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『青春』を評す

 

 

 

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     『其面影』を評す

 

『其面影』を讀むと觀察描寫の老錬といふことが誰れの眼にも先づつく。用語文章の如きも、金臺にいぶしを掛けたやうな苦心が時としてはなほ覺えず、知らず金光を露呈する趣味である。三十九章の「家と名が付きや埴生の小屋も」のあたりの文調、乃至さよと哲也とが愈々戀に入る邊の對話の引締められて殆んど脚本の臺詞に近づきかけた趣など、其の例であらう。

此の作と他の青年諸家の短篇物とを想ひ比べると、彼れには人生の一邊が鋭角をなして見はれ、此れには廣い多角な鈍角な人生が見はれてゐる。彼れには冷徹の氣があり、此れにはおつとりと圓みを帶びた氣持がある。彼れでは作家と作とが一杯々々で、知力過勞より來る所謂近代的憂愁の色が余地なく流れ出でゝゐるが、此れでは一段高い所ろから近代生活を瞰下せんとしてゐる氣味である。從つて或は前者の眞面目な狭い、余裕の無い、一杯々々の、鉛の如く重い憂愁の調を擇ぶものもあるべく、或は後者のゆとりある、動ゝもすれば、嘲弄的にすらならんとする瞰下的な所を擇ぶ者もあるべく、兩者の趣味は必ずしも一致して居らぬ。たゞ其の主人公の性格、及び其の煩悶に對する自意識の内容等に於いては、此の作と近時の青年作家の短篇物と脈を同じうする。之れを彼の同じ作者の舊作『浮雲』に比すれば人物事件の形の上に多少の類似が求められると共に、其の内容に至つては正しく二十年の變遷をして、著しく知力的になつてゐる。『其面影』の主人公が煩悶の自意識内に存する思想は『浮雲』の主人公の煩悶意識中には甞て見出すを得ぬものである。

要するに此作の重なる特色の一は、廣く圓みある世態描寫の温味と深く偏倚した性格解剖の冷味とを調和した所にあるのであらう。(明治四十年十二月)


 

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『其面影』を評す|文頭

 

 

 

英國の尚美主義