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今の文壇と新自然主義

 

 

 

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     梁川、樗牛、時勢、新自我

 

には高山樗牛蚤く世を去り、今はまた綱島梁川が蚤世した。兩家ともに不惑に滿たざるの齡を以て、等しく其の晩年に一種の心熱、たとへば樗牛熱、梁川熱ともいふが如きものを世に起こした人である。

想ふに梁川をして尚十年の命を長くせしめたら、彼れは如何に變化し行いたであらうか。言ふまでもなく彼れの感想は著しく賢實の色を帶びてゐる。燃え上つた〓[#「焔」の異字体]の常に動きゆらいで、光鋩あたりを射るものとは趣を異にする。彼れの光彩は、たとへば熱鐵の、打つに從つて火花を發するやうなものであらう。何處かに堅實といふ感が伴ふ。けれども矢張り灼熱した鐵の、赤いところは一體である。赤い、美しいそれで熱を有する。若しハルトマンが譬喩を假りるなら、文藝に加ふるに宗教を以つてした、否恐らくはなほ多分に文藝を有して、是れより漸く將に宗教を加ふること多からんとするの境に立つてゐたものではないか。吾人が梁川の遺業に對して最も思ふところは此れである。 されば今吾人をして如上の事實から一歩を跨がしむれば、梁川が宗教的生涯の未來は、中に徹底超越の氣を増すと共に、外面の光澤漸く散じて、色彩の赤く強い所が、白くなり淡くならねば休まなかつたであらうと察する。言はゞ白熱の域に達する。文藝の人梁川は、此に至つて蝉脱し盡して宗教の人梁川となるのであつたらう。棺を蓋うたまでの梁川は、之れを純宗教の人として見るには、尚あまりに色彩に富みすぎてゐた。「敬すべき梁川」は同時に「美しい梁川」であつた。先頃の雜誌『新人』に、宇佐美氏といふが追慕の情を捧げた一文を讀み寂光の語を以て故人大悦後の心境を形容するといふに至つて、内外對照の一面が此にあることを思うた。故人が所謂法悦心内の光景は、廓落として物無く方無き所に遍照するの光か、はた爾々たる萬象の上を蒼く靜に流れる光か、何れとしても其の佛者がいはゆる寂光淨土の景を想望するものたることは疑ひあるまい。是れが實に内面の梁川である。

然るに外に見はれた梁川、『病間録』『回光録』に見えた梁川は、更に別趣の面目を有し てゐる。人は彼れが文藝を以て宗教を包んだといふ。併し文藝で宗教を包むといふことは、一方から言へば、殆んど凡ての宗教の發相に於いて然りといはれる。教會寺院といひ、經文といひ、讚歌といひ、香華音樂といひ何れが宗教を包むに文藝的要素を以つてしたものでなからう。吾人は梁川の文藝に於いて是れよりも以外の意味を見出す。即ち彼れの文藝は、文藝みづからとして、却つて宗教を蔽はんとすることすらある。就中其の色調の富麗技巧の精妙に於いて、天際から漏れ來る寂光の影よりも、むしろ人界生息の氣を多分に有する花の爛〓[#「〓」は「火」+「曼」]、姿態の縦横と多く接合する。此の意味に於いて彼れは尚みづ/\した、美しい梁川である。而して更に幾年の齡を假し得たなら、彼れは其の自然の趨くところに從つて、富麗を忘れ精妙を忘れ、内外ともに一朗たる大寂光の境に入つたであらう。少なくとも吾人一人は斯く信ずる。

梁川に比べれば、樗牛の追想は全く状態を異にする。樗牛の文藝も同じく色彩絢爛姿態横生は勿論であるが彼れは燃え上る〓[#「焔」の異字体]の如く、常に動いてゐた、從つて消えることも早かるべき運命を有してゐた。彼れは必ずしも一部の人のいふやうな思想の人では無い、殆ど全身を擧げて文藝の人であつたらしい。彼れは畢竟我が邦に於けるスツールム、ウント、ドラングの驍將であつた。由來彼等は文藝の理想を以て直ちに實際界を支配せんとする、こゝに矛盾が起こる破壞が生ずる。しかも是れを行るに情熱を以てするが故に、あらゆる傳來の事物は是れに觸れて〓[#「火」+「毀」]傷せられる。さて其の跡に殘るものは、荒廢の中に立つて一切を自己中より建設し來たらんとする、所謂オリギナールである、ゲニーである。併しながら、悲しいかなスツールム、ウント、ドラングは此所に至つて其の極限に達する。他者を破壞せんとするの自己と、破壊後に展開せんとするの自己とは、おのづから態度が違はざるを得ない。或は一歩を進めて、物自體が違ふかも知れぬ。スツールム、ウント、ドラングは他を破壞せんとする自我の矢さけびである。彼等はたゞ破壞を目的とする毀つて零に至らんことを目的とする、其の意味で消極的といつてよろしい。彼等も固より標幟としては自我の新展開を説かぬでもないが、其の自我の如何なるもので、且つ如何にして展開し行くかについては、何等の豫見もない。たゞ漫然として新自己を展開せんとする。此に於いてか、或るものは轉じて増上慢、高慢狂の自己病となり、或るものは走つて感情一方のセンチメンタリスムに入る。畢竟新しい自我の準備が始めから調つてゐない爲である。蓋し新しい天地を展開せんと工風する自我は積極的でなくてはならぬ、零を越えて新たに一から數へ上るものでなくてはならぬ。破壞の自我とは用意が全く違ふのだ。スツールム、ウント、ドラングは此の用意を缺いてゐる。樗牛も此れと運命を共にしてゐた。

振り返つて我が文壇の近事に思ひ會はすと、樗牛熱の時代が早く過ぎ去つて以來人は漸く一から數へ上る建設的態度を喜んで、そこに樣々な自己展開の工風をする。落ちついて來た、靜に深く考へて、新しい土臺を築かんとして來た、つまり眞面目になりかけたのである。其の結果としては、ロマンチックの誇張的な感想文辭に若い血を沸かすものが少なくなつて來た。淺薄なセンチメンタリリズムに隨喜するもの、口先ばかりの狂熱がり、革命がり、さては巣についた雌鷄の、翼を張つてふくれると同樣に無闇と我執我慢の羽ばたきを聞かせて、それを自己の擴大などと心得た人々の、漸く時勢に推し殘されて行く趣が見える。之れを要するにスツールム、ウント、ドラングは常に反動を意味し破壞を意味するがゆゑに、一時的のものである、永く水平線に据わるべきものではない。我が思想界の今の水平線は、文學に於いて所謂自然主義、宗教に於いて梁川一家の見神論、哲學に於いて人間本位のプラグマチズム、此等に新しい自我の展開、乃至其の工風を見るところに存する。十を毀つて五とし三とし零とせんとした前期の思潮に對して、今は新たに第一より出發し、以つて五に到り十に到らんとする。前者の夢の尚ほ醒めないものが、徒らに誇大、空虚、破壞、小熱狂、小主觀、慢心我の窩中に出入りしてゐる間に、時勢は頓着なく移り行いて、彼等を既に業に一時代の後に遺却せんとする。蓋し今後のあらゆる努力は如何にして新自我を建設し展開するかといふ一題に集中するのであらう。

[#行末揃え](明治四十年十一月)


 

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情を盡くしたる批評