2. 朋有り遠方より来たる

 1998年2月、私が大学卒業と同時に入社した日本紙パルプ商事株式会社のS会長から久し振りに電話があった。
 かっての上司からの突然の電話に、てっきり知り合いの誰かが亡くなったものと思ったら、「君は会社にいた頃、馬ばかり 乗っていてろくな仕事もしていなかったと思っていたが、真面目に仕事をしていた時期もあったらしいね」といきなり 話しかけられた。
 会社を退社して、はや三十六年、未だに年一、二回は一緒にお酒を飲む機会のあるS会長とは非常に親しくお付き合いを させて頂いている関係で、ついそのような冗談も口から出たのだろう。
 一体、何の用件なのか、誰が亡くなったのかと思ったら、実は先日、会社の大切なお得意先の聖教新聞社に挨拶に行ったところ、 新聞社の代表理事で創価学会の副会長であるY氏から、「ところで西村さんは今どうしていますか」と聞かれたというのだ。
 咄嗟のこととて、どこの西村なのかわからずにいたら、「あの馬に乗る西村さん」といわれ、やっと私の顔を思い出したらしい。
 しかし何故、副会長が君のことを知っているのかと尋ねたら、「実は私が若い頃、西村さんに用紙のことをいろいろと教えてもらった ことがあり、非常に懐かしいので、ぜひ一席設けてくれ」とのことで、今こうして電話したのだという。
 実のところ、私もテレビ等で公明党の映像が出る時など、Yさんは今どうしているのだろうかと彼のことを懐かしく 思い出すこともあった。
 その彼が今ではなんと創価学会の副会長で聖教新聞社の代表理事になっていたとは。
 私が会社に入社して四年目、営業部に配属されて最初に開拓した御得意様が聖教新聞社であり、Yさんはその時の用紙の買付担当者だった。
 それは昭和三十二年だったと思うが、今後飛躍的に用紙の使用量が増加すると予測した聖教新聞社は、従来の仕入先を 介して、当時旧王子製紙三社(王子、十條、本州の各製紙会社)の一手販売店であった中井商店(現在の日本紙パルプ商事株式会社) から直接用紙を購入すべく購入担当部長が中井商店の受付に来られ、従来の仕入先を担当していた私がその対応に出たというわけである。
 聖教新聞社の部長から創価学会とはいかなる団体なのか、くわしく説明を聞いた私は、生まれて初めて信用限度三百万円の 稟議書を書いて上司の決裁を取り、直接聖教新聞社との取引が始まった。
 それから六年、私がいろいろな事情から中井商店を退社する時には、聖教新聞社への売上げはなんと毎月億の単位にまで増加し、 しかもその決済は総て銀行への現金振込みという有難い御得意様になっていた。
 当然、私はこの御得意様一社を大切にしていれば一営業マンとしては立派にノルマを達成できるわけで、従ってかなり優雅なサラリーマン 生活を送らせて頂いたというわけである。
 ところが昭和三十七年の冬のこと、北陸に大雪が降って十條製紙伏木工場で製造した用紙の入荷が危なくなり、最悪の場合、 創価学会発行の月刊誌が発行できないという事態になった。
 列車は勿論、トラックも大雪のため、東京行きの総ての道路は閉鎖され、八方手をつくして万策つきた私に対し、 用紙購入担当者のY氏は、とにかく何とかしてくれの一点張り。Y氏の気持ちは痛いほどわかってはいたが、生来短気な私は、 つい「カッ」となって「そなんに大切な月刊誌なら、日蓮にでもたのんだらどうなんだ」とどなり返したことがあった。
 「あの時は西村さんと大分やり合いましたね」と久し振りに会ったYさんに大雪の件を持ち出され、冷や汗をかきながらも、 うまい料理とお酒を肴に、懐かしい昔話に時間のたつのを忘れさせて頂いた。
 大雪事件は幸いにも鉄道が一部開通し、また東京の大手印刷会社もスケジュールを変更して二十四時間輪転機を回して、 なんとか期日迄に月刊誌を発行することができた。
 もしも、あの時用紙の搬入が遅れていたら、私としても大切な御得意様を一社失うことになったわけで、やはり日蓮上人 が用紙を運んでくれたと思うのがただしいのかも知れない。
 聖教新聞社の二人の幹部を従えて三十年振りに私を待っておられたYさんは、さすがに貫禄充分で、まさに「朋有り 遠方より来る、亦楽しからずや」であった。
 この論語で思い出されるのは、たしか私が小学校五、六年の頃だと思うが、ある日、父に呼ばれて応接間に入ると、 「子曰(しのたまわ) く、学びて時に之を習う、亦(よろこ) ばしからずや、朋有り遠方より来る、亦楽しからずや」と毛筆で半紙に書いた漢文を 見せられ、これから毎週日曜日に論語を教えることにすると言われたことが懐かしく思い出される。
 (ども) りであった私に謡曲を教え、論語を熱心に教えてくれた懐かしい父は今でも私の心の中に生き続けているような気がする。
 終りに、Yさんと会って三、四日程したら、聖教新聞社より宅急便が届けられた。開いてみると、「二十一世紀へ 平和の光彩」 というビデオと、池田大作著『法華経の智慧』全三巻が入っていた。
 『馬の耳に念仏』の原稿も、そろそろ種切れになってきた。そのうちに「法華経」の話しでも書かねばと、目下熟読中である。

(1998.6)