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個人の寂寞、勝利の悲哀

 

 

 

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     文藝以内と以外

 

谷川天溪氏の幻滅時代といふ説、之れを文藝以内に於いていへば、單に内容と相應じて最も多く自然なる形式に還れといふに歸するであらう。はたまた其の内容は最も多く人生最後の眞理に接近せよといふのであらう。けれども、若し更に進んで、文藝の中から材の空想と、結果の快樂とを拔き捨つるの意をも含むとすれば、茲に文藝は文藝としての存在を休止するに至る。即ち問題は轉じて文藝と文藝以外の社會現象との關係となる。一言以て掩へば、非文藝時代といふに約まる。文藝は夢幻の如きものといふの意で、段々に其の裝飾の衣を脱ぎすて行つた結果、赤裸々に近い身とはなつたが同時に文藝の閾を通り越して宗教の門に立つてゐたといふのは今の蘆花君などの地位ではないか。詮ずるに眞實自然の文藝を要すといふと、文藝を見すてゝ宗教に之くといふと、何れが天溪氏のいはゆる幻滅時代の十九世紀であらう。(明治四十年二月)


 

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文藝以内と以外|文頭

 

 

 

思ひより