魚屋宗五郎 江戸っ子の気風 2006.7.16

大阪松竹座3日の夜の部、4日の昼の部を見てきました。

主な配役
宗五郎 菊五郎
おはま 時蔵
三吉 権十郎
おなぎ 孝太郎
太兵衛 團蔵
磯部主計之助 翫雀

「新皿屋輔月雨暈」(しんさらやしきつきのあまがさ)―
通称「魚屋宗五郎」(さかなやそうごろう)のあらすじ
序幕
芝片門前魚屋内の場
ここは芝片門前にある魚屋宗五郎の家。賑やかに聞こえてくる祭りばやしの中で、家のものは皆沈みこんでいる。宗五郎の妹で、旗本磯辺十郎左衛門の妾にあがっていたお蔦が、不義をおかしたかどで昨日お手討にされたという知らせが入ったのだ。

そこへ寺に弔いの相談に行っていた宗五郎が帰ってくる。女房のおはま、父親の太兵衛、奴の三吉らが磯部の屋敷へ掛け合いにいくべきだというが、宗五郎は今まで散々世話になった磯部の殿様にめったなことは言ってはいけないと皆を諭す。

そこへ酒屋の小僧が酒樽を届けにくる。その後へ訪ねてきたのは、磯部家に奉公する召使で、お蔦の友達のおなぎだった。

おなぎが語るところによると、飼い猫を探しに弁天堂行ったお蔦をかねてお蔦に横恋慕している岩上典蔵が無理やり口説こうとしたが、通りかかった紋三郎がこれを止めた。しかしお家転覆のたくらみをお蔦に知られてしまった典蔵は、お蔦と紋三郎が不義をおかしていると言いたて、これを信じた殿様がお蔦を嬲り殺しにしたのだという。

妹を殺された悲しみをおさえてきた宗五郎だが、これを聞いてはがまんがならず、さきほどおなぎが持ってきた酒でも飲みたいと言い出す。実は宗五郎は大変な酒乱で、このところこんぴら様に誓いをたてて断酒していたのだった。

家族のものも、こんな場合だから無理もないと宗五郎に酒を飲ませることにする。しかし案の定いったん飲み始めた宗五郎はやめることが出来ず、皆の制止を振り切って、酒樽の酒を最後の一滴まで飲み干してしまう。

いまや目もすわって、ひとが変わったように粗暴になった宗五郎はおはまや三吉をつきとばし、壁をぶちやぶって磯部の屋敷へと走っていく。

二幕目
磯部屋敷玄関の場
グデングデンに酔っ払った宗五郎は、磯部の屋敷に殴りこむが、家来たちに取り押さえられる。あとから追いかけてきたおはまは必死にあやまるが、岩上典蔵は宗五郎を無礼討ちにしようとする。そこへ家老の浦戸十左衛門が出てきてやめさせ、宗五郎の酔いがさめるまで庭の方へ連れて行って寝かせておけと命じる。

磯部屋敷庭先の場
しばらくたって、我にかえった宗五郎は自分がどうして磯部の屋敷にいるのかもおぼえていない有様だったが、おはまからなりゆきを聞いて、大変なことをしてしまったと青ざめる。

そこへ磯辺主計之助が姿を見せ、短慮にも典蔵の讒言を信じてお蔦を手にかけてしまったことを心から詫び、親の太兵衛に終生二人扶持を与え、宗五郎には弔慰金を受け取ってもらいたいという。そしてお蔦を罠にはめた岩上典蔵は主計之助自らが成敗すると聞き、宗五郎はわだかまりをとき、改めて主計之助に礼をいうのだった。

河竹黙阿弥作「新皿屋輔月雨暈「魚屋宗五郎は五代目菊五郎のために書かれ、1883年(明治16年)に市村座で初演されました。

菊五郎の宗五郎がいかにも江戸っ子らしくすかっとしていて、最後にお蔦をはやまって殺したことを詫びる磯辺の殿様を許す時も少しも嫌味を感じさせず、陰惨な話ではありますが、見終わって気分よく劇場を後にできました。

礼儀正しい宗五郎がだんだん酒乱ぶりを発揮していくところもとても自然で、妹を非道に殺された悲しみがつたわってきて、さすがと思わせる上手さ。酔いからさめた時も、宗五郎の人の良さがにじみ出ていて、恨みがましくないところが好ましい宗五郎でした。

おはまを演じた時蔵も宗五郎の身を案じる優しさが感じられて良かったですが、宗五郎にお酒を注いでやる時せめて最初の一杯だけはこぼれる寸前までついでほしいなと思いました。

三吉の権十郎はオッチョコチョイなところが、おなぎの孝太郎は酔った宗五郎とのからみが面白く、アンサンブルのよさでしまった芝居になっていました。太兵衛の團蔵は今までにない役柄で、この時はまだ充分にはなじんでいないようにみえました。

夜の部の最初は、仁左衛門の一條大蔵譚。奥殿は平成15年に休演した猿之助の代りに演じたのを見ましたが、桧垣の大蔵卿を演じるのは昭和50年以来という久しぶりの上演。どんなものかと思っていましたが、比較的さらっとした作り阿呆ぶりでした。

大蔵卿が花道七三で鬼次郎を認めるところは、一瞬真顔になり、すぐに扇で顔を隠すというやり方だったようです。鬼次郎を愛之助、お京を孝太郎がコンビよく演じていました。團蔵はこちらも初役で勘解由を演じましたが、これは合っていて「死んでも褒美の金が欲しい」という名台詞を印象付けました。

「奥殿」では秀太郎の常盤御前が鬼次郎に充分打たせて源氏の味方という性根を見た上で、本心を表すところに説得力がありました。ぶっかえって真の姿を見せた大蔵卿の仁左衛門は颯爽としていましたが、前回「奥殿」だけを演じた時にくらべ、やはり桧垣の阿呆ぶりがあるからこそ、ここでの凛々しさが際立つのだと思いました。

しかし桧垣の花道の引っ込みで、花道七三で鉄漿で黒く染まった歯をにっと出して笑った顔は、だれのであってもあまり見たくないものです。当代仁左衛門の持ち味はこういう役にはあまり合わないように思います。

映画「歌舞伎役者片岡仁左衛門」の中で十三代目がお弟子さんに何度も繰り返し教えていた大蔵卿の台詞「と〜っとと、いなしゃませ」に注目していたのですが、十三代目とは違った台詞まわしでした。十三代目はと〜っとと」で時代にはり、「いなしゃませ」で世話にくだけるやり方でしたが、当代は最初から世話に一息でいっていたようでした。

仁左衛門の大蔵卿は松嶋屋と播磨屋型の混合ということですが、播磨屋型の「作り阿呆に戻った大蔵卿が勘解由の首をボールのように放りあげる」という衝撃的な終わり方ではありませんでした。

夜の部の踊りは襲名披露を兼ねた坂田藤十郎の京鹿子娘道成寺。道行の衣装が黒地に枝垂桜ではなくて、薄紫の地に大きな桜の花が飛んでいるものでした。藤十郎はしゃがんだり立ち上がったりするのに少しもたつき、この踊りは本当に体力がいるんだなとつくづく思いました。まかれた手拭は、思い切り華やかな色づかいのものでした。

さて、昼の部の最初は輝虎配膳。長尾輝虎を我當、山本勘助の母・越路を秀太郎、勘助の妻・お勝を時蔵、越路の娘・唐衣を孝太郎、その夫・直江山城守実綱を進之介が演じました。我當はこういうかっちりした役が似合うと思いましたし、チームワークもよく隙のない舞台でした。

次は翫雀と息子の壱太郎で「連獅子」。壱太郎は若獅子と呼ぶにふさわしいきびきびとした気持ちの良い踊りを見せてくれました。後シテの登場では二人揃って後ろ向きのまま花道を小走りで引っ込むやり方を見せました。間狂言はいつもと違い、愛之助のインチキ修験者に二人の村娘がからむというやり方でした。

その後が、「坂田藤十郎襲名口上」。今月この一幕だけに出演する雀右衛門の先導で進められ、全部で10人という比較的こじんまりした口上でした。「山城屋の兄さんと私の共通点は、奥様が怖いこと」と言う音羽屋の口上が一番印象に残りました。^^;

昼の部の最後は藤十郎の団七で夏祭浪花鑑。徳兵衛を仁左衛門、お梶を芝雀、お辰を菊五郎、義平次を段四郎、釣船の三婦を我當、いかにも大阪女らしいおつぎを竹三郎、琴浦を孝太郎、磯之丞を友右衛門という充実した顔ぶれで演じられました。

団七が碇床から出てくるところで着ていたのは、粋な首抜きではなく生成り地に黒の荒い縦じまの着物でした。鬘に長めのお祭り(月代のまわりの短い毛)がついているのが、目立ちました。

徳兵衛を演じた仁左衛門はさすがにすっきりとしていて、この場だけだと出番の少ない徳兵衛はご馳走というところですが、義平次が琴浦を連れ去ったあと、舞台が90度まわって、三婦のうちの横の場になり、そこにもちょっと出てくるというのは、初めてみた演出でした。

三婦内の場では、菊五郎の粋だけれども、決して蓮っ葉ではないお辰がよかったです。最近菊五郎の女形をあまりみかけなくなりましたが、清潔な色気のある素敵なお辰でした。ちなみに襟は返していない普通の襟でした。

この場の義太夫は葵太夫が御簾内で語りましたが、はぎれのいい語り口で、演技とのかみ合わせもよく、いつもは思い入れとうなりが多すぎて、今一内容がつたわって来ないなぁなどと思っていたのですが、ナレーションに徹したこの場はとても気持ちよく聞けました。

殺しの場は、本物の泥は使わず、義平次は池の被いを持ち上げて奈落に入り身体に泥を塗ってでてくるというやり方でした。段四郎はまだちょっと台詞が入っていなかったですが、いつもの段四郎の役柄とはまるで違う薄汚くてねちっこくさもしい義平次の雰囲気をちゃんと掴んでいました。

一番面白く思ったのは本場のだんじり囃子で「コンコンチキチンチキチンチキチン」という鳴り物に「ちょーさじゃ○○よーさじゃ○○」で八拍になるようなリズムで、「ちょーさじゃ」と「よーさじゃ」は続けて言わず、間に休みがあったということです。

地元高津神社のお祭りということで、これが正統の「夏祭」のお囃子なのかととても興味深く聞きました。このだんじり囃子の掛け声について、今月松竹座でお神輿の先棒を担いでいらっしゃる山崎咲十郎さんがご自身のブログで触れられいます。

この日の大向こう

夜の部は地元「初音会」の方がお二人、次の日の昼の部は3人見えていて、威勢の良い流れ星のような声を掛けていらっしゃいました。昼の部が終わって帰ろうと思ったら、弥生会の会長ともうお一方が東京から見えていました。

襲名口上では一般の方もたくさん声を掛けられにぎやかでした。

「連獅子」では壱太郎君に「若成駒」と声がかかり、ジワがきていました。突き落とした子獅子が登ってこないのを案じる親獅子・翫雀さんの見せ場に「まってました」とかかり「娘道成寺」の「恋の手習い」の出にも「まってました」と掛かっていました。

「魚屋宗五郎」で宗五郎の長台詞の中「わっちも笑って、暮らしました」の途中で「音羽屋」と掛かりましたが菊五郎さんはここにあまり間をとらないので、少し台詞に被ってしまっていました。

「大蔵卿」の台詞「ただ楽しみは、狂言舞」の途中にも短く「(松)嶋屋」とかかりましたが、これも少し被っていたようです。台詞の途中で掛けるのはその役者さんの癖をよほど良く知らなければ難しいものだと思いました。

松竹座7月公演の演目メモ

昼の部
●信州川中島 我當、 竹三郎、進之介、秀太郎、孝太郎
●連獅子 翫雀、壱太郎、愛之助、
●坂田藤十郎襲名口上
●夏祭浪花鑑 藤十郎、仁左衛門、時蔵、菊五郎、孝太郎、我當、竹三郎、段四郎

夜の部
●一條大蔵譚 仁左衛門、孝太郎、愛之助、秀太郎、團蔵、家橘
●京鹿子娘道成寺 藤十郎
●魚屋宗五郎 菊五郎、團蔵、時蔵、権十郎、孝太郎、翫雀、段四郎


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