加藤正衛の抽象の探求
制作年代の不分明な作品が多い中で1949年に新東北美術展で新東北美術会賞を得た「休息」がキュービズムの傾向を顕著に表している作品として最も早い時期のものである。多分その数年前からと見られる多くの表現的なあるいは構成的な作品群がありここにその成果を現したということであろう。
翌50年にはややロマンティックな表現要素の強い「アラベスクな追想」と明快な構成に動感を積極的に取り入れた「ラグビー」があり、その後もこの二つの作品に表れた要素(ロマンと構成)が常に作品を支えていくことになる。一見純粋鋭利な構成作品に見えるものでも元には何らかのモチーフがあり、それから受けた作者の感動が純化された形で厳密な構成の中に息づいているのである。
抽象構成的な作品の代表作は57年の「実験室」と60年の「シュプレヒコール」辺りと見なされるが、いずれも周到なエスキースの積み重ねの上での制作であり、ほぼ一年間をかけての追求の結果の作品として高い完成度を持っている。
アクションペインティングやアンフォルメルの紹介される60年代には、動感や平面性の強いものなどから顕微鏡下のの生体組織から発想したと見られる有機的なフォルムに移り、突然社会性の強い「ベトナム物語」(1970)で具象的表現的作品になって、油彩大作の制作が終わる。以後は闘病生活の中で、小品の制作を続ける。