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個人の寂寞、勝利の悲哀
我が評論壇に個人主義、本能主義が喧傅せられてから、もう幾年かになる。其の間にいはゆる宗教的傾向も現はれて來た。而して綱島梁川氏の見神の説、伊藤證信氏の無我愛の教などは此の傾向の一頂點に戴いた冠の如きものであつた。
いかにも見神の説や無我愛の教には、一種|寂《さび》しいながらも温かな、光明、平和の氣が含まれてゐる。理は説くを須ひない、たゞ此の氣脈手障りが我等をしてやがて宗教的といふ味を感ぜしむる所以である。併しながら、一般の思想界、少なくとも個人主義、本能主義に今さらの如く胸を騒がした社會から言へば、其の個人主義、本能主義といふ理由からして直ちに宗教的感味に醉ひ到らんことは、餘りに飛躍に過ぎてゐる。
思ふに、今の宗教的傾向が直ちに前の個人主義本能主義から連續若しくは反動せられて起こつた現象であると見るのは僻論である。よし少數の此の如き事例はあり得るとするも、それが大勢では無いと察せられる。今の宗教的傾向には、もつと違つた、恐らく本能主義、個人主義よりも古い、廣い源因が我が邦に存してゐたのであらう。 個人主義、本能主義の要求が、道徳といふものゝ存立してゐる限り現在の社會に〓[#「厭」+「食」]飽せらるべきものでないとすれば、そこに煩悶が起こる。此の如き煩悶の内容は不平、怨嗟、破壞である。
また或る程度に於いては、一時的、一局部的に個人本位、本能滿足の要求が折伏なくして成就せられるとすれば、そこには征服の喜び、勝利の誇り、自大の意識に伴ふ快感があり得る。
以上二面の現象の如きは、最も著明なる個人主義、本能主義の次の階段として起り來たる結果である。併し吾人が茲に説かんとする題目は更に其の次の階段の出來事である。極端なる個人主義が、動搖して終に宗教的結果に到達する前には、更に一段の曲折を要すること、多數者の上に見るべき心理的事實と信ずる。
斯くの如くして個人的傾向と宗教的傾向との中間には尚ほ複雜なる過程を要する。此の過程を眞に踏み了へた後でなければ、前者の傾向と、後者の傾向とは確乎として相接し相移るものではあるまい。而して吾人は實に此の中間の過程に盡きざる文藝の源を見出だすと考へるものである。
個人主義、本能主義の結果は或は怨嗟不平の煩悶となり、或は征服自大の喜びとなる。されども斯やうな境地に直に突入し得べしと思ふのは、稍粗大の考である。怨嗟不平の煩悶、征服自大の喜び、其の孰れかに脚を立てゝゐる今の社會が、進んで宗教的光明に接せんとする前には、是非とも今一たび闇黒の水を潜らざるを得ない。闇黒の水とは實に、怨嗟、不平、征服、自大の情を恣にするの底より、寂然として湧き上るべき一道の悲哀感の謂である。此の悲哀の泉に掘り到つたものにして、始めて個人主義、本能主義の之く所を極めたものではないか、眞に精神上より此等の思想を閲歴したものではあるまいか。
吾人が文藝の不盡の源といつたのは、此の悲哀の泉に汲むの意である。此の點から言へば、個人主義、本能主義の如きは、人世ある限り窮極のものに非ずして發足のものである。結果成就の眼を以て見るべきものではない。之れを現當至極の主義の如く唱説するの徒は、事物を時間的に見ることの出來ないものであらう。
個人主義、本能主義の核心には悲哀、寂寞、荒凉の調を藏する〓[#「こと」合略仮名]斯くの如しとすれば、純なる宗教の力は此の點から働き始めるのである。我等は此點に達して、始めて仰いで宗教に頼らんとするの情を發する。此の悲哀、寂寞、荒凉を轉じて平和となし、光明となるものは、宗教と名づくる一團の現象の外にあり得まいと思はれる。
文藝は却つて此の悲哀、寂寞、荒凉を誘ふ者である、光明、平和を生命とせずして、悲哀、寂寞を生命とするものである。我等が本能自然の途を追うて往くとき、人生の如何に悲哀、寂寞なるかを感ぜしめるのが文藝の擅場ではないか。個人主義に根ざした近代の文藝が、其の裡に一種の黒く底光りする、冷《つめ》たい手障りを有して、解脱感を人に與へるよりも、寧ろ益々人生を心細いものにして見せるといふ氣味であることなど、前段の理を證するものと見られやう。
之れを要するに、今は既に個人主義、本能主義の歡喜を説くべき時でないと共に、之れが解脱を説くのも容易の業ではあるまい。今はむしろ之が悲哀、寂寞を説くべき時ではないか。而して是れ正に一代の思想が最も文藝に利するの秋ではないか。
先頃徳冨蘆花氏の『黒潮』と題する雜誌に、「勝利の悲哀」といふことを論じてあつた。捉らへ得て好題目といふべきであらう。吾人は前述の理由からして此の語に甚深の意味あることを覺える。論者が同じく年末に出した著書『順禮紀行』よりも。此の一文若しくは此の一句に遙に多くの感味があると思ふ。たゞ論者は之れを宗教家、經世家の態度から言つた。吾人は之れを文藝と相關せしめて其の妙を見る。又蘆花氏は之れを日露戰爭の後と相關せしめて論じた。戰勝の誇りに歡喜してゐるものをして其の底の悲哀を感ぜしめんといふ。古くは熊谷蓮生坊の昔から、近くは兒玉源太郎の逸話に及ぶまで、げにも戰勝の血に塗れた手を解いて悲哀の珠数をつまぐる自然の人情には眞理がある。併しながら吾人は寧ろ根本に於いて異なる意見を持してゐる。日露戰後、戰勝の歡喜に幻惑して宗教的理想の境と益々相遠ざからんとするが如き人々は初めから戰勝の悲哀といふが如き精神的福音に耳を傾け得るものとも覺えぬ。また國家といふ傳來の生存形式を保持するを以て任務とする彼等に取つては是の如きは、軈て難きを人に強ゆるものとも思はれやう。
然らば現代の精神文明と浮沈を共にし得る階級の人々に向つて之れを唱へるものとせんか。斯やうなる階級の人々は恐らく論者の考ふるが如く甚しく日露戰爭の結果によつて其精神を支配せられてはゐまいと思はれる。此の政治史上の大變事に對する我が精神界、思想界の感覺は、むしろ遲鈍に過ぐるほどではなかつたか。精神物質兩界の交渉の疎濶なる〓[#「こと」合略仮名]、我が現時の如きは蓋し多く例のない所であらう。詮ずるに喜んで蘆花氏の福音に聽かんとするが如き社會は、戰勝の悲哀を説くを要するほど痛切に戰勝の歡喜に魅せられてはゐないのである。此の意に於いて、吾人は蘆花氏の説教の、勞多くして用少なからんを恐るゝものである。獨り之れを日露戰爭以外、個人主義、本能主義等と相牽聯して生じたる精神界の現象について言ふ時は、個人の寂寞、勝利の悲哀といふ語は、生命となつて流動する。個人の戰に勝ちたるものをして、其の奧に横たはるの悲哀に觸れしめよ。此の如き意味に於いて始めて「勝利の悲哀」の生きたる福音を見る。(明治四十年二月)
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