■ ロッジ・タサンヴレッジ(LTV)へ
コバンの小・中学校を辞して,これから最後の急な登り道にかかる。
標高差およそ100余m,時間にして2・30分。皆さんは依然としてロバの背に揺られて(実際は揺られてというより必死にしがみついてという事だったようであるが)LTVを目指す。
私とSUさんの二人だけは徒歩で登ることとした。
登りに取り付く前に,1立米大の転石がゴロゴロした荒れたガレ場のような”Larjung Khola”(ラルジュン沢)に,架かった鉄製のつり橋を渡る。
右岸側に廃墟になった変電所らしきものが見える,両岸には”じゃ籠”堤が築かれている。
一見して,この沢は最近”土石流”に見舞われてように思える。
後日,カトマンズで買い求めた「GUIDEBOOK for HIMALAYAN TREKKERS」に記載されているのを見つけた。やはり予想通り土石流であった。
2002年,数キロ上流で起こった地すべりに誘発された土石流に襲われ,付近のりんご畑,数軒の民家が埋め潰されたとのこと。そこで,村人達が写真のような”ガビオン”と”つり橋”を作ったようだが,かえって流路幅を狭くしてしまっているし,このつり橋の桁高では,将来,再発するであろう次の土石流にはひとたまりも無いであろう。
さて,登りにかかると,ロバ組は急坂路の急カーブ地点で難儀している。歩きの方が早いくらいである。だが,しばらくすると徒歩組も,息が苦しくなって「ハア〜ハ〜」 次第に遅れだす。
3回ほど休憩して,広大な川幅のカリガンダキ川,雪氷に輝くニルギリの雄大な姿を振り返り・振り返りし眺めつつ LTVに無事到着。(右写真の中央,,の上に建つ赤い屋根がLTV)
標高およそ2,700m,ダウラギリ,ツクチェピーク,ニルギルの眺めが素晴らしい丘の上に建っている。お昼を過ぎて雲が湧いてきたので,いまはその全容を眺めることは出来ないが,明朝の雄姿が楽しみだ。
すぐに昼食。
メニューは,ようやくにして本格的?タカリー料理である。
腸詰め(蕎麦と山羊の血など)・団子状にした蕎麦がき・カレー風ポテト・大根と山羊肉の煮付け・ダルスープ(黒豆スープ)
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腸詰め |
そばがき,ポテト,ダルスープ他 |
■ ナウリコット小学校訪問
LTVは,ナウリコット村の手前・東隣りに建っている。
ここでも,KUさんたちは小学生達に毎回プレゼントをしている。
今回は,横浜から来たというTAさんグループ(6人)と合同で,校長先生・地元の教育委員らしき人,村人達も参加して贈呈式が催された。
この小学校は,午前中に訪れた学校の分校である。5年制で6歳から10歳までの38人が学んでいる。
子供たちは運動場に並んで座って,ノート・色鉛筆・消しゴム・スケッチブック・クレヨンなどの学用品,キャンデー・縄跳び・竹とんぼ・ボール・・・遊び道具など盛りだくさんのプレゼントを貰って嬉しそうである。
Tさんグループは毎年ここを訪れているという。桜の苗木も贈ったそうで,校庭脇に5〜6mほどの高さに成長していた。
終わって,村の集会場と思われる場所に移動して,お母さん達の手料理とロキシー(地元の酒)をご馳走になる。
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ナウリコット分校 |
運動場に座り込んで話を聞く |
ノートを貰って嬉しいね!
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■ ナウリコット村散策
その後,わたし達は,村はずれにある水車小屋まで足を伸ばす。
ダウラギリ東氷河から落下する滝から流れ出た冷たい雪解け水が滔々と流れる水路に,水平回転式水車(よく見かけるお馴染みの落差を利用した縦型水車ではない)が2台も設置されていて盛んに動いている。
小屋に入ると,身体中 真っ白けにして一人のお母さんが蕎麦を曳いていた。おいしい蕎麦が出来るだろうなあ〜!
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水車小屋
水車の動力に利用された水はさらにホースで集落に引き込まれ水道水として利用されている。 |
小屋の中は真っ白け |
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ナウリコット村
ナウリコット村は標高2700mの高地にある。人口200人くらいか?もっぱら農業で自給自足の生活をしている。最近になってようやく共同トイレが造られたそうだ。 |
段々畑
8月頃は,蕎麦の花で紅色一面となるという。
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タコーラ&トルボ地方独特の階段
丸太をくり抜いて作るのか?慣れないと怖い!
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家族総出で農作業
ジャガイモの収穫に忙しい。 |
ツクチェピーク(6290m)を背景にポーズ |
ナウルコットの家屋は,ダウラギリから吹き降ろす西風が冷たいので東側の壁は全て窓無し。 |
■ ロッジ・タサンヴィレッジ(LTV)
LTVは,2004年秋,KUさんの設計で完成した。KUさんは,プランを描いただけで,施工は一切注文主のアルジュンさんと地元の大工さん達がアイデアを出し合ってモディファイしながら造り上げたそうだ。
トウヒの樹林に囲まれた静かな丘の上,ダウラギリとニルギルの絶景が前後に見られる絶好の地に建っている。
外壁の石積み壁は途中に木材を挟んで,荷重を均等に分散させる工夫,室内の内壁を近くで採取した土を使って素敵な薄紅色に仕上げて落ち着いた雰囲気を醸し出しなど,随所にタカリー族の知恵と技を駆使している。
中央ホールが3階まで吹き抜けになっていて,とても明るい空間を作り出している。客室は2階10室(?),地階に4室(これは後で付け足したと思われる)。
”THASANG”とは「タカリ族の住む地域」という意味だと言う。
LTVのウェブサイトは,こちら
1階中央ホールには,大きな暖炉があって皆で談笑しながらくつろげる素敵なスペースとなっている。ただし,現時点では暖炉の排煙が上手くいかず建物中が煙だらけになってしまう。わたしが想定するに暖炉と煙突のサイズバランスがとれていないためのようだ。煙突の長さは十分なので煙突をもっと太くするか暖炉を小さくするかしたほうが良いと思われる。
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3階部分まで拭きぬけのロビー空間 |
暖炉を囲んでの談笑くつろぎ空間 |
置き炬燵のある部屋
日本人はもとより欧米人にも好評とのこと。 |
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タカリ族伝統の部屋
ロッジ内の一室に再現し,生活用品も実際と同じように並べてある。
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ヘリポート
玄関前庭とポカラあるいはカトマンズとヘリで直結する。ナウルコットの子供たちは,周辺の村の子供に「あんたら ヘリコプター見たことないだろう〜」って自慢するそうだ。 |
村の散策から戻ると,アルジュンさんが日本式の岩風呂に入れるという。これは有り難いと順番を決めて待つ, ところがなかなかお呼びがかからない。湯量が少なくてしかもなかなかいっぱいにならないらしい。
ソーラーで沸かして給湯口へは,屋上のタンクから水源側の圧力でトコロテン式に送湯される仕組みになっているそうだ。ところが,この日たまたま水源側で何らかのトラブルがあって水量が絞られてしまったために圧力が下がり,お湯の出が細くとなってしまった為,浴槽になかなかお湯が貯まらないということが後で分かった。
ようやく,わたしらの組の番になって,喜び勇んで入ったが浴槽の湯量が極めて少ない,お湯はチョロチョロ,温度はぬるい,プロパンガスで沸かす瞬間湯沸かし器は,逆に温度調節が上手くいかず熱過ぎて使いづらい。しかたない
さっと入ってさっさと上がる”からすの行水”を決め込む。おまけに入浴中に停電になって真っ暗闇の中で服を着るのにも大騒ぎであった。
が, なんとかすまして夕食!
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揚げ蕎麦がき
ロキシーのつまみに最高! |
”山羊の脳みそ”と”揚げ蕎麦がき”が珍味であった。
食卓をいつも賑やかにしてくれるKAさんが風邪を引いたといって今晩は静かである。
部屋に設置してあるオイルヒーターが全然暖かくならないし,ファンからも温風が出ない。
先刻,マネージャーのサントス君が,見に来てくれて曰く,「今の時間,ネパール中が電気を使っているので電圧が低下しているためで夜になったらOK」だと。
しかし幾ら経っても変化無し。食事中に状況を話すと,”湯たんぽ”を用意すると言う。食事を終わって部屋に引き揚げると,布団の中に熱い湯(タトパニ)を入れた水枕を潜り込ませていてくれた。これは非常に助かった!頭寒足熱ではないがおかげで快適な睡眠をとることが出来た。
明日の「日の出」は6時半。 早々と就寝
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