今日は,タクラマカン砂漠のほぼ中央部を南から北に横断する。ニヤからクチャまで722kmの大移動である。
朝,食堂がなかなか開かないので,裏口から進入。砂漠の中で何が起こるか分からない,饅頭と,ゆで卵とピーナッツをゲットして
08:55 ホテルを出発
国道315号を東へ。天気が良ければ,右手には雪に覆われたコンロン山脈の峰々が望める筈だが,残念ながら霞んでいて何も見えない。
20分ほどで,分岐路。左が砂漠公路,右がチェルチェン~チャルクリク方面に行く西域南道である。
左側の砂漠公路への道を進む。
このあたりヤギの放牧地となっている,右手の小高い丘にマザールが見える。
09:15 砂漠公路出口ゲート(ニヤより22km)
わたし達は砂漠公路を南から北へ,逆行するので出口から入ることになる。
ゲート手前のガススタンドで給油(これから砂漠のほぼ中間点まで給油所は無い)。
この間,わたし達は下車して出口ゲートまで歩き,記念碑などを見たり写真を撮ったりする。
ひょいと振り返ると,給油中である筈のわたし達のバスの姿が見えない,あれ~っ どこへ行っちゃたんだろう? 30分位して,バスが戻ってきた。ゲート際のスタンドには軽油が品切れで,国道まで戻って給油してきたとのこと。こんなこともあるんだ!日本では考えられないぜ!
メモ 「砂漠公路」
道路建設のきっかけは,1950年代に砂漠の中に油田が発見されたことによる。
油田開発のため,1991年着工,1995年9月全線開通し1997年に一般に開放された。
西域北道のルンタイ(輪台)の南「シャオタン」(始点)から西域南道ニヤ(民豊)の北「チャチャン」(終点)まで,全長522km,うち砂漠部分が446kmの世界最長砂漠横断道路である。
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砂漠公路出口ゲート |
ゲートの傍まで砂丘が迫っている |
09:45 20分ほどのタイムロスで,いよいよ砂漠道路へ
しばらくの区間,路盤の補修工事をやっていて,ガタガタ道が続く。左手に「砂漠道路維持管理センター」と書かれた建物あり。
10:10(出口ゲートより(以下同じ)17km地点) 左手に赤い屋根,水色の壁のポンプステーションが見える。
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4km毎に設置されているポンプステーション |
砂丘の間を一直線に伸びる砂漠道路を快調に走る。
ウルムチ~ホータン行きの寝台バスとすれ違う,22時間かかるそうだ。相当旅慣れていないと,利用は無理のようだ。
10:33(50km地点) 左手に石油基地への道路が分岐している。
添乗員のN.Oさんが,朗読してくれた「ナショナルジオグラフィー1984.1のシルクの道」の語りを聞きながら,この沙漠の周辺をたどって文明の行き来が行われた,はるか2,000年前に思いをはせる。
玄奘三蔵「大唐西域記」には、タクラマカン砂漠について次のように記述されている。
四方見渡す限り 茫々として
目指す方を知るよしもなし
かくて往来するには 遺骸を求めて 目印とする
水は乏しく熱風は頻雑に起こる 風が吹き始めると 人馬ともに目がくらみ
迷い病気となり 何処に来たのかも 分らなくなる・・・・・・・・
5世紀、玄奘に先立ってこの砂漠を渡ってインドに向かった僧がいる。その名は法顕(337頃~422頃)である。「仏国記」には次の如く記述されている。
川に水は無く 熱風あり
多くの悪鬼 あえば即ち皆死し 一人も無事な者はいない
空には飛ぶ鳥無く 地には走る獣無し
行く先を求めても 拠り所無く
死者の白骨を以て 標識とするのみ
11:00(88km地点) ポンプステーションNo.98の脇で青空トイレ&休憩
ポンプステーションを覗かせてもらう。
ポンプ番は,二人で,たいてい夫婦だという。寝室,台所,シャワー・トイレ室がついていて自炊生活。1週間に一回,物資補給の車が廻ってくるとのこと。勤務交代はどのくらいの頻度で行われているのだろうか,聞き漏らした。
さて,このポンプステーションであるが,道路に沿って正確に4kmおきに設置されていて,水井戸(深さ300mほどと想定される)からエヤーで揚水した地下水を,道路両側の防砂のための植生(ほとんどがタマリクス)に散水する設備である。砂漠区間に全部で105箇所ほど設置されている。
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活着しつつあるタマリクス |
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タマリクスの根元に給水パイプから点滴潅水
これを500キロにわたり実行するって凄い事だ・・・
さすが万里の長城を造った漢民族・・・ |
防砂のために「葦の格子枠」とか「プラスチック格子枠」・「防砂ネット」・「防砂柵」などいろいろトライ&エラーしたらしい,今は,ポンプステーションによるタマリクスへの散水方式に定着したようだ。
道路の両側30~40mのゾーンになんとか植生が根付きつつある。
人間と砂の戦いが,道路建設後もずっと続いていることを実感する。
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飛砂を防止する対策として葦の草方格 |
葦を束ねた防砂垣 |
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防砂帯の無い場所では,風の弱い日でも路面を砂が這いずり回っている。道路の砂掃除も絶えず行なわなければならない。作業現場に辿り着くだけでも大変だろう。 |
砂漠と砂漠緑化についての知識はここをクリック。
11:30(120km付近) 喜多朗の「シルクロード Ver2」を聞きながら,半分居眠りしながらゆったりした気分になっていた時,突如アクシデント発生!!
バスの窓ガラスが割れちゃったよ~
左側の前から2番目の窓ガラスが,ブスッという音を立てて割れる,30×80cm位の穴があいて,全面が砕けてまっ白になっている。追越し車が跳ねた小石にやられた。
割れた部分のななめ横の座席に座っていた妻が,顔を伏せたままでいる。一瞬 ヒヤッとする,ガラス片が顔にでも刺さったんじゃないか?
「何が起こったのかわからず伏せたままの姿勢をとっていた」とのことであった。真横に座っていたN.0さんも怪我なしで大事には至らず,先ずは安心。
みんなが持っていた,ビニールシート・ビニールテープ・セロテープ・ガムテープを持ち寄って,応急修理。
12:20 出発。 約1時間のロスタイム。速度は60km/hr程度しか出せない。
今日中に,クチャのホテルにたどり着けるかどうか怪しくなってきた。
破損部が拡大しないように恐る恐る車を走らせる。時折,カーテンの裏側で”チャラ チャラ チリン”とガラス片が砕け落ちる音が聞こえる。何時,応急補修ガラスが吹っ飛ぶか気が気でない。
幸いにして天候は安定していて,砂嵐に遭遇しなくて助かった。
220km付近 塔中という表示があり,左右に石油櫓が遠望できる。塔中油田である。
14:00 (225km) 塔中に到着。砂漠公路のほぼ中間点である。
塔中とは塔克拉瑪干(たくらまかん)砂漠の中心という意味だそうだ。
ガソリンスタンド,レストラン4~5軒,売店,新設無料トイレあり。
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中間点ゲート
「わが祖国のために石油を献ず」かな?
向こう側には「征戦“死亡”之海」「只有荒涼的沙漠 没有荒涼的人生」(”死亡の海”と戦わん,荒涼たる砂漠あるも荒涼たる人生無し)とある。 |
昼食のラグ麺 |
食堂の席が空くまでの時間,付近の砂丘を歩く,駐車場の周囲は,トイレができるまでは青空トイレだったらしく,その痕跡が散乱していて散策するのが憚れる。はるか彼方に油田の櫓が見える。
「沙柳快餐」という食堂で昼食をとる。メニューはラグ麺のみだが量が多い。砂漠の真ん中でビールが飲めるとは思わなかった。
わたし達が食事をしている間に,スルーガイドの王さんとドライバーのチーさんは,数軒の店からダンボールを貰ってきて,懸命に窓の修理をしてくれた。なんとか,砂漠を突っ切るめどがついたようだ。
さらに,窓枠のサイズを測ったりして,会社と携帯電話で連絡を取り,本格修理の手配もしている模様。段取り良いのに感心する。
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情けない姿だが,先ずはひと安心
クチャまでがんばってね! |
15:55 中間点を出発
16:05 (285km地点) 青空トイレ休憩&砂丘を背に全員記念写真撮影。
写真提供 T.T.氏 |
このあたり,見渡す限り砂丘ばかり,砂漠公路は大波のような砂丘を上り下りして北へ進む。
重量トラックが頻繁に通行するせいか,舗装はやや荒れ気味で,乗り心地はあまり良くは無い。しかし,日本では見られない雄大な砂丘の景観がそれを補って余りある。
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見事な風紋 |
17:40(388km付近) 胡楊の低木が見られるようになる。
18:20(440km) ポンプステーションNo1でトイレ休憩。ポンプステーションはここで終わりということは,砂丘地帯も終わりに近いということだ。予想したとおり,わたしの判定でも442km付近で砂漠部分終了。
472km付近で胡楊の枯れ木林をウォッチング。
胡楊は,成長は遅いけれど,寿命が長い。生きて1000年,かれて1000年,使って1000年と言われている。ローラン・ニヤ・ダンダンウィリク遺跡の写真で,よくお目にかかる乾燥して朽ち果てたあの木材がこれである。根が樹長より長いので効率よく地下水を吸い取ることが出来,タマリクスと並んでタクラマカン砂漠の貴重な植生である。
18:40 476km付近 ポプラが現れる。無事砂漠部分を通過しきったようだ。
砂漠始まりの碑&防砂植林工の説明ボードあり。
19:20 (483km付近) 歩いてタリム河大橋を渡る。
タリム河は中国最長の内陸河で,崑崙山脈・天山山脈の水を集め,本流だけでも長さ1,321km(支流を加えると全長2,179km)あるが,ローラン付近で沙漠に消える(かつては,ロブノール湖に注いでいた筈)。 さすがにタリム盆地の周辺の山々から水を集めてきた大河である。河岸に茂る胡楊を抱きかかえるようにゆったりと流れている。
最近,洪水が発生したようだ。高水敷も冠水していまだ水が引いていない。
左岸に,ポンプ小屋が3箇所ある,多分,非合法的取水設備であろう。2,3年ほど前,東京で開かれた水資源関係のシンポジュウムで,ウルムチから来たスピーカーが「タリム河は,ゲリラ的取水が横行していて渇水期には,すぐ干上がってしまうことが多い。」と歎いていたことを思い出した。
いまは豊水期だが,渇水期には,流域の乱開発の影響で水が少なくなり,下流300km程が水不足となるそうだ。
タリム大橋は,橋長605m,1995年2月14日に起工 同年9月20日竣工とある。凄い突貫工事だ!
橋を渡りきったところが,タリム鎮。ガソリンスタンド・レストラン・宿泊所・診療所などがある。
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水量豊富にゆったり流れるタリム河
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タリム大橋 |
19:55(492km) 胡楊の群生地。江沢民さんも寄ったと言う,老大木がある。根が繋がっていて,樹齢1600年以上とか,「連心樹」と呼ばれている。胡楊は,非常に生命力の強い樹木であり,それにあやかろうと多くのツーリストが訪れる。
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胡楊の王様 「連心樹」 |
しばらくすると,右手に石油掘削櫓や生産井が見えてくる。石油の排ガスを燃やすフレアースタックの赤い炎も見える。このあたりが輪南石油基地,やがて道路際にも油井や近代的な建物が立ち並ぶようになる。
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フレアースタック遠望 |
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生産井 輪南2-33-H5号井? |
20:30(522km地点) 砂漠公路始点ゲート着
砂漠公路の入り口には終点・中間点でお馴染みの例のゲートが建っており,脇には建設記念碑がその功績を称えている。
露店のハミ瓜の美味しかったこと!
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砂漠公路建設記念碑 |
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始点ゲート |
T字路を左折して,クチャまでは,まだ178km
国道314号(西域北道 トルファン~カシュガル)に出るまでの道が物凄い悪路!
既に陽が落ちて,窓外は薄ぼんやり,524km地点付近で道の両側にタマリクスの花がたくさん咲いているのがちらりと見えた,多分ここがタマリクス群生地,”紅柳灘”の筈。当然のことながら写真は撮れず。
21:30 国道134号へ クチャ方向へは,対向2車線ながら高速道路仕様になっていて,やっと快調に走る。料金所を出て約20分,市街地に入る。このあたり,夜も煌煌と明かりがついていて24時間稼動の石油精製基地のようだ。
22:50 ホテル着 すぐ遅い夕食を摂る。
シャワーを浴びたら,バスタブに砂がたっぷり溜まる。
長い一日が終わる。25時就寝。
ニヤからの所要時間13時間 45分 走行距離722km
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