5 ウランバートルへ戻る
(8/30)
フブスグル湖で迎える最後の朝,今朝も湖面が赤くなるほど見事に朝焼けしてくれた。二度も素晴らしい瞬間に出会えて幸せだ。
モンゴル屈指の名水ともお別れである。年々増えていると言うツーリストによる生活廃水が,この湖水の水質を悪化させないことを祈りながら出発(8:30)
今朝は比較的暖かく感じたが,キャンプマネージャーは「今夜辺りは,初雪かも?」と云っていた。
往路6時間近くかかった道も帰りは早い!例の河原道路も難なく通過 途中,塩湖付近で放牧牛の群れに出会い撮影タイムを取っただけで順調に走り,4時間弱でムルン着(気温は一気に上がって32℃)。
|
塩湖で草を食む放牧牛の群れ |
ムルンは,フブスグル県の県都,人口およそ1万人。周辺が農業地帯であり,製粉工場が目立つ。町並みは,どこかロシア風である。
市庁舎前広場には,ハルハ戦争(日本ではノモンハン事件と呼ばれている)の県出身者の勇士ダワルチョ像が,仰々しく建っている。
|
ムルン市庁舎前広場に立つ
勇士ダワルチョ像 |
ここで,昼食を摂ろうと広場脇の一軒の食堂に入って,先ずは,トイレを借りる。裏庭を抜けた一隅にあるトイレは,扉も無く板塀で囲って,厚板を渡した簡単なもの。ようやく生活臭溢れる本物のトイレに出会った感じがするから妙である。もちろん手洗いなど無い。 さて,メニューは,何にしようかなとテーブルに戻ると,場所を替えるという。ガイドのナラちゃんがちょっと味見をしたところ「不味い!」と判断して,別の食堂を探すことにしたと言う,やれやれ”只トイレ”だけでごめんなさい!
次の食堂は,小さなホテル内のレストラン。わたしは,ホテル建物の写真を撮っているうちに,皆が中に入ってしまって,間違えて宿泊フロアーに方に紛れ込んでしまった。すれ違った人に「サェン バェ ノー(こんにちは)」 部屋数は,四つしかない小さなホテルと言うことが分かった。
食事はモンゴル料理 ホーショール(揚げ餃子)と羊肉のころも揚げ&野菜スープ(キュウリ・にんじん・羊肉・キャベツ・赤カブ),乳茶,パン スープはロシア料理風でとても美味しかった。
|
|
羊肉のころも揚げ
ボリューム一杯でドライバー君に応援してもらった
|
赤カブで色をつけたロシア風野菜スープ
|
フブスグル県では目下国会議員の補欠選挙中とかで,今日は,政党の幹部が,首都から応援演説にやってくるとかで,わたし達の乗る予定の飛行機が定刻より早く着き,したがって定刻より早く出発すると言う。モンゴルではフライトスケジュールまで,いい加減,よく言えばフレキシブルなんだ!(後日また同じようなシーンに出会うのであるが) これって”モンゴル 時間”なのかも!
と言う訳で,早めに空港へ出かけることとした。
ウランバートル行きの飛行機は,再びアントノフ,往路の経験から,今度は荷物を一つ預けることとする。
隣合せた人は,飼い犬連れであった。盲導犬ではないのに,籠にも入れずによくも搭乗させるもんだ。これもモンゴル流か!
飛行機は,定刻より早く離陸,かつ定刻より早くウランバートル着。
ターミナルから外に出ると,「うわっ さわやかな空気」と思わず叫ぶ,気温は27℃だが,乾燥しているので肌に気持ちよい。ウランバートルも既に秋の気配である。
飛行場から市内へ戻る途中の道路わきに,日本のNPOが植えつけた街路樹の苗が植樹されているのを瞥見。家畜に食されないように,鉄柵で囲われてはいるものの,一部が持ち去られていて,全部が全部育っているという状況ではない。やはり地元に維持管理するメンバーがいないと,植林・緑化支援活動は上手く機能しないのかな~。
後日,予定しているウランバートル市内カらの「SUN RISE 撮影」地点を選定するため,少し寄り道。第四火力発電所近くのトーラ川河畔に好ポイントを見つけた。一同,他日の好成果を期してホテルへ向かう。
明朝は,早い出発なので,夕食はホテル内の焼肉料理店で。
わたしは,サーモン刺身,焼き肉を分け合って(withビール)とライスカレー
シャワーを浴びて早々と就寝。
|