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旅行記4-2 ページ

8/28(日) カシュガル市内 2         
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 ウイグル人が古くから住み着いている老街を見学する。 (入場料 ?)
職人街からバスで5分くらい,トマン川を渡った旧市街地区にある。
 カシュガルは,漢民族居住区とウイグル人居住区にはっきりと分かれている。巨大な毛沢東像・人民広場・政府および共産党関係の役所がある辺りの中心街から北東に1kmほど離れたところに「日曜バザール」と呼ばれるウイグル人の大きなバザールがあり,その周辺にウイグル人居住区が集中している。これが老街である。

 気になる事がある。ウルムチでも,旅の後半で訪れるトルファンもそうであったが,新疆の大きな町では,きまってウイグル族と漢族の住み分けが行われている,小・中学校も別だと言う。これでは漢族が支配階級として君臨した漢代,唐代と何にも変わっていないのではないか。中央アジアの諸民族(カザフ族,キルギス族,ウズベキ族,タジク族,モンゴル族など)は,まがりなりにもそれぞれの独立国家を持っている。ウイグル族だけが,見方によっては被支配状態にあると考えるのは偏見であろうか?あっそうそうチベット族はもっとひどい,こちらは,解放と言う美名のもとに,中国に侵略されたものとわたしは昔から思っている。
 

   一人で老街に入ったら迷子になるよ~

トマン川の橋の上から見た老街 老街入り口

 
 そのエリアに一歩踏み入れると,日干しレンガでできた古い民家(屋根はポプラの木で梁を渡し,ゴザまたは麦わら+泥で覆う)が密集しており,狭い路地が迷路のようになっていた。どちらかと言えばスラム街と言った方が良さそうな所だ。カシュガルのウイグル人の半数近くの人が,こういった旧市街に住んでいると言う。

 3階建ての瀟洒な家を見せてもらった,中は広くてゆったりしていて,そこそこの快適な生活を送っているように見える。1階は男性の部屋,2階は女性の部屋,3階は居間という決まりがあるらしい。

タイル貼り3階建ての瀟洒な民家 応 接 間 居  間
広くて三代の家族がゆったり暮らしている。窓を開け放して涼しい風が!エアコンなんて勿論要らない世界だ!
こういった日干しレンガの家屋が一般的 迷路のような路地
一人で入ったら迷うこと必定
小さなモスクもある
昼食レストランへの途路,建設中のこんな立派な集合住宅を見かけた。ウイグル族用なのかな?やっぱり漢族用かな?

 ポプラ並木の道を少し郊外へ走った”亜郎風情園”というレストランのブドウ棚の下でイスラム料理の昼食。
メニューは,
ラグ麺,シシカバブー,人参ピラフ,饅頭,きゅうり,スイカ,ハミ瓜,ブドウ・・・・・

ラグ麺
ラグ麺とはうどんのような太麺に,羊肉とトマトとその他の野菜類を炒めたソースをぶっかけて食べる新橿の庶民食。とてもさわやかで, 日本人の口にあう。
ウイグル語では,ラグマン(längmän)だが以後も,通称のラグ麺を使うことにする。
にんじんピラフ

「中国大紀行」のディレクター松野寛子さんの自己流ラグ麺レシピ
※材料
玉葱/ピーマン/にんにく(一片)/トマトまたはホールトマト/牛肉(羊肉の代わり)/サラダ油/うどん(乾麺)
※作り方
1)麺をゆでる。
2)サラダ油たっぷりのフライパンで牛肉・玉葱・ピーマンを炒める。
3)最後にトマトを潰して入れる。
4)麺と野菜は別のお皿に入れ、食べる直前に麺に具をかける。

 いったんホテルに戻り(14:40),しばし休憩。部屋に戻る前に,このホテル敷地内にある”旧ロシア領事館”の建物を見に行く。附属の建物にいたるまできちんと保存され,やや重厚な感じのする建物である。現在は,高級な客室・会議室として利用されているという。 

旧ロシア領事館
荒涼たるゴビ灘(たん)と砂漠あるいは峻険な天山・パミールやカラコルム・崑崙の山々を越えてきた多くの外交官・探検家・スパイたちがここでシャワーを浴び,美味しい料理を食べ疲れを癒したことであろう。
わたし達の泊まった色満ホテル

 エイティガル寺院の近くには,”旧イギリス領事館”もあるという。何でこんな奥地に領事館が設置されていたのか不思議に思う。その理由は,こういう事だと分かった。

 両国の領事館が置かれていたのは,19世紀後半から今世紀初めにかけての帝国主義の時代だった。
当時,新疆は清国の領土ではあったが,西方のコーカンド汗国・すぐ南のインド植民地を統治していた英国・さらに北方からのロシアといういくつもの勢力にとって,タリム盆地の西端に位置する要衝カシュガルは,拡張すべき勢力圏の一番の先端となったいた。
 数多くの勢力がこのカシュガルで,せめぎあいを演じていた。実権を握っていた地方軍閥の抱きこみにあるいはこれらに影響力を行使すべく,ここに領事館を置き,虚々実々の駆け引きを展開した,いわゆるグレートゲームの主要な舞台となっていたのである。
 色満ホテルの裏庭にある黄色い壁の建物は,1890年から1958年までロシアの領事館として使用されていた。


16:00 ホテルを再出発、市街から東へ5キロほど、ドーム風のイスラム建築が目立つホージャ廟へ向かう。
16:20 香妃墓(アパク・ホージャ・マザール Abakh Hoja Tomb)着
 途中の町中で,崩れかかった土で出来た城塁が一瞥できた。いつの時代のものであろうか?
駐車場は大混雑。周辺には土産物屋が並んでおり,日本語で書かれた看板もある。小さな子供がすぐ「チョウチョ イチゲン! チョウチョ イチゲン!」と寄ってくる,Yさんがまとめ買いしたのから一つを頂いた。
 香妃墓
(入館料 15元)
 一般にはアバ・ホージャという豪族一族の墓(5代72人の柩がおさめられている)であるが、香妃墓として有名である。
有名なイスラム教指導者だったアパクの祖父の兄弟が白山・黒山の両派に分かれ孫であるアバクは,黒山派に圧迫され一時,チベットに亡命したこともあった。ダライ・ラマを通じてジュンガルのガルダンの支援を得て失地を回復し,17世紀に新疆南部を支配していた人物である。宗教指導者でもあったアバクの墓は人々の熱烈な崇拝を受けホージャ・アバクの墓と呼ばれた。ところが,彼の死後80年に外孫女の香妃(Ikparhan 1734-1788))の遺体が北京から戻りこの聖廟に葬られた。(伝説では,1763年 北京で亡くなったといわれている。)
 香妃の名は,清朝乾隆帝とのロマンスで中国全土に知れ渡っているので知名度に差があり,香妃墓と呼ばれるようになったとさ!

蝶々のブローチ(1個1元) 香妃廟

 陵墓はドーム状の屋根(H=29m φ=17m)で外壁には唐三彩風の緑色のタイルが張られていて,とても美しい。ドームは上方でいったんくびれる玉ねぎ型ではなく大きな鉢を伏せた型で,おとなしくて素朴な感じがする。てっぺんには小さな半月が載っていて,ここがイスラムの地であることを示している。緑色のタイルはアラビヤ産,1本の木材も使われていない。1647年(1640,1670など異説あり,いずれにしても17世紀の半ば頃)建立,1874年大規模な修復(この時,中央アジア式イスラム陵墓となり左脇にモスクなどが併設された。),1944年に建物が大きく崩れ1956年・1972年に再修復された。

 廟の前庭には,薔薇がたくさん植えられている,片隅で,民族衣装を纏って,ラクダに乗り一回りしながら記念写真を撮るというサービス(料金15元)もやっている(Yさん・Tさんが挑戦する)。

 
 石畳の庭道を踏みしめて入り口に近づくも先客で混雑。しばらく外で待機。
その間に右手にある公共墓地を覗く,横置き半円筒型の墓標とドーム状の2種類がある,前者の墓室は深さ3mで一人用,後者は深さ5mで複数の人が葬られているという。墓標の材料は通気性のある土が最良,コンリート製は不可とのこと。遺体は頭を北に向け顔を西(メッカの方向)に向けてすべて土葬される。
 

   廟内は厳粛な雰囲気!

 さて,廟の中に入ると,意外と明るい,が,粛然としている。写真は撮ってはいけない,人々も言葉少なく見入る。
広間いっぱいにホージャ一族72人の柩型の墓標が並んでいる。布が被せてあるのとそうでないのとがある。
 右手一番奥の方に,アバ・ホージャの大きな棺の一番奥の方に,美しい青いタイルに覆われた香妃の小さな棺が差し込む陽にうっすらと輝いていた。隣が香妃の母親だと言う,ウィグル族のしきたりでは,女性は母親の,男性は父親のそばに葬られるという。

 廟の左脇をくぐって,礼拝所に向かう途中右手にあるのが”コーラン室” 何をする所かよくは分からない。ガイドのイニンさんは,コーランを勉強する教室みたいなものと説明していたが,陳舜臣の著書によれば,ホージャ・アバクが,ひとりで,コーランを唱えたり礼拝をしたところ,すなわちアバクの個人礼拝所のようである。

公共墓地の墓標 コーラン室


 礼拝所は三方に壁はあるがベランダ風の吹きさらし,横に長いスペースで,中央にミフラーブを挟んで,1本1本違った装飾が施されたポプラの柱(樹齢30年,ざっと数えて4・50本)に支えられた屋根。堂内に3・4百人,前庭のスペースを入れると7・8百人が一度に礼拝できそうだが,このモスクは現在は使われていないと言う。

 礼拝所から戻って表に出た右側にも小さな礼拝所がもう一つある。出入り口の脇に小型の礼拝堂を作って,簡単に礼拝を済ませられるようにと造ったものらしい。早礼堂と呼ぶそうだ。
 
 ところで,礼拝所は,キブラ壁と言う,窪み状の設備を,すべてカーバ神殿の方向に向けて作ることになっている。奇特な人がいてカシュガルにある40いくつかのモスクのキブラ壁の方向を調べた所,バラバラであったという。敷地の
形状や,道路との関係などでぴったりいかないのが当たり前, 気にしない気にしない。

礼拝所から出てきた回族の人たち 一本一本違った装飾のポプラ柱 説教台とキブラ
  

中央アジア最大のバザールへ

 17:30 日曜バザールに向かう。カシュガルの北東部,午前中行った老街の近くである,10分程で着く。新疆最大,中央アジア最大のバザールだと言う。
あるガイドブックに「カシュガルの人口は毎週日曜日に,約5万人増える」と書いてあったが,今日はそれほどのことは無さそうだ。
 大通りの両側に長さ1km位,露店が並ぶほか,常設の屋内マーケット街が縦横に張りめぐされていて,ここも部外者には迷子になりかねない場所である。
集合場所をモスクの傍にある大きなみやげ物店と決めて,各自フリー散策。
 
 まずは, 屋内バザールをあまり横丁には入り込まずにほぼ一周して,大通りに出る。
きらびやかな民族衣装・布地・スカーフや帽子,子供服から大人の洋服,ウイグルナイフ,干しブドウなどのドライフルーツ,薬草・朝鮮人参?,じゅうたん,スイカ・ハミ瓜・イチジク・ざくろ・ブドウ・りんごなどの果物(どう考えても一日では売り切れない量が山積み),食器などの日用品・雑貨類が所狭しと並べられている。
 
 30分ほど歩いて,埃っぽいやら暑いやら,少々疲れたりやらで,適宜切り上げて集合場所で休憩することにする。
ベンチに座って休んでいると,日本語ペラペラのアルバイト学生だと言う娘さん(漢族だと言っていた)がやってきて,しきりにおみやげ品の売り込みにかかる。適当にあしらっていたが,私がだいぶからかったので,妻がTシャツ1枚(1000円),小さめのじゅうたん(4000円)を言い値の4~5割で買ってあげた。

日曜バザールの風景

 19:25 ホテル帰着。 
夕食は,イスラムレストランで。
 今晩のご馳走は,
川魚のから揚げ,野菜の炒め物3種(カリフラワー・インゲン・なす・人参・ほうれん草?・白菜,じゃがいも,豆腐),シシカバブー,ラグ麺,牛肉の炒め物,骨付きラム肉焼き,胡麻入りパン,ナッツ入りナン,スイカ・・・
毎度,毎度量が多い!

 明日は,カシュガルとお別れして,いよいよタクラマカン砂漠の南縁のオアシス都市を飛び石伝いに渡る西域南道の旅が始まる!
今晩は早めに就寝する。


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