3. 老 醜

   「しわがよる ほくろができる
    腰まがる
    頭は禿げる ひげ白くなる
    手はふるえ 足はひょろつく
    歯は抜ける
    耳は聞こえず 目はうとくなる
    身に添うは 頭巾 襟巻 杖 めがね
    たんぽ 温石(おんじゃく) しびん 孫の手
    聞きたがる 死にともながる 淋しがる
    心は曲がる 欲深くなる
    くどくなる 気短になる ぐちになる
    出しゃばりたがる 世話やきたがる
    またしても同じ話に 孫ほめる
    達者自慢に 人はいやがる」

 誰が言ったのか、実にうまいものだ。
 そして、これが「年をとる」ということの一般的な概念なのかもしれない。
 しかし、果たして「年をとる」ということは、そんなにも醜く、汚く、哀れなものなのだろうか。
 この詩の作者は年をとることによって生ずる生理的現象以外は、これとまったく正反対の生き方をすれば「老醜」 ならぬ「老美」になれると言いたかったのかもしれない。
 それにしても「老醜」という言葉は、どんな小さな辞書にも載っているが、「老美」という言葉は広辞苑にも出ていない。
 この世に老醜はあっても老美は決して存在し得ないということなのだろうか。
 風薫る五月、今年もまた馬術競技シーズンの幕開けである。
 今年こそ去年より良い成績をとって、最年長選手の意地を見せたいものと、毎日馬の調教に余念がないが、何分にも 心臓の手術後息切れがひどく、七分問の演技の終わり頃には目もかすむ始末。
 しかし、体力的に衰えたりといえども、その衰えを技術力でカバーして何とか老美を審査員に アピールしたきものと意気込んではみたものの、前記の詩がともすると私の脳裏を(かす) めるのはどうしたことだろう。
 「年をとらせるのは肉体じゃなくて、もしかしたら心かもしれないの。心のわずらいと衰えが、内側から体に反映して、 みにくい皺やしみを作っていくのかもしれないの」
 これは三島由紀夫の『黒蜥蜴』の中で緑川婦人が早苗に語った言葉である。
 「常に将来に大きな希望と抱負を持ってそれに挑戦する姿勢を失なわぬ限りその人は老人ではなく青年と言えよう」 とはよく言われる言葉である。
 果たして、老人とは一体何を基準にしているのだろう。単に人の肉体のみを基準として年をとったとみなすのは誤りの ような気がする。
 「人の老若を定めるのに、必ずしも太陽の回転のみをもって数えるには及ぶまい」と新渡戸稲造は言っている。
 さらに彼は「自分の決心と実行とが相俟って、より以上の向上発展が実現されたとしたら、その時こそ真に年をとった といえよう。いたずらに馬齢を加えるのではなく、星霜を経れば経る程精神が若返り、老いてますます盛んになり成熟する ように心掛けるべきである」ともつけ加えている。
 私は今、兵庫県三木市に建設中の「ホースランドパーク」に設置する七頭の等身大に近い馬の銅像の製作にかかっている。
 なかでも三頭の馬がからみあって一基を形成する銅像は独学の悲しさ、注文は請けたもののどこから手をつけたらいいのか、まったく見当がつかなかった。
 しかし、一心に粘土と格闘しているうちに、だんだんと形が見えてきて、毎日のように新しい発見があり、心身ともに疲れ 切って、しまいには手も上がらぬようになっても、また次の日創作中の馬像の前に立つと何となく心が休まるばかりか、 新たな勇気がもりもりと湧いてくる。
 このように人の老若とは、過去になした仕事の量よりも、将来なすべき仕事の有無とその多少をもって定めるべきもの だとつくづく思う。
 そして嬉しいことに、一つの目標というか理想はそれを達成すると、さらにそれ以上の目標が現れて、それを達成する とまた次の目標が生まれるという具合に、理想は果てるところがない。
 生涯年をとらない、生涯青年の秘訣がそこにあるように思う。
 江戸時代の儒学者、佐藤一斉は、「身に老少あり、しかして、心に老少なし、気に老少あり、しかして理に老少なし、 すべからく老少なきの心を執り、もって老少なきの理を体すべし」と言っている。
 人間の身体には老人と青年の別はあっても心には老少はない、身体の動きには老少があるが、道理には老少はない、 是非とも年寄りだとか、若者だとかということのない心をもって、永久に変わらぬ老少のない道理を体得すべきである ということなのだ。
 そこに間違いなく「老美」の世界が開けるはずである。
 さらに、貝原益軒の「養生訓」にも「老後の一日を楽しまずして、空しく過ごすはおしむべし。
 老後の一日は、千金にあたるべし」と言っている。
 私は去年の暮れ、今迄書かせて頂いた『馬耳東風』を一冊の本にまとめたが、その本の副題を「自縄自縛」とした。
 今回のように毎月偉そうなことを書くことで自分自身を縛りたいと思う一心からである。
 そしてこれからの残された一日一日を、自分なりに精一杯生きることで何とか老醜を晒すことのないように、有終の美ならぬ老美を飾りたいと考えている。

(1998.5)