◆ ヴェネツィア広場(Piazza Venezia)へ
ガイドブック「地球の歩き方」に紹介されているアルケオバスに乗って”アッピア旧街道”を訪ねようとバスが出発するヴェネツィア広場に向かう。
アルケオバスとは市バスが運行するアッピア旧街道を周回するバスで,要所要所に停車し1時間間隔で来るバスを乗り降りしながら観光ができ,料金もリーズナブルな便利な交通機関である。
ボルゲーゼ公園からはヴェネツィア広場へは地下鉄の便が無い,バスも路線図を入手していないので利用するのが難しい。よって3km弱くらいの距離を歩いて行くことにする。
トレヴィの泉に再会
妻が,”トレヴィの泉(Fontana di Trevi)”の前にあるお店のジェラードを食べたいと言う。
さしたる寄り道とはならないのでトレヴィの泉に再会することとなった。
相変わらず観光客が多い,とくに日本人が目に付く。
「BAR GELATERIA」がお目当ての美味しいジェラードの店。
「これと,これと,これ!」と好きなタネを選んでカップに盛ってもらって泉の噴水を眺めながら立ち食い。
ここで第二のウンチ事件が発生!
話は変わるがお店でトイレを貸してもらう。
レジのおかみさんに「トイレ貸して!」と言ったら,「ちょっと待って」といって,壁際のボタンを押す。
するとなんと,いままで地下室への階段だった場所に鉄製の床が回転してたちまちトイレへの通路となった。
凄い省スペース新兵器だ。
女将に「素晴らしいシステムだね〜」と誉めたら,まんざらでもなさそうにニコッと笑顔を返してきた。
トイレに入ると,座る部分に”人間様のもの”がこんもり鎮座していたのであるが,わたしら男性達は無視して用を足せるからどうってことはない。
2,3人の後から妻も利用する。よほど切羽詰っていたのかあるいは注意散漫なのか,蓋をあげて即,座り込んだと言うことだ。かくして第二のウンチ事件が発生した次第である。
その後の顛末は省略!(知りたい方は本人に直接聞いてね!)
つづいて,『道に迷う』 事件発生!
トレヴィの泉からヴェネツィア広場へは,今来た道をそのまま先に進んで右に曲がればコルソ通りという大通りに出る筈である。
ところが,変な場所に出てしまった,狐につままれたみたい。
Where are we Now?? (@_@;)
地図とにらめっこしても,今どこに居るのか分からない。ひょいと見ると,ビルの壁に近辺の地図が書かれた案内板がある。しかし現在位置が示されていないので用を足さない。
街路表示板を見つけようと,きょろきょろしながら歩くと,「あった!リナシェンテが!」 前回,スペイン広場からパンテオン方面に行く途中にあった百貨店である。前の道がコルソ通り,まっすぐ行けばヴェネツィア広場に突き当たる。 ほっつ!
なんでこんなことになったのか? よくよく考えてみたら,トレヴィの泉を出るときに90°右手方向の道に進んでしまったんだ,それでまた右に曲がれば併せて180°,元来た方向へ向かったことになる。つまりそもそもの出だしでとんだ勘違いをしたことが原因であった。
方向感覚は悪い方ではないと自負しているわたしのとんだお粗末劇であった。
さて,アルケオバス乗り場は
”ヴェネティア広場(Piazza Venezia)”の110番バス停と同じ,チケットは乗り場の近くの(i)マークの付いた小屋で販売していると「歩き方」に書いてある。
が,110番バス停なんて無い,小屋のおじさんに聞いたら「チケットはバスの中で買え!乗り場はあすこだよ」と指差してくれた。
これでバス停は分かった。アルケオバスの緑のバス停看板もある。
だが時刻表は無い。例の本には1時間おきに運行としか書いてないので何時に来るか分からない。
しばらくして一台の小型バスが停まった,車に乗り込んで運転手に「これはアルケオバスですか?」と聞くが違うと言う。その一瞬の間のことであった,緑の車体にARCHEOBUSと書いたミニバスが停車もせずに通過していった。しまった,次は1時間後だ。後の祭り。
まだ午後の1時20分だ,次のバスでもアッピア旧街道の見学には十分な時間は取れる。次のバスを待つことにする。
町を行く観光客や,ローマのランドマークと言われる「ヴィットリオ・エマヌエル2世記念堂」(Monumento a Vittorio EmanuereU)をカメラに収めたりして待つこと1時間。
あれっつ 何でバスにのせてくれないの〜
あっつ アルケオバスがやってきた! 手を上げて合図する!
でも,車掌さんみたいな感じのお姉さんが「だめ,だめ,車内では切符を売らないの。テルミニに行ってえ〜」と言って乗車を断わられる。
お客は誰も乗っていないのに? どうして? なぜ? 1時間も待ってたんだよ〜
わたしらのほかにも3人ほど待っていた外人さん(わたしらも外人だけど)がいて,お姉さんに「乗せて!」と言っているが,だめ。
結局,バスは走り去ってしまった。
どうしてなんだろう? 多分システムが変更されたんだな,きっと。
始発がヴェネティア広場ではなく,テルミニ駅前に変わってそれから予約制になったのかもしれない。
「歩き方」の情報はまだ更新されていないんだろう(こういう事はよくある,過去にも経験している,世の中変化が激しいので最新情報の提供が追いつかないようだ)。
でもアルケオバスを紹介している”Archeobus Rome - and Archeobus Flegrei ”にもチケットはヴェネティア広場で買えるって書いてあるんだが??
しかたないあきらめるか!
でも,アッピア街道ってどんな所なのか確かめてみたい。
よし徒歩で,行ける所まで行ってみようか!( ̄^ ̄)
◆ アッピア旧街道へ
ガイドブックのアッピア街道のページとローマの地図を広げて,まずどこから歩き始めたらよいかを検討する。
”アッピア旧街道(Via Appia Antica)”は,カラカラ浴場の先から始っているようだ。
その近くにある,先日ローマ入りした際見かけたライトアップされてきれいだった教会に寄ってからスタートしよう。
タクシーで,
サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂(San Giovanni in Laterano)
へ向かう。 タクシー 7 €
初めてキリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝が314年に建てた記念すべき大聖堂で,1309年に教皇がフランスのアヴィニョンに移住するまでの1000年間に渡って教皇の正式な公館としてローマ教皇庁が置かれていた,現在もローマの司教座聖堂いわゆるドゥオーモとしてヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂よりも格の高い世界で最も権威のあるカトリック教会として君臨しているそうだ。
現在の建物は17世紀にバロック風に大改築がなされたもので,正面上部にキリストと聖人の像が並んでいる。
また1929年,ここで法皇とムッソリーニの間で,ラテラーノ条約(1870年以来,ローマ教皇領を占領された教皇は”ヴァチカンの囚人”と呼ばれていた状態が解消され,ローマ教皇が統治する独立国ヴァチカン市国が誕生した)が結ばれたことでも有名。
内部には,”コンスタンチィヌス大帝の像”,”ペテロとパウロの像”,斜め前の教会には,キリストが十字架に架けられる前に使いエルサレムから運ばれたと言う”聖なる階段”などがあると言うが,
今回は先を急ぐのでパス!
”アッピア街道”ってこんな道!
「すべての道はローマに通ず」という諺がある。
ローマを起点に広大な支配地域にたくさんの軍用道ができていたが,アッピア街道はその中の一つで紀元前312年にローマからカプアまで,後にイタリア半島の”かかと”のターラント,ブリンディジという港まで延長された総延長580kmの軍用道路で,その重要性から「女王の道」とも呼ばれた。
幅が約4m両脇に約3mの歩道,その間に排水溝があり,センター部を盛り上げて雨水が流れ落ちるようになっていたという。敷石の下には3層の基礎(いわゆる路盤)が築かれ,根が張ってきて舗装を壊さないように道路脇の樹木はすべて伐採された(芸の細かいことするね!)。
当時は曲線の測量技術がなかったので,川があろうが,沼や湿地があろうがお構い無しにほとんど直線の道路を造ったという。また起点からの距離がわかるように1マイルごとにマイルストーンも置かれた。
さて,わたし達は
”カラカラ浴場”(Terme di Caracalla)の南にある”ポンピリア門”(P.le N. Pompilio)から石畳の道を歩き出す。
両側は人が住んでいるのかいないのか分からぬくらいに崩れかかったレンガ壁が続く。人通りは殆どないが車だけはべらぼうに多い,狭い道をビュンビュン飛ばしている。信号の関係なのか,一度に2,30台がどお〜っとやってきて,あとはシーンとなる。その間だけアッピア街道らしさを感じることが出来る。
ポンピリア門から7〜800m歩いた所が
サン・セバスティアーノ門(Porta San
Sebastiano)
旧アッピア街道の起点。
3世紀後半 アウレリアヌス帝が城壁を築いた時に造られたもので5世紀には再建されたそうだ。
さらにすこし行った所にわずかに残っているのが
第一マイルストーン(TMaliare )
高架道路の下になってしまって崩れかかった残骸がわずかに遺されている。
さらにゆるい下り坂の石畳の道を相変わらず多い車に気を付けながら進む。
途中にアルケオバスの停留所を示す例の”緑色の表示板”がある。
そこで待っている二人連れの女の子にチケットをどこで入手したのかと聞いたら,テルミニバスセンターだと言っていた。やっぱり「歩き方」の情報が古かったんだ。
アルケオバスが走っていくのを見かけるが,残念ながら見過ごすしかない。
ひたすら歩く!あるく!
マイルストーンから15分くらい歩いた所に”ドミネ・クオ・ヴァディス教会(Domine Quo Vadis)”があり,三叉路になっている。
右「ZOO」,左「Appia Pignatelli」と書いてある標識あり。Pigna・・・ってなんだか分からないけど迷わず左手に進む。
道は少し狭くなった感じであるが交通量は変わらず,神経を使いながら歩く。後で分かったんだが,真ん中の道は静かな田園風景の道で同じところに着くことが分かった。失敗!失敗!
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アッピア旧街道 ↓
カエサルがクレオパトラがハンニバルがポンペイウスがアウグストゥスも歩いただろう。
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↑ サン・カッリストのカタコンベ |
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← 第一マイルストーン
あわれ高架橋の下で押し潰されそうになって保存されている。
思わず,首都高速下の”お江戸日本橋”が頭に浮かんだ。 |
三叉路から更に1.5km位歩いた所にあるのが,
サン・カッリストのカタコンベ(Catacombe di San Callisto )
カタコンベとは,もともと古代ローマの地下墓地を意味していたが,初期のキリスト教徒がローマ帝国の迫害から逃れ殉教者たちを葬るかたわら,ここで信仰を守りつづけたことからキリスト教信者の地下礼拝堂や墓地等を呼ぶようになった。
アッピア旧街道沿いには,このようなカタコンベが数多く点在している。
サンカッリストのカタコンベは聖人のゆかりの地としても有名で多くの参詣者を集めているそうだ。
中に入ってみたが,崩れかけた塔があるのみで非クリスチャンのわたしにはさしたる興なし。
なお,カタコンベと言う名前は,ここから少し先の”サン・セバスティアーノ聖堂(Basillica di San Sebastiano)”が建つ街道沿いの地名アド・カタクンバスに由来していると言う。
この先に,一番アッピア街道らしいたたずまいを残しているロムルスの廟,チュチューリア・メテッラの墓,カサーレ・ロトンド,水道橋などがある。
しかし日も傾きはじめ,”行きは,よいよい帰りはこわい”ってなことにならない内に引き返すことにした。
古代ローマの土木技術の粋をつくして造られたという”水道橋”(総延長420km,100万人の市民に15万t/日を給水)を,是非間近に見たかったんだが残念至極。
サン・カッリストのカタコンベ前にバス停があるが,チケットをもっていないので乗車できない(ローマの路線バスは車内で切符を買えないところが不便だ)。
先ほどの三叉路近くにバス停とバール風タバッキがあったのを確認しているので,そこまで歩けば何とかなる。
来た道をせっせと引き返す。
バールでチケットを求め,さてなにか冷たいものでも飲もうかなと思っているとバスがすぐにやってきた。
路線バスは117番と218番の2系統あるがバス停の表示板によれば,どちらも地下鉄の駅が終点または通過することが分かっていたので,すぐに飛乗る。
おっつ! 結構混んでいる,路線バスを乗り降りしながらアッピア旧街道観光をしてきた人達のようだ。
あっ そうそう 黄色いボックスを見て気がついた,チケットの刻印を忘れてた。 すぐにパチン!
先刻タクシーを着けたサン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂前のポンペイ広場でバスを下車する。
地下鉄A線のサン・ジョバンニ駅(S.Giovanni)は直ぐそばだ。ここまでくればもう安心,ホテルに帰着したも同然だ。
バス 1 € 地下鉄 1 €
ローマの中心部とは違ってアッピア旧街道は足の不便なところだ。
残念ながら周回バスに乗れず,ほんの入り口だけを見ただけで終わってしまったが,ローマ時代の石畳の道を自分の足で歩き,アッピア街道の趣をそこそこ感じ取れた半日であった。
きょうのウォーキングはおよそ9km。今晩のワインが美味しいぞ〜!!
地下鉄をレプッブリカ駅(共和国広場)で降りて「三越」に寄った。
妻はあれこれ品定めするも結局 とくべつ買うものなしということで ホテル着 18:30。
夕食は,ホテルから5分も歩かない所にあり夫婦で切り盛りしていてローマの庶民的料理が自慢という,やや大衆的なリストランテ「LA CAPITALE」に出かける。
うわ〜っ ここも40人くらいの団体さんで”がやがや”と騒々しい!
引き返そうとすると,ニコニコ顔の夫婦が「どうぞどうぞ」と奥の席を勧める,また団体さんのテーブル上の皿の状態からもうすぐ終宴と見たので席に着く。
団体さんは,しばらくすると幹事らしき人が挨拶,最後に皆で歌を唄って引き揚げていった。イタリア農協の陽気なおじさん・おばさんといった感じ。
やっと静かになった!
明日は帰国,先ずはビールで乾杯!
この後しばらくしたころ,妻が突然気分が悪くなったといって顔をテーブルに臥せる。いっとき目の前が真っ暗になったと言う。
椅子を2つ3つ並べて横になる。
すぐに回復。
ほっ よかったね!
いつもはビールはグラスに半分くらい,お酒もちょこにいっぱい程度なのに今日はビールグラス1杯,ワイン少々?
ちょっと飲みすぎだったのかも知れない。
わたしらの友人にお酒を飲んだ帰り道,たま〜に蹲ってしまうことのある通称「失神○子チャン」という人がいるんだが,妻もその仲間入りとなったようだ。
とにもかくにも 大したことなくてよかったよ! 夕食代 48 €
わたしはいつもと同じ量のアルコール,ほろ酔い気分でホテルに無事帰還。 |