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イタリア旅日記 (9) ローマ(1)
3/2(火) 今日は午前中はガイド付きのローマ市内観光で,午後から明日のローマ出発までがフリータイムである。 現地日本人ガイドYさんが紹介され,マイクロバス2台に分乗して出発。 すぐ,フォロ・ロマーナに着く,ここは車窓からの見学。七つの丘に囲まれたくぼ地だった場所だったと言う。 バスを降りた道路わきに,ローマ帝国が版図を拡大して行った様子が時代ごとに図示されている。最盛期には地中海周辺全域を支配下に治めたことがひと目で分かる。 さ〜て,小学校教科書の写真でお馴染みのコロッセオが眼前に姿を現す。 エレベーターで2階通路へ。 ここからは全体を見渡すことができる。 コロッセオとは,ラテン語のコロサーレ(巨大な)から来ているそうだ。 ヴェスパシアヌス帝が紀元前72年に着工し,紀元80年,彼の息子ティトス帝により完成された円形劇場。 ここで囚人同士のデスマッチやら猛獣と戦わせて,これを観戦して楽しんだと言うからあきれる。当時の人間はみんなサドッぽかったのか? 5万人収容できると言う競技場は,1階が大理石張り(中世に教会を建設するのに使われてしまって今はレンガ剥き出し状態)の貴賓席,2階が庶民の木製席,3階は立見席。 競技をする床は木の板が張られ砂を撒いて使われたそうだ。その床は当然なくなっているので剣闘士・囚人や猛獣を収容していた地下は上から一望できる。 日本で言えば弥生時代に,焼きレンガをセメントで接着して大理石を上張りし,随所にアーチ構造を多用した,装飾はシンプルだがこんな巨大な構造物が造ったとは驚きだ。
コロッセオの周りには,本や置物などを売るお土産屋さんが多く賑やか。多分スリたちもにぎやかか? コンスタンティヌス帝の凱旋門(ローマ最大の凱旋門,高さ21m,幅25.7m,彫刻と浮き彫り細工によって装飾されている) 315年に建てられ,コンスタンティヌス帝がキリスト教を最初に受け入れたことから中世の破壊から免れたという。 近くに水道橋遺跡の一部がわずかに残っている。 古代の水道橋はゲルマン人が侵入してきた際,水の供給を絶つという戦略のため,殆どが破壊されてしまったと言う。 パラティーノの丘(ローマ発祥の地),チルコマッシモ(古代の戦車競技場)を眺めながらバスで,サン・ピエトロ寺院へ。 サンピエトロ広場 サンピエトロ寺院 バスを降りると,広大な広場がある。これがサンピエトロ広場でバロック時代の大彫刻家にして建築家ベルニーニの設計になるもの。(ちなみにベルニーニはローマの町をバロック風に改変した男とも言われている凄い奴だ!) この広場には最大30万人が収容できるとのこと。変な連想だが,北京の天安門前広場の方がはるかに広いな!と呟く。 広場の両側には,ドーリア式の円柱回廊があり,その正面にカソリックの総本山,巨大なサン・ピエトロ寺院が荘厳に聳えている。 原型は,キリスト教を迫害したネロ帝の時代に聖ピエトロが殉教した場所に,コンスタンティヌス帝によって建設されたそうだ。 324年〜349年に最初の改築が行われ,続いて大聖堂の周辺にオラトリオ,洗礼堂などが付加されていった。 現存の大聖堂は,1506年再建に着工し1626年に竣工したルネサンス式の代表建築。 ブラマンテ,ラッファエッロ,ミケランジェロらが設計・建築に参加している。
広場の中央に噴水とオベリスクが建っている。 それを見ながら広場の右側を進み,サンピエトロ寺院の入口に向かう。 テロ対策の警備が厳しく,入り口でバッグを開けて荷物検査を受け,金属探知機でボディチェック。 服装もチェックされる,ノースリーブや短パンなどでは入場できない。 中に入って,その大きさにびっくり! 今まで大聖堂と言われるものをたくさん見てきたが, ここが一番大きいし,荘厳だ!さすがカトリックの総本山! すぐ右手に,ミケランジェロのピエタ! 若干23歳の作品。 ミケランジェロはいくつも「ピエタ」をつくったが,このピエタは 「ミケランジェロが想像し得るもっとも美しい女性ともっとも端正な男性とを彫刻した」 と評されている。 当時の枢機卿からも「マリアの姿は余りに若い」と批判されたほど。 しかしミケランジェロはこう言った。 「罪ある人間は歳をとるが,無原罪の聖母は常人のようには歳をとらないのだ」 かっこいいこと 言うねえ〜。 わたしも含めて日本人は,宗教と言うものにあまり関心を示さない。 が,宗教が素晴らしい宗教建築や宗教芸術を生み出したと言うことでは,素直にその存在価値を認めざるを得ない。 まさにこのピエタは,まったく異なった文化と価値観を持つ人々にもそれを感じさせる作品のひとつである。 淡い光に浮かぶ,静かな哀しみ,マリアの慈愛! このページの背景画像は”ピエタ”にしよっと! 暫く佇んでから奥へむかった。 天井を見上げて,皆その高さに驚嘆する。ミケランジェロ設計のクーポラの天井は,また一段と高く180メートル以上もあるそうだ。 天蓋の内側はカヴァリエル・ダルピーノ作のモザイク画で装飾されている。 クーポラの手前右の壁に,聖ペテロ像がある。 この壮大な寺院の主ともいうべき聖人ペテロは,キリスト亡き後キリストの教えの普及に努めたが,紀元65年ごろローマの役人によって処刑された。 天国の鍵を受け取ったとされるため,このペテロ像も左手に大きな鍵をもっている。 この像の前に,世界中のキリスト教徒が来て,ぬかずき,祈りを捧げ,像の足に触れたり接吻するので,聖ペテロ像の足は次第に磨り減っているそうだ。 下の写真はクリックすると,大きな写真が見られます。 ベルニーニの天蓋,栄光,アレッソラ7世の記念碑,天井のモザイク画などなどを眺めているうちに,集合時間となってしまった。広場の中央にある噴水へ急ぐ。 正面左側の入り口に,衛兵が寺院を守っている。衛兵はすべてスイス国籍の人がなると決められているそう。ガイドのYさんが理由を説明してくれたが,なんだったか忘れてしまった。 ところで,ヴァティカン市国って,独立国なんだって。 先刻,サン・ピエトロ広場に足を踏み入れた時,「ここが国境です,ここからヴァティカン市国です。」って言われたけど,道路も地下鉄もバスもローマ市内とまったく一体で運行されている。水道だって電気だって,電話線だってみ〜んな一緒だと思うんだが,いったいどんな取り決めになっているんだろうか? 次は,団体旅行恒例のショップへご案内! 広場から歩いて2,3分のヴァティカン市国を囲む古い城壁を出た,裏通りにある”カメオ”を売る店に連れて行かれる。 こんな裏通りにこんな店があるなんて,だ〜れも気が付かないよ。お店にとってはまさにガイドさまさまだろうな。 妻は,お値段の高いのを1つ(自分用に),安いのをひとつ(嫁さんのおみやげに)買い求める。 女ってぇ〜のは,買い物好きな人種だ,飽くなき物欲にあきれるぜ,まったく! わたしは,ささやかに「ローマとヴァティカン 芸術と歴史 」(10.8ユーロ)をもとめる。 再びマイクロバスへ トレヴィの泉は繁華街の中にある。 今日の観光にマイクロバスを使った理由がわかった,大型では中心街に入れないのだ。 うわ〜ッ 観光客でいっぱい! カメラアングルの良い場所が無くて写真がうまく取れない。 1762年ニコラ・サルヴィによって完成されたバロック様式の噴水。 噴水には神話上の人物や様々な寓意像の彫刻が後ろの宮殿と調和して美しい。皆が「トレヴィの泉!トレヴィの泉!」って騒ぐの分かった。 後向きになって右手で左肩越しにコインを1枚投げると再びローマに来ることができるという言い伝えがあるそうだ。(ちなみに2枚投げると好きな人と結ばれ,3枚投げると離縁することができる) 2番目は,悔しいけどもう関係ない! 3番目はいまさらこの期に及んでと言う感じ, でぇ〜,1ユーロコインを1枚放り投げて,今秋のローマ再訪を期す。 角にあるお店で”ジェラード”をほお張る,渇いた喉に程よい甘さで ”モルト ヴォーノ!” かの有名なベルニーニが亡くなった家の横を通ってスペイン広場,スペイン階段へ移動。 スペイン階段 実は、フランスの費用で建設されたのだが,近くにスペイン大使館があったので,このような名前で呼ばれるようになった。 映画「ローマの休日」でヘップバーンがジェラードを食べているシーンで有名になったが,ここも観光客でいっぱい。 添乗員・ガイドさん3人(わーさん,Yさん,イタリア人ガイド)とはここまで。あとは,自由行動だ。 先ずは,腹ごしらえ。わーさんに教わった,BAR(わたしが以前から命名しているコンビニレストランの一種) ”Rodegli Amici”へ行くことにする。 スペイン広場から延びているブランド街の小道コンドッティ通りを西進し,突き当たった大きな通りコルン通りを右折,最初の横丁を右に入ったところにある。すぐ見つかった。 二人分の適量を見繕ってもらって,店の前のテーブルで 「さ〜てと,どこに行こうかな」とガイドブックに目をやりながら昼食をとる。 パスタ,野菜サラダ,パン,コーヒー (2人分で17ユーロ 意外と高かった) パンテオン神殿 → ヴェネツィア広場 → カンピドーリオ広場 → フォロ・ロマーナ →(地下鉄) レパブリカ広場 → 三越 → テルミニ駅 →(地下鉄) カヴール駅(ホテル) の順で見学することにする。 時間はたっぷりある,のんびり行こう! パンテオン神殿へは,コルン通りから右折する場所でちょっと迷ったが,ルートどおり間違いなく到着。 パンテオンの前の広場も観光客でいっぱい,広場の周りはホテルや食堂が立ち並んでいて,外にテーブルを並べて食事や飲み物を飲んで談笑している。 のどかな昼下がりと言った風景だ。 パンテオン 128年にローマ皇帝ハドリアヌスによって建造されたさまざまなローマ神を祭る神殿であった。 キリスト教が信じられるようになると必然的にその役割を失い,16世紀には宗教的な意味から切り離され神々ではなく,偉人たちを祀る建造物のことをも意味するようになった。 (ラッファエッロのお墓はここにある) 中に入る,薄暗いがかなり大きい。ドーム直径43m ドーム高さ43m ドーム頂上直径8m。 当時の建築技術を結集して造られたとのことで,そのスパンの大きさは19世紀に入るまで世界最大の建築だった。 教会建築としてばかりでなく,ドーム構造の原点として現在に至るまで大きな影響を与えているそうだ。
ヴェネツィア広場で,イタリアを統一したヴィットリオ・エマヌエル2世記念堂を見てから, カンピドーリオ広場へ。 広場の中心にある騎馬像はマルクス・アウレリウス帝(レプリカ)。 正面に市庁舎,市庁舎の右側はコンセルヴァトーリ博物館,左はカピトリーノ博物館 この丘には,紀元前1300年頃から人が住み始め「カピトリーノの三神」(ジュピター・ユノ・ミネルヴァ)を祭る信仰の場になった。 その後,ローマの政治の中心地となり,最高の神ジュピターの神殿をはじめ25もの神殿が立ち並んだ場所だったと言う。 のちにパウロ三世の命により,ミケランジェロが設計した広場。1654年完成。 市庁舎の裏手に回るとフォロ・ロマーノが一望できる絶好のポイントに出る。 フォロ・ロマーノ うわ〜っ 古代ローマの世界だ!市庁舎裏の階段付近からフォロ・ロマーノの西側半分が望める。 右手に円柱の根本付近ばかりが残っているのが,シーザのフォーロ(BC48)。 セッティモ・セヴェーロの門(BC203),フォーカの円柱, 283年に再建された8本の円柱が残るサツゥルヌノ神殿(BC497) 基礎部分が墓碑のように並ぶバシリカ・ジュリア(BC54) アウグストゥス帝の神殿 ディオスクロイの神殿(BC484),アントニオとファウスティーナの神殿(BC141) などなど,古代ローマの遺跡がこれでもか,これでもかといった迫力で迫ってくる。 東へ向かって歩を進めながら,このあたりで,はるか昔のローマ人がにぎやかに集まって政治を語り,文化を慈しんでいたのかと感慨にふける。 左手に,12世紀のロマネスクの鐘楼つきの教会サンタ・フランチェスカ・ロマーナ教会(1615)を見て,ティトスの凱旋門をくぐると彼方にはコロッセオの姿が見え,フォロ・ロマーナが終わる。
地下鉄B線コロッセオ駅から2駅目のテルミニ駅でA線に乗り換え,レパブリッカ駅で下車。 切符は自動販売機か窓口で買う。しかし,両方とも無い駅が多い。この場合は駅の出入り口近くにあるタバコ屋さんで買う。 慣れればどうってことは無いが,はじめて利用する場合,駅に降りてから切符売り場も販売機も無いことに気がつくなんてこともある。 地下鉄車両の落書きが凄い! 全面塗りたくってある,「よくぞ これまで!」と感心するくらいである。 「スリが多いのであまりお奨めできません」と,わーさんが言っていたが,その気で警戒していれば大丈夫そうな感触を得る。 この後,行ったテルミニ駅も含めての話だが,大きなバッグを持って不案内な旅行者然とした格好の場合は,矢っ張りかなりやばいかな? 「三越」で妻の買い物に付き合う。 孫のまあチャンにピノキオ絵柄のTシャツ,ジノリのフルーツ皿その他。 わたしは例のとおりトイレを借りて,地下の休憩所で一休み。ここの休憩所は無料のミネラルウォーターも置いてありなかなか快適な空間であった。 日本の新聞は置いてないかと聞いたが,「そんなもんありませ〜ん」。 デュッセルドルフやミュンヘンの三越にはおいてあったが! あっそうか,日本のビジネス旅行客の多いところには置いてあるんだ,ローマは観光客の日本人がが多いってことか! 納得! このあと,今秋に考えているローマ再訪に備えて,テルミニ駅の各種施設の位置関係(時刻表,切符購入窓口,列車のホーム,地下鉄への乗り換え経路)などを下見した。 地下鉄でホテルに戻る。 シャワーを浴びて一休みしてから夕食に出かける。 テルミニ駅近くのイタリアレストラン”Tudini Gabriele & Tomoko” かなり年配の日本人奥さんが経営するお店である。 肉料理,ひらめの天婦羅,たまごスープ,マカロニ入りスープ,白ワイン(1/2ボトル) (二人分で53ユーロ) 隣のテーブルで食事をしていたイタリア人がシャッターを押してくれたのが,右のツーショット。
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