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『ミカド』オペラの事
近日の新聞で見ると、英國ロンドンでは、同盟國たる我が日本に敬愛の意を表するため、彼の地の流行音樂の一たる『ミカド』と題するものゝ演奏を禁じたさうである。是れはさもあるべき事と思ふが、元來この『ミカド』と題する音樂はどんなものであるか、簡單に之れを説明して見ると、もと/\二幕の滑稽オペラである。作者はサリワ゛ン(Arthur Sullivan 1842-1900)といつて、有名な滑稽オペラの作曲家である。但し其の文句は常にギルバートといふ人が書いて、つまり兩人の合作といふことになるから、普通此の人等の作をばギルバート、サリワ゛ン、オペラと呼んでゐる。サリワ゛ンには外に眞面目なオペラもあるが、其の方はさしたる成功でもなかつた。之れに反して滑稽オペラでは近世の最大作曲家の一人となつた。ニ三十年來其の作十數篇に上つた中にも、此の『ミカド』の如きは最も喝采を博したものゝ一つで、千八百八十五年すなはち今から二十餘年前の作である。其の輕快にして新奇な曲調が通俗の人氣にかなつて、忽ち英國のみならず、全歐米の流行曲となつた。作者は此等の作乃至其の通俗音曲の大家といふを以て廣く世に知られ、後年眞面目なオペラに多少の成功もあつて、遂に音樂博士となり、ナイトの爵まで貰つた。此等の名譽を得るためには、我が日本の帝室までが嘲笑の犠牲に使はれてゐるのだと思ふと、私情としては餘り善い心持もすまいが、併しそれは二十餘年前の事で、當時は英國といへども日本に關しては事實それ以上の感情知識は持つてゐなかつたのであるから致しかたがない。今日彼の國の識者が之れを禁じて同盟國に好意を表するといふのは、勿論穩當の處置である。
此のオペラの世に行はれたのは、專ら其輕快新奇な音樂のためで、夫の『ゲイシャ』と同じく、曲中の或部分の如きは、殆ど人々の口三味線に上るほど普通なものとなつてゐる。作の荒筋を言つて見れば場所はチチプといふ所で、第一幕がココといふ司刑官の邸内、第二幕が同庭園、ナンキープーといふのがそこの君主の御子で、カチシャといふ官女から不圖したはづみで結婚を求められ、之れを否めば殺されるといふはめとなり、終に姿を隱して旅の笛吹となつた。而して彼れは或る宴席でユムユムといふ美人と相愛するに至つたが、此のユムユムは右の司刑官ココの世話を受けて其の妻となることになつてゐる。そこでナンキープーはココに説いて、一ヶ月間自分とユムユムと結婚させて呉れゝば、自分は一ヶ月の後刑に就いて死なう、其の後でココとユムユムとは永く結婚したらよからうといふ。ココは之れに同意したが、結局ナンキープーは君主の御子であると知れて、自分は夫のカチシャをすかして、それと結婚しナンキープーとユムユムとの戀も目出度成就するといふ話である。たゞ是れだけの話と臺詞とで運ばせて、それに種々の人物や馬鹿げた事柄を附け加へ、而して稱して日本オペラといひ、日本を舞臺としたといふのであるから、其の點で齒牙にかけるに足らぬことは言ふまでもない。又曲中カチシャがナンキープーを見あらはして、其の王子であることを公言せんとするのを、側からまぜかへす時に「オニ、ビツクリ、ト、シヤツクリ、オニ、ビツクリ、シヤクリ、ト」といふ如き捨て言葉を用ひたり、また君主登場の進行曲に「ミヤサマ/\、オウマノマエニ、ピラ/\スルノハ、ナンジア、ナ」といふやうな唄を挿んだりしてゐる。要するに『ミカド』は專ら俗衆を的とした一の滑稽音樂たるに過ぎない。(明治四十年五月)
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