今日は,交河故城ほかトルファンでの残りの観光をした後,タクラマカン砂漠半周の旅の出発点ウルムチに戻る。
09:00 トルファン賓館出発
09:15~10:50 交河故城 入場料 40元
交河故城はトルファン市街から西へ約10km,トルファン盆地の西端にある。東西は最大が330
m・南北約1,600m,東西をヤルナイゼ河に挟まれた高さ30mの台地上にあり天然の要塞となっている。
メモ 「交河故城の豆知識」
○ 前漢時代(紀元前2世紀)から5世紀中葉まで車師前国の都が置かれていた。
その後,東方の高昌故城に拠る麹氏高昌国によって滅ぼされ高昌国の都城となり,唐代702年には安西都護府がおかれ唐の西域経営の中心となった。
9世紀半ばからは西ウイグル王国の都城となった。
13世紀末に40年続いた戦争で荒れ果て遺棄された。
○ 現在の遺構は唐代以降のもの。一部を除き通路や建物は岩を掘り下げて造られたいわゆる彫刻都市である。
城の構造は,崖の上にあるために城壁が無く,南と東西に城門が存在している。南東部は居住区・中央は行政区・北部は寺院区と墓地になっている。
当時,7,000人が住んでいたと言う。
○ すべての建築物は,岩盤切り出し・版築および日干しレンガで造られている。
○ 1961年に全国重要文物単位に指定。
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南門からはいり南北に貫く大通りを進む。この道は,レンガ敷きあるいは板敷き桟道となっていて要所要所に案内板もあってよく整備されている。
まだ陽は高くないので,暑さはそれほど感じない。でも日傘をさしたり帽子やハンカチで日差しを遮りかつ時々水分を補給しながら,ゆっくりと歩を進める。
ここは,物売りの喧噪もなく落ち着いて遙かな昔に思いをはせながら散策出来る。
一般人用の大型居住区⇒役所(唐代の安西都護府があった辺りと思われる)⇒赤ちゃんのお墓⇒上流の人の居住区⇒東門⇒大仏塔⇒南側の崖上⇒見張り台を見て廻る。
曲がりくねった大通りを5~600mほど行くと,左手に見張り台を見てまっすぐ役所跡に向かい,見晴台様になったところで小休止。
近くに,自ら200人もの子供を殺して埋葬したと言う幼児のお墓がある。西ウイグル王国末期の事件である。13世紀,侵攻してきたモンゴル軍に生け捕られないためか,あるいは疫病が流行したためであるとか言われているが原因は詳らかでない。
役所地区に200人以上もの幼児が埋葬されたことは,今でも交河故城のミステリーの一つであるという。
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幼児のお墓 |
ウイグル美人(一緒に写真を撮ると?元かな) |
次に東門に向かう。
道は岩を切り下げた掘割,地層の層理面がはっきり見えて確かに地山を掘り下げて造られた町であることが分かる。
誰かが「掘った土はどこに捨てたんだろう?」と質問してきた。建物は岩を削って造られたものばかりではない,これから見学する大仏塔などは,版築と日干し煉瓦で造られている。その材料として利用されていて,上手い具合に掘った量と壁材に使った量を合わせている筈だ(これを土木屋達は,”切盛り土量バランス”という)。
東門は,高さ30mの崖上にあり両サイドに見張り所が現存している。1994年6ッの井戸が発見され中から数片の石製用具と陶器が発掘されている。
交河故城には400本の井戸があるそうだ。ヤルナイゼ河から”礫岩層”を通じて涵養される地下水を汲み上げていたと思われる,したがって井戸の深さは30m+と推定される。
東門の内側には道路を挟んで千仏洞がある。
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大佛寺(右手前は仏塔) |
仏龕(わずかに首なし仏像が2体残る) |
更に町の中心付近に,東北小寺・塔林(金剛塔)・大佛寺がかたまってある。
大佛寺は,広さ5,100㎡,仏塔は十字型でいわゆる南疆型と言われるものである。中心柱(ストゥーパ)の四隅には,仏像と仏画のある仏龕が残っている。けれども像はなくなっていたり,頭部が破壊されたりしてほとんど残っていない。自然に風化したのか,それともイスラム教徒が破壊したのか?
壁は版築および日干し煉瓦で造られている。
大佛寺を背景に,全員記念写真を撮る。
次に南側の絶壁の上に立つ。
流れる川のほとりにポプラが揺れ,ブドウ・綿・コウリャン畑が広がっている。 絶景!絶景!
しかしおそろしいことに,その断崖絶壁には手摺も柵も無い,「危険」という標識もない。「危ないから あまり縁に近寄らないで~」とお互いに声を掛け合う。事故が起きたことはないのかな~?
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崖上からヤルナイゼ川の谷間 |
見張り台 |
見張り台は,周長88m・高さ8.4m。一つの地下室と4っの見張り室からなる。1978年トルファン文物遺跡局により保存修理されている。
11:10~12:00 カレーズ博物館 入館料 20元
カレーズとは,天山山麓の水脈から母井戸で雪解け水を取り入れ,その後一定間隔(通常は20~30m)で竪穴(掘削土砂揚げ・通風・補修時のアクセスとして使う)を掘り,傾斜をつけたトンネルで結びオアシスの農地や居住地まで水を引っ張ってくるシステムである。
乾燥地帯のため,途中で蒸発しないように暗渠にする砂漠地帯に適した土木技術で,紀元前6世紀イランで生まれ,シルクロードを通りこの地に伝わったと考えられている(カレーズとはペルシャ語で「地下水」を意味する。
イランではカナートと呼ぶ)。
砂漠地帯に住む人間が生み出した最高の水を得る方法だと思う。地表水路では,水は砂に吸い取られ蒸発量も多く,たとえオアシスまで流れ着いたとしても塩分が多くなって農業用水として役立たなくなってしまう。
カレーズは,中国三大土木工事(万里の長城と大運河)の一つとも云われ,延長は5,000km,新彊に1,100本,その90%がトルファンにある。しかし実際に使用されているのは614本だという。
アヘン戦争の英雄”林則徐”が左遷されて3年間新疆に滞在した時,このカレーズの素晴らしさに注目しその普及を奨励したことはつとに有名である。
カレーズ博物館は,本物のカレーズの一部を観光用に整備し,説明パネルや模型を使ってカレーズの構造や造り方を展示している。
入口を入ると天山山麓の水源 に井戸を掘り,横穴掘りを繰り返して進み,傾斜を利用して暗渠→明渠・溜池(水温を温める効果あり)→オアシスへ水を導く大きなカレーズの模型がある。
その後,本物のカレーズの横穴を拡幅した観光用カレーズの中を歩く。
ヒンヤリとしていて,外気温が35℃以上なのにカレーズの中は20℃位で快適だ。カレーズの中で作業するとか,夜も寝るという人が多いとか。
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竪穴掘削ずり出しの様子 |
乾燥小屋に架けられたブドウ |
地表に出ると,カレーズの掘削やメンテナンスの様子などが人形モデルを使って展示されている。
観光用ブドウ乾燥小屋も造られている。レンガを一つおきに市松模様に積み重ねた壁に囲まれていて風通しがよさそう。蔓が付いたままのブドウが干してある。一ヶ月ぐらいで干ブドウになるそうだ。
お決まりのみやげ物店を,すり抜けてカレーズ見学を終える。
わたしは,実際に使われているカレーズそのものを見たかったのだが,その希望は叶えられずいささか失望の感拭えず。
カレーズについての解説はこちら
トルファンのカレーズに関する調査研究レポートでやや専門的な解説はこちら
12:10 トルファン賓館 レストランにて昼食
セロリ肉炒め・肉じゃが・チキンぶつ切り・川魚姿蒸し・もやしとニラの炒め物・(最後の)ラグ麺・スイカ・・・・・
13:05 出発 トルファンいや南疆といよいよお別れ
トルファン~ウルムチ間は186km。高速道路化された国道312号の快適ドライブである。
周囲はゴビ灘地帯。
13:55 小草湖PAでガソリン給油&トイレ休憩
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白楊河 |
天山山脈のゆるやかな山並みの中を南流する白楊河(後溝ともいう)に沿って進む。対岸に旧国道312号が走っているが,車の姿はほとんど見えない。
対岸のはるか上方に蘭新鉄道(蘭州~新疆)の線路が見える。
列車が通らないかな~と思っていたら,来た!来た! ウルムチ行きの20両編成くらいの旅客列車が現れた,上海から来た列車だろうか?トンネルをいくつも抜けて,われわれのバスを追い越して行った。この辺りは達坂城という峠。
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達坂城峠を越えて行く蘭新鉄道の列車 |
14:30 左手に中国の死海と言われる新疆塩湖が見えてきた。
岸辺に製塩工場がある,コストの安い塩が造れるだろうな! 30分後,同じく左手に小塩湖を望む。
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新疆塩湖 |
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製塩工場 |
15:10 達坂城(ダ・バンチェン)風力発電所
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風力発電機 |
全部で320基以上ありオランダの協力で建設されたアジア最大の風力発電所だ。更に増設中,まだ組みあがっていない支柱やら羽根があちこちに置いてある。
タワーの高さは最大30m,羽根に長さは6m。オランダが関与しているのに発電装置には,何故かデンマークのVestasというマークが書いてあった。
ここで発電された電力は30パーセントがウルムチへ残りがコルラなどへ供給されているそうだ。
本日は風が弱く発電されていない様子。
15:30 ウラボ湖
右手に,ウルムチ河を堰きとめた人造湖が見える。ウルムチ市の上水道用ダム湖である。
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コンクリートダムと取水ゲートが見える |
15:35 輪台故城
右手の車窓から遠望できる。
ウルムチから10km南 唐代の古城で天山北路の軍事基地としての要衝であった。東西500m・南北450m・高さ4~5m。
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輪台故城 |
16:10 ホテル着
ウルムチはトルファンよりかなり涼しい,部屋のエアコンは必要なし。
19:00~21:00
夕食は,30分近く走った紅山路にある牛しゃぶしゃぶ料理の店「金酷肥牛」で。
ヤルカンドで負傷したT.H.氏,無事”抜糸”を済ませマスクをはずし,すっきりした顔になって夕食へ。
お腹いっぱいになってホテル帰還21:30。
明日は,西安に向けて早朝の出発。
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