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モンゴル撮影旅行

9 テルレジへ

              (9/03)

 「日本人墓地跡」へ  

 ウランバートル中心部から北東へ15kmほど,幹線道路から板囲いしたゲルや木造家屋が密集する横道に入り,およそ2kmほどで,開けた斜面に出る。
右手上方に見えてきた,白いコンクリート門柱の形をしたのが,「日本人墓地跡ダンバダルジャー」である。
 ここには,1945年から1947年にかけて強制労働に駆り出され,異国の地で亡くなられた旧日本軍兵士など835柱の遺骨が葬られていた。1999年から2001年にかけて,遺族や厚生省によってモンゴル各地の墓地に分散されて埋葬されていた全部で1597柱の遺骨が収集され,2001/10/15 Vここに「日本人死亡者慰霊碑」が建立された。

 慰霊碑の脇にある資料館には,亡くなられた人々の名前や記録写真などが保管されている。
近くに住む管理人が,きれいに清掃をしてくれている。ありがたいことだ。
 
 第2次大戦後12,000人の日本軍捕虜が16か所に抑留され国際法(ハーグ条約)を度外視して強制労働(レンガ製造・森林伐採・採石・水道工事・ビル建築工事など)に従事させられ,1500余人が死亡した。

 展示資料によれば強制労働に従事した場所は,ウランバートルを中心にほぼその北方~ソ連国境にかけての地域である。地名を列記すると以下の各地(括弧内は収集された遺骨の数)

 ダムバダルジャー(835),ホジルブラン(252),トブ県ウカタール,ジラガラント(35),スヘバートル町(198),アルフスタイ(33),シォホインシァガーンブラグ(10),ウヘルチルート(4),アルタンブラグ(8),ズーンハラ(44),バルーンハラー(43),ユルー(96),バトスムベル(2),ズーンブレン(19),バリジド(1),ウギーヌル(5),ナライハ(12)

慰霊碑の概要

建立場所 ウランバートル市ダンバダルジャ地区
竣工年月日 平成13年10月15日
碑名 「日本人死亡者慰霊碑」
碑文 「さきの大戦の後1945年から1947年までの間に祖国への帰還を希みながらこの大地で亡くなられた日本人の方々を偲び平和への思いをこめてこの碑を建設する」
 

慰霊碑全景
手前の円形台石にモンゴルの地図が描かれ
16箇所の墓地の位置が示されている。

慰霊碑の建つ丘から,ウランバートル市街が一望できる。
 

 テルレジへ
 

一旦,ウランバートル中心部まで戻り東部幹線道路を東に向かう。
長蛇の如き貨物列車
 ウランバートルから東へ120kmのバガノールには露天掘りの石炭鉱山がある。この列車は石炭を首都方面に運んでいくのであろう。手前はアンテナが林立して軍の通信施設らしい。
 
 道路と並行して鉄道線路が走る,大きくループを描いた彼方の線路を何十両だろうか数え切れないほどの貨車を引っ張る二連ディーゼル機関車が見える。

 テレルジは,ウランバートルから東北70km。
モンゴルでは,珍しく立派な二車線舗装道路を快適に走る。以前は,炭鉱町として盛えたナイラハを遠望して,バガノール,ウンドゥルハーンへの分岐点を過ぎ,オボーのある峠を下ると,しゃれた木橋が架かるトーラ川に出会う。
 橋の手前にゲートがあり,橋の改築費用に当てる通行料を徴収している。

 橋を渡りすこし登った所で眺望が一気にひろがる。
皆,思わず車から降りて,三々五々,好ポイントを探しながら川岸に向かう。
ダメ写真


  ここで,わたしのカメラに異変が発生していることに気がつく。
 カメラアングルとか露出など,智恵を絞って苦心惨憺の上,折角撮ったのに左の写真の如く,右上から中央部にかけて,瑕のような黒い線がザックリと入っている,空にもゴミの黒点があちこちに見える。

 うわっ こりゃ駄目だ!

 ゴミ黒点がかなり写し込まれているのは,前から気になっていて,昨晩,クリーニングを行ったのだが,これがかえって徒になった。
 「シャッターを”BULB”にしてミラーを持ち上げておいて奥の方(イメージセンサーあるいはローパスフィルターといって銀塩カメラのフィルム面に相当するところ)まで,ブラシ付きブロワー&めがね用クリーニングペーパーで掃除する」という 後で聞くと絶対やってはいけないと言うことを二重にやってしまったのが原因である。失敗!しっぱい! 

 本日以降,一眼レフは,かばんに仕舞い込んでコンパクトデジカメを高画質・大サイズにして撮影を続けることとする。
 
 12時をちょっとまわった頃,ツェベクマキャンプ着。


ゲル9棟,コッテージ10棟のツェベクマキャンプ
 

ゲルの部屋割り(ここのゲルは大きいので,男性4人が一つのゲルに)をして,一息入れた後,昼食。

 このキャンプの食事は,ランチ・夕食・朝食ともすべて豪華かつバランスもよく何よりもとても美味しかった!
好いキャンプの条件として①食事 ②トイレ・シャワー ③サービス と云われているが,ツェベクマキャンプは,トイレ・シャワーの水回りが故障気味なことを除けば,後の2項目は満点である。

にんじん・りんごサラダ ギョウザ 牛挽肉・玉ねぎ・トマト

スイカ ケーキ
 

 食事後,キャンプの主人が,食堂の傍らに建つ5,6坪の小屋に案内してくれた。
自称「司馬遼太郎博物館」である。
 キャンプの名前となっている,ツェベクマさん(チベット語で”花”を意味する(1924~2004))さんは,司馬遼太郎が「街道をゆく」の取材で73年にモンゴルを訪れた際に通訳を務めた女性である。
 モンゴルの様々な事を司馬遼太郎に教えたそうで,司馬はその聡明な人柄とその生き様を讃え,「街道をゆく 5 モンゴル紀行」に主要な人物として,「草原の記」では,ヒロインとして登場させている。彼女は,日本との友好関係を築くためにも大きな貢献をしたそうで,「星の草原に帰らん」(鯉渕信一訳 NHK出版1999.8)という著作もある。
 
 彼女の名を冠したキャンプ場を営むのは,ひとり娘イミナさんと夫のバートルツォクトさん。ツェベクマさんは晩年,この地の別荘で暮らした。イミナさんが,「母の思い出の土地にキャンプ場を」と2004年夏にキャンプ場を開設したという。

 博物館には,司馬さんとツェベクマさんの交友を物語る数々の品々・写真が展示されている。
バートルツォクさんが,「モンゴルと日本の国交開始に大変な努力をしてくれた「T氏夫妻」です。」と説明した一枚の写真があった。
 「えっつ この方 チェッコに赴任していませんでしたか?」とわたしが尋ねると,
「モンゴルからチェッコにも行って今は,米国に行っているようです」という返事。

 なんと私が,四年前プラハで,パスポートを掏り取られた時,大使館のお役人らしからぬ極めて親切な応対をしてくれたTさん(当時在チェッコ日本国大使館一等書記官)である。思いがけないところで思いがけない人(の写真)に出遭うものである。(参考:トラベル日記ードイツ・チェッコ・オーストリアープラハスリ事件顛末記ー)


 午後,キャンプより北方の亀石や峠を越えたトーラ川上流方面に向かう。

 テレルジ国立公園は,標高1600m~1800mのなだらかな山々や森林に囲まれ,トーラ川の清流と,中生代の花崗岩からなる岩山が風雨や霜,氷,天然の酸で侵食されてつくられた奇岩/奇峰を見せる素晴らしい景観が楽しめるウランバートルの避暑地として多くの観光客が訪れる場所である。

「亀石」
 高さが15mあり,首の辺りまでは裏側から5分もあれば登ることができ,そこからの眺めは素晴らしいと言う。
トーラ川上流の清流
 ここまで来るとトーラ川の水は,ますます澄んだ美しい流れを見せてくれる。

 

 亀石を撮影したり,人々が乗馬を楽しむのを見学した後,さらに峠を越えて,”ウランバートル2”というツーリストキャンプ裏のトーラ川河畔を散策ししながら撮影を続ける。

帰途,四度目の遊牧民ゲル訪問

 馬乳酒を戴きながら気さくなおじいさんとN君のロシア語でカタコト会話が弾む。
ここ,トワさんのゲルは,7人家族(うち4人で遊牧作業をしている)で馬68頭・牛25頭・山羊40頭を飼育している。
放牧地はそれぞれ5kmくらい離れた3箇所を順に年4回移動するという。

ゲル3棟に住む トワさんと愛嬌の好い娘さん ご馳走になった馬乳酒・生クリーム・
牛チーズ・ ヨーグルト

  馬乳酒を(アイラグ)とは

 馬乳酒というのは,馬の乳を発酵させた飲み物でアルコール分は,2~3%ぐらい。
夏の間に,大人も子供も良く飲んでビタミンCを摂取する,冬に風邪を引かないようにするためだという。
 ちょっと酸味の利いたこの酒は好き嫌いがあるだろう。何杯もすすめられるが,調子に乗って飲むと後が怖いので茶碗に一杯だけにした。

  馬乳酒を作るには,雌馬の乳を牛皮袋(フフール)などの容器に入れ,根気よく棒(ブルール)で3000回~5000回も上下に突き混ぜる。朝から晩まで家族が交代で行う根気の要る作業で,翌日には出来上がる。その後も2,3日から1週間この作業を続けると最高の味となるという。
馬乳はほかの動物の乳に比べて乳酸菌が多いので,こうしてかき混ぜるだけで発酵するそうだ。


 夕食は,E君差し入れの馬乳酒とサラダ(赤カブ・にんじん・ジャガイモ),ハンバーグ+ライス,アイスクリームでした。
 
 シャワーは,お湯が温かくならないのでパス。

テルレジの夕焼け

 夕陽の撮影もカメラ不調につき皆とは行動をともにせず,キャンプ内からいったんしまいこんだ一眼レフで,ゴミが写り込まないようなアングルを工夫して撮ったのが右の写真。

 このキャンプは,ウランバートル近郊なのでで電力線が来ている,したがって停電はなし。
 一晩中,サーチライトに照らされていてトイレに行くのに不安無し。
だが,星空撮影は断念しなければならない。 
おかげで,残り少なくなった旅の話やカメラ談義に花を咲かせながら就寝。

 今夜の客は二組6人のみ。
 キャンプの秋の夜は静かに更けてゆく。


 

 
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