助六 助六の水入り 2010.5.20 W272

新橋演舞場五月花形歌舞伎の夜の部を6日、7日、26日に、昼の部を9日に見てきました。

主な配役
助六 海老蔵
揚巻 福助
白酒売新兵衛 染五郎
白玉 七之助
満江 秀太郎
意休 歌六
くわんぺら門兵衛 松緑
朝顔仙平 亀寿
福山のかつぎ 亀三郎
口上 左團次
通人里暁 猿弥

「助六」のあらすじはこちらです。

水入りの場

―その夜更け、意休を待ち伏せした助六は、意休に勝負を挑む。意休は平家に味方する伊賀平内左衛門だと本名を明かし、自分が曽我兄弟を味方につけて源頼朝を討つつもりだったと言う。立ち合いの結果、助六は切られはしたものの意休を討ち果たす。

無事に友切丸を取り返した助六は、意休を殺したために追われる身となり、せっぱつまってかたわらの天水桶の中に隠れる。一度は追っ手をやりすごした助六は、助けに現れた揚巻の裲襠の中に隠れる。大勢に囲まれた揚巻は啖呵をきってたちはだかり助六を守る。

この剣幕に恐れ入った群衆は去っていく。傷の痛みで気を失った助六に、揚巻は天水桶の水を帯にくんで飲ませる。意識を取り戻した助六は、揚巻に感謝しつつ屋根伝いにのがれていく。―

歌舞伎座が建て替えのために閉場され、今後それに替って歌舞伎の本拠地となる、いわば控え櫓としての新橋演舞場での初公演は、染五郎、松緑、海老蔵らを中心とした若手が活躍する舞台でした。

中でも注目されたのは「助六」の水入りの場。上演されるのは22年ぶりだそうで、いつもなら助六が花道を駆け込んでいっておしまいになるところですが、その後白い着物に白の帯、水入り(髪の毛を捌いた状態)の鬘に紫の鉢巻きはそのままで花道から走りでてきた助六には、ゾクゾクするほどの新鮮味がありました。

三浦屋から出てきた意休と斬り合いになると、意休も白装束となり、敵討ちの様相。助六に切られた朝顔仙平の首が傍らの行燈の上にちょこんと乗ったりするのがちょっとグロテスクで笑いを誘います。

切られた意休が倒れると助六は花道七三に一度飛び出してきて、ツケ入りの見得をし、引き返してとどめをさします。この場面が、きらびやかでのんびりした前の場と違って一気に凄惨な雰囲気になるのには驚きました。まるで違うお芝居のようです。

その後、手傷を負い追い詰められた助六は、積み上げられた桶を崩しハシゴをかけて天水桶の本水の中へ、水をバシャバシャと舞台に撒き散らしながら全身を沈めるのですが、その時桶の一つを逆様にかぶって息ができるようにするというリアルな演出。しかしあんなに桶が散乱していれば、だれもが天水桶を怪しむだろうと思いました。^^;

無事に追っ手をやりすごし水から出てきたものの、傷のために気を失ってしまった助六を自分の襠裲の中に隠し、大勢の捕り手にむかって「その棒のはしがちょっとでもわしが身にさわれば、五丁町は暗闇じゃぞえ」と叫ぶ揚巻を演じた福助は、とても存在感があって立派でした。一昨年この揚巻を演じた時と比べて、笑い方に品がないため全体に少々崩れた雰囲気にはなったものの、この場の迫力は申し分ないと思いました。

助六の海老蔵は、見た目が助六そのものという魅力は襲名の時と少しも変わっておらず、その上さらにに台詞に落ち着きが出て、さりげない台詞にも実感がこもっていて、まさに現代に生きている助六という感じでした。26日に見た時は、声の調子が悪く「こりゃまた何のこった」など軽く言う台詞が全てかすれていましたが、いろいろな声を混ぜて使ったせいで喉を壊したか、もしくは水入りで風邪をひいたのかと思いました。

白玉売りの新兵衛を演じた染五郎は、江戸和事がよく似合っていて色気があり、剛の助六に柔の新兵衛という取り合わせも良く、適役だったと思います。新兵衛が素敵だとおもえたのは初めてでした。

意休は初役の歌六。花道を出てきたところはちょっと小柄なのが物足らなく思えましたが、台詞廻しがよく初役とは思えない風格を見せました。驚いたのは通人の猿弥で、人をそらさぬ堂々たる役者ぶり。助六を肉食系男子、新兵衛を草食男子と言ってみたり、助六の帯に神社の鈴のように鈴をぶらさげてならしてみたり、見ごろ食べごろ染五郎、あんないい男になりたやな~など、新しいギャグをふんだんに取り入れて大いに場を沸かせていました。

福山のかつぎを演じた亀三郎の声の良さ、江戸っ子らしい気風の良さが光っていました。助六たちの母、満江の秀太郎はベテランらしい味で舞台をひきしめ、ほんのちょっと出てきただけですが満江の手紙を揚巻のもとへもってくる白菊の歌江が歌舞伎味をそえていました。

若手主体の公演で、これほど魅力的な「助六」が見られるとは期待していませんでしたが、これからの時代が楽しみだと思える舞台でした。

夜の部は染五郎の「熊谷陣屋」から始まりました。幕が開くと三人の百姓たちが下手の陣屋の門の前で話をしているのは同じですが、藤の方が陣屋を訪れたことと、梶原がきたことをも話題にしているのは珍しかったです。

染五郎は線が細いのと、台詞がかすれがちになるのが熊谷にどうかと思いましたが、物語の最後で「戦場のならいだわえ」で思いっきり叫んでしまうのを除いてはよく研究しているという印象。しかし相模や藤の御方とのやり取りなどで台詞を言っていない間が何か気がぬけているという感じでした。(これは26日に見た時は良くなってきていると思いました。)

家来の軍次を演じた亀三郎が声の朗々と響く人なので、熊谷がちょっと負けているといった感もなきにしもあらず。七之助の相模は綺麗だけれど冷たい感じがして、まだ若いので無理もないのかもしれませんが、母親の温かみというものが感じられません。しかし首が自分の息子だったとわかってからのくどきは、イトにも上手く乗りさすがに勉強しているなと思いました。藤の方の松也はかって院の愛人だったことを思わせる艶があり好演。

義経の海老蔵がこれまた大変良く、悲運の御曹司の憂い、息子を殺さざるをえなかった熊谷への心遣い、弥陀六への温情などなど、今までの海老蔵は台詞の不安定なのが玉に傷だと思っていましたが、安定してきたのと同時に気持ちが台詞によく乗るようになったと感心しました。

今回はいろいろな役を演じたので、無理はできなかっただろうと思いますが、時々台詞の途中で裏声を混ぜるのを今回ほとんどしていなかったのだけがちょっと残念で、次回はこれを改善して完ぺきな台詞まわしを聞いてみたいと思いました。

夜の部の二幕目は松緑の「うかれ坊主」。身替わりに水垢離をとってお金をもらって歩くなかば乞食のような願人坊主を、松緑はきょとんとした愛嬌のある顔で軽妙に踊っていました。ただ髭のそりあとがペンキをぬったようなけばけばしい水色だったのだけは興ざめで、もうちょっとなんとかならないものかと思いました。

昼の部の最初は海老蔵の松王で「寺小屋」。源蔵の染五郎は、6日7日は出てくる足どりが元気で、寺子を若君の身替りに殺さなくてはならないと考えているような苦悩はあまり感じられませんでしたが、26日はだいぶ足取りが重くなり、沈鬱な気持ちがにじみ出ていたように思いました。基本的に源蔵は染五郎にあっていると思いますので、これからが楽しみです。

よだれくりの猿弥がここでも活躍。松王の海老蔵は地についた演技と台詞まわしで格段の進歩をとげました。しかし病気だと偽っているために時々して見せる咳ばらいには、今一つ工夫がいりそうです。

首実験の間も理にかなっていて、自然かつ形も見事にきまっていました。いつも自分なりの工夫がかえって邪魔に思えた海老蔵ですが、無駄な部分が洗い落されて核の部分が見えてきたなと思います。千代の勘太郎はまだ固いところが目立ちますが、情が感じられました。

次は勘太郎と福助の「吉野山」。ふかし鬢の柔らかな雰囲気が勘太郎に良く似合っていました。

三幕目は松緑の「魚屋宗五郎」。松緑が演じる宗五郎はとにかく律儀でひたむきな男。他の役者が演じるのとは一味違う宗五郎だと思いました。女房おはまの夫を気遣う心がとても温かく感じられました。おなぎの七之助、これは問題なく好演。父太兵衛の市蔵には存在感があり、これからこういう役をどんどん手がけていくだろうと思いました。

磯辺主計之助の海老蔵は端正で素敵でしたが、ちょっと優しすぎた感じで、酔っていた上に典蔵が讒言したとはいえ残酷にもお蔦を切殺した人物には見えませんでした。家老浦戸の左團次はさすがにどっしりとしていて貫禄がありました。

最後は染五郎の「お祭り」。水のしたたる良い男という雰囲気の鳶頭の染五郎が、気分よく晴れやかに踊って昼の部を締めくくりました。

この日の大向こう

6日は大向こうの会の方はどなたもいらっしゃらなくて、一般の方たちだけお二人が主に掛けていました。中に沈痛な熊谷の花道の出で、逆七三あたりで無遠慮な大声を掛けていた方がいましたが、どうしてもう少し待てないのだろう、ここで大声をあげる必要がどこにあるんだろうとがっかり。形式的にかかるいろは送りでのつんざくような「まってました」もお芝居の邪魔以外何物でもないと思えました。

7日は「うかれ坊主」から観劇しましたが、大向うの会の方が5人いらしていて一般の方も入れて8~9人ほどで、平穏無事な一日でした。

9日はまたもやおかしな声を掛ける方が来ていて、めげました。この日は大向うの会の方も3人見えていましたが、このおかしな声の方は掛けるタイミングが常にだれよりも早く、ちょうど良い間で掛かった声の方がまるで後追いしているように聞こえてしまうのが、とても気持ち悪く感じます。

今月の公演では何人もの方が「まってました」をあちこちで掛けられたのが気になりました。「寺子屋」のいろは送りに始まり、「吉野山」の忠信の仕方噺の前でかかり、「お祭り」の例の箇所でかかり、「熊谷陣屋」の物語の前にかかり、「うかれ坊主」の「上り夜船の櫂や櫓じゃとて」の前にもかかり、さらに「助六」では揚巻の悪態の初音、助六の啖呵の前でもかかり、これではいくらなんでも大盤振る舞いすぎで、粋なんてものじゃないわとげんなりしました。

ただ26日に助六の台詞「いかさまなぁ」をはさんでかけられた「なりたや」「まってました」は台詞のテンションとぴったりあっていて、これは納得できました。26日は大向こうさんは3人きていらっしゃいましたが、「助六」の並び傾城が三浦屋ののれんをくぐるたび一人一人にかかっていたのはまるで気が抜け、そのあとの台詞でまた一人一人に掛けるのなら、ことさら出で掛けなくても良いのではないかと思ってしまいました。「熊谷陣屋」に掛けていらしたのは主におひとりだけでしたが、厳選した数少ない間にだけ掛けていらっしゃったのは好感がもてました。

5月演舞場演目メモ

昼の部
寺子屋―海老蔵、勘太郎、七之助、松也、寿猿、猿弥、市蔵、染五郎、
吉野山―勘太郎、猿弥、福助
魚屋宗五郎―松緑、七之助、亀寿、市蔵、芝雀、左團次、亀蔵、海老蔵、左團次
お祭り―染五郎、
夜の部
熊谷陣屋―染五郎、海老蔵、七之助、歌六、松也、亀三郎
うかれ坊主―松緑
助六由縁江戸桜―海老蔵、福助、染五郎、松緑、七之助、猿弥、市蔵、亀寿、亀三郎、友右衛門、歌六

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