私設・ 無名美術館

絵を売ることにも名を売ることにも意をはらわずに、ただひたすら自らの創作表現活動にいそしんでいる画家たちがいる。

これまでの私の生涯の中にも何人かのそのような方々に接する機会があった。知る人ぞ知るとかの結構有名な方も含まれるが、いずれも広い視野を持ちながら頑なにそれぞれの独自の世界を掘り下げておられて、気持ちの良い仕事をされておられる。

世間の評価とは全く別に、そのような方々の作品を集めた美術館を作れたらと思う。

無名ゆえに多数の作品がいたずらに放置され朽ちようとしているものも多いことを思い、それらが一堂に会したら、きっと世間に媚びない毅然とした制作態度に貫かれて澄んで清々とした作品群が、さぞや独自の展示空間を創り出してくれるに違いないとも思うのだ。

作家を選ぶ条件を挙げるならば、ひたすら「描くこと」を喜びとし絵や名を売ることへの努力を軽んじていたこと。しかし独善に陥らぬ広い視野を持ち、常に古今東西の芸術表現から学び、美及び美術の本質を探り続け、自らの画境を開拓あるいは改革することを願っていたこと。といったところだろうか。つまり独自の個性的な世界でありながら、普遍性に富んだ表現世界を持つ作家であるということ。

どなたか私の判断にゆだねて作家と作品を選び、美術館を建ててくれるという奇特な方は居られものないだろうか。

取りあえずここでは、私が親しく接することのできた数人の作家のページを陳列しておきますが、もちろんこの他にも選びたい多くの有名無名の作家がおります。比較的知名の方としては片岡珠子や中村正義や佐藤多持(なぜかいずれも日本画家)など。

孤高の画家・加藤正衛


二宮不二麿と仙台美術研究所


闊達の水彩画家・萩原実


不慮の事故で夭折・高奥昌幸

既成の彼のホームページにジャンプします。

青森の五戸で家業の農作業のトラクターを運転中に奇禍に会い30歳で亡くなった。家族に説得されて帰郷した直後のことだった。東京学芸大学の美術科を終えて、日雇いの労働者などをしながらがむしゃらに生き、ひたすら描いていた人だった。

私(吉田敦彦)の岳父です。

この人の作品を見て私は抽象に入った。

この方に出会わなかったら私は絵描きにならなかっただろう。

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