2015/01/25 追加
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熱情王の生涯  §1・誕生
 まだ壁の漆喰も乾かぬような新築の宮殿に、産声が轟きわたる。人は、「雷か」と思わず上空を見たと言う。しかし天空は、あくまでも穏やか。秋の日没後の残照が、全天を深く、尊い青紫色に染めていた。
 一瞬遅れて、(トニヤス・)ラモキエラ大聖堂(ラモキエリユ・ラルデヒタツク)から、祝福の鐘の音が、新都に鳴り響く。5時。栄えあるザーリップ家の、第16代当主の誕生である。
(ラヨル・)御子(ヒンラプ)にござります!」
 と堅苦しいシルニェ語で、リフォルテップ博士が貴族たちに告げた。産婦人科医の使用した語句「ラヨル・ヒンラプ(皇太子という意味がある)」に、テオテイワケン大公(テオティワケニユ・イクドクラ)にしてラルテニア帝国皇太子(ラヨル・ヒンラプ)たるトナレイ・イリウスは、不快に感じる。彼の地位を、産まれたばかりの長男が脅かしたように錯覚したのである。しかし、決して表情に出さない。それどころか、おおいに満足そうな笑みを浮かべて、頷いている(ダルハニユ『トナレイ・イリウス」伝』)。
 後に作られた映画(レンラヴ映画『雷』)では、ここで父の皇太子と祖父の皇帝がかわるがわる赤子を抱くことになっている。しかし、実際には、そのようなことがなかった。まだ皇帝は、その場にいなかったからである(トナレイ『手記』、アニビスク『備忘録』)。父の皇太子は、ただ、じっと、ゆりかごの中の赤子を見守るだけだったのである。
 皇太子トナレイ・イリウスは、僧侶と相場師が嫌いだった。
「彼らは働かずに金儲けをしている。
人は働いて金儲けすべきである」
 と、彼は書き残している(トナレイ前掲書)。僧侶と相場師は「働かずに」金儲けしているとでも言いたいのであろう。
 トナレイはその場に立っていた。居合わせた大祭司(ソポシプラ)レイバップから自らの子供を守ろうとするかのように、「ゆりかご」の側に立っていたのである。
 レイバップは72歳。20年にわたり聖ラモキエラ大聖堂の大祭司座(アルデヒタツク)を預かり、いにしえより伝えられる西方世界の至宝、(トニヤス)ユビウス(ユビ・)十二(ベロイト・)帝冠(ノルスチヤイプ)の管理をしてきた。フロイディアン・ボルストン教会では、「十二帝冠のうち一つを受け継ぐ者の君臨する国」を「帝国」と定義している。トナレイは、教会が貸与する帝冠の継承予定者、次期君主の一人である。トナレイは教会にもっと敬意を払うべきである……、と大祭司は考えていた。ところが、目の前のトナレイは、レイバップに敬意を払うどころか大祭司を無視して、子供に触らせようとすらしない。
 レイバップは洗礼(ソニエツトパブ)の儀式を執り行う予定だったのである。赤子に祝福の言葉をかけて、王者に相応しい聖人(ラヨル・トニヤス)の名前で呼びかける手筈になっていた。呼びかけられた名前は、赤子の洗礼名として、一生のミドルネームとなるはずだったのである。だが、皇太子の態度を不快に思う大祭司は、無言で産室を立ち去った。
 何人かの側近は慌てる。が、宮廷は教会を軽視するテオテイケン大公(テオティワケニユ・イクドクラ)すなわち皇太子の影響を受けており、大祭司をおし止めるものはいなかった。
 大祭司と入れ替わりに、ラルテニア帝国帝王(ラルテニアン・ライレピン・シエール)にして フロイディア(フロイデイアン・)帝国(セリペンス・)連邦(ノイヌス) (「連邦帝国」ではなく、諸帝国によって形成された連邦、当時は「西方世界国際連盟」と同義)盟主たる 皇帝(ルレペン)ガイウス・トネコンノ が速足で入ってきた。 その颯爽たる歩き方は60歳の老人とは思えないし、その知力の確かなることは数年後に脳軟化症を患うとは思えないほどである。
 彼の見たところ、ザーリップ家の幼き第16代当主には、洗礼(ソニエツトパブ)を施された形跡がない。洗礼名も与えられていないのであろう。ということは、ボルストン教を奉じる西方世界において、赤子は一生苦労するであろう。……将来の元首を、「かわいそう」とガイウス・トネコンノ・ザーリップは見た。
 皇帝は皇太子(ラヨル・ヒンラプ)を睨みつける、「エモン?」
 一同はわからない。 ラルテニア公用 シルニェ語の「名前(エマン)」なのか、それとも帝都原住 エンボイアム語 で「雷神(ウモン)」と言ったのか、西方世界教養語 テントロイートス で「万事(エイ・)よし(イモンル)」か。それとも ラッティア語 で、 「報告せよ(エツモーン)」 との仰せかも知れぬ……。
 皇帝は、一同に回答する暇を与えずに、来たときと同じく忙しい足取りで立ち去った。
 「(洗礼)名は?」と父帝は(どういうわけかセレシア語で)、皇太子(ラヨル・ヒンラプ)の教会軽視の姿勢を難詰したのである。そのことをトナレイは、正確に理解していた(ダルハニユ前掲書)。しかし、彼は、聞き慣れた母国語エンボイアムで言われたように、理解するふりをする。
 「しかり、雷神なるべきかな、これは(セイユ、トロウス・クガイ・クガイラペ)
 とシルニェ、エンボイアム、テントロイートス三つの言語をごちゃまぜにして皇太子(ラヨル・ヒンラプ)は言う。何も知らない赤子は大声を張り上げて、泣いている。防音二重窓を、泣き声が震わせている。
 父親トナレイは少し訛りのあるシルニェ語で、いっこうに泣き止まない赤子に告げる。
 「雷神トロウスよ、強くあれ(トロウス・エブ・ゴルテイ)
 この言葉を聞き付けた側近が新生児を「トロウス・ゴルティ」と呼ぶようになり、そして、第16代当主の名前となったのである。
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