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11/6(月)〜7(火) バンコック経由ネパールへ           

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  今回も大きなバッグは空港宅配便で前日に送っておいたので,リュック一つの身軽な体で6時半に自宅を出て,いつもの通り京成特急で成田空港着8時25分。
 こんな早い時間なのに山手線・京成線とも混んでいた。日暮里駅では常磐線からの乗り換え客が跨線橋いっぱいに流れてきた。「この人たちはいったい何時に家を出てきたんだろうか?」 現役サラリーマンの大変さを思い「ご苦労さん」と呟く。

 さて,今回の旅行は,わたしの出身高校の4年先輩の現役建築家KU氏が設計したネパールの秘境カリガンダキ川ナガルコットに建つロッジ他に宿泊し,アンナプルナ山塊・ダウラギリ主峰・ニルギリなどヒマラヤの景観を楽しもうという旅である。
 チェックイン手続きを終えて,簡単な自己紹介をする。
同行者10人のうち5人が高校の同窓生,一人が偶然にも同じ元職場の先輩の奥方(KAさん)だということが分かった。二人の若い方以外はすべて同年輩以上の8人,のんびり ゆっくり 楽しく行きましょうや! よろしく〜
  

できたばかりのバンコックの新空港 その巨大さにビックリ!
 

 タイ・インターナショナルTG641便は定刻より30分遅れで離陸。ANAとのコードシェア便でジャンボジェットA330はほぼ満席である。
 TGは,相変わらず機内サービスが良い。
エコノミー席では,普通は”ウエットティッシュ”があればいいところだがTGは熱い”おしぼり”を出してくれるわ,アルコールを含む飲み物のお代わりに何回も廻ってくるわ,到着1時間前にはソフトドリンクとアイスクリームも出してくれた。(余談だが KU氏はKAさんから貰って二個のアイスクリームをたいらげていた。驚異のタフの源はここにあったのか!と納得する。)

 バンコック着16時20分( 飛行距離:4642km 飛行時間:7時間05分)
9月28日に開港したというスワンナブーム空港 その広いこと,広いこと! 到着ゲートからイミグレまで1km近くも歩かされたと感じるほどである。ターミナルは4階建て鉄骨構造ドーム型総ガラス張り,ヘルムート・ヤーンの設計である。日本でも,彼の設計した東京駅八重洲口プロジェクトが2007年完成を目指して目下建設中である。
 滑走路は4000mと3700mの2本,1時間当たり76機の離発着が可能だという。
 バンコックはトランジットでの一泊だけである。
空港から4車線の高速道路をマイクロバスで約40分。市内に入っても昔のような車の洪水・渋滞は無くなっっていた。地下鉄と高架鉄道が開業した影響が大きいようだ。
バンコック市内交通の案内はこちら
 
 ホテルは,中心街ラチャダムリ通り「バンコック伊勢丹」の前にあるホテル「ARNOMA」
チェックインを済ませて,チャオプラヤー川を見に行くというYAさんTA君を除く8人で食事に出かける。
 KU氏ご推奨の「タイしゃぶ料理」である。ホテル近くの高架鉄道「CHIT LOM」駅から「SIAM」駅」まで1区間(
運賃10バーツ)乗車。

 高架鉄道


 車内や町中で黄色いシャツを着た人をたくさん見かける。聞けばプミポン国王在位60年を祝って王室の色である黄色いシャツを何故かは聞き漏らしたが月曜日のみ皆が着用しているのだという。王様がこれほど国民から親しまれているんだ!日本では考えられない,天皇家の色が何色だか知らないけれど菊の紋章をつけたTシャツなぞ着る輩もいないだろうし,もしそんなことをしたら右翼に「不敬だ!」とどやしつけられるだろう。それにタイではよく軍のクーデターが起きるがいつも国王が仲介に出て収まるのが常である。タイというのは不思議な国だ。
 
 SIAM駅から2,3分で「広東生鍋緬」というお店に着く。店内は満員の客,少し離れた別館に案内される。
料理は豚肉や魚・エビ・野菜類をふんだんに入れた豪快なシャブシャブ。最後に”オジヤ”にしておなかいっぱいになって,ビールも飲んで一人1300円。
 安くて美味しくてバンコックに行ったら是非また寄りたいお店である(ちなみに帰国時もここで食事した)。帰りは,3人が足裏マッサージへ,残り5人は三輪タクシーに分乗してホテルに戻る。                                   

懐かしのカトマンズへ!
  

 さあ〜今日は,いよいよ18年ぶりのネパール入りだ。午前4時前に目を覚ましてしまって気持ちが高ぶっているのか,もう眠れない。まるで小学生の遠足の前夜みたいだ。
 5時前に起床,読みかけの「鳥葬の国 秘境ネパール」(川喜多二郎著)を読む。6時過ぎに朝食,ホテル近くを散歩して出発時間8時まで時間潰しをする。

 バンコック発10:45( 空港利用税500バーツ)カトマンズ着13:05
 入国ビザ(30US$)取得に手間取ったが,成田からスルーで預けた荷物を無事受け取りターミナルを出たのが14時。
 空港からホテルまでは15分くらい,昔何度も通った道筋だが,車と人通りが以前よりずっと多くなっっている。ネパールに最初に来た時に宿泊したホテル付近には国際会議場や大きな交差点が出来ていて,ここも車と人で大混雑。随分変わったものだ。

 今夜の泊まりは,KUさん設計の「ホテル・サンセットビュー」(写真右)。手入れの行き届いた日本庭園が現地の人たちにも好評の瀟洒なホテルである。の
今回の旅の最終目的地であるカリガンダキ ナガルコットに建つ「ロッジタサンヴィレッジ」を経営するタカリ族のアルジュン・S・トラチャン氏の奥方”ひろ子さん”が出迎えてくれる。

 一息入れて,市内観光に出かける。

 ■ スワヤンブナート
 
 まず出かけたのが,町の西外れの丘の上にある通称目だま寺あるいはモンキーテンプル。
車で裏口に着け徒歩での登りを極力減らす。(
入場料100Rp
 参道の階段(昔は物乞いがずら〜と並んでいて恐怖すら感じたが,いまは赤チャンを抱いた母親が一人だけ)を5分ほど登ると,ストゥーパの正面にでる。カトマンズの紹介に必ず出ているお馴染みの姿である。
ストゥーパをマニ車を回しながら右回りに一周りしてからチベット仏教カギュ派のゴンパ(僧院)に入る,折から僧10人ほどがお経を唱えて勤行していた。
 境内からはカトマンズ市内全域が見渡せる,ここからの眺望は絶景!
しばし大きく広がる市街風景を眺めた後,今度は正面階段から下る。凄く急なかつ長い石段である。往路正面から登らなかったのは正解である。ほぼ降りきったところで,一人いないことに気付く。Sさんの姿が見えない「しまった 人数を確認しないで下ってしまった!」 一番若いT君が急な階段をまた引き返して探しに行ってくれたが,見当たらないと帰ってきた,多分,往路を戻って行ったのだろうと車を振り出し地点に戻す。「居た!居た!」 皆ホットする,Sさん心細かっただろうね!(以後,わたしは,時々人数チェックを行うことにした)

 
 スワヤンブナート寺院ストゥーパ
 
 チベット仏教寺院。寺院中央には南アジア最大ともいわれる仏塔がそびえる。仏塔には仏陀の知恵の目が四面に描かれている。
 風にはためくタルチョは黄・緑・赤・白・青の5色。黄は地,緑は水,赤は火,白は風,青は空を表している。

スワヤンブナート寺院 マニ車
 
 ストゥーパの周囲には,マニ車が並んでいる。「マニ車」というのは,チベット仏教の法具の一つで,取っ手がついた筒状の構造をしていて,おもりによって回転させることができるようになっている。筒のなかに経典が巻き込まれていて、これが一回転すると教典を一回読んだことになるという。
 スワヤンブナート寺院 正面階段 

 400段弱の急な石階段。下り切った所には土産物屋がたくさん店をひろげていて「チャイダイナ(いらないよ)」と断ってもしつっこく売り込みをかけて来る。
 この急階段,昔は一気に登ったが,今回は敬遠,車で寺院に近いところまで行ける裏口から入った。
寺院からのカトマンズ市街の眺め

 首都カトマンズは標高1350m。カトマンズ盆地はかつては海の底であった。8世紀から16世紀半ばまでこの地を支配したマツラ王朝時代,ネパールの芸術文化が開花した。15世紀三人の王子が,それぞれカトマンドゥ・バクタプール・パタンに王国をつくり各王国が競って美しい寺院等を建立し伝統工芸などのネワール美術がこの時期に完成された。
 現在,カトマンズの人口は百万とも二百万とも言われている。
 ■ ダルバール広場

 次に向かったのが,カトマンズの”へそ”ともいえる旧王宮やたくさんの寺院に囲まれたダルバール広場である。(入場料200Rp) ダルバールとは「宮廷」を意味し,いまでも王族の戴冠式や即位式が行われるという。
 マッラ王朝の都市として栄え,生き神の住むクマリの館やシヴァ寺院など各時代の寺院20棟あまり,ハヌマン・ドカと呼ばれる旧王宮など高度な建築技術を見ることが出来るとともに,庶民のバザールもあって,いつも行き交う人々で賑わっている。
 カスタマンダプ寺院,クマリの館,ナラヤン寺院,ハヌマンドカ(旧王宮),シヴァ寺院,カーラ・ヴァイラブを駆け抜けるように見物して,インドラ・チョークを抜けて夕闇迫るニューロードの繁華街を人並みを掻き分けながらの慌しいダウンタウンめぐりを終了。ここでも20年前に比べて町並みはそfれほど変わってはいないが,凄まじいほどの人と車が増えたことを実感する。
 車の波が途切れた時をねらってカンティ・パト通りを横切り帰りの車に乗り込む。

 カスタマンダプ寺院
 
 ネパール最古の建築物で一本の沙羅双樹の大木だけで建てられたと言い伝えられている。カスタマンダプとは「木でつくった」という意味で,カトマンズの地名の由来ともなっている。
先日のNHKTV番組ではチベットからの商人とインドからの商人の隊商宿として使われたと紹介されていた。
 
 クマリの館
 
 クマリの館は,窓枠に精密な彫刻が施された赤煉瓦の建物(1760年建立)。3階建ての建物が中庭を囲んでいる。
 クマリは,国王の守護神とされるタレジュー神(ドゥルガ)の化身。ネワール族の中でも由緒正しい家系の少女から選ばれ初潮を迎えると次のクマリにバトンタッチするしきたり。お役ごめんになった少女のその後は幸せにならないことが多いとか。
 ダルバール広場の露天 

 各寺院の周りには花や野菜,スパイス,木の実などを売るおばさん連中が所狭しと店をひろげている。
 カーラ・バイラブ

 人々に恐れられ,尊敬されているヒンズー教の破壊と再生の神シヴァの化身。刀を振り上げ左手に生首をぶら下げているが,黒い顔の表情はどこか漫画的でかわいい感じ。
 カメラを構えていると赤い衣を着たサドゥ(ヒンズー世界では生活に関わるすべてをなげうって,何も所有せず暮らす人たちがいる。その名をサドゥ。聖地を巡礼して回ったりしているのだが,観光客の落とす金をあてにしてそれを商売している連中もいる。)が入り込みポーズをとった。その後,チップをよこせとしばらく纏わり付いてきたが「ルピーチャイナ,ダラーチャイナ・・・」と言って知らん顔を決め込む。
インドラ・チョーク

 旧市街の中心地。
スパイスや野菜を売る人・牛・車・バイク・・と非常に賑やかな庶民の広場である。中世の街並みをそのまま残す通りで,ここは20年前とちっとも変わっていない。絨毯や衣類を売る店,みやげ物店が軒を連ねている。
 ここでは,中古のトレッキング用品は何でも手に入ると言う。


 夕食は,ホテル特製の日本食。
 まず,ビールで乾杯!
続いてチャン(お米から造る濁り酒), これが実に美味しい! ある人が,チャンを日本に持ち帰ろうとしたところ,発酵が進んで,瓶の栓が吹っ飛んで旅行バッグ中が濁り酒だらけになったという話もある。それほど魅力的なネパール酒である。

 夕食のメニューは
   鶏肉,ほうれん草の胡麻和え,山芋,ロールキャベツ,がんもどき,味噌汁,ご飯になんと日本そば。
 おソバは,戸隠でみっちり修行して来たというネパールのそば職人が打ったもので,このホテルの売り物だという。




 夕食後,ロビーにあるパソコンでインターネットがフリーで使用できるというのでトライしてみた。折角WINDOWSXPプロフェショナルがインストールされているのに電話線IP接続で,フリーで使えるのは,YAHOO とかGOOGLEなど特定のプロバイダーだけ。
わたしのブログに記事を書き込もうとしたが不可であった。カトマンズでさえ,ブロードバンドはまだまだ一般的にはなっていないらしい?


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