月山スキー事故顛末
念願の月山〜肘折温泉ツアーへ出発!と意気込んで仙台行きの夜行バスに乗り込む。
山形直通のバスだと、4列シートで乗り心地が良くない、山形での待ち時間が長すぎるといった理由で、3列シートで運行しているスイート号(3列シートは1号車のみ)で仙台経由のアプローチ。
仙台駅の仙山線ホームで立ち食いそばを食べてから仙山線で山形へ向かい、山形駅でバスの発車時間まで間があるのでお茶を飲んで一息入れる(なんだか飲み食いしてばっかり)。
いよいよ月山へ向けて出発。我々のほかにもスキーを持った人がいるのではと思ったが、どうやらバスでのアプローチは我々だけらしい。
西川バスストップで降りてシャトルバスを待っていると、「志津までだけど乗っていく?」と声をかけてくれる人が現れる。「お願いします。」といいかけたが、姥沢に着くのは同じ時刻になるし、荷物を出したりするのは面倒だなあと思い気持ちだけありがたくいただくことにする。
冷たい風が吹いていて肌寒くなってきた頃にようやくシャトルバスがやってくる。乗り込んだ途端に「えー、今日は雪のため志津までの運転になります。」と一方的に言われていまう。
二人とも青ざめて地図を引っ張り出す。見ると同時にがーんとショックを受ける。志津から姥沢までの遠いこと。これでは今日のうちに念仏ヶ原までいくのは無理だ。
しかし、ここまで来てしまったのでとりあえず現地に行くしかない。もしかすると姥沢までいけるようになっているかも、、、、。
という淡い期待を志津に着いたらいとも簡単に破られてしまう。志津でシャトルバスを待っていた山スキーを持った人達の懸命の交渉もむなしく「バスは折り返し運転します。」という決定は覆らなかった(運転手さんも仕事だから仕方がない)。
バスが行かないんじゃスキー場も営業していないのじゃないかと心配になり、山人が電話をかけに行くことになる。モコモコはすっかりやる気ゼロだが、“現地に行って判断する”の方針が染み付いたのか、とぼとぼと姥沢に向けて歩き出す。
歩き出して3分もしないうちに救世主が現れた。「どこまで行くの?」と車を止めて声をかけてくれたのだ。「姥沢まで」と答えると「姥沢まで遠いよ、乗っていく?」とありがたいお言葉。今度は躊躇せずお願いし、山人を呼ぶ。山人が追いついてくる間に荷物を車に積みこもとすると、「あれ?」という声。見上げると、西川のバス停で声をかけてくれた人がいた。その人が泊まる宿のご主人の車だったのだ。
不思議なこともあるものだ。今思うとこのときから月山周辺でお世話になる運命が始まっていたのかもしれない。
姥沢へ向かっていくと天候がどんどん悪くなってくる。車の中で肘折温泉へ降りるつもりだと話すと「立谷沢までは滑られるところを行けば自然につくが、念仏ヶ原から先のルート取りが難しいんだ。今年は雪が少ないから小屋は全部出ているよ。」などいろいろ教えてくれる。
姥沢に最初の予定より少し遅れてだが、歩いていたらここに着くのにお昼になってしまうところだ。本当に助かった。
支度を済ませ、リフト乗り場まで歩き、リフト乗り場で軽く行動食を口にする(本当に食べてばかり)。1回券を購入し、早速リフトで上がると、ものすごい風とガス。それまでは「どうするよ、天気良くないよ。」というモコモコに対して「いくのだー。」と返していたさすがの山人も「だめだこりゃ」とすんなりあきらめる。
今日はゲレンデで遊ぼうということで荷物を置きに降りる。久しぶりに荷物を背負って降りるせいか非常に足が疲れる。
その一 久しぶりのツアーだ
リフト乗り場について今後の予定を話し合う。結果、今日はゲレンデで足慣らし。明日はさいとーくんを呼んで滑ろう。ということになり、宿を探す。3軒目にようやく空きが見つかり一安心、そしてさいとーくんに連絡をとる合流OKの返事をもらう。
明日は天気良さそうだし、今日の夕食の食材は雪にでも埋めておいてあした食べよう(また、食べ物の話)、早く明日にならないかなとうれしくなり、少し早めの昼食をとる(いい加減食べるのやめたらという感じです)。
シールをつけて登っているパーティーに遭遇。
どこへ行くのだろう?
〜とうとうやってしまいました〜
2004年4月24日