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文學入門者に
如何にして文學者たるべきか、此の問題を解くには先づ文學者は如何にして文學者に成つたかを考ふるが第一である。ところが從來の文學者は十人十色であつて、殊に文學者と云つても詩人になる人があり、小説家になる人があり、批評家になる人があつて種々樣々だから人に依つて皆その〓[#「徑」の「彳」を「シンニョウ」]路を異にして居ると思はれる。或人は始は政治家にならうと思つて來た、從つて自分の修養時代は專らその方面の學問をし、世間の事柄をもその方面の眼を以て注意したのであるが、それが何かの機會で小説家になつて了つた。而して相應に成功したといふ人が西洋にも澤山あり、現代の日本の小説家中にも見受ける。又或人は同じ文學者の中でも作者にならうと思つて居たのが後になつて批評家になつたなどいふ人をも屡〓[#踊り字「二の字点」]見掛ける。特に最初は文學者にならうなどといふ心掛があつたのではなくして、然も後に立派な文學者になり了せたといふ人は極めて多い。或は大多數の文學者が皆多少然ういふ經歴を持つて居ると云つても差支えない位である。旁々以て始めから文學者にならうと志し、さて如何にして文學者たるべきかと工夫する例は寧ろ稀であらう、是一方より言へば自然の境遇が文學者を造るのであつて、最初の志が必ずしも文學者を造るものではないといふことを證明するのである。又今一つ他の方面から見ると既に世に言ひ古るされた、詩人は生きるゝものであつて造らるゝものでないといふ言葉にも半面の眞理がある。是は又人間の天分が文學者を造るのであつて最初の志が文學者を造るのでもなければ境遇が文學者を造るのでもないといふ事實を證明するものである。恁う考へて見ると如何にして文學者たるべきかとの問題は餘程困難な問題である。自分はたゞ茲に普通に如何なる文學者にも必要であらうと思はれる條件を取り出して見ることゝする。
先づ第一に、古今は勿論、東西に亘つてあらゆる文學者が、其文學者になつた後にぶつかる困難は何時も生活問題である。即ち先づ第一に如何にして活く可かといふ問題が何時でも隨《つ》いて廻る。だから若し始めから文學に志して將來の行く道路をも用心深く考へて行くものに取つては、此の問題は必ず忘れてはならぬものである。
文學者になるものは生活上の餘裕があつて、財産があるとか、遊んで暮らせるとかいふのが最も必要であると唱へる人もあるが、是も一方に偏した論であつて、兎角左樣な身分の人は古來大文學者にはなれない。前に言つた自然の境遇が文學者を作るのと反對に、最も痛切な利害を感ずるものは第一生活問題、次ぎに生殖上の色欲問題乃至名譽問題といふやうなものであるが、此の第一の重大問題たる生活問題に打當《ぶつか》つて、それと激烈な爭闘《ストラツグル》をやつた人でなければ境遇上|如何《どう》しても活人生の表裏兩面の複雜した有樣に身自ら觸れる機會が少ない、呑氣に鷹揚に單純に育つて行く。箇樣な經歴の人はあまり大文學者になれぬやうである。
此點からして我々は文學者たるべき眞の必要條件として、寧ろあらゆる生活難と闘ふこと惹いてはその結果としてさま/″\な境遇の變化に出會うこと、從つて曲折限なき人生の情味を實驗すること、一言にして掩へば活社會に浮沈するといふことが、文學者に取つて非常に必要な條件であらうと思ふ。雖然《けれども》かやうな條件を提出する時は必ずその半面に多くの犠牲者を提供せねばならぬ。即ち嵐に逢ふときは弱い植物が吹き折られると同樣、幾多の負傷者中絶者あるを免れぬ極めて危險な道であるから、若人道とか、社會經營とかいふ方面の眼から見たら、箇樣な〓[#「こと」合略仮名]は青年者に向つて勸めるに忍びぬことであるかも知れぬ。勿論社會が逼迫して行くに從ひ何れの方面にも生活上の問題は伴ふけれど、文學に於て特にその傾向が甚しく、殆ど文學と生活難とは必然關係とでも云ふべき程の性質を持つて居る、箇樣な状態であるから一種の折衷策、又は安全策として前述の生活上の餘裕あることを必要條件とする説も出たのであらうが、然しそれは到底完全なる文學者を造る道ではなからうと思ふ。以上總括すれば文學者たらんとするものは場合に依つては餓死と戰ふをも厭はぬといふ決心が必要であらう。
二
箇樣な第一の決心が付いた上、文學者にならうとするものは如何なる方法を取るべきか、最初に考ふべきは前に言つた詩人は生るゝものといふ問題と干繋して、本來文學者たるに適する天分を有するか否かを研究する〓[#「こと」合略仮名]即ち自己を研究するの必要がある。何れの職にも適不適はあるが、文學程特別に天分を要するものはない、修行さへすれば、或る程度まで進み得る、商人や學者などとは趣を異にして居るから、先づ何よりも天分を見る〓[#「こと」合略仮名]が必要である。けれども自己研究は必要なるに拘はらず頗る困難で中々自己を知るといふことは容易に出來ることではない。分明《わか》らねばこそ古來の文學者にして全然《まるきり》違つた方面から入り込んだ人も多く、又現に成り了せて外からは天晴れな文學者と見られる人ですらも、自分の心の底には依然として他の職業が適して居るのではないかと思ひ惑ふやうなこともあるのである。眞の自己は死ぬまではつきり[#「はつきり」に傍点]分明《わか》らぬものであるかも知れぬ。けれども大凡の見當は注意してやれば付くものである。たとへば自己の生れつき、情熱的の傾向を有して居るとか、推理の力に富んで居るとか、或は又見聞したものが具體して記憶に殘るとか、抽象された理窟の關係でなければ頭に殘らぬとか云ふことは注意して見れば分かるし、又先輩や友人に聞いて見ても大略分かる、少くともそれ位な用意を以て始めねばならぬ。若い時には何人も一度は情も想像も豐かな時代があるもので、その時代に文學がゝつたものを喜ぶといふことは多數者にあることであるが、それ等の若い時分の好き嫌ひは餘り當てになるものではない、今少し立ち入つて自己を深く考へて見なければならぬ。
昔は人の性質を心理學上から多血質とか、膽汁質とかいふ風に分けて、何の性質が何《ど》の方面に適すると云つたものであるけれど、然う鮮明《はつきり》と區別の付くものではない故、寧ろ事實的に漠然と言つて置く方が適切と思はれる。たとへば頭の工合の偏した傾のある、言ひ換ふれば性癖の特色の非常に鋭く出る人、從つて多くは肉體上の發達、顏の表情等にも自ら特色の表れ來る人、一言にして云へば、友人から那の男かと直ぐ顏かたちのあり[#「あり」に傍点]/\思ひ出される樣な強い特性を持つた傾向の人は作者になり得るやうな傾がある。近代の文學は一面に於て如何しても作者の個人性の發現であるから、同じ客觀の天地を見るにつけても如何《どう》してもその作者のにほひ[#「にほひ」に傍点]といふものが出て來る、隨分むき出しに赤裸のまゝで作者全體が出て來る。それが何も作者が作者として出て來るのではないが、作者の頭の中に成り立てる天地人生として出て來るのであるから、最後の優劣はその天地人生を映して居る主觀の鏡の比《くら》べくらといふことになつて了ふ傾がある。だから文學者として最後の勝利を得るものははつきり[#「はつきり」に傍点]と自己の特色を持つて他の何人も模すことを得ざる個的《インヂヒヂアル》の、性格である作家の個性の優劣即ち文學の優劣となる傾向を有して居るのである、此點から見ても文學者たらんとする人はかつきり[#「かつきり」に傍点]として他の周圍のものから違つた天性を持つて居るといふ自信を作つて貰ひ度い。又自信でないまでも然うなり度いといふ志望を有つて貰ひ度い。そして自分一個の特別なる點を何處までも保護して大膽に表白して貰ひ度い者である。人間は一面絶えず先入見に支配されるものであるから、動もすれば自分の特性と全く反對な方角等を、只習慣で教へ込まれた等の理由で殆ど盲目的に守つて行き、それに對して本來の特性を却て罪惡か何かのやうに心得て押し、隱し矯め直すといふ傾がある者である。此の性を矯めるといふ傾向は道徳の社會には必要かは知らぬが、今少し廣い深い意味で文學者は寧ろ此習慣を潜《くぐ》り拔けねばならぬ。今までは理《ことわ》りなくして人の言ふことを眞とし、習慣を眞とし、心の底より頻りに出で來らんとするものを却つて罪惡として撲滅せんと考へて居た。然し是は決して撲滅すべきではない、却て是を自覺して特性として擴張すべきものである。大膽な眞面目態度を以て發展せしむることが必要である。と言つたからとて何も野獸性を發展せしめよといふのではない、今少し廣い意味で持つて生れた特性をば大切のものとして保護せねばならぬといふのである。人の眞似をして似寄つたものを作つたとて何にならう。他と違つたものを作つて呉れゝばこそ、新しい文學者も存在の意義を有して居るのである。
是はその特性の一面から見た議論であるが、世間には又不思議に頭の調和の取れた性を持つて居る人がある。聰明鋭敏の人、才子、英雄などといふ人にも有る程度まで是があり、聖人君子といふ側も多くは此の種の人である。偏つた特色はあまり持つて居ないが、其代りあらゆる方面に發達して頭の平均が取れ、何となく人格が確固《しつかり》して間違つた〓[#「こと」合略仮名]をせず、何を相談しても頼み甲斐があり、依頼するに足る傾を示して居る。此れは寧ろ圓滿性平等性の發達した人であつて、此の方面の人は作家としては往々にして不適當な場合が多いと思ふ。かゝる傾向の人で特に情方面の傾を有する人、或は境遇上文學者たるべき地位に在た人は却て批評家といふ側に行く方が適當な場合が多い。然しながら批評家といふ方面に行くには所謂才子的に何でも早わかりがする、そつ[#「そつ」に傍点]がないと云ふ丈では無論足らぬ。文藝の批評家といふものは作者と同じ性質を分けまへしなければ成り立つまい。場合に依ては批評即ち一種の創作である。然らざるまでも批評の根柢には基礎として必ず作品の鑑識がなければならぬ。鑑識を誤つた批評なら千萬言を重ねても空《むだ》である、効は無い。而して誤らざる鑑識は作者と同じ氣持でなければ出來ぬものであつて、只之を前へ突き出して發表する所に作者が出來、鑑識を頭の中に蓄へて、推理の力説明の方法を以て發表する所に批評が成立するのである。圓滿性とはいへ、批評家たるべき人の要する圓滿性は、作家たるべき人の要する特性と同意味に於て所謂聖人君子が有する圓滿性とは一寸違つた所がある。その點でいふと批評家もやはり作家と同じく、物の根本を直觀する力があり、情を以つて物を温めるといふ如き力を有することを必要とする。けれども作家と異るところはその上に理解性が加はらねばならぬといふ點である。理解性の加はらざる批評は面白いことがないでもなけれど、時としては全く批評を成さゞる場合がある。批評と云へば必ず我々が作品の價値《ねうち》について疑を抱いた場合にその疑を解くだけの説明力を持つて呉れなくてはならぬ。その最後の判斷力のない批評は只の印象記にはなるが批評には物足らぬ。かゝる最後の判斷力即ち人をして理解せしむる力は、その批評家の説明力、理解力に待つ外はない。感じて而して説明するといふ二性が備はならねばならぬ。これやがて二者の異る所以、批評家は作家に比して兩面を具備すべきこと、即ち圓滿性に近かるべしといふことである。
三
次に此の研究の次第は修養といふことに及ぶ、文學者たるべき人は如何なる修養をなすべきか。
文學の研究、文學の修養といふことは何時でも矛盾した意味を伴ふ。研究修養といふものは兎角知識上の活動を多分に含む、然るに文學は感納するものであつて、理窟を知つたからとて、文學者にはなれぬ。其點から見ると文學の研究修養には專らその材料とする所の活人生を經驗する又活自然を見るといふことが必要であるは云ふまでもない。けれど他の一面としては他の人が既に經驗した、觀た人生、自然をば今一度經驗することも必要で且つ最も容易な、多數に用ゐらるゝ研究法修養法である。即ち他人の作物を讀むといふこと、理窟よりも先づ作物を讀むといふことが一番手つ取り早い研究法修養法である。然らば如何なるものを讀むべきか、これ我々が、よく尋ねらるゝ問題である。然し詩人たるべき人、小説家たるべき人等皆夫々違ふのだから書名を名指す譯には行かぬが、自分の考へでは現在から讀み始めたが宜からう。研究の是も容易な方法でもあるしするから、先づ周圍即ち同時代の作品を盛んに讀むべきである。之に次いでは西洋ならば前代に進むところであるが、日本では過去に歸るよりも西洋のものを讀んだが宜い、これは日本現代の作物と同時に讀んでも差支えない。然しなるべくは日本現代が大抵わかつた後、西洋の者を逆まに讀んだが宜い。それが十分に纏まつたらば、過去の古い所まで一度は遡つて貰ひ度い。けれども現代より讀み初めると、流石に現代のものだけは我々の血と肉とに密接で面白いけれど、遠ざかるに從つて面白さが薄らいで讀む氣もせぬやうになつてうち讀まずに濟んで了ふ人が多い。然し、かといふて必ずしもそれが累ひするとも云へない。から強ふる必要はないかも知れぬが然し少くとも批評家側の人にあつては遡つて貰ひ度ひものである。あらゆる趣味を解する力を持て居らねば批評の比較判斷が缺けて來る。その上で自分/\の主張として如何なる傾向を有しやうとも差支ない。要は背後に文學の全景がなくてはならぬといふのである。つまり作家たり、批評家たる第一項は作品を盛んに讀むこと、讀むものゝ選擇はと云つたら殘らず、讀むと答へるほどの見識で讀むが宜い。讀めば自づと判斷がつく。厄介だと思つたら友人なり指導者なりを得て讀めば宜い。然し片端から讀んでやらうといふ人には、その必要もあるまい。
作を讀むことに聯つての難問は理論上の研究は如何するかといふことである。古來理論の研究は却て創作の邪魔になるといふ説と、邪魔にはならぬといふ説との二があつて、未解決であるが、近代文學の傾向より考ふるに、或程度迄の理論の修養は必要であると思ふ。科學者たり哲學者たる必要もなければ、又た他の一切の修養を抛つてやる必要もなからうけれど、或る程度迄といふ條件付で必ずややつて置くを可《よし》とする。元來理論の研究はその理論若くはその結論がさう有難いのではない。理論的にものを考へるその中の味ひに價値《ねうち》があるので、結論は甲の哲學者と乙の哲學者とまるで違つて居ても差支ないのだ。唯甲の哲學者は如何にしてその結論に達したるか、といふその〓[#「徑」の「彳」を「シンニョウ」]路を明かにするといふが目的ではない故、哲學者の場合とは違ふけれど、ものを深く見、深く考へる――頭を造るのに一種の滋養分となるのである。
結論は作者一個の直觀、一個の人生觀、天地觀で差支ないが、その人生觀、天地觀が深さを有して來るには一分の哲學的傾向があつて欲しい。哲學者にはならずとも宜いが、哲學者的の深さはつて欲しい。只問題は其の哲學的考察に囚へられて了つて、折角の創作心を破壞する恐れは無いかいふ所に存する。併し結局は其の人の天分と覺悟とに由ることであつて、ヘーゲルはこんな立場からこんな順序に進んで行つた、カントは此んな立場から恁ういふ風に進んだ、併し自分はそれ等を通り越して、彼等以上の所に到達して居るといふ程の見識さへあればよい。從來の哲學者の言に對して自己の不明を恥づるやうでは自ら作品にいじけた色が付く、あらゆる哲學を見下し、それ以上のことを言ふぞといふ抱負あつて然るべしである。これが特に作者の役に立つたといふ理論の研究はないかも知れぬが、一度此れを頭に入れた人であると、深さが付き、根底が出來る。長い競爭の間にはそれだけの基礎根底のある個性の方が如何しても勝つて行く。初めは一寸|巧《うま》いことを云ひ、素晴らしい所を見せるけれど、人工で修養した基礎が足らねば直ぐ色が褪せ、動いて行くことが出來なくなり、限りなく奧から取り出す力が衰へる。これは現今の作者間にも表はれて來る傾向である。無限に自己を發展させるだけの自覺、基礎を造るには一通り學問上の修養が必要であることは言ふまでもない。理論が邪魔になるとよく言ふけれども、邪魔になるまでやる必要はない。又理論の研究をやつたが爲に冷却して了ふといふやうな人は心細い人、作者たり得ざる人である。持つて生まれた本性は中々それくらゐの事で變ずるものではない。以上を總括していふと、以後の文學者には如何にして人生自然を深く見るべきか、といふ工風が最要の條件でその助けには哲學的の修養が大なる効果を齎らすといふことになる。
四
次に活自然、活人生を見るに、自ら實驗するといふことは容易のことではない。他《ひと》のやつてるのを傍觀するので澤山だ。又それしか出來ぬといふ人がある。是は一應尤もではあるが、然し事實に照らして見るに、作品には何處かに自己の經歴した味がなければならぬと言つても宜い、近代の作品に至りては特に然りである。自ら經驗せよと云つたとて何も形をその通り經驗せよといふのではない。中の情味を最も痛切に利害生死と聯ねて感じた者であつて欲しいと云ふのである。以前は文學は所謂戯作の範圍を脱せざると同時に、人生若くは人情の研究といへば何時でも花柳狹斜の事情に通ずる〓[#「こと」合略仮名]ゝ思ひ、徳川文學の餘流に漂つて居るに外ならなかつたが、そんな意味でなく今少し廣く眞面目な人生の研究、千變萬化する世態に出入りするのが必要である。なるべく多く全人生を閲歴して來ること、而してその足らざるを傳聞若くは傍見によつて補ふといふこと而して此等を凡て痛切に思ひ廻らすといふことが必要であらうと思ふ。
以上の外數へ上げたら尚他にもあるであらむが、要するに大略先づこんなものであらう。而してこれ等のものはすべてその修養し得た所を直に模し、追隨するといふが目的でも何でもない。一度自己といふものゝ中に消化させて了ひ、全く新しいものとして新に出立すべきものであつて、是等の修養の要目《かなめ》となるべき點は他の何人とも異る自己を如何にして發展せしむべきかといふ同題に歸するのである。而して如此如何にして自己を發展せしむべきかとの考へは是を必ずしも作する時の瞬間の心持とする必要はないかも知れぬ。あまりに此心持ちを出し過ぎると却て囚はれて了ひ、その反對の、如何にして他を模倣すべきかといふことと同じ結果になつて了ふ。共に藝術の邪路である。その瞬間の氣持ちは只自己が描かんとするものを如何に眞面目に如何に忠實に寫さんかと心掛れば足る。その代り平生の修養として自己獨特の天地を造るといふ覺悟がなければならぬのである。(明治四十一年九月話談筆記)
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