2. 馬と彫塑(二)

 「この世に生まれて本当に良かった」
 「我が人生に悔いなし」
 という人生を送りたいと願うなら、常に自分の人生を創造していく必要がある。
 創造とは言うまでもなく新しい人生を造り出すことであり、悔いない人生を歩むためには、先ず、「こうありたいと願う 目標」を定め、その目標に到達するまでの道をつけねばならない。
 当然のことながら、その道は前人未踏の道であり、その道を切り開くには物質的、精神的、肉体的な様々な障害が生ずるだろう。
 しかし、その様々な障害を一つひとつ乗りこえていくところに生き甲斐があり幸福感も味わえるというものだ。
 言い換えれば、その様々な障害こそが「悔いなき人生」を送るための原動力と言えるだろう。
 私が馬の彫塑を始めた動機は、持病の心臓病の悪化で、そう長くは生きられそうにないと悟った時から、残された人生を 悔いのないように生きてみようと真剣に考えたからに外ならない。
 人間なんて、本当に切羽詰まってみなければ、大概は日常の雑事に追い回されて、とても自分の理想の人生について考え たりはしないものだ。
 また仮りに考えたとしても、いろいろな事情から理想の人生を送る等という賛沢は許されないのが現実の姿のような気がする。
 そこへいくと私などは幸か不幸か五十代半ばで心臓機能が故障して何をしても息切れがひどく、馬に乗るどころか仕事も できない状態になったため、止むを得ず自分に残された僅かな人生を思い通りに生きようと決心したまでのことだ。
 高貴で優雅な馬という動物は、人間の文明の進歩とともに、ますますその優雅さに磨きがかかり、特に西洋に於いては ルネッサンス以降、馬は画家や彫刻家にとってなくてはならぬ題材となっていた。
 確かに狩猟民族の血をひく当時の西洋の芸術家達は、馬に関して深い造詣を持ち、優れた技巧を駆使して見事な馬の 芸術作品を数多く残している。
 しかし、当時彼等のモデルになった馬達は、残念ながら現在私達がオリンピツクや競馬のG1レースで目にする、 あの洗練された馬では決してなかった。
 ルネッサンス以降、心の底から馬を愛した各国の馬の生産者達は、芸術家がそうであるように、より美しい馬を求めて 日夜改良に改良を重ねた結果、現在の素晴らしい馬を創り出したわけで、それ自体立派な「動く芸術作品」ということができる。
 「温故知新」という言葉がある。(ふる) きを(たず) ねて新しきを知る、これは孔子の言葉だとされているが、(かね) てから私は孔子とも あろう者がそんな馬鹿なことを言う訳がないと思っていた。
 ところがつい最近「温故知新」の次に「() って師と() す」、人の師になれるという言葉が続いていたのを知り納得した。
 「温故知新」は師になるための単なる条件にすぎなかったのだ。
 朝倉文夫も、その著『彫塑余滴』で温故知新は単なる言葉として意味がありそうな様子を見せているだけで、 創作上には何等の価値もないといっている。
 そしてさらに、将来の芸術は只己によって体現し表現する以外にないとも言い切っている。
 この言葉は、私のような駆け出しの彫塑家でもわかるような気がする。
 熟練した乗り手の規則正しい調教によって、贅肉を削ぎ落とした逞しい馬が、まるでその美しさを誇示するかの如く 走る様は、まさに動く芸術そのものである。
 馬とはこんなにも美しい生きものだったのかということを、馬関係者以外の人達にも、ぜひ知ってもらいたい。 それが馬によって幸福な人生を送らせて頂いている私の、馬に対する精一杯の恩返しだと思っている。
 馬に乗り、常に馬の肌の温もりと震えを全身に感じつつ過ごした六十年、私は何としてもこの美しい馬の姿と心を この世に残してみたい。そこに私のこの世に生きた価値を見出そうと決心したのだ。
 「一生や二生でこの仕事はできません」と遥か彼方を見て賢治は言う。今生では無理だったのかもしれないが、 今度また生まれ変わったら自分はまた此の道を歩むだろう。
 この次が無理ならまたこの次の生で此の道を歩もう。今自分の歩いている此の道は、人間として永遠に正しい 願いの中にある」
 これは宮沢賢治の「此の道」という文章の一節である。
 此の道は決して間違ってはいないという信念、自分の理想と信念を確認し、安住し、遥か彼方を見すえた永遠の視点が そこにある。
 私の「此の道」は、人間として永遠に正しい願いの中にある等という代物ではないけれど、とにかく私なりに自分の 生き甲斐を見つけたいと思っている。
 私の創る馬には特定のモデルはいない。私の創る馬は私の頭の中にある理想の馬だから。
 それが芸術作品かまたは単なる標本にすぎないかは、私の作品を見る人が決めることであり私にとってはどちらでも 差し支えはない。
 唯、私の創る馬を見て「良い馬だね」と言ってくれれば本望。
 去年の暮れの全日本選手権の主任審査員として来日したベタージュ婦人は、シドニー・オリンピックの主任審判も務める 有名な人だが、世田谷の馬事公苑にある私の馬像に抱き着いて「故国に持って帰りたい」と言って、ぜひヨーロッパで 馬術競技が開催される際、私に個展を開けと言ってくれた。
 七十歳にもなって息も絶え絶えに馬に乗っている私を哀れんでの一種の社交辞令だとは思うが、何か将来の夢が膨らんだ 思いだ。
 平成九年の調査データによれば、男子の平均寿命は77.19年、心臓に欠陥のある私は日本人男性の平均寿命まで生きら れればいいと思っていたが、「まだまだ七十歳」、いや「やっと七十歳になったばかり」だと考え方を変えて頑張りたい と思うようになった。
つい先頃引退した力士の「舞の海」がテレビでこんなことを言っていた。「常に目標をつくることだ。目標があれば 頑張りがきく」と。

(2000.5)