HOME] > [旅行先一覧] > [イタリアトップページ] 

        [日程表]> 
               

イタリア旅日記 (8) フィレンツェ(3)
          ローマへ

3/1(月) 

  午前中は自由行動で,午後にローマへ向かう予定である。

 ホテルからフィレンツェの中心まで路線バスで行こうかと思っていたが,ツアーのバスで連れてってくれると言う。ありがたい!
 
 バスは,昨夕のアルノ川沿いの待機場までしか行けない,そこから歩く。
 
 昨日は気がつかなっかったんだが,アルノ川の水は灰褐色に濁っていて意外と澄んでいない。氷河から流れてくる河川ではないし,大雨が降ったわけでもないのに不思議だ?

 先ずは,ドゥオモのクーポラに上ることにする。階段も屋上のテラスも狭いので,入場制限をしているらしく入り口で15分ほど待ち入場。(入場料 6ユーロ)

 ふ〜ふ〜言いながら上る,階段は狭く,後ろからもどんどん登ってくるので休めない。心臓がどきどきしてくる,こんなところでぶっ倒れたら「年寄りの冷や水」と言われるだけだ。あまり無理はしないで踊り場のような場所で一休み。
 
 半分位上っただろうか,一箇所だけゆっくり休める場所がある。
 ちょうどドームの下端に当たるところで,そこからクーポラの内側に描かれた絵を,すぐ近くでじっくり鑑賞することができる。フレスコ画「最後の審判」である。
 ドゥオモクーポラ屋上からのフィレンツェの町並み 中央にサンタ・クローチェ教会
 後半は一気に上る。
 中世のままのフィレンツェの綺麗な街が一望できる。茶色の瓦とクリーム色の壁の家々が広がる静かなフィレンツェのたたずまいをカメラにおさめる。
 
 下りは,上ってくる人をかわしつつ,階段の段数を数えながら下った。さきほどの踊り場より上が248段,下が215段,合計463段だった。
 
 ドゥオモの地下には,古い教会の遺跡が残されている。
 ここには,クーポラの設計者ブルネッレスキの墓があるという。ナンやら暗くて入る気が起きなかった。一角にショップがあり絵葉書をゲットした。
 
 ドゥオモを出ると,すぐ脇でデモ行進の列に出会う。イタリア語のプラカードでは,何を要求してのデモか皆目見当がつかないが,盛んにシュプレッヒコールを繰り返している。
 デモ行進って言うのはどこも同じようにやるんだ!
 
 途中,「リチャード・ジノリ」の店があったが,あいにく月曜日は3時にならないと開店しない。妻は残念そう,しかたなしにウィンドウショッピングで済ます。
 
 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会は,ドミニコ派の教会だ。当時のキリスト教は会派の争いが激しく,この後で見学したサンタクローチェ教会(フランチェスコ派)とは,宗教上の覇権を競っていたと言われている。
 レオナルド・ダ・ビィンチが「モナ・リザ」を描き始めたのがこの教会だったそうだ。
 
 教会前の広場から写真を撮って,サンタ・マリア・ノッベラ薬局に向かう。教会の修道士たちが作った石鹸や香水を売っているのだが,ここも月曜午前中は休みだ。
 教会のすぐ近くのスカラ通りに面していて,とても薬局とは思えない芸術的な建物だと言うので建物だけでも拝ませて貰おうと場所を探すが見つからない。あきらめて退散。

サンタ・マリア・ノッヴェラ教会 ヴェッキオ橋

 ヴェッキオ橋へ向かう途中,共和国広場の角にある百貨店「リナセンテ」4Fでトイレを借りる。非常にきれいなトイレであった。このあたりを歩き回る方は,覚えておいて損は無い。
 
 ヴェッキオ橋は,アルノ川に架かるフィレンツェ最古の橋で,それで「ベッキオ(古い)」と呼ばれているとのこと。
 当初,橋の上には肉や野菜を扱う店が多くあったが,悪臭のために撤去され現在のような貴金属店が並ぶようになったそうだ。
 まったく,ジュエリーショップやアクセサリーショップばかりで,あまり見るべきものは無い。
橋を往復して引き上げる。

 ウフィツイ美術館の横を通って,アルノ川右岸をサンタ・クローチェ教会へ向かう。

 サンタ・クローチェ教会は,かなりがっしりした感じのゴシック様式の教会である。
 1294年アルノルフォ・ディ・カンビオの設計に基づいて建設が始まり,1385年に本堂が完成し,最終的にファサードが出来上がったのは19世紀になってから。
 フランチェスコ派の教会。(入場料6ユーロ)
 
 教会内部は非常にシンプルで,何の装飾も無い八角形の柱と木造の天井に特徴のある大きな空間である。

 ここはドゥオモと同様,観光客が多いところだと言うが,内部が非常に広いため混み合っているという感じはしなかった。
 また,別名「フィレンツェのパンテオン」といわれるほど著名人(マキャヴェッリ,ブルーニ,ガリレオ・ガリレイ,ギベルティ,マルコーニ(無線の父),ミケランジェロ等)の墓が多く,側廊の壁は小礼拝堂と墓石でいっぱい。
 
 右手にあるバッツィ家礼拝堂は,静かでおごそかな空間である。

サンタ・クローチェ教会 バッツィ家礼拝堂

 このあと,ダンテが生まれたと言われるダンテの家に寄らんとするが,どこが入り口なのか分からない。仮設塀で囲んであり,改修作業中で閉鎖されているらしい。

 シニョーレ広場近くの小路にあるお店に日本ではまずお目にかかれないような野菜が並べられていた(下の写真)。思わずカメラを向ける。
木苺各種

 そろそろ,シニョーレ広場での集合時間13:30が近づいてきた。

 広場に面する喫茶店「リヴォワール」で,トイレを借りがてら軽食を摂ろうと寄ったが,店が開いていない。
仕方なく,また「リナセンテ」でトイレを借りて,近くのBARで昼食を摂る(二人で11.6ユーロ)。
 妻は知らずにアルコール入りのドリンクを飲んで,このあと,歩いているうちに効いてきたのか暫くふらふら状態となる。

 集合時刻になっても,5人がまだ集まらないので,わーさんが少しあわてていた。が,まもなく全員無事集合。
 
 例のバス待機場からローマへ向かって出発(14:10)

 
  フィレンツェとお別れ!
           
また,いつか訪れたい町である。

 ローマまでは,約280km。高速道路で4時間くらいだろう。
 
 バスの中でわーさんがフィレンツェにまつわる話などをしてくれた。

・ フィレンツェは1865−1875の間,イタリアの首都であった。京都と姉妹都市である。

・ 米大陸を発見したアメリゴ・ベスプッチはフィレンツェ出身である。

・ ジェイムズ・アイヴォリィ監督の 「眺めの良い部屋」 は,川の向こうのドゥモが見えるアルノ川の南側のポンテヴェッキオの部屋の窓から始まる恋物語であること。

・ トスカーナ地方にはイトスギがよく育っていて,昔の旅人は,イト杉を見て「ああ フィレンツェへ戻ってきた!」と 感じたそうだ。

 * イト杉は地中海沿岸から西アジアに分布し,樹形は狭円錐形〜円柱形。コニファーとよく似ている。レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」の背景にも描かれている。

・ トスカーナ州の質の高いワイン「キャンティクラシコ」のこと。
  
  フィレンツェとシエナのあいだにあるなだらかな丘がどこまでも続くキャンティ地区で造られるワインのうちでもとくにクオリティーの高い物をクラシコと呼ばれる云々・・・・。


・ イタリアには丘の上の町が多い。ゲルマン族など外的に対する防御のため山の上の町をつくった。

  バスの車窓から,丘の上に一番外側の家がくっつきあって集落全体が1つの城塞のよう になっている町が 時折見られた。
  交通の便も悪く,水の乏しい山の上に何故町を造るのか不思議だ。外的防御だけではなく,イタリアは低湿地が多くマラ・リアにかかりやすいということを経験的に知っていた人達が不便を忍び山の上に住居を構えた経緯があるそうだ。
 
 ちなみにマラリアは,イタリア語で「悪い空気」を意味する「マラ・リア」が語源。

・ トスカーナとローマの中間にあるウンブリア州は,世界三大珍味の1つであるトリフの産地であること。(トリフ,キャビア,フォアグラ)

  などなど。
     
キャンティークラシコ 黒い鶏マークの付いているのがクラシコ


 およそ,2時間ほど走ったSAでトイレ休憩。
 
 売店の一角にワインコーナーがある。先ほど聞いたキャンティクラシコ(黒い鶏マークが目印)を買う(11ユーロ×2)

  高速道路と平行してフィレンツェ〜ローマ間の鉄道が走っている。時折,イタリアの新幹線ES(イーエススター)が独特のかっこいい姿で突っ走っているのが見えた。今度イタリアにくる時,乗って見ようっと!

 ローマ近くなっても山々に雪が残っている。一昨日の大雪は凄かったんだ!

 18時10分 テルミニ駅とコロッセオの中間ほどに位置するホテル着。

 夕食は,共和国広場近くのピザ屋で

           アンティチョーク(西洋あざみ),ピザカプリチョ−ザ(直訳すると気まぐれピザ,何でも入っ
           ているお好みピザって〜とこかな?),ケーキ,コーヒー

 バッテリーを充電中だったことを忘れて電源なしデジカメを持ってきてしまった,失敗!失敗!
 したがって,料理の写真は無し!


← BACK INDEX NEXT→