吉野山と四の切 勘三郎の忠信 2006.12.14 |
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南座の顔見世の1日夜の部、2日昼の部を見てきました。
「吉野山」のあらすじ これが原因となり、義経は頼朝から謀反の疑いをかけられてしまう。伏見で静御前のあぶないところを救った佐藤忠信に義経は、自分の名「源九郎」を譲り、褒美として「自分の鎧」を与える。また形見に「初音の鼓」を静御前に与え、忠信に静をたくす。― 満開の桜が咲き誇る吉野山に、義経一行がいるという噂を聞いた静御前と忠信がやってくる。静は忠信の姿が見えないので、鼓を出して打ってみる。するとまもなく音に呼び寄せられたように、忠信がやってくる。この忠信、実は鼓に皮として張られた夫婦狐の子が化けていたのだ。 忠信が鎧を切り株に載せると静は鼓を顔のかわりに置いて、義経をしのぶ。そしてその御前であるかのように戦のことを思い出して語り、死者を悼んで涙を流す。そして再び二人は義経のいるという川連法眼館を目指して旅だつのだった。 「四の切」のあらすじはこちらです。
十八代勘三郎襲名公演の最後を飾る京都南座の顔見世で、勘三郎が充実した芸を見せてくれました。 夜の部は「京鹿子娘道成寺」でぽっちゃりとした古風な娘らしいおもざしで、表現力豊かに踊る勘三郎は、一昨年歌舞伎座で襲名した時より一段と役者ぶりがあがったように感じました。 今回は我當の押し戻しがつく演出だったため、所化との問答のところはカットされていました。めったにみられない我當の大館左馬五郎は絵に描いたようでしたが足もとがちょっとおぼつかなかったのが、残念でした。
「吉野山」と「四の切」を続けて上演するのは、先年の平成中村座での「義経千本桜」の忠信編を思い出させました。2日昼の部の「吉野山」ですっぽんから忠信が登場する時、ギコギコユサユサとその昔人力で上げたという雰囲気で出てきたのにはびっくり。 「四の切」の狐忠信の出のうち、最初は普通どおりでしたが、「さてはそなたは狐じゃな」と決め付けられてピーと消えて毛縫いの姿になって出てきたのは欄間から。義経に呼び戻されての最後の出はなんとすっぽんからで、これがまた二度ドロドロがなっても出てこずやはり故障したのかとハラハラしていると、まるで「雨乞い狐」の出のように奈落からピョ〜ンと飛び出してきたのには本当に驚かされました。 時間的な問題と同じ演出が重ならないようにという配慮だと思われますが、「吉野山」は逸見藤太が家来を連れて出てくるところからばっさりとカット。いつものように静御前と忠信がひとり一人順に花道を引っ込むのではなくて、絵面の見得で幕となりました。 「四の切」での勘三郎は本物の忠信も堂々としていて余計なものがなく良かったですが、狐忠信になるとクィッ、クィツと人形ぶりのような動きがいかにもこの世のものでない雰囲気を出していて上手かったです。膝を突いて片手片足を上げるきまりが実に綺麗ですっきりしていました。 「吉野山」で藤十郎、「四の切」で仁左衛門という相手役の存在も大きかったと思います。藤十郎は白地に地味な色の模様の常盤衣に透けたグリーンの常盤笠でしっとりと落ち着いた姿。勘三郎はふかし鬢で紋だけが源氏車という地味な衣装で現れましたが、後で肌ぬぎになると真っ赤な地に大きな金の源氏車がぽんぽんと飛んでいるという大胆な変化が生き生きとした踊りに映えていました。 「四の切」では初めの川連法眼夫婦の出る場面はカットされていました。仁左衛門の義経は、さすがに御大将の気品と存在感があり、佐藤忠信とのやりとり、狐忠信とのやりとりを味わい深く聞かせました。 「四の切」の最後はいつもの悪法師たちが出ず、義経と静が見送る中、勘三郎の狐忠信は花道を狐六方で嬉しそうに引っ込んでいきました。上手の木に登ってお終いになる音羽屋型は、澤瀉屋の宙乗りに比べるとあまりにも地味に感じられるので、花道をひっこむのは適当に華やかで良かったと思います。静の勘太郎は色気は乏しいものの、清潔感があり、きりっとした静御前でした。 昼の部には「寿曽我対面」が上演されましたが、橋之助の五郎は荒事に必要不可欠の子供っぽい若さが足りなかったように思いました。八幡三郎行家の薪車の声がとても凛としていて爽やかでした。 昼の部の最後は「お染久松浮塒鴎」。芝翫が四つ竹という和風のカスタネットのようなものを自らうちながら江戸情緒たっぷりに楽しい踊りを見せ、お染を孫の七之助、久松を次男の橋之助が演じました。 夜の部の「俊寛」は松嶋屋三兄弟が勢揃いした上に、孝太郎の千鳥と愛之助の康頼と顔を揃えたアンサンブルのよさが印象的でしたが、少将の秀太郎と康頼の愛之助の衣装が新しいのに、俊寛の仁左衛門の衣装だけが思いっきりボロボロだったのはちょっと気になりました。 仁左衛門は「思い切っても凡夫心」で船を追いかけ海に入っていくところで、今度で三度目になる「すっぽんに胸まで入る型」を見せました。見慣れたせいか、もはやそこだけが突出した感じはなく、必死で船を追おうとするすさまじさのみが感じられました。 その後岩へかけのぼり松の枝をボキッと折って岩から落ちそうになるきまりも、カッとあいた目に恐ろしいほどの生への執着が出ていて、そのためか今回はうっすらと微笑んだ幕切れの表情に「悟り」よりは、「虚脱感」を感じました。 「雁のたより」はいかにも上方らしい賑やかな雰囲気のお芝居で、「向こうに見ゆるは、あれは山城屋の紋所」という「霊験亀山鉾」のおつま八郎兵衛の件でも聞こえた(屋号は松嶋屋でしたが)賑やかな下座音楽が印象的でした。藤十郎の髪結い・三二五郎七は、出てきたところみるからに色事師に見えてしまうなぁと思いました。しょうもない若殿を演じた愛之助の持ち味はこういう芝居にもなかなか似合っていました。 最後は「乗合船」で華やかに終わりました。いつもそうだったかどうかは忘れましたが、昼夜とも5演目ずつで、朝は10:30からで、夜は9:40までというのは、分けて見てもいささか長すぎて、くたびれてしまいました。 |
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この日の大向こう | ||||||||||||||||
1日夜の部、2日昼の部とも初音会の方が1〜2人みえていたようです。いつも聞こえる上方風の威勢の良いお声もかかっていて、一般の方数人の声も聞こえ、口上では特ににぎやかでした。 段四郎さんのファンと思われる女性の方が「澤瀉屋」にだけきっぱりとした声をかけていらっしゃいました。「吉野山」の「女雛男雛」のところには、声は掛からず、全体に静かで、夜も昼も途中で拍手が起こりかかってもすぐに消えてしまうのが、なぜなんだろうとちょっと気になりました。 |
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12月南座の演目メモ | ||||||||||||||||
昼の部 夜の部 |