■ パタン ダルバール広場からヒマラヤがくっきり!
朝食前に,ホテルから南へ徒歩で約30分,パグマティ川を渡ってパタンダルバール広場(旧王宮)を見学に出かける。この道は20年前には野原の中のあぜ道みたいな感じであったのが,いまや2車線舗装道路に変わっている。パグマティ川の橋も桁の高いものに架け替えられている(日本のジェネコンO社が技術指導したとのこと)。
向こう岸には,遺体焼き場(アエルガート)が4,5箇所あるが,今は使用されていないようだ。ヒンズー教徒は河岸で遺体を焼いて灰を川に流す。上流のパシュパティナートでは,いつ行っても異臭を帯びた火葬の煙が絶えないという。輪廻転生を信じて墓をつくらないヒンドゥー教徒ならではの場所である。
橋を渡って河岸に下りてカトマンズ市街方向を振り返ると 「おおっ!ヒマラヤが見えるっ!」
ランタンリルンとガネっシュヒマールと思われる。近ごろ,カトマンズ盆地はスモッグのため乾季でも山が見えない日が多くなっていると聞いていたがなんとラッキーなことか!
|
|
|
朝焼けのガネッシュヒマール(写真拡大可) |
|
パタン ダルバール広場からランタン山塊(写真拡大可) |
遺体焼き場のすぐそばのシャガンナート寺院に入る。
パタンには,紀元前3世紀にアショーカ王が建てたと言われるストゥーパが4っ残っているというがその一つがここにある。(この四つのストゥーパの中心に旧王宮とダルバール広場が作られているそうだ)。アショカ王が建てた寺のうち最も北にある由緒ある寺院だとも聞く。
寺院を囲む元僧坊だったと思われる部屋には,一般住民が住んでいる。
小学生くらいの女の子が人懐っこくしきりに話しかけてくる。
■ダルバール広場
パタンは別名をラリトプル(美の都という意味)と呼ばれているカトマンズの南に隣接した街で,かってのマツラ三王国の都として栄え,旧王宮をはじめ17世紀に建立されたヒンズー教の寺院や仏教寺院など見事な建築物が多い。
中世建築の極致とも言われる王宮の建物や寺院や彫刻など貴重な工芸文化遺産が沢山あるのだが,ゆっくり見ている時間が無い。(ここも本来なら入場料200Rp?を支払うことになっているが,早朝はチケット売り場が開かれていないので,実質無料である)
広場では,日本で言う朝市が開かれていて早朝にも拘らず,衣類・食料品・日用品雑貨・土産品を並べた店がズラ〜と並び沢山の人が行きかっていた。
また,寺院には敬虔な信者が朝参りに訪れていて,カトマンズの人々の信心深さには感心する。日本ではこんな情景はめったに見られない。
一画にはダーラあるいはシティと呼ばれる水汲み場があり,その立派さと地下水をどういうシステムで供給しているのか興味を持った。
■ ゴールデンテンプル&クンベシュワール寺院
狭い横道を抜けてゴールデンテンプルの見事な曼荼羅がはめ込まれた門をくぐると,ここにも大勢の敬虔な信者が朝の祈りを捧げている。
クンベシュワール寺院は14世紀に建てられたとされているシヴァ神を祀る寺院。ネパールには珍しく五重塔をもっている。五重塔は,こことバクタプールのみにしかないという。
|
|
|
朝早くから賑わうダルバール広場
カトマンドゥ盆地の朝は早い,夜明けと同時に人々の生活は始まり夜遅くまで喧騒が続く。
|
|
クリシュナ寺院(左)&ヴィシュワナート寺院(右)
木造の建物が多い中で石造りのクリシュナ・テンプルは,ひときわ目をひく。たくさんの小塔を持ち「21の屋根の建物」とも呼ばれている。2階にクリシュナ,3階にシヴァ,4階に仏陀が祀られている。1637年に完成。
中央はヴィシュヌ神の乗り物であるガルーダの像。 |
|
|
|
ゴールデンテンプルで祈りを捧げる人々
12世紀にバスカル・バルマ王によって建てられたというゴールデンテンプル,正式名はヒラニャ・ヴァナル・マハヴィハール寺院。今のパゴダ様式の建物は19世紀に造られた。入り口の門の天井には精巧な石のマンダラが描かれている。チベット仏教徒にとって大切な寺院で一日に何度も参拝する人たちがいるという。
|
|
水汲み場
5,6mも掘り込んだレンガつくりの立派な給水施設である。
カトマンズには,この手の給水場をよく見かける。給水栓が坑の底面より高い位置にある。つまり地下水位は坑底より高い位置にある筈なのにどうして坑内に水が貯まらないのだろうか?どんな構造になっているのか興味津津。 |
朝の散歩がてらの”駆け足パタン訪問”はこれでおしまい。 予定の7時半を大幅に超過して8時半近くにホテル帰着。
朝食後,別棟にある売店でKU氏が教えてくれた書籍「GUIDE Book for HIMALAYAN TREKKERSーGeology and Natural Hazards along the
Kaliganndaki Valley,Nepal」(850Rp)を買い求める。写真と図面をふんだんに使ってカリガンダキ川沿いの地質と自然災害を解説した有り難い本である。
さて,ポカラへの出発をひかえて,アンナプルナ自然保護地域入域許可証(写真左 2000Rp)が手渡されて,いざ出発。
(ちなみにアンナプルナ自然保護地域の更に北方ムスタン地域への入域料は,600US$/一人である)
■ ポカラへ 機窓からMt.マナスルがばっちり!
ポカラへは飛行機を利用。
陸路だと車でと6〜7時間くらいかかる筈だ。ほぼ中間点付近に,わたしが3年近く建設工事に従事したマルシャンギ水力発電所がある。今も無事に稼動しているかどうか見たい気持ちもするが何しろ一日がかりとなる,断念するしかない。
大きなバッグはホテルに預かってもらい,4日分の着替え他をリュックと小型ショルダーバッグに収めて空港へ。
ポカラへのフライト国内便は数社が運行していて便数も多く昔よりかなり便利になっている。ただし,朝一番でポカラに飛んだ飛行機が,ポカラからトレッキング基地ジョモソムへのお客が多いとそちらで稼ぐことを優先してしまうので,フライト時刻はあって無きに等しいという。
幸いわたし達の「Buddha Air 605便」はほぼ定刻11時40分に離陸した。
使用機材は米国レイセオンエヤークラフト社製「ビーチクラフト1900C」。双発ターボブロップ 客席19人乗り小型機である。(往復航空賃160US$)
離陸したとたん,右手にランタンヒマールとガネッシュヒマールの山々が眼に飛び込んでくる。続いて双耳峰という異名を持つ特徴ある山体のマナスルが,バッチリ! しばしカメラのシャッターを押し続ける。
下を眺めると,ランタン山塊から流れ下るトリスリ川やアンナプルナ山塊北側から流下するマルシャンギ川のうねうねと蛇行する流路が見える。ネパール滞在時,何十回も行き来した付近である,「ここはどの辺りだろうか?」と目を凝らすがよく分からない。
そうこうしている内に,機窓にアンナプルナ山塊が現れ,もう機は下降し始める。
雲がかかったマチャプチャレを眺めつつ着陸。30分弱のマウンテンフライトであった。
|
|
|
ガネッシュ・ヒマール山塊(写真拡大可) |
|
マナスル 8156m(写真拡大可) |
■ ポカラ市内観光
ポカラは標高840m程,緯度は沖縄とほぼ同じ,14時半現在気温は31.4℃,暑いあつい。
遅い昼食をホテルのレストランで摂り,さっそく市内観光に出かける。
* 食事をしている時,ウェイターの一人が嬉しそうな顔をして「グッドニュースだ!内戦が終結した!昨晩マオイストと主要七政党との間で和平協定を結ぶ話し合いがついた」と知らせてくれた。
ネパールは,国を発展させるための外貨を稼ぐにはツーリズム以外は考えられない国だ。96年から開始されたマオイストの武装闘争で観光客が激減していた同国にとって朗報である。 |
国際山岳博物館→パタレ・チャンゴ→オールドバザール→ビンドゥバシニ寺院→フェワ湖畔を駆け足で巡る。
|
|
ビンドゥバシニ寺院からポカラ市街
「ポカラ」はカトマンズの西約200qに位置する登山やトレッキングの起点の街として良く知られている。標高は約840m,温暖で一年を通じて過しやすいところ。
20年前とほとんど変わらない静かなたたずまいで迎えてくれた。
ポカラの町はアンナプルナ山塊から流れ出るセティ川の氾濫原の上に出来た町で,町中には,それらの堆積物を削って出来た深い峡谷やパタレ・チャンゴのような侵食に寄って出来た不思議な地形が出来ている。 |
|
|
国際山岳博物館
2004年,日本山岳会の援助を受けて出来た施設。
ヒマラヤ登山の歴史,民族の歴史,地質・動植物・環境などに関する資料が展示されている。 (入館料300Rp)*ネパール人は50Rpだって随分差をつけてるじゃん! |
|
|
オールドバザール
ポカラはかつて,インドとチベットの間を結ぶ交易路の重要な町であった。
衣類・化粧品・食料品・家具などが売られており,山地の民族をはじめいろいろな民族が集まっている所。
街道筋のところどころに建つ「チョータラ」(菩提樹の植わった日蔭で涼めるように出来ている青空休憩所)で,休み休み,じっくりゆっくり見てまわれば,ネパール人の暮らしぶりを見ることが出来るだろう。
建物もそれぞれの少数民族の違いを見せたものが多く,同行の建築屋さんは,時間の余裕がないことを残念がっていた。 |
|