・修行から学ぶ
先を見て考え行動し、待つことから何も生まれない・・・・
・不安は力・・・
不安だから色々なものを学ぼうとする。

修行から学ぶ!
料理の修行は厳しいと皆さん思っておられるとおもいます。徒弟制度の厳しさは、皆さんが考えておられる様に厳しいものです。当時私は、関西で一、二の料亭で修行していました。 もちろん一見様はお断りです。料理の道は戸惑う事ばかりで厳しさも想像を超えるものでした。先輩に意見を言える雰囲気ではなく、白だと言われれば黒でも「ハイ!」 と言わなくてはならない世界なのです。料理の世界は封建的で厳しい世界ですが、常に先を考え、今何をしなくてはならないかを要求される世界でもありました。
その様な日々を過ごす中で相手の気持ちを読み取れる様になっていったのです。ある意味、日々が勝負の世界でもあります。常に準備をして機会を待つと言う言葉がにあう世界です。 教えてもらえないから知恵が働き、どの様な小さな事でも見逃さない精神を植え付けられます。
教えてもらえず叱られてばかりなら皆さんどう思われますか。 きっと悲観的になると思います。少しでもその様な気持ちになれば、自分を見失い自信を失います。でも安心してください。少し見方を変えるだけで解決できるのです。

私が新人の時は鍋洗いの日課でしたが、鍋を洗いながら耳を傾けて気を配り、洗い場に下がってくる鍋にこびりついている煮汁を舐めて味を覚え、 横目で先輩の行動から色々な事を学びメモを取る日々です。それを怠ると、仕事を覚えるチャンスを自ら放棄することになります。何も教えてもらえない、だけど無言で教えてくれている。 そう考えると悲観的な考えにならないで前向きになります。そして、学ぼうとする強い気持ちが自然に生まれ行動に移せます。 待ちの姿勢からは何も生まれず、考え行動する事はどんなにハードルが高くても乗り越えられる事を教えられたと思えます。それは、いつチャンスが巡って来ても、 確実に自分のものにする事を意味しています。当時、料理の世界では、一度チャンスを逃がすと次のチャンスは信頼を得るまで巡ってこないのです。仕事の事を聞けば、 「お前から月謝をもらってない!」と言われ叱咤され、失敗すれば信頼されるまで次のチャンスは与えられません。事実、学校の教え子も「仕事を教えてくれません。 先生、苛めを受けています。」と電話がありました。「どうした!」と聞くと仕事を聞いても教えてもらえないと言うばかりです。それが料理の修行と言っても苛めだと言って、 結局辞めてしまいました。

私が料理の道に入った当時は、朝から晩まで鍋を洗い包丁も触らせてもらえません。また朝は、料理長を地下鉄の駅まで送り向かい、調理場に入ると私服から割烹着に着替えさせ、 夏は汗で下着が濡れているので洗い、料理長が外出するまでに乾かさなくてはなりません。当時は乾燥機と言う便利なものが無くて、コンロの上で火に炙って乾かせていると「ボッ〜」 と燃えたこともありました。料理長が帰るときは、靴はピカピカに磨きズボンを履かせて服を着せ、駅まで送って行くのが一番下っ端の私の日課です。 料理長が薬を飲む時間になれば水の用意、お昼の時間になれば食事の用意など仕事をするどころでは無かったです。一番辛かったのは、 料理長の食事を作って持って行った時の事でした。先輩からお茶碗が欠けていると言われ、すぐに取り換えましたが「遅いからいらん!」と言って、 食事に全く手を付けず外出してしまった時です。料理長が食事を食べないと全員食事ができないのです。だからその日は一日食事抜きで仕事です。 先輩から罵声を何度も浴びせられ逃げ出したい心境になりました。又、食事のときは先輩のご飯のお代わりで忙しくご飯を食べる暇もなく、 気が付けばご飯が残っていない時もありました。当時は調理場に20名の料理人が居たので大変でした。 炊飯器の底に残っているご飯をかき集めてお腹を満たしたこともありました。

だから、仕事中にお腹が減りグーグーと鳴ることも再三ありましたが、 ある日先輩が、大きなおにぎりを握って「おい、これを食え!」と持って来てくれた時は、鬼に思えた先輩が女神さまに見えました。その時の先輩の声、 しぐさ、笑顔は今でも心の中に強烈に残っています。今から考えれば厳しさと優しさ、そして気配りを修行の中から教えられた様な気がします。 それは、相手の行動や言動から学びなさいと言う無言のメッセージです。つまり、常にお客様を意識して器が欠けたものは出さない、 お客様が帰られるときはコートや忘れ物が無いように気を遣う、お客様が帰られる時はお見送りをする、お客様から言われる前に対応する事を、 修行の中から常に教えられていたのだと今は理解できます。だから、この様なおもてなしをされているお店は、料理人さんもしっかり修行をされたと言う事になります。 当時の私は「駅まで迎えに行かなくても大の大人が一人で来ればいいのに。」と思ったものです。それは間違いでした。
後に、料理の修行からビジネスに精通するものが多くあることに気づきました。

不安は力・・・
私は、料理の世界に入ったときは不安で一杯でした。自分も先輩の様になれるのか、どうすれば早く先輩に追いつけるのか、 先輩より上手に料理が作れるのか、毎日考える日々が続きました。だから、不安であればあるほど色々な知識を得ようとしました。 そして、自分の視野に入るもの全てメモに残していました。今、振り返ってメモを見ると笑えます。人の行動を見て見様見真似から始まり、 独自の勉強は一歩目的に近づけると信じて行動に移しました。「待つことから何も生まれない!」そう考えると行動へと心が動きます。 そして、行動は結果となって形に現れます。つまり、不安は力です。不安だからこそ失敗しないように万全の対策を考えるのです。 起業する精神も全く同じだと思います。心配だからこそ万全を期してチャンスを待つ。修行から私は学びました。

最後に、料理の修行は、ビジネスに精通するものが多くある事に気づきました。修行中は何も教えてくれませんが、 教えてくれない先輩の行動や言動から得るものが多くあります。教えてもらえないと思った瞬間から、得るものはなくなります。 しかし、考え方を変える事で道が開けてくるのです。先を見つめて今ある現実を捉え考え、どの様な行動を取らなくてはならないか私は修行から学びました。 考え方しだいでプラスにもマイナスにもなると言う事です。しかし、行動を起こさない事は、何もしないのと同じです。 もし私が、単なる料理の修行と捉えていたら、この様な考えに至らなかったと思います。現状に流されず挑戦する事で未来が見えて来るのです。

2015年9月10日 福井幸男