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充實を欲する社會

 

 

 

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     東西新文藝の對比

 

間は大地にわいた蟲とは眞理ある言葉であらう。土に根を張つた樹木が大地の一連續に過ぎぬと等しく、人間も結局は大地の一連續である。肉體先づ土に連なつて、精神がさらに肉體に連なる土と肉と心と、三つはやがて一つ海水の浪となり泡となる姿とも見られる。

肉體が大地を離れて存じ得ざるの理は、何人といへども容易く認めるのであらうが、精神といふ不思議の一體が肉體と離れぬものであるとは、或は承知せぬ人があるかも知れぬ。學説の上に於いてすら、肉心兩體説が盛り返し盛り返して、今なほ學界の思想の一半を領して居る。併しながら吾人みづからは肉心一體の説を信じてゐる。肉體即精神、精神即肉體、兩者は一體兩面の發相に外ならねば、決して夫の貝殻の中に宿借蟹が棲んでゐるやうな關係ではないと考へる。

斯くの如くして人は到底大地の支配力から免れることが出來ない。大地は肉體を己れの欲するまゝに形成し、肉體は更に之れを精神に傳へる。言ふこゝろは、氣候風土等の地理的要素が生理上から我等を支配し、生理上の變化は直ちに心の上に影響せねば已まぬといふ義である。勿論此の順序を逆にして、人間が大地自然をも或る程度までは變形する。しかし長い間の事跡を見ればそれは誠に些細のことである。大體の調子はたゞ大地自然の欲するまま、人は知らぬ間に之れに征服せられ統御せられて行く。此の點から觀れば人間は小さいものではないか。地理が生理を支配して、生理が心理を支配する。要するに生理心理の化合體たる人間は地理によつて左右される。此の假定が即ち本論の發足點である。

地理と人間、此の命題は直ちに一飜して地理と文明といふ問題に轉ぜられる。畢竟地理が人間を左右すればこそ、其の人間の産物たる文明が地理によつて劃られる。文明の程度なり特質なりが夥しく地理によつて相違するの事實は、我等の現に睹る通りではないか。中にも文明の特質が地理によつて違ふことは本論の重要なる一前提である。

夫の國といひ懸といひ村といふが如き區別も、吾人の見地からすれば、之れを自然の本に還して、地理的相違の自らの結果とし、茲に最後不動なる天の計畫を見んとするものであるが、併しながら國といへば既に歴史と結合し經濟と結合し政法と結合し、今日社會學者等が之れを定義するに當たつても專ら此等の人爲的方面によるを例とするが故に、此の論に於いては必ずしも紛らはしい國といふ言葉を用ふるを要せず。たゞ著しく文明の特質を殊にせる諸民族といへばそれで十分である。即ち種々なる民族の種々なる文明は其の相違の根本を地理的事情に發する。

民族といふにも或は先天後天の論があらう。「生まれながらにして民族の血が違へば、其の血に咲く文明の花も異ならざるを得まい。文明の異同は先天的なる民族性の異同に基づく」といふものと、「民族性の相違はやがて後天的事情の相違の集積したものである」といふものと、吾人は茲に兩説の批評をするには及ばぬ。起源は何れにありとするも、歴史あつて以來民族性が地理によつて變ずることは事實である。少なくとも其の一半に於いて、民族性は地理のために左右せられる。橘が一たび淮を渡れば枳に化するの理であらう。しかのみならず民族の血は恰も夫の鷄を養ふものが雜種によつて變形者を産せしめ得る如く、人爲で其の異同を消滅せしめ得る。今後何千年の歴史の中では、世界中の民族の血が一種に歸すること、理論上不可有とは何人も言ひ得まい。即ち文明の種々なる根本を民族の血の相違に置く限り、理論上の結果はまた民族の血と共に世界の文明全く一に歸するの日を想像し得らる。

然し吾人は上來の論によつて、此の相違性よりも更に有力な根據を地理の上に求めた。人力で變更せられる可能範圍の最も狹いものは地理上の事情である。或度以上は絶對に人巧の加はることを許さぬとも見られる。言ひ換へれば歴史の力年月の力を以て變改せられる程度の最も少ないもの、すなはち最も不動なる根據を地理に求めて、之れが相違に應ずる文明の相違を最も拔き難い種類の特質と見るのである。地理の相違から來た民族文明の特質は、寒暑山川の易へがたきと等しく易へがたいものであらう。

吾人は此所まで論じ來たつて、所謂東西文明の相違といふことに根本の是認を與へると共に、其の融和といふ意味の頗る複雜なるべきを想ふの情に絶えぬ。就中重要なる文明の部門たとへば道徳といひ宗教といひ文藝といふが如きものに於いて民族的相違の極めて顯著な西洋と東洋とが益々相接觸せんとする。其の結果は今や啻に日本のみと言はず、世界の各國を通じて此の兩樣式の文藝、道徳、宗教が如何に相作用し、如何に相反撥するかを試驗するの必要を感ずるに至つた。世界の文明を擧げて一の試みの時代に達したとも言はれる。

しばらく是れを文藝のみに就いて言ふも東西の文藝は果して如何なる度合まで相和して一となるか、變形し得る部分と共に變形し得ざる部分があるか如何。恐らく今日の所では、何人といへども此等の疑問に明確なる答は與へ得ないであらう。即ち一世を擧げてたゞ試驗の結果を見んとしてゐる。敬虔なる錬金者が坩堝に金を投じ丹を投じて、其の結果如何と凝目するの趣である。

さて吾人が茲に簡單なる一觀測を加へんとするのは、二三十年來、東西文藝の特質として彼此互に相收容せんと試みられた諸點についての概略である。先づ之れを西洋人が東洋の文藝、就中日本文藝の特色として數へるものより言へば、彼等は繪畫に於いて最も多く之れを見た。是れは言ふまでもなく、主として他の文學音樂等よりも之れに接する機會多く、また解し易く、且つ特色が認め易いといふ理由から來たのであらう。彼等は北齋の繪に、人物活動の、其の動き行く瞬間の千態萬状を見た。彼等は歌麿に色彩を見、光琳に摸樣を見、雅邦に精神の暗示を見た。けれども之れを要するに今日の歐人等が日本美術の動かぬ特色と數へるものは第一、デコレーチヴ即ち裝飾的、第二サゼスチーヴ即ち暗示的、第三シンプリシチー即ち單一の三に概括することが出來る。而して彼等の或るものは此の特質を嘆美して自家の樣式中に取り入れんと試みた。夫のアールヌーヴォーの模樣美術が果たして光琳から脱化したか否かは別とするも、印象派、殊に其の一派といふ點彩派の如きは尠なからず色彩模樣の上に日本畫の影響を受けたと稱せられる。またホイッスラーが畫の屡々日本の墨畫の簡疎單一な刷毛づかひを模し、若しくは一景中に突然他景の一部とも見るべきものを闖入せしめて、一幅に一幅以外の天地を暗示するの構圖法を學んで日本畫の暗示的趣味を加へんとした等も其の適例である。而して此等の試みが凡て成功してゐるとは無論言はれぬとするも、少くとも其の内の幾部はたしかに歐洲の畫界に一新調を導いたと言つてよい。しかもなほ之れがために東西を打つて一丸とした新畫風が起こつて、東西の別が薄らがうとはまだ容易に思はれず。啻に東西の別が薄らぎさうにないのみならず、其のいはゆる日本美術の特質といふものすら、我等の眼から見れば、動々もすれ技巧樣式の皮相に止まつて、根本の精神に存する特色に觸れて居らぬ嫌ひがある。例へば夫の閑寂といふ一種靈妙の味ひの如き、最も多く我が過去の文藝に存する特質たるに拘はらず、其の消極的にして單一なること、言はゞ佛教思想の寂淨なる一部に本邦固有の穩和、小化、可憐の風致を加へたやうな趣は、尚ほ多く歐人に研究せられて居ない。

更に飜つて日本に於ける西歐文藝の影響を見れば、先づ右に述べた日本文藝の特色といふものが、其の裏面に直ちに日本文藝の短所を指摘して、暗示的といひ裝飾的といふことは動もすれば現實自然の分子を缺くといふことになり、單一といふことは同時に貧小といふことにもなる。而して西歐の文藝はさかさまに現實自然の分子といひ、感想の複雜強烈といふことを最も著しい特色とするやうに想はれた。此に於いてか我が明治の文藝は、第一、寫實的、第二、思想の複雜、第三、感情の強烈といふが如き箇條を彼の土から學ばんとした。今尚現に文學も繪畫も盛んに之れを試みてゐる。新文藝家の眼中には殆んど舊來の文藝無きが如く、ひとへに新風を西歐に得んと努力するの状勢は、一部の人をして是れ我れを亡ぼして歐化し了せんとするものではないかとまで氣づかはしめてゐるが、其の中心の意味は作品中の現實自然を更に、充足し、感情を更に強くし、思想を更に複雜にするの工風を西歐の文藝に學ばんとするに外ならぬ。

而してたとひ此の試みが成功するとしても吾人は之れを以て直ちに東西文藝を一に混じ得るものとは信ぜぬ。結局は斯くの如き工風もまた樣式の沙汰に歸して、其の見るところの現實自然、其の強烈なる感情、其の複雜なる思想は、皆中身に於いて依然たる東西相違の特徴を有するに至るのでは無いか。而して此の特徴の中にこそ、國土民族に根ざして易はらざる、文明の特質が含まれてゐるのでは無いかと想像する。之に因つて見れば、寫實といふこと、乃至強い感情や複雜な思想やは以て日本文藝本來の面目を埋没するに足らない。一段の深處には不易と見える民族文明の根據が殘つてゐる。今の時は宜しく膽を放つて此等の新途に邁往すべきであらう。邁往して悉く西歐と同一の域に達し得ると假定するも絶えて憂とするに足らぬ。たま/\以て我が文藝の樣式を豐富にし得たると祝して宜しい。

たゞ茲に、吾人が最後の條件として繰り返さんとするのは寫實以上、強烈な感情、複雜な思想以上に一歩を轉じて、中身たる現實そのもの、思想感情そのものが有する東西特性の相違に觀到するの工風といふことである。これが出來たら、同じく寫實を試みるにしても思想を複雜にするにしても、開眼の利を得ることが多からうと思ふ。

終りに、我が文藝に於ける如上の試みの比較的多く成功してゐるのは、言ふまでもなく文學である。之に次ぐものは繪畫であらう。併しながら繪畫に於いても日本畫の如きは此等の新しい試みがまだ殆んど全く成就の緒について居らぬ。例へば寫實に關していふも、現在の日本畫にはまだ殆んど新しい寫實といふものが無い。寫實を叫ぶの必要は十年前と聊かも變らぬ。然るに世には早くすでに日本畫の寫實を醇化せよと説くものがある。醇化といふことの意味も容易には分からぬが、日本畫にはそも/\醇化する程の寫實がまだ無い。寫實とは死んだ形似の模擬では勿論ない。生きた現實、生きた自然を十分に圖中に填充するの謂ひであらう。西洋の論者が日本の美術を評して「リアリチースが乏しい」といふのは此の意味でなくてはならぬ。斯やうな意味で新たに現實を加へ得た日本畫が幾ばくあらうか。日本畫が眼前に試むべき新工風の第一は、依然として寫實にある。更に/\思ひ切つて眞の寫實の呼吸に觸れるまで進むべきではないか。生きた裸かな現實自然に行き逢ふまで進んでこそ新藝術の途は開けるのであらう。之れを要するに今の文藝は東西對比といふ意味に於いて試驗の時代である。大膽に思ひ切つて新しいものを試みるのは此の秋である。(明治四十年九月)


 

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