14:00 オアシスを飛び石伝いにホータン(和田)からのニヤ(民豊)への約5時間,312kmの移動を開始。
砂漠の中の道をひたすら走る。
砂漠の地形は,単純な平坦面だけで出来ているわけではない。比較的平坦な砂礫地・標高差数mから100mの砂丘・今は,カラカラだが洪水時に氾濫原と化す低地・草が密生している所・まばらな所などなど複雑である。
砂漠を突っ切る国道は,遠くにあるいは近くにオアシスを望み,時々,小さなオアシスを通過しながら走る。
はるか彼方に竜巻が起こって,砂塵を渦巻き状に巻き上げながらユラユラと走っていくのが見える。
15:15 (ホータンより85km) 策勒大橋通過。
道の両側に水路を造り,ポプラ(?)の苗木が植えてある。並木を作る準備をしているのだろうか?
やがてオアシスに入る。荒涼とした砂漠を走ってくると,このポプラ並木道に一服の清涼感を感じ,なんとなく,ほっとする。
15:25(ホータンより90km) 策勒(チラ)鎮に入り給油兼トイレ休憩。町の中心は,国道より北10kmの所だと言う。
ここで,王さんにガソリンの価格を聞いたら次のような答えが返ってきた。
軽油は3.5元/㍑(50円) カシュガルでは4元,上海では5元。20年前(市場経済化する前に相当するか?)は全国同一価格であった。ちなみにミネラルウォーターは,上海3~5元,ウルムチ1.5元,土地は1㎡あたり5000~7000元(上海),2000元(ウルムチ)とのこと。土地は国家のものと聞いているが,この値段は,売買価格ではないはず,何を示すのか聞き漏らした。
策勒を出てからもしばらくは,ポプラ並木が続き,小さな集落が途切れとぎれに続く。
16:00(ホータンから120km) 再びゴビ灘へ 比較的植生が多く,葦(?)の乾し草を満載したロバ車を見かける,道脇にタマリクスの花がいっぱい咲いている。写真タイムをとる。明日,通過する輪台の近くにタマリクス群生地(紅柳灘と呼ぶ)があると王さんが教えてくれた(実際はそこを通過したのは21時頃,何も見えなかった。)ここでタマリクスをじっくり観察しておいたのが正解であった。
ホータンから135km このあたり,ずっと草原状のゴビ灘で,集落も途切れとぎれに続く。
16:45(ホータンから170km) ケリヤ(于田)に到着
毛沢東とコルバン爺さんが握手している銅像が迎えてくれる。彼は毛沢東が好きでたまらず数千kmをロバ車で北京まで毛沢東に会いに行ったとの説明あり。
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立派な集合住宅 |
すぐ傍には日干し煉瓦の家 |
ケリヤはニヤとホータンの中間に位置する小さなオアシスで,水量が比較的豊富なケリヤ川のおかげで沙漠の中とは思えないような田園地帯が広がっている。
17:00~17:20 旧市街地の一画にある商店街で下車,小散策。
世界一小さな帽子の女性見~つけた!
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小さな帽子 |
居た 居た! 小さな帽子を被った年配のウイグル女性。
集落の奥から歩いてきた子供連れのご婦人の頭にカップのような(径10cmくらい)帽子がちょこんと乗っている。羊の皮で作った世界一小さい帽子である,ケリヤとニヤ(民豊)独特の習慣で,タルバック(泰勒拝克)あるいはキチク・テルベッキという。近ごろは珍しくなってめったに見られないとか。よく見ると,頭に被った白いベールに針で縫いつけられているようだ,世界一小さな女性用帽子としてギネスブックにも載っているとのこと。
ここケリアは,カシュガルやウルムチのウイグル族と違って,他の少数民族との混血が進んでいないので,純粋のウイグルが多く,インド・ヨーロッパ系の顔立ちをしていて,ケリア人と呼ばれているそうだ。
村の人々の笑顔がとても素晴らしく,そして何より,先刻,水路で”フルチン”で水浴びしていた子供達がなんと無邪気で可愛かったことか! (このページのトップ写真)
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ケリヤ川 |
17:25 ケリヤ川を渡る。
両岸は水田地帯。ケリヤ川は,崑崙山脈に源を発し山麓扇状地末端のケリアオアシスを形成し,北方へ流れ下りやがてタクラマカン沙漠中央部で消失してしまう尻切れ川である。
川を渡った所で,青空トイレをすまし,ニヤまで残り120kmを一気に走り抜ける事とする。
だが,ここから非舗装の悪路となり,とたんに車のスピードが40km/hrにダウン。先が思いやられる。
ホータンから180km 砂漠地帯へ 小さな竜巻が,あるいは遠くに,あるいは近くに,車の脇を通り過ぎていく。新疆の竜巻は規模が小さいものばかりで,危険は無いそうだ。
18:45(ホータンから290km) ニヤ川通過
18:55 ニヤ(民豊)に入る。
19:05 ホテル(ニヤ賓館新館)着
ホテルは今年,建ったばかりだという新館だそうだが,あまり設備は良くない。給湯は夜中にストップして,翌朝7時20分過ぎにようやく出るようになる。バスルームはシャワーのみなのは,よしとしても,設計が悪い。タオルや石鹸やシャンプーを置く場所が無いので使い勝手の悪いこと甚だしい。
中国もここらあたりに来ると,まだまだお客の立場になって物事を考えるという姿勢ができていないらしい。
荷物を整理していて,ユニバーサルプラグ(海外のあらゆる型のコンセントに対応できる優れもの)をうっかりして途中から引き抜いて,片割れをホータンのホテルのコンセントに差し込んだままにしてきたことに気がつく。 ゲッ~ デジカメのバッテリーを充電できなくなったらどうしよう!一瞬青くなる!
幸い,以降のすべてのホテルに,通常の平行2枚刃コンセントがあったので助かった。やれやれ また忘れ物をしてしまった,やだね~歳をとるってえ~のは!まったく!
20:00 1階レストランで夕食 メニューは,とうがん炒め,きくらげ炒め,揚げ魚,ナス炒め,のりスープ。
夕食後,市内の夕暮れバザールへ 夜9時過ぎだと言うのにまだ明るくて,人々で賑わっている。
果物,野菜,干し果実,青空レストランなどが軒を連ねている。王さんがハミ瓜を1個買ってくれて,皆で頬張る,上手い,旨い,美味い。
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おかみさん連中が野菜の買い物 |
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軒下喫茶店(チャイハナと云う)で
楽しい食事?orティータイム? |
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ハミ瓜にかぶり付く |
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どこに行ってもウイグル族の子供達は,
人なつっこい |
ニヤには,有名なニヤ遺跡があるが,はるか100km北の砂漠の中,また市内にはニヤ遺跡から出土したミイラなどが展示されている博物館があるが,今回のツアーは,日程の都合で残念ながら見学せず,明日のタクラマカン砂漠横断のための通過地として,1泊するだけである。
メモ 「ニヤ(尼雅)」
現在のニヤは,ホータン地区管轄下にある面積56,726k㎡(大部分が砂漠),人口3万人の県,民豊の中心地。
古代のニヤは,現在のニヤから北へ約100km,ニヤ川に沿ったオアシス都市であった。
紀元前1世紀~3世紀のころに栄えた西域36国のうち精絶国という小国のあった所。
4世紀ごろ砂漠の拡大やニヤ川の流れが変わったことで町はうち捨てられ,歴史から消え去った。
かつての西域南道自体も,北に100kmほどの砂漠の中を通過していたと考えられている。
ニヤ遺跡は20世紀初頭スタインにより発掘・調査され,仏塔を中心に寺院や城址,数多くの住居址など多くの遺構・遺物が発見された。
ニヤ遺跡は,政府の許可がないと入れない。ついでながら2004年日中合同の発掘調査が行われ,「西域のモナリザ」壁画が発見された,ホータンの北東360kmの砂漠中にあるダンダンウィリク遺跡も当然ながら一般観光客の行ける場所ではない。
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