DC4(’02)6月上旬の日記
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2002年06月06日
前々からひそかに「今世紀中」と公言していた(「ひそかに」なのに「公言」とはこれいかに?)自らのサイトを、21世紀をあと98年と7ヶ月弱ほど残して立ち上げるに至ったわけでございます。
ま、立ち上げるなら6月6日と思っていたわけで、6.6.であるのもさることながら、今日は自分の誕生日だったりするわけだ。
で、今日を逃すと、次のチャンスは1年後(笑)になってしまうわけで、実質作業時間数時間、テーマも方向性もないままに、完全見切り発車となったのです。
さて、今後どうなりますことやら・・・って他人事かよ、おい。

2002年06月07日
本日入院・・・予定だった患者さん(33歳・男)。
病棟に来て、まずは入院の概要のお話。
「血糖値の経過を追ったり、インスリン分泌をみたりするために、度々採血をさせて頂きます」とオレが説明したとたん、突然激昂。
「この間、あんなに採血したばかりなのに、あの時も何回も刺したのに、まだ刺すんかぁ!!そんなんならもう入院せんっ!!帰るっ!!!」
と、すんげぇ勢いで部屋から出て行き、帰って来ませんでした。
・・・・入院前に退院。

もうひとりの患者さん(70歳・男)は手の指が3本ほどありません。
・・・最近、そんなのばっか!!

2002年06月10日
さて。
今日はきっと、どこの家庭・職場・学校でも、昨日のW杯サッカー、日本VSロシア戦の話題でもちきりではないでしょうか。

うちの職場でも例にたがわず、その話題が出ていたのですが。
研修医のT先生が、横浜まで観戦しに行っていたそうで。
そこまでなら「チケットよく取れたね」って話で終了なんですが。

なんとT先生、フラット3の要、M選手のイトコだとか。

さらに。
昨日のT先生の座った席、キムタク・静香夫妻の席の真後ろだったとか。

世の中、わからんもんです。

2002年06月11日
本日、本州でも梅雨入りしたようです。雨が降っている上に気温も高いので、湿度が異様に高く、実に鬱陶しいです。

2〜3日当直が続き、シャワーにも入れず、下着も着替えられずだったりすると、
股間にカビが生えそうです。

明日は当直だ・・・・・。

2002年06月12日
盛り上がっていますサッカーFIFAワールドカップですが、前回開催国・優勝国であるフランスがグループリーグで、1勝どころか1点も上げられず敗退しました。
ジダンという強力なタレント(才能)に頼り切り、4年前の優勝メンバーは高齢化。。
もしかしたら、あまり意外な結果ではないのかな、とも思います。

一次リーグ突破に向けて盛り上がっている共同開催国のニッポンだけど・・・
今回のフランスの姿は、4年後のニッポンの姿になってしまうかもね。
(冬季五輪がそうだったでしょ?)

すみませんね、盛り上がってるのに水さす様で。

2002年06月13日
歌手の村田英雄さん(本名:梶山勇)さんが肺炎で亡くなられました。(享年73歳)

中年から糖尿病を患い、最晩年こそ講演活動をされたりして糖尿病の啓蒙に務められたりしていたそうですが、以前はかなり病気と治療の受け入れが悪く(これを「コンプライアンスが悪い」と云います)、退院した日にワインを1本(以上だったかも)空け、即再入院するなど武勇伝には事欠かなかったそうです。

こういった行動が武勇伝として語られ、あたかも英雄視(シャレではない)されたりするのは医者としては、ハッキリ言って困り者です。
そういう方の主治医になるのは、イヤです・・・・と言いたいところですが、世間的に無名なだけで、それに類する方は外来にも病棟にもゴロゴロいます。

しかしながら、自分よりはるかに歳上の・・・下手すると親よりも歳上の患者さんに指導をして、生活習慣を変えてもらうのは困難を極めます。
それは例え合併症で足を切断していようと、です。

人生観・価値観を変えてもらうのは、所詮無理なのかもしれません。
でも、それも患者さんの選択なのでしょう。

ともあれ、昭和の大歌手・村田英雄さんのご冥福をお祈り申し上げます。

2002年06月14日
またしてもワールドカップネタで恐縮ですが。

スポーツ新聞で読み飛ばした記事なんで、記憶が曖昧なんですが。
今回、南アフリカとナイジェリアはチームに呪術師を帯同させていたそうです。
南アフリカの呪術師は「選手に故障がないうように」とかなんとかという事だったそうですが、ナイジェリアの呪術師は明らかにベッカム様狙いだったそうです。

H組をトップで通過し、決勝トーナメントに進出を決めた我らがニッポンですが、
ここは陰陽師におねがいしてみるのもひとつの手かもしれません。

南アフリカもナイジェリアも一次リーグで敗退しちゃったけどね。

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2002年06月17日
昨日、映画「少林サッカー」を見てきました。

あまりにもバカバカしく、超B級テイスト大炸裂(<ホメ言葉です)
「北斗の拳」「キン肉マン」「ドラゴンボール」あたり、そして
「キャプテン翼」で育った世代には一見の価値ありかも。
お金と時間が余ってたら、ぜひ大きめのスクリーンで見るべし。

2002年06月18日
FIFAワールドカップ、決勝トーナメントで我らがニッポンは1−0でトルコに惜敗。ベスト16に終わりました。
この日記で「ネタ」にするこそあれ、それほど応援していたわけではなく・・・デーモン小暮閣下「アンチ・サッカー」「アンチ日本サッカー」であるのとは関係ないんですけど・・・まぁ、それでも世間並みに興味を持っては見ていたわけですが。

でも、一億総セル○オ越後化していたのは正直辟易していましたし、個人的にはキライなトル○エ監督の顔をもうすぐ見ずにすむであろうことは、有り難いことではあります。


前にもちょっと書いたけど、問題は4年後。今から準備を始めても遅いくらいではないのかな。
それよりも問題なのは思わず買ってしまった日本代表レプリカジャージ(中田英仕様)着る機会を逸してしまったということだ。

弱いぜ、オレ。。。

2002年06月20日
さて。
HP開設(仮)からなんとか無事2週間を経過。
おかげさまをもちまして、ぼちぼちやっておりまする。

HP開設にあたり一番悩んだのはその「タイトル」でした。
とりあえず「日記」とBAD(バケツのアゴ同盟)の方から再掲させていただく「ライブレポ」とで、とりあえず体裁は整いそうなので、とりあえず良しとして、なにせHPの名前が決まらないことには開設のしようもありません。

「仮設・ぶえる診療所」とはまた、とってつけたようなタイトルですが、まさにそれはとってつけたものだったんですよ。
ぎりぎりのぎりぎりで、もうそれくらいしか思いつきようがなくって・・・。

もうひとつだけ候補がありました。
言うか、そのインパクトが強すぎて他のタイトルの思いつきようがなかったんですよ。
それは、
「男汁新聞」(爆裂)

たまたま(かどうかは知らんが)うちの宙掲示板「脳死判定宙」で、なんでか防人・どな夫が口走ったおバカなフレーズがどうしても頭を離れなくって・・・。
今となっては、「男汁新聞」でなくって良かったかなと思っております。

さて「名前」ということのついでで。
よく聞かれます「ぶえる」の由来をUPしました。興味があったら御覧くださいませ。

2002年06月25日
昨日退院したおっちゃん(60)
もともと急性心筋梗塞で入院したのですが、それは発症直後に処置・治療出来たためすぐに回復し、血糖値も高かったので、循環器科の先生に頼まれて血糖値のコントロールなんかしてたんだけど・・。
そのおっちゃん職業は健康食品販売(主にキト○ン)でして。
自分が治療が必要な糖尿病であるという事実を頑として受け入れず、曰く
「キト○ンを飲んでれば、糖尿病は治る」だそうで。
心筋梗塞になったのも、
「キト○ンを飲む量が足りなかった」そうです。


・・・・

んな奴ぁ、カニになってしまえ!!
とは心にも思いませんでした。いやオレ、カニアレルギーだしね。


実際、健康食品を盲信するひと、宗教を盲信するひとってのは医者にとってやりにくいだけでなく、病棟でいきなり営業や布教活動始めちゃう困ったちゃんが少なからず居てます・・。

2002年06月26日
2002FIFAワールドカップ、準決勝。
アジア勢として初めてベスト4まで勝ち残った共同開催国である「アジアの虎」こと韓国は、次回の開催国であるドイツに破れ、惜しくもここで姿を消すことになりました。

前評判は決して高くなく、一次リーグから組み合わせも恵まれていたとはいえない韓国。
かたやもう一方の共催国ニッポンは、大会前のFIFAランキングでは韓国より上で、組み合わせにも恵まれていました。
ところが、韓国が強豪欧州勢を次々撃破してベスト4まで勝ち残ったのに対して、ニッポンはベト16どまり・・
この差はどこから来るんでしょうか。

経験の差(韓国は5回目、ニッポンは2回目のW杯)や、監督の差・・・。
あと韓国は審判のちょっとした誤審にも助けられた感はあるけれど。

でも常在戦場で、男子には徴兵制もあり、敗北はある意味死とも言える韓国と、ニッポンでは覚悟みたいなもんが、はなっから違うんでしょう。
次回のW杯は、今度は韓国は地区予選から争うライバルになります。
今回初出場しながら、一次予選全敗した中国も、次は黙っていますまい。
ニッポンも「よくやった」とか「夢をありがとう」などといつまでも言っている場合ではないのですよ。

しかし、さらに問題なのはアジアの虎・韓国がW杯で快進撃を続けている影で、阪の虎・阪神タイガースが連敗を重ね、いつの間にやらズルズルと3位まで後退していることです。
すんませんね、べたなオチで。

2002年06月27日
6月7日の日記に登場した指が3本ほどない患者さん(70歳)が、昨日退院されました。

若い頃は相当やんちゃだったらしく、日本刀でひと一人殺っちゃって、19歳から26歳までを網走で過ごしたらしいです。
その時の経験はかなり過酷だったらしく、未だに北海道には足が向かないらしいです。「足が向けられない」の間違いではありません)

そんな彼も今ではまっとうに金貸し業をしているらしく、借金のかたに差し押さえたらしいお店が祇園歌舞伎町にあるらしいです。どんなお店かは聞けませんでした。
明日は裁判とかで、鼻息荒く帰って行かれました。(民事らしいですが)

そんな彼ですが生活保護を受けています。金貸し業も祇園のお店も歌舞伎町のお店も、他人名義にしてあるんでしょう、きっと。なぁーー
んか納得いかないんですけどね。

2002年06月28日
会議って大キライ・・・・・・!!

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