來ないのは、この想ひ、たゞもう海が懷しい」併しまだ其

の上に深い事情は、自分が結婚約束をした人のあることであると答へる。ワ゛ン

グルは合點して、それも察してゐるが、その男こそあのアーンホルムであらうと

いふと、女はそれを打ち消して、その事はもう前にも略〓[#踊り字「二の字点」

打ち明けて置いた通りである、現に自分の心にかゝつてゐるのは別な人、先年

アメリカ船で船長を殺して姿を隱した、あの二等船手こそは當時自分が言ひかは

した男であると、始めて打ち明ける。ワ゛ングルは驚く。エリーダがまだ燈臺守

の娘であつた頃、此の船手と逢つて相語る事柄は、海の事ばかり、女も殆どみづ

から海の一族かと思ふがかりに、海が其の心に通ふ。そして彼と夫婦約束をした。

男がさうしなくてはならぬと言つた。女は何といふことなしに、ただもう其の指

圖に背くことが出來なかつた。そこで男は鍵輪に二人の指輪をつないで、遙か沖

へ投げ込み、固めのしるしとした。其の後男はカリフォルニアから、支那から、

オーストラリアから手紙を寄越しては、還つて來るから待つて居れと言ふ。けれ

ども女は最初男が行つた後直ちに我に戻つて、何のため斯んな結婚約束などした

のかと、不思議でならず、返事を出して破約のことを申込んだ。併し男は一向そ

れを聞きもせぬものゝやうに、屹度歸つて來るから待て居よとのみ言つて寄越す。

それ以來何うしても今一度海へ歸らねば濟まぬ心地がして、恐ろしい想が振りす

てられぬ。エリーダが斯う物語つてゐる所へリングストランド等がまた這入つて

5

來る。エリーダはリングストランドに再び航海の話の續きを問うて、不思議な事

には丁度其の出來事と同じ三年前の同じ刻限から、自分の氣もそんな風に感じて

來た。其の男が胸に刺してゐたピンの飾りの眞珠、それが死んだ魚の眼玉のやう

であつたことを今でもあり/\と覺えてゐる。それが自分を睨んでゐるやうに思

ふ。其の上まだ恐ろしい事は、ワ゛ングルに嫁いでから生まれて死んだ赤兒の眼、

あの眼が右の船手の眼そつくりであつたといふ。ワ゛ングルの妻は氣病みを慰め

兼ねて嘆息する。幕。

第三幕。ワ゛ングルが庭の一隅、木陰の濕地、時は夕方、姉妹の娘、リングスト

ランド、後アーンホルムが出て來てボレッタとの二人になり、ボレッタは世間が

知りたい、何時までも斯んな田舎に居るのは殘念だと述懷し、父の頼りにならぬ

事など言つて、父は弱い人、多く言ふけれども實行の精力の無い人、周圍に常に

笑ひ顏があつて、家の内には日光と滿足が無ければ生きて行かれぬ人であるとい

ふ。そこへエリーダが出て來て、三人の話になり、エリーダは、人間の本能の底

には悲みがある。人間は始めから邪道に迷つて憂愁を根としてゐるものだと述べ

る。アーンホルム「私はそれと反對に考へますね、多數の人は愉快に氣輕に生を

送つて行く——大きな靜な無意識的な喜びで以て」エリーダ「いゝえ、さうでな

いのですよ。其の喜びてのは——それはちやうどわたし達が長い明るい夏の日の

喜びのやうなものです。暗くなる前兆がその中にあります。この前兆が人間の喜

びに蔭をさすのです。」といつて愁ひに堪えない樣子を見て、アーンホルムはワ

゛ングルを呼びに行く、ボレッタも同行する。跡にエリーダ一人でじつと池を見

6

入つて思ひ沈んでゐると、忽ち外から旅裝した一人の旅人が近づいて來る。中を

覗き込んで、エリーダに呼びかける。誰れかとびつくりして見込んだエリーダは、

飛び退いて覺えず「あの眼!、あの眼」、と叫ぶ。旅人は靜に、今こそ御身を連

れに歸つた、一緒に來たくは無いかといふ。そこへワ゛ングルが來合はすと、エ

リーダは飛びついて助けを求める。ワ゛ングルは驚き怪しみながら女をかばうて、

旅人との問答になる。旅人は誰れよりも先にエリーダと約束したのは自分である

から、エリーダが心の變らぬ限りは自分と一緒に來る筈である、心からいやと言

ふなら仕方が無いが、よく/\考へて自由な意志で決定するがいゝ、エリーダが

自由な意志のまゝである。明日の夜迎ひに來るから、それまでに篤と決心して、

一緒に來るか來ないか、來なかつたら、それが一生の別れである、後悔しても及

ぶまいぞと言ひ殘して靜に立ち去る。ワ゛ングルは、彼の船長殺しの件で旅人を

捕縛させる外はないといふとエリーダはそれを押し止め、必ずそんな事を外へ漏

らして下さるなといふ。其の内にリングストランドがヒルダと驅けて、來て、彼

のアメリカ人をまざ/\見たといふ。屹度今夜の眞夜中にその不貞な妻に取りつ

きに行くのであらうと噂する。ワ゛ングルは、是れには何か背後にまだ物が潜ん

でゐるやうに思はれるといふと、エリーダは、自分を誘ひ寄せるものが背後に潜

んでゐる、「あの男はちやうど海のやうです」といふので幕。

第四幕。ワ゛ングルの家の庭に面した室、午前、ボレッタとリングストランドが

結婚論をしてゐる。結婚といふものは一つの奇蹟だ、女を脱化させてしまふ、女

が何時か男の趣味や氣風に染化せられる。併し男は外に氣を使ふから妻に化せら

7

れることは少ない、それで女は男を慰めて、其の事業をする元氣を増進さすのが

本分である、といふリングストランドの結婚觀をボレッタは利己主義だといふ。

リングストランドは自分が利己主義と言はれるのを不思議がる。彼れはやがて南

方へ彫刻の修業に行くから、其の間ボレッタが自分の事を忘れずに居て呉れゝば、

自分は幸福に勉強が出來るといふ立場で、ボレッタの愛を求めんとしてゐるので

ある。やがてワ゛ングルとアーンホルムとが出て來ると前の兩人は其の場をはづ

す。ワ゛ングルはエリーダが丸で海そのものゝやうな特殊の血統を持つてゐるこ

とを言ひ、自分とは年も違ふから、半分は父のやうな氣持ちで慰めてやりたいと、

不圖思ひついてアーンホルムを手紙で呼び寄せた、其の譯は、エリーダが萬一心

の奧で昔の戀人アーンホルムを思つて鬱いでゐるのなら當の相手に逢はせて慰め

さすのが上策と考へたのであるが、事實は全く意外であつた、アーンホルムには

濟まぬ、と詫びをいふ。アーンホルムも始て呼び寄せられたる次第を聞いて意外

に感ずる。話が段々エリーダの事に移つて、アーンホルムはワ゛ングルに對し、

全體エリーダのいふやうな不可思議を信ずるかと問ふと、ワ゛ングルは、信じも

しないいが、嘘だとも言はない。たゞ分からないから、そつとして置くのだとい

ふ。アーンホルムは種々エリーダの言ふ所に曖昧な點のあるのを指摘して、病的

な生命心理の幻像に歸しやうとする。此邊凡て不思議な樣な不思議でないやうな

物心干係や科學と迷信との干係の問題を香はせてゐる。其内エーリダが加わつて、

アーンホルムが去ると、エリーダは、夫を傍に腰かけさせ、思ひ定めた事を打ち

明ける。自分等二人は今まで嘘を言ひ合つて居た。一緒になつたのは二人の不幸

8

であつた。「本當は——交ざりけの無い本當は——あなたが入らしつて——わた

しをお買ひなすつた。」ワ゛ングル「買つた——!、お前の言ふのは——買つた

と?」エリーダ「わたしだつて同罪です、一緒になつて取引して、自身をあなた

に賣りつけたのですもの。」斯う喝破して、エリーダはワ゛ングルとの結婚が自

分の自由な意志で成り立つたもので無いから、別れて呉れといふ。自分の家はや

はり船員の方にあると思はれる。何うしても其の方に引きつけられる、恐ろしい

やうな力がある。別かれてその方へ行くより外は無いといふ。そこへ娘二人、ア

ーンホルム。リングストランド等が這入つて來る。エリーダが明日は旅に行くと

聞いて、ヒルダは、行くがいゝやと絶望的な樣子を見せる。何故かとエリーダが

聞くと、姉が、ヒルダは本當はエリーダから暖い言葉をかけられないのを口惜し

がつて、それで反抗してゐるのだから、一言優しい言葉をかけてやつて呉れと説

明する。エリーダもさてはと思つたが、今さら何うならうぞと兩手を頭の上に組

んで、眼を見据える。幕。

第五幕。ワングルが庭の一隅、薄暮の景、娘二人以下皆々引退くと、ワ゛ングル

とエリーダのみとなる。エリーダは肩掛を頭からはをつてゐる。もう昨日のイギ

リス船が來るに間もないから、ワ゛ングルが獨りで待受けて彼の男に應對しやう

といふと、エリーダは承知せず、自分の心が其の男に引きつけられる以上、ワ゛

ングルの力で如何ともすることは出來まいといふ。兎に角まだ時もあるから二人

で散歩しやうと退場する、引きたがへてアーンホルムとボレッタ登場、ワ゛ング

ルは到底ボレッタを遊學させる餘力がないから、アーンホルムが一切世話して學

9

問させやう、しかし同時に自分の妻になつては呉れまいか、自分がワ゛ングルか

ら來いといふ手紙を貰つた時、昔の教へ子の御身が自分を慕つて呉れるのでは無

いかと、ふと思ひついたのが本で、今では戀になつてゐるといふ。此の邊すべて

老けた戀をよく書いてある。ボレッタ始めは拒絶するが、段々説得せられて、遂

に遊學がしたさ、世間が知りたさに、何うせ一度は片づくものだからと、承知を

する。ヒルダとリングストランドが現はれると前の二人は其の場をはづす。ヒル

ダがリングストランドにからかふ事などあつて、ワ゛ングルとエリーダが再び出

て來ると、船がついたといふ、ヒルダ等兩人が去ると間もなく、奇怪なかの旅人

が再び垣の外にあらはれる。さあ仕度はよいか、一緒に行くといふ決心が自由の

意志でついたか、とエリーダに迫る。エリーダ「約束通りといふのですか」旅人

「約束が男や女を結びつけるものぢやない。執念深くわたくしがあなたに着きま

とふなら、それはさうしか出來ないからだ」エリーダ「それなら何ぜもつと早く

來て下さらなかつた」といふのを聞いて、旅人は垣を乘り踰えながら、エリーダ

の聲で、自分の方へ來ると決心したことが知れるといふ。ワ゛ングルこらへ兼ね

て進み出て、船長殺しの事をいふと、旅人は忽ち懷中から短銃を取り出し、其の

用意は是れである、いざとなれば自分が是れで死ぬ、自由な人として生き且つ死

ぬるのだといふ、エリーダは是非とも不可知の果てまで行くべき自分であるから、

此の上は留めて下さるなとワ゛ングルに頼む。ワ゛ングル「よく分かつた。一歩

々々お前は私の手からすり拔けて行くのだ。その廣大無邊——手の屆ないものを

慕ふ心がお前を到頭暗黒に追い込むのだ。」エリーダ「さうです/\黒い翼が音

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も立てないでおひかぶさる樣に思はれます」ワ゛ングル「それをさうさしては置

けない、ほかにお前を救ふ道はないから、少くとも私には見つからないから、だ

から——だから私は——私は此の座で今までの取引を帳消しにする。今こそお前

は自身の行くべき道を選ぶがいゝ——十分——十分の自由で以て」エリーダはあ

きれて言葉もとぎれ「真實ですか——眞實——あなたのおつしやるのは?。本當

にその通りですか——心から?」ワ゛ングル「さうだ苦しい胸の奧底から其の通

りだ」エリーダ「そして其れがあなたにやれますか。やり遂げられませうか?」

ワングル「勿論、やれる。やれる——此れほど深くお前を愛してゐるのだもの」

エリーダ震へながら優しく「それほど思ひつめてそれほどやさしく、わたしを愛

して下さる!」ワ゛ングル「連れ添うた長の年月が教へて呉れたのだ」エリーダ

「そして、わたしは氣がつかないでゐた!」ワ゛ングル「お前の考は脇道へ向て

ゐた。けれども今こそ——今こそ全く私の繋累から自由になつた。お前の本當の

生涯が正しい畦に戻るのは今だ。今こそお前は自由に選擇していゝ、そして自分

で責任を負ひなさい」エリーダはワ゛ングルを見つめて「自由に——そして自分

の責任?責任もですか?——それで何もかもがらりと變つてしまひます?」汽船

の二度目の鈴の音が聞こえる。旅人「聞こえますか、最後のベルだ、さあ行かう

?」エリーダ、向き直つて決然たる調子で「斯うなつた以上、もうあなたの方へ

は行かれない。」旅人「行かない?」エリーダ、夫に取りついて「おゝ——斯う

なつた以上、決してあなたは見すてない」ワ゛ングル「エリーダ!エリーダ!」

旅人「ではそれが總仕舞だ?」エリーダ「さうです、永久の總仕舞ですよ」旅人

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「あ〓[#踊り字「二の字点」]、私の意志よりも強いものが此所にはある」エ

リーダ「あなたの意志はもうわたしに取つて羽ほどの重さも無い。わたしには、

あなたは海から歸つて來た死人、——またその海に歸つて行く人です。けれども

もう恐ろしくも無い、引きつけられるやうにも思はない。」旅人「さやうなら、

ワ゛ングル夫人!この後私の生涯に取つちや、あなたはほんの通りがゝりの一難

船に過ぎない」旅人は言ひすてゝ立ち去る。跡にワ゛ングルとエリーダとは自由

を得て始めて誘惑を斥け得たといつて、喜んで相抱き、新しい夫婦の情合に入る。

其の場へヒルダ。ボレッタ。アーンホルム。バレステッド。リングストランド、

みな/\入り來たり、事の結果を聞いて驚き喜ぶ。ヒルダとエリーダとも始めて

親子の暖かな情を感じて、一家は茲に新生涯に入る。之れが此の劇の大尾である。

さて此の作は例によつてさま/″\なイブセンの問題なりを提示してゐる。試に

是れを研究してゐる學生の一團に所感を言はしめて見た結果は、下の如き雜多の

項目を得た。すなはち第一、結婚に關する研究、之れは勿論イブセンに多くある

問題で、此の作中でもリングストランドがむしろ套襲的で利己的な、男の側から

見た結婚觀、またボレッタがアーンホルムに對する結婚は愛より便宜利益といふ、

婦人側の利己的な、平凡な、しかしながら思慮ある結婚である。ワ゛ングルがエ

リーダに對する關係は無論ずつと高い結婚問題であるが、茲にもワ゛ングルが自

分の愛の爲めまた自分の家庭のために強いてエリーダを引き取つた利己的意義を

ワ゛ングルをして自覺せしめてゐる。結婚と利己、是れはおもしろい研究問題の

一つに相違ない。エリーダから見た結婚問題は、直にまた此の劇の根本問題で、

12

一層廣い意味を有するから是れは後に廻はす。第二には自由といふ問題。第三に

不可思議力といふこと、第四に北方傳説と此の作との關係如何といふこと、これ

は夫の種々な文學に取り入れられてゐる遁竄のオランダ人乃至北海の人魚や海の

妖精などいふことに干聯して趣味ある研究となるであらう。第五に人生の不安を

描いたのではないかといふ事。第六に奇怪な旅人と神秘主義。第七に舞臺上の當

てこみ、これは總體にイブセン劇の幕切などの頗る技巧的な所が多いのに想ひつ

いたのであらう。第八にエリーダと標象。第九に強烈な意志と愛の力との對立。

第十、全體動的な中に非常な靜的分子を點出した作風といふこと。第十一、全く

無興味といふ説。第十二、性格描寫が他の作よりも不明瞭ではないかといふこと、

是れは主人公よりも却つてヒルダや、リングストランドやの如き周圍の人物に一

層際立つて描かれた性格があるから起こつた問題かも知れぬ。第十三、結末でエ

リーダが思ひ返す心的經過がよく合點が行かぬといふ説。第十四、それは女が責

任を持たせられると逡巡するといふ弱い本性から來たものと見ては何うかといふ

解釋。第十五、全體あまりに知力的であるといふこと。第十六、婦人の自覺とい

ふこと。第十七、夫婦相互の理會といふこと。第十八、北方婦人の知識欲といふ

こと。第十九、科學と不可思議との關係等が其の重なる提案である。其の他ゴッ

ス氏が擧げた箇條などをも加へれば二十ヶ條を越える。吾人はこゝで一々此等の

論點を研究する餘地が無いから、此の作の全體論をなして、おのづから此等諸要

點の重なるものを統括して見やう。

イブセンの社會劇が、殆ど凡て所謂無解決的、未完了的である〓[#「こと」合

13

略仮名]は、爭ひ難いと思ふ。此の點から言へばイブセン劇は一種の中間劇であ

る。事件の頭と尾とを殘して、中間の一節だけを見せるといふ趣である。イブセ

ン劇の幕が開く前には、既に雜多の事件が展開してゐる。作者は必要な限り之れ

を本文中に折り込み疊み込んで見せる。しかも劇の發端までには、既に余程の事

件が進行してゐる。同時にまたイブセンは幕の降りた後に多くの事件を殘して置

く。芝居を見終つて後、更に我々は心裡に其の續きを見る。『人形の家』のノラ

が不思議が起こつたらと言ひすてゝ出て行つた後、『幽靈』のオスワルドが太陽

々々と叫んだ時、我々は今まで氣のつかなかつた、妙な世界を眼の前に見せられ

て、何うも考へ込まずには居られぬやうな氣がする。即ちまだ解けない、考へな

い、見ない人生が其の奧に暗く長く横はつてゐるやうに思ふ。こゝがイブセン劇

の味ひの重な一點である。

然るに『海の夫人』に於いては、趣が一變する。表面の結論からいふと、此の作

は先づエリーダが滿干の盛んな北海のやうな、烈しい、鋭敏な、絶えず動くのを

活き甲斐としてゐる精神に、人間の生命を代表せしめ、奇怪な旅人はやがて人間

の此の生命と根本を連ねた不可知、無限、乃至其の標象たる海を更に標象したも

のと見られる。而してエリーダの精神は斷えず不可知の絶對無限に還沒せんとす

る一種の畏怖と誘惑とを感ずる。畢竟海から打ち上げられた人魚の如く、一たび

相對有限の普通道徳に縛られゝば縛られるほど反撥して無限の廣大、絶對の自由

に還りたくなる。此時之れを救ふの道は、潔く其の縛を切り放つにある。所謂自

由である解放である。放つて絶對無限の大自由に入らすれば、責任は其の放たれ

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たものの上にかゝる。おのづからの結果として、他制的でなく自制的な道徳が内

から發する。而して落ちつく所は始めの制縛的道徳と大差もないが、味が丸で違

ふ。一は盲從屈抑の踏襲律であり、他は復活し新生した自産律である。

斯んな風に見るのが先づ最も抽象的な解釋であるが、更に今一歩具象的に見れば、

其のいはゆる「意志よりも強いもの」即ち愛の解決とも取れる。一旦解脱し解放

せられた男女が、依然として相對存在を保たんとするには、獨り愛の力にたよら

ざるを得ぬ。愛は最後の救ひであり解決である。といふ風に見るのがそれである。

兎に角此等のいづれとするも、これだけの解決は明に作中の事柄に現はされて事

柄の終結はやがて意義の終結である。あとに其の以上の解決を考へさすといふ趣

は殘らぬ。光明的たり、理想的たり、解決的たる所以はそこにある。イブセン劇

として慥に一種特殊のものといつてよい。 しかしながら問題はこゝから生ずる。

此の作は果たして有解決のために幾ばくの興味と深さを加へたであらうか。吾人

の見るところを以てすると此れだけの解決を兎も角も文字の上に見はさんとする

結果は、結末の邊が甚しく知力的になり過ぎて、エリーダの心機一轉など、理窟

の刄渡りの氣味がある。理窟の上だけでは面白くとも、情味の上の會得が容易に

來ぬ嫌はないか。また理の上に比較的明白な結論がつくだけ、動々もすると底の

涸れる感がある。限り無く我等の瞑想を誘起するといふ幽玄な味に缺けはせぬか。

是れは凡ての理想的藝術が往々にして有する弱點である。

更に一つの見やうは、夫の『イブセン秘義』の著者等の如く、此の作を以てイブ

センが社會劇のラスト、ワード、即ち最後の決斷とするのである。イブセンは始

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めまづ所謂社會問題を提起して、社會の缺陷、矛盾、不完全に自覺を呼び醒まさ

うとした。併し結局社會は外から救はれるものではない。各個人が中から救はれ

ゝば、社會はおのづからにして善くなる。個人の心靈問題が社會問題よりも先で

あつた。斯う考えて個人の救濟を書いたのが『海の夫人』である。さればイブセ

ンの使命は此の作に達して始めて全うせられる。此の以後の作は即ち所謂肖像劇

で、前來のものを更に一つ々々に取り出して細かく書いたに過ぎぬ。といふのが

其の大要である。

其の他技術の上から見れば、此作の特色は所謂自然的寫實的な一面と神秘的標象

的な一面を綯ひまぜた所に存する。而して此れあるがため此の作には前にも言つ

た如く兩種の矛盾した判斷が下される。一方から言へばあまりに空想的で、劇と

しては到底舞臺上に他の自然的寫實的な一面と調和せぬのみならず、讀み物とし

ても粉塗の痕が見え透く心地で、おもしろくないといふ。他方から言へば其の詩

的標象的な所が讀物として絶妙な所以である。イブセンの最も美しい作は是れで

あらうといふ。

此の作が殆ど屋外を舞臺とする如く、作の調子はいかにも盛夏の海濱の強い花や

かな光線に滿ちた趣である。隨つて夫の憂欝な神秘な北海の標象から見れば、舞

臺が明るすぎる感がする。さればこそイブセンは必要の場合に夜や夕暮を多く使

つた。しかも尚それが夏の夜であるから明るく花やかだ。暗い方を主にして見れ

ば、是れもたしかに缺點の一つであらう。今若し單に明るい方のみから見れば、

此の劇は、イブセンの作中で最も色彩に富んだものゝ一つである。終りの方の過

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度な理窟の刄渡りや解決を忘れて見れば、却つてそこに美しい一幅の畫が見られ

る。收場に於けるバレステッドの言ひ草ではないが、海の人魚は陸に上つて死ぬ

る。人間の人魚は風土に化して行く。どちらも繪である。(明治四十一年四月)

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目次

 

「イブセンの解決劇」文頭

 

 

 

沙翁の墓に詣づるの記

18