東京大学法学部・大学院法学政治学研究科 大村敦志研究室
写真:韓国儒教の聖地、成均館明倫堂。重遠の名は論語に由来する。
[ショートカット] 穂積家写真集/穂積家音源集/『終戦戦後日記』正誤表
先般、穂積重遠の評伝『穂積重遠―社会事業と社会教育とを両翼として』(ミネルヴァ書房、2013年)を公刊しました。その際、ご令息・穂積重行氏の所蔵する穂積家資料を拝借し活用するとともに、そのうち旧刊の一般向け著書を3巻本『われらの法―穂積重遠法教育著作集』(信山社、2011年)にまとめて復刊し、未刊の日記『終戦戦後日記(1945-1950年)―大正一法学者の晩年』(有斐閣、2012年)を編集して公刊しました。穂積家資料の中には書籍・書類・遺物のほかに、写真やレコードなども含まれています。写真の一部は上記書物に収録しましたが、書物の性質上、収録を見合わせた貴重な写真も少なくありません。また、CDを付録にするなどの工夫をしない限り、書物とともに音源を届けることも困難です。
そこで、このサイト上で、次の2種の資料を公開することとしました。ご許可を下さった穂積重行氏に厚く御礼を申し上げます。
【資料1】穂積家写真集
陳重の一家、重遠の一家の集合写真です。ほぼ毎年撮影され、アルバムとしてまとめられ保管されています。穂積家の変遷の様子が窺われます。
【資料2】穂積家音源集
陳重・重遠の肉声(レコードより複製)および「リョーリヤマーチ」(重行氏歌唱)。明治一法学者と大正一法学者の語り口の違いが興味深い。
陳重の肉声「法律の進化」
穂積陳重の肉声。レコードより複製。
※音声が再生されない・表示されない場合はこちらから→陳重の肉声
重遠の肉声
穂積重遠の肉声。レコードより複製。
※音声が再生されない・表示されない場合はこちらから→重遠の肉声
リョーリヤマーチ
歌唱:穂積重行氏、作:穂積重遠。
日記等に現れる「リョーリヤマーチ」は重遠自作自演の十八番。メニューや飲み物の名前を列挙しています。
※音声が再生されない・表示されない場合はこちらから→リョーリヤマーチ
p.20 あめも降れ露おかば置け春やがてさかせざらめや日の本のさくら
p.61 春日さす葉山の海の果にして霞の上に富士は浮べり
p.61 海原のかすみぬき出でし富士に向ひ岩根ふまへて皇子立ちたまふ
p.61 海遠く霞の上に富士を見しまなこかへせば緑の葉山
p.77 あれこそは万年雪よ夏の富士の額(ぬか)に一点白毫めけり
p.106 あれにこそ金のしやちほこ見えたれと名古屋過ぎつつ告げたてまつる
p.106 春日山松のこずえにかかる藤さつきならばと仰ぎかたらふ
p.107 盧舎那仏開眼の日もかかりけむ寺のうちと(内外)人むれ埋む
p.107 宇治の里平等院の庭もせに良い子むらがり若君迎ふ
p.108 いかるがのみ寺の若き太子像似つかはしくも皇子といむかふ
p.108 参道をみ足のはこびたしかなりひたむきに神にまみえ給ふと
p.109 宮寺とまた様かはりけふの日の学びやめぐりめづらにおぼす
p.110 知恩院(ちおいん)の鐘殷々となりひびく皇子きざはしを踏みたまふ時
p.110 土の壺石のつるぎと角のはり太古の民の生活(くらし)を見する
p.112 大原や三千院の阿弥陀堂観音勢至ひざまづきて迎ふ
p.113 おん望み満ち足らはして鳥が鳴くあづまに今日は帰らせ給ふ
p.148 逝くものはかくのごとしと川のべの孔子のなげき今身にあたる
p.151 海の子と名だたる安房の若人ら氷なす水にざんぶと入るよ
p.154 人さはに万歳ともに声高しけふのみ泊り銚子の港
p.154 犬吠(いぬぼう)は荒波ぞよきたまたまに風のなぎたるいともほいなし
p.154 このみ旅にたぬきばやしに始まりて大漁節に終らむとするか
p.155 さきはひのみ旅なりけりこの七日晴れし中にもけふの朝日の出よ
p.164 桃夭々やよひの今日に始まりて若き二人の春久しかれ
p.170 佇みて車まつ間もわが心春の宮べに在りと知らずや
p.176 なにの木の匂ひと知らず大宮のみ苑にしあれば橘かそも
p.178 涌き出づる生命(いのち)のいづみ知恵の泉すがすがしもよ真夏の夕べ
p.183 真夏なす海の照射(ともし)にさより来る魚なのがしそすはとりよたもよ
p.437 夏というに八千草咲けるからふとの野路は車もたもとほりけり