第3話 はじめての仲間


ジムシーもコナンと同じような、ある意味では、コナン以上の自然児。 島の反対側には多くの人間が住んでいるのに、彼はわざわざ離れた山奥に一人で暮らしている。現代が舞台でないとはいえ、子どものジムシーに煙草(劇中ではこの草は「タバタバ」といわれている)を吸わせるとは挑戦的な演出。公共放送局であることを考えるとかなり過激。

独立独歩のジムシーに比べると、ロボノイドを壊したことを謝りに行こうかと思案するコナンは、かなり社会化されている。そう考えると、コナンは運動能力こそ野性的ではあっても、行動は十分に社会的。おじいの躾が厳しかったことが想像される。おじいは、コナンを一人で生きることができてしまうような人間に育てなかった。


ふと思い出すのは、のこされ島の墓地。コナンが小石を積んで作ったおじいの墓のまわりには無数の墓が並んでいる。宇宙への脱出に失敗し、地球へ戻され、新しく生きなおした人々。コナンは出会ったばかりのラナにも、この墓地を案内している。

墓地のまわりを歩きながら、人々がどんな気持ちで新しく生きなおしたのか、おじいはコナンに何度も話して聞かせたのかもしれない。その中には、コナンを生んだ両親も入っていただろう。

過ぎていった人々の記憶を伝え継いでいくための場所。墓をそんな風に考えたことはこれまでなかった墓とは何か、よく考えなおしてみる必要がある。

おじいは息を引き取る間際に、ロケットが墜落してはじまったこの島の歴史をコナンに聞かせた。コナンがこの話を聞いたのは、はじめてではなかったのではないか。何度もくりかえし聞かせた話をコナンの心に沁み透すように、もう一度最後の力をふりしぼって話した。

生きている仲間はもういなくても、コナンとおじいは二人きりではなかった。そんな風に思う。


ジムシーはこれからコナンと旅をしながら成長する。意外なことに彼の成長を促す原動力は嫉妬。コナンに対する嫉妬が彼を大人にする。