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新舊演劇の前途
今茲では精密な評論的態度を以て云爲することは出來ないのであるから、專ら其演じ方について我邦演劇の將來如何といふことを考へて見るに、どうも今更別に卓拔な意見といふのも無いが、凡そ今日の舊劇は二元素に分解することが出來やう、もつと精細に分けて見ると三つになるかも知れぬ、そして其の中の二つが多少變形を受けて後に殘留する元素で、殘りの一つがやがて亡びはすまいか、その三元素とは
(一) 舞踊的元素
(二) 自然的元素
(三) 誇大的元素
の三つである。是れがさま/″\に化合若しくは混合して今の舊劇は組成せられてゐる。而して若し此の三元素を解體せしむれば、當然亡ぶべきは第三の元素であらう、即ち舊劇中の誇大的動作、誇張的表情、グロテスクの趣味といふものがそれである、誇大的技藝とは假令ば今度の歌舞伎座でやつてゐる『川中島』の鬼兒島彌太郎の科白表情などの如きが其の最も著しい例で、其の他の舊劇に時代物世話物とも大部分を占めた、つまり人形の藝から多く離れてゐない凡ての技藝がそれである。人間がやる以上、筋肉で動かない人形を何の必要があつて眞似をするか。當然に自然的表情にかへるべき筈なのにたゞ之を藝にせん爲めとか由緒來歴を喜ぶとかの動機で誇張に墮ちて仕舞つたのが此の誇大的技藝の馬鹿々々しさである。昔の絃にかゝつた人形なり乃至は其系統を脱し得ぬ時代の趣味には是れでも滿足が出來たか知らぬが、十九世紀の寫實主義自然主義の歐洲文藝の潮流を通過した後の日本の趣味には、迚も合はう筈がない。よし今日ではなほ新潮流に感ぜぬ人も多く、隨つてそんな事には氣の附かぬ人もないではなからうがそれは漸々減じて我々の次の「ゼネレーション」に到れば舊劇の誇大な藝風に到底同感の出來ぬ人許りとなるに違ひあるまい。
支那の芝居乃至西洋で折々やる未開人の芝居といふものに比して、我が舊劇の此の部分は正しく兄弟分といふ系統に居る、多少の彫琢はあるが結局はグロテスクの趣味に歸一する。さうすると此誇大的元素を舊劇から除けば、あとは舞踊的元素と自然的元素とのニとなる、舞踊的元素は即ち振事で、今度の東京座の道成寺の如き歌舞伎座の勢獅子の如きがそれで、或點を例外とすれば立派な一種の藝として長く生命を保ちうるものであることは爭はれぬ。丁度ワグナーオペラが幾十年後の今日なほ歐洲で流行の絶頂に立つてゐるのと同じことだ、それは時代に應じ多少の變化はあるかも知れんが、此風の藝は誇大的元素とは違つて人情自然の發表といふことに逆らつて成立したものでないから、文明の變化と共に亡ぶべきものでない、つまり音樂の力、舞踏の力を結合した純なる藝術で、之を文學に比べて見ると詩《ポエトリー》に相當する、或は詩が時代と共に亡んで詩形がなくなると論ずるものもあれど、それは大なる誤謬である、在來の詩の形は亡びても詩そのものゝ形の根本は人間の本性から發するのだから舊、亡べば新が代るといふ風に中々亡びやうはない、詩と詩ならぬ文學との境目は感情の濃厚の度合で分つ、詩が濃厚な感情といふ本性を有する限は其形は必ず節奏的《リズミカル》でなければならぬ、人間の感情が濃厚になれば必ず表情は節奏的《リズミカル》であるのが自然である、激して物言ふ時には其言語におのづからに節がつき、激して動く時には其動作がおのづ舞踊的となるは其證據である。同じく劇の舞踊的元素に於ても、セリフ[#「セリフ」に傍点]に於いて音樂的、シグサ[#「シグサ」に傍点]に於て舞踊的となるのは是れまた一種の自然の事實に合したものである、而して此「音樂的舞踊的なるはやがて自然的なるなり」といふことが即ち永久的なる所以である、舞踊的演藝と詩とは、同じ生命を有してゐる、これが又舊劇の重な一元素であるから舊劇は此部面で永久の生命に觸れてゐるではないか、斯やうに見れば、また永久なるべきものは常に自然的ならざるべからずともいへる。
併し舞踊的元素といつても現在のものには第一脚本の上にも到底時代と歩を同じうすることの出來ない分子もある、そこは例外として見らるべきである。また之れを藝の方から見ても色の使ひ方、手足の振、衣裳の恰好などいふ外形的のものは時代と共に變遷するかも知れぬ。又音樂も日本音樂が其メロデイーまでも洋樂に悉く了るかどうかは疑問であらうが、少なくとも其の樂器、音の性質等の上には必ず洋樂の感化によつて多少の變化が起こるであらう、從つて、撥音の盛んな、斷音を中心とした三絃樂の如きものゝみでは新時代の賞美に價することはむづかしくなるであらう、かゝる外形的の方面では、舞踊的元素も變形して行かうが、其の根本の藝風は同じ脈に屬して存續するであらう。又脚本の上からいへば前述の如き「勢獅子」「道成寺」一流のものは只見た目、きいた耳に訴へる而巳である。いくら舞踊式でもそれ以上に考へた心といふものゝ興味を將來のものには必ず導き入れねばならぬ、是れが新時代文藝の根本の意味でなければならぬ、とにかくか樣な意味で大體に道成寺式藝術が舊劇中から趣味の變遷といふ實驗化學のガラス筒の内に分解せられて殘留し行くかと思はれる、即ち今日の振事風の藝術がより深い工夫を加へられたならば、永久の生命を有するであらう坪内氏の所謂新樂劇なども此方面から新藝術を導き來らんと企てられたのであらうと思れる。其次の自然的元素といふのは丁度文學に比べると小説の如き散文文學に該當する者である、東京座の「異風行列」で信長の阿呆のシグサ[#「シグサ」に傍点]の如き又は歌舞伎座でやつてゐる雁次郎物の、餘りの只事寫實に陷らずして而も誇大的たらざる或部分の如きは稍之れに近い。要するに前の誇大的とは程度の上の差に歸するかも知れぬが、誇大的の弊に陷らずして然かも舞臺にのつて落付のある自然的な藝が、演劇といふものゝ本領であらう。但し茲で自然的元素といふは寫實的や活歴とは違ふ、寫實といつて現代の寫眞のやうなものや、活歴といつて歴史にある通りの事を並べたりするのは、馬鹿氣た話であること、今さら喋々するまでもない。
自然的元素といふのは感情の自然の表情を中心とするやり方である。其表情は人をして誇大的の感を引きおこさしめぬ度に於いて藝化せられるを要する。自然的で而も寫實的に非ざる場合は幾らもある、寫實でやるならばヒソ/\話をやる時などは棧敷へは其聲が聞へやう筈はないといふのが極端な寫實の言ひ前であるが、自然的の方では必ずしもそんな事には頓着せぬ。見物にその事を聞かさしむる必要があれば寫實ならぬこともやつてよい。只人情の自然の動き方に合して見物が誇大滑稽を感ぜずして之に仝情し得れば夫でよいのである。これが茲でいふ自然的と寫實的との相違の點で、一は人情の自然の動き方を主眼とし一は專ら外形の寫實を貴ぶ、舊劇の中では概して世話物に此寫實ならぬ自然的な元素がより多く見つかる樣である。團十郎が腹藝で一家をなし得たといふ説を理屈にして説明したならば、あれは舊劇の誇張主義の弊を救はん爲め自然主義を加へたのだともいへる。即ち只目に見えてゐる激烈なる表情即ち誇大主義を補ふに目に見えぬ腹の中即ち人情の激烈を以てしたのである。彼にとつては誇大主義の表情を全廢するには流石に忍び得なかつた、そこで釣合をとつて、誇大に見えぬやう心中で補ふて、之れを緩和し或程度まで成功したるものである。
結局は「人情の自然の表白に歸れ」といふのが舊劇の弊に對する直截の忠言である。此自然的元素の影は折々在來の舊劇中にきらめいてゐる處もあるが、到底舞踊的元素の如く分解されて獨立して殘るべき力は、舊劇には、それ程多大に存してゐない、舊劇の大部分は誇大的元素と舞踊的元素とで占めてゐるから此點よりいへば、
┌舞踊的元素(存)
舊劇┤
└誇大的元素(亡)
の運命である、つまり目を無理にむいたり、顏を仰山に曲がめたりする藝風は新代にはつゞくものでない、よしんば歴史物でも尚ほ且つ舞踊主義に非ずんば自然主義に歸へれ、是れより外舊劇風の將來に關する途はないと思ふ。
西洋の歴史物を見ても古い藝風を摸してゐるのは少なくない、又しかすべき理由もない、あらゆるものが時代と共に變形するものとせば、芝居の如きも人情の自然といふ點でさへ不朽の處を有してゐたならば、表情動作の如きはその時代/\で是がむしろ當時の自然であつたらうと解釋せらるゝ形に變つて行けばよいのである、西洋で時代物たとへば沙翁劇などをやつても、原作はミーターあり調子のついた文句でも、之れが臺詞となり動作となるに及んでは、必ずしも自然な七五や、ギクシャクした誇大的動作には陷らぬ、アーヰ゛ングは「ハムレット」を斯ういふ風にやつたが自分は斯う工夫してやつて見やうと前の俳優の型を削り自力でやろうとする、此場合の各俳優の苦心は感情の自然の表白如何といふことである、中には稀にある程度迄西洋にも古名優等の型を摸することもあるが、これは其方が一層自然的表情に叶ふと見るからでなくてはならぬ。無論弊に陷る時には例令ばフォーブス、ロバートソンが「オセロ」をやれば英國紳士になりすぎるとか、ジョージ、アレキサンダーが「ハムレット」をやれば英國の好男子になりすぎるとかいふやうな弊はあるけれど、それは餘弊である。又脚本について云つても舊劇は隨分ある處/\には立派なものあり、ことに日本民族の一特色とみらるゝ武士道的精神に訴へた作は、此一脉を傳へた點に於いて將來とも折々古劇として演ぜらるゝことがあらう。また更にその上に武士道のみならぬ廣い意味での自然の感情の流が加つたものは一層うつくしい古藝として今後五十年百年までも折々演ぜらるゝであらう。忠臣藏の如き、その一例である。さらば將來舊劇の生命たる史劇は如何なる傾向を生じ來たるであらうか、新作も出來るのであらうと思ふが、もし新代の要求に應ずる史劇が現れたとせば、それは如何なる特色があるかといふに、思考《シンキング》に訴へるといふ點からして其の材料が撰ばれねばなるまい。(之は中身をいふのだからその上に甘い美しい情の衣がシックリと纏ひつけられねばそも/\藝術にならないことは言ふまでもない。)舞臺的專門的にも變化は加はらうが中心の見方は見物をば考へさすといふことに歸するであらう、其材は例へば我等の祖先から流てゐる血が是認する武士道的精神の外に、むしろ、われ/\が當然第二位に落すべきものと信じてゐたものの中から深い意味をば西洋文明に觸れて心づいて來る、此の矛盾から起こる煩悶疑惑乃至新しい解決を材料にとり入れるといふ風でなくてはなるまい、これが十九世紀式廿世紀式の文藝で、史劇も同じ運命に逢ふを免れまい。
西洋でも近代史劇は英のスチーブン、フィリップスがかいたものとか白耳義《ベルギー》のマーテルリンクの書いたものとか伊のダンヌンチオの書いたものとかには皆似たやうな意味がある。史劇とて武士道的精神や中古のシワ゛リーのみを現す者ときまつたものでない、他の一側を史上に見んと欲する所が新世紀の新史劇であらうと思ふ。つまり舊題に新意を見出すのだ。さてかく舊劇を見て新劇[#「新劇」に黒ゴマ傍点]にうつれば今の新劇は舊劇中の誇大的元素と舞踊的元素とを中心として出立せねばならぬ地位に立つてゐる、しかるに新劇の今迄の經過は自然的技藝と寫實的技藝とを混じてゐる、自然に歸れといふも寫實に歸れといふも一緒になつて仕舞つてる、無論新藝術の草創の際には止むを得ない現象ではあるが、是れが間違であることは言ふまでもない。
思ふに到底寫實のみを精神としたものでは藝術は成立せぬ。今日の新劇をみるに是れまた便宜上三つに分解することが出來る。即ちある所は全くの舊演劇である、歌舞伎式である、又ある所は全く舞臺にのらぬ素人藝である、又或る所は素人藝ならぬ、歌舞伎式ならぬ、一種の落付のある手障を有してゐる。
此三つが今日の新劇に不調和に混在してゐることは一見明かである、本郷座の「無名氏」に於ける毛雅の雪中の落ち入りなどは、少なくとも其臺詞に於いて舊劇臭の甚しいもの、すべて新劇では表情の強い處へ行くと皆歌舞伎式の誇大的趣味になる、これに反し平坦な、弱い表情の時は馴れたものは落付があつて歌舞伎式にならぬ、只の寫實ならぬ一種のうま味が現れかゝつてゐる、明治座の河合や本郷座の喜多村、高田、藤澤等の藝の或る點は皆感情の動き方が平坦なる所だけは落付いてやつてゐて、一種の味が確かにある、その落付のある所はやがて眞の藝術の湧き出す端緒であらう。
その他の多數は全く素人藝と同じき觀がある、これらの部分は無論新劇から當然消えて行かねばならぬものである、一方の歌舞伎式の臭味はあれなら態々新俳優を煩す要もない、人をして只奇異滑稽の感を引起さしむる而巳である、されば平坦で落付のあるのが發達して、もつと熱烈な表情をも伴ふたならば、そこに誇大的でない一種の藝が出來るであらう、今の高田や河合の藝は平坦な感情丈に適して、動く變化ある熱烈の感情に適しない、といふのを事實とすれば、どうかしてそれを打破して冷たい固つた弊を脱却せしむることを得たならば、そこに我等の望んでゐる一種の新藝風が現出するであらう。要するに此等の人々の藝は今少し動的でなくてはならぬ。
これらの點から云つて、所謂芝居の將來はドーモ一旦今の新劇にでも立還り再び新に出立したものでなければ我等が望める新演劇は完成しないのではないか。若し新史劇を作る人あらば舊俳優にやらせるよりも新俳優にやらして見た方が面白からう、また藤澤氏なり高田氏なり河合氏なり喜多村氏なり皆進んで史劇もやつて自らの日蓮や熊谷や由良之助を作り出さねば駄目だ。舊俳優と目をむき顏を曲めるやうなことで競爭せず、標準を感情の自然の表情に取り、誇大主義をやぶり、新時代に適する新脚本を用ひ、一方に固まつて仕舞はず益々つとめたならば、或は成功し得ると思ふ、新俳優が舊劇的の脚本、即ち日本の史劇などに手を出さぬのは愚かなことである、今の歌舞伎式臭味を脱した新工夫でやらねば駄目である。之れを要するに舊劇の藝風から舞踊劇を成し、新劇の藝風から自然劇を成すとすれば、前者は目下の所やはり舊俳優の擅場であらうが、後者は寧ろ新俳優の前途に望をかけざるを得ぬ。(明治40年談話筆記)
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