孤高の画家 加藤正衛 1901〜1974

庭 1953 油 60.5×72.7cm

上の絵は画家が誘われてただ一度だけ中央画壇(自由美術展)に送った作品である。一見何の変哲も無い抽象絵画に見えるかもしれないが、その一線一画と色彩のトーンに注がれた画家のなみなみならない深い感性と知性と集中力を見てほしい。

画家は仙台に生まれ22歳で画家を志して上京したが翌年には戻り、生涯を仙台市の一隅で過ごした.。

絵を売ることが心を売ることであることに気づき、生活の糧を他に求め、30歳で東北大学医学部の顕微鏡下の像を描く画工になる。その薄給で家族を養いながら休日と夜間にひたすら画境を深めて行き、40台後半から立体派や抽象への傾斜を深める。

日本の画壇の中では決して早くは無いが、中央から弧絶した地域でこの時期に「抽象」は貴重な存在。徹底した空間構成の追及とリリックな透明感に富んだ造形及び配色は独自の高度な美術表現に到達していて、その価値はより高く評価されて良い存在であろう。日本の近代美術史の流れにおいても、これだけ深くまっとうにセザンヌからピカソやモンドリアンに至る自然の構成化から純粋抽象への道を推し進めた画家は少ないはずだ。

無理解と貧困の中での苦闘であったから、大きな作品の多くは安物のベニヤ板に描かれ、スケッチやデッサンの類は勤務先で得た反故紙の裏に描かれているものが多い。当然、保管状況次第ではすでに崩壊の危機にあるだろう。

作品の発表は少なく、地元のアンデパンダン式の新東北美術展などだけだったが、50歳ころから参加した仙台美術研究所(二宮不二麿主催)やエスプリヌーボー展(仙台市内の若手前衛等によって組織された会)で若い画家やその卵たちと接する機会が増えたことで、ますますその画境を推し進め、後進に強い影響を与えることになる。

なりふりかまわぬ誠実で温和な風貌とその高い理想論から、若い連中からはマサエチャンと呼ばれながら、敬愛され親しまれていた。

医学学会でも彼の画工としての技術は高く評価されていた。僅かな照準の変化で変わってしまう顕微鏡下の組織や細胞を正確かつ具体的に描写するには高い知的操作と経験が必要とされ、しかも微細な変化をも見逃さぬ目と描写技術が要求され、極度の神経の集中が要求される.。晩年このことにより学会から推薦されて叙勲を受けている。

晩年の闘病生活で入院の機会が多く制作が困難に成ってからは、手元で描けるはがき大のペンと色鉛筆による小品を毎日の日課として描きつづけ、約一年間に300余点を残した。相変わらず広告の裏などに描かれたそれらは古はがきや厚紙で丁寧に裏打ちされているが、時にそれを突き破るくらい推敲が重ねられ、過去のスケッチなどに基づきまた身近な風物や天体などの描写が簡潔な構成的作品になっている。

現在なお無名のこの画家の作品については、大きな作品の大部分は宮城県美術館に委託保管されているが、他は息子さんの下におかれている。美術館の作品は1993年に一度だけ二宮不二麿及び大沼かねよとの3人展の形で展示されたが、その後ほとんど倉庫に入りっぱなしである。

私(吉田敦彦)は大学にいた5年間、仙台美術研究所でデッサンを学んだ。その前後マサエチャンの作品と人柄に接し大きな影響を受けた。彼が亡くなったときに新聞に下記の文章を投稿し掲載された。その7年ほど後に宮城県美術館が開館した。

1973年10月5日朝日新聞、声欄
K画家の遺作を惜しむ  東村山市 吉田敦彦(中学校教員 37歳)
 東北のS市の片すみでひっそりと探求を続けてきた画家のKさんが亡くなった。その地方の若い人たちに何か刺激になればという場合にしか作品を発表しようとしなかった。中央の公募展などにも殆ど発表せず、絵を売ることも全く念頭になく、昼間は大学の研究室付の画工として神経をすりへらす仕事と薄給に甘んじ、休日と夜中にひとり自分の世界をとぎすまし続けた。そして機会あるごとに若い画家たちと語り合い、励ますことを楽しみにしてきたkさんが肝臓ガンとの闘いの末に七十一歳で不帰の人となった。
 寡作と思われていたのに、晩年に無数の厳しくも美しいデッサンを残していて、その遺作群を見て惜しいと思う。このまま埋もれさせるのはもったいない。混迷を続ける美術界にも一つの灯となろう。中央で活躍した、作品の売れた画家ならよい。そのどちらをも拒否したためにその純粋さを守ることができたと思われるこの作品群は、まずその地方にとってかけがえのない財産だ。市や県で収蔵し展示する方策はないものか。
 このような人たちが地方で大切にされてこそ、日本の文化は地に足のついたものになろう。そして地方にこそ、本当に内容のある作家が、作品が育ちうると思う。

1959年5月仙台美術研究所展会場にて

東北大学医学部中庭にて

二宮不二麿(左)等と

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