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イタリア旅日記 (7) フィレンツェ(2)
ウフィッツイ美術館
2/29(日) 続き 16時30分 ウフィッツイ美術館に入館 10年ほど前にあった爆破事件以来,入館に際しての荷物の検査とボディーチェックが厳しく行われている。 ウフィッツイ美術館は中世フィレンツェの支配者であったメディチ家のコジモ1世 が建設を命じたオフィスの上階にメディチ家所有の美術品を集めたことから出来上がったもの。 ちなみにウフィッツイとはイタリア語で「事務所」の意。つまり,ここはかつてメディチ家の事務所(行政・司法部署)として使われていたところである。
が,中身が凄い! 建物は東棟と西棟にわかれ,アルノ川側の南廊でつながる。 美術館は2階部分(日本流に言えば3階)にある。コの字型の回廊のまわりに絵のある部屋が並んでいる。 ここは意外と狭い美術館(全部で45室)ではあるが,有名なルネッサンス時代の絵画が多数展示してあるし,回廊部分にもギリシャ時代からの彫刻作品や巨匠の自画像も沢山掲げられていて見ごたえは充分!! 全部見るには1日たっぷりかかりそう。 だが,わたしたちは,Kさんのスピード感あふれる先導と立て板に水のような懇切なる説明によって,有名な絵画のみを飛び石伝いみたいにして効率的?に回りわずか1時間20分で見学を終えた。 出口は西棟のグラウンド階にあるが,ここにはショップがあって「日本語のガイドブック」(9.5ユーロ)が売られている。これを先に買ってから見学したほうがいいんだが,出口からショップに入れるかどうかが分からない。わたしたちが美術館を後にしたときは監視人が居なかったし,ドアも外から明けられたし問題はないとは思うが,これから訪れる人,誰か試して見て! 先にガイドブックを入手していた方がどこに何があるかが分かるし絶対好いと思う。 残念ながら、美術館内での撮影は一切禁止されている。 Kさんが解説してくれた絵画やわたしの気にとまった絵画など,ここに掲載した画像は
ギャラリーの配置は,次のようになっている。
展示フロアー(2階)まで,エレベーターで上がり,東棟回廊に出る。 第1展示室 「考古学コレクション」はパス。 第2展示室 「1200年代絵画とジオット」 13世紀後半から14世紀前半にかけて描かれた,3人の作者による “聖母子”が展示されている。 3点とも背景はキンキラキンで,いわゆる“ビザンチン”様式であるが,ルネッサンス時代へと向かって行く兆しを部分的にではあるが感じられると言われている。 「オンニサンティの聖母」 ジオットってはじめて聞く名前だが,ルネッサンス絵画はこの人から始まったと言われるくらい偉い画家だそうだ。玉座が三次元的に描かれ,マリアの座っている玉座が三角形をつくるように奥に向かって,周囲の天使たちも階段状に配置され奥行きを作り出し,遠近法の嚆矢とも言われている。 またマリヤとキリストの顔の表情が豊かに描かれている。それにしても幼子イエスの顔がすごっく大人びている。 次は、第3展示室 「1300年代のシエナ絵画」 「受胎告知」 シモーネ・マルティーニ(Simone Martini,1285−1344)とリッポ・メンニ 漫画チックで面白い絵だと思う。色彩による遠近法が使われているという。 ところで「受胎告知」っていう絵は多くの画家が描いていて,あちこちにあるよね。 処女のマリアさんに,天使ガブリエルが「あなたは妊娠しました」って告げる場面である。これを聞いた瞬間のマリアさんの表情が画家によって違っているところが面白い。マリアさんの心の動き「驚き」「恐れ」「敬虔さ」「誇り」「感謝」「いぶかり」などなど,どこにスポットを当てて描いたかによってさまざまな「受胎告知」となる。 この絵では「え〜っ うっそ〜!はずかしい!」 わたしはそう感じた。 1300年代のフィレンツェ絵画,国際ゴシック絵画が展示されている第4〜6展示室を飛ばして,第7室へ向かう。 回廊の天井に,どこかでみたような絵柄(グロテスク模様と呼ぶそうだ)が描かれている。誰かが言った「エルメスのスカーフの模様とおんなじだ!」 第7展示室 「初期ルネッサンス絵画」 「サンロマーノの戦い(ウッチェロ)」と「ウルビーノ公夫妻の肖像(フランチェスカ)を見る。 15世紀後半となり,以前の絵と随分印象が違う絵となってくる。 今までは背景がギンギラギンだったのが,やっと落ち着いた色づかいになってくる。さらに「遠近法」という技法が巧くなってきたように思える。 「サン・ロマーノの戦い」 ウッチェロ (Paolo Uccello 1393−1475) 1432年,エルサ渓谷でシエナ・神聖ローマ皇帝と同盟したミラノ軍をフィレンツェ軍が破った戦いの経過を描いた連作の1つである。ウッチェッロは狂信的な「遠近法」信者で,遠いものは小さく,近いものは大きくといった幾何学的に計算された描写が目立つ絵である。 「ウルビーノ公夫妻の肖像」 ピエロ・デッラ・フランチェスカ (Piero della Franesca 1410/20−92) ウルビーノは,いまでは人口一万五千ほどの小さな街。ルネサンスの宮廷文化が盛んだった都でそうだ。公爵家の領地を暗示するかのような後方の丘陵の見事な風景描写による遠近効果が際立つ。公爵の美的とはいえない鼻の描写はナンだ!(実は騎馬試合で折れたそうだ) 詳細部分にまで渡る正確な描写はフランドル絵画の特徴だという。 この夫妻の二連画の裏面には表と同じ丘陵を背景とした「勝利の馬車」が描かれている。 次は,第8展示室「リッピ親子」 フィリッポ・リッピとフィリッピーノ・リッピの部屋。 「聖母子と二天使」 フラ・フィリッポ・リッピ(Fra Filippo Lippi 1405−69) マリア様と幼いイエスそして天使。天使の笑顔が素晴らしいですね! マリアさんもすごい美人ですね〜。 この絵には裏話がある。 実を言うとマリアのモデルはルクレツィアという尼さん。 ドンファンのリッピがこんな美人に手を出さないわけはない。 結局,ルクレツィアは尼僧院を脱走してリッピの元に走りこみ,そして生まれた子供が,フィリピーノ・リッピといって,これも画家になりました。 微笑んでいる天使の顔がフィリピーノに似ているんだとさ! 第10〜14展示室「ボッティチェッリ」 ウフィツイの目玉,ルネサンスを代表するボッティチェッリの作品のオンパレードだ。 ひときわ大きな部屋にボッティチェッリの「プリマヴェーラ(春)」と「ヴィーナスの誕生」がある。 ウフィッツイ美術館で最も有名な絵画である。ルネサンスを語る本のほとんどの表紙に,この二枚の作品のどちらかが使われいるので,絵画に疎かったわたしでさえもよく知っている絵である。 「春 プリマヴェーラ」 サンドロ・ボッティチェッリ(Sandro Botticelli 1445−1510) 約1.5x3mの大作である。 この絵に描かれているのは,左からヘルメス,踊っている3人が愛と貞潔と美をあわらす三美神。中央で手を軽くあげているのがヴィーナス。ヴィーナスの横にいるのが春の女神「プリマヴェーラ」。その横が花の女神フローラと西風の神ゼフュロス。 これがナンで「春」なんだろうか?さっぱり分からない。「眼に見えない世界が降下してきて物の形状を顕わにする季節,春を寓意的に表現したものである」って〜解釈があるとのことであるが,それでもよく分からない,ますます難しくなる。 まあいいや!絵を見て楽しければ好いんじゃないか! 「ヴィーナス誕生」 ボッティチェッリ フレスコ画のような透き通った明るくて楽しい絵だ。大きな貝殻に乗かったヴィーナスは何を考えているんでしょうか? 「受胎告知」 ボッティチェッリ ボッティチェッリの描いたマリアは,「驚き」と「感謝」「敬虔さ」をあらわしている様に感じる。 第15展示室 「レオナルド」 ▲ このページのトップへ レオナルドは、ルネサンスが生んだ,スーパーマンだ。 モナ・リザ,最後の晩餐の作者として知らぬ者はいない。ヘリコプターの絵を描いた発明家,自然科学にも通暁し,土木・建築なんでもござれ,それから音楽も。これって知らなかった!ミラノのスフォルツア家に招かれたのは演奏家と即興歌手としてだったというから驚きだ。 「受胎告知」「東方三賢王の礼拝」「キリストの洗礼」がある。 「受胎告知」 レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci 1452−1519) まだ,徒弟としてベッロッキオ工房で働きながら学んでいたころの初期の作品。 天使ガブリエルの報告をマリアが真剣にというか敬虔に聞いている様子が感じられる。 物凄く精緻な描き方をしている。前面の草花,欄干の向こうの糸杉とさらに向こうの水辺の町や雲にかかった岩山,入り口の扉の奥の寝室の赤色のシーツなどなど,近くのものははっきりと,遠くのものは天気がよくてもかすんだように表現している遠近感たっぷりな画法である。 レオナルド20才を越えたばかりのころの作品だという。さすが天才ダ・ヴィンチだ。 「東方三賢王の礼拝」 レオナルド・ダ・ヴィンチ この作品は色がついていないことからもわかるように未完の作品。 ウフィツイ美術館には,若いころの作品と未完の作品しかない。 ミラノに呼ばれたために放置されたレオナルドの最初の大作。 残されているのはこの褐色の下書きのみ。 完成したらとてもすばらしい絵となったことだろう。 「キリストの洗礼」 アンドレア・デル・ヴェッロキオ(Andrea del Verrocchio 1435−1488) キリストがヨルダン川で聖ヨハネから洗礼を受ける場面。 この作品のほとんどはレオナルド・ダ・ヴィンチの師匠にあたるアンドレア・デル・ヴェッロキオが描いたもので,レオナルドは左側の天使とその背景にある自然を描き,またキリストの身体部分にも手を加えたという。 デル・ヴェッロキオの描いたヨハネは,ごつごつした感じに見える。 それに対しレオナルドの描いた天使の表情が非常に柔らかく見える。また背景の自然も,遠くに行くに従い遠近法が使われ全体がぼかされて表現されている。 左端の樹木にしたって,レオナルドだったらこんな描き方はしないだろう。 弟子レオナルドの技量が自分を凌いでいることにショックを受けて,ヴェロッキオは以後二度と絵筆を持つことはなかったという大げさなエピソードもある。 ちなみにこの作品を描いた当時,レオナルドは16歳(20歳という説もある)であったそうだ。いかに彼の才能が素晴らしかったかがわかる 第16展示室(地図の間)と第17室(エルマフロディトの間)はパス。 第18展示室「トリブーナ」 この部屋だけは内装がまったく違う。通称「トリブーナ(特別展示室)」と呼ばれている。 壁の色は赤。天井は高く,全体が八角形で天井に貝殻模様がある。 ガイドのKさんは,一般の見学者を押しのけて中へ進み大声で説明を始める(個人で入館している人が嫌な顔をしている! もっともだと思う)。 それはともかくとして,この部屋は特別展示室と言うだけあっていろいろな作品がこれでもか,これでもかといった感じで飾られている。 ガイドブックには「メディチ家のヴィーナス」 「老コジモの肖像」 「コジモT世の妻エレオノーラ・デトレドと息子ジョバンニの肖像」 ラファエルロの「荒野の聖ヨハネ」などが置かれていると書いてある。 だが,何を見たのかよく覚えていない。メモには「メディチ家,天井,真珠貝,真っ赤な壁」としか書いてない。 わたしが感じるに,この部屋はどうもメディチ家ゆかりの作品とか特別に見せたいような作品を掲げた部屋のような気がする。 いままでは,展示が年代順にほぼ並んでいたのだが,この「八角形の間」では崩れてしまう。 第20展示室「デューラー」 アルブレヒト・デューラー(Albrecht Durer 1471−1528) とその影響を受けた画家の絵画を見学。 「アダムとイブ」 ルーカス・クラナッハ(Lucas Cranach the Elder1472−1553) このアダムとイブは共に8頭身ならぬ12頭身のタテ長な姿で板の上に描かれた一対の油彩画である。 アダムが胴長なのに対してイブの方は脚がすらっとしていて,背丈も短くしてあるなど,芸が細かい。 イブの左上隅に蛇が描かれているが,アダムとイブをそそのかしたのが蛇だったからということか。蛇と言うのはどこでも悪役なんだな。 ところで,この「アダムとイブ」はプラド美術館にある1507年制作 のデューラーの「アダムとイブ」に基づいて描かれたといわれている。 クラナッハもデューラーも共にニュールンブルグ地方の出身である。 さて,これで東棟の見学が終わり第二廊下で小休止。 廊下といって馬鹿にはできないよ! 天井に幻想的かつ精緻なグロテスク装飾画,壁際にはローマ時代の彫像,キャンパス画の肖像画がずらりと並んでいる。 また第二廊下はウフィッツ広場側とアルノ川側が大きなガラス窓になっていて眺めが良い。西側の窓からヴェッキオ橋が良く見える。窓外の写真は撮ってもOKだ。 第25室から35室までの11部屋は1500年代絵画が集められている。 第25展示室「ミケランジェロとフィレンツェ絵画」 ミケランジェロは言うまでもなくレオナルド,ラッファエッロらと並んでルネサンスの「三大巨匠」の一人とされる存在で,彫刻・絵画・建築いずれの分野でも,いままでの常識を打ち破るような業績を残し,生前「神のごとき大ミケランジェロ」と呼ばれていた。 「聖家族と幼い洗礼者聖ヨハネ」 ミケランジェロ・ブオナルローティ(Michelangelo Buonarroti1475−1564) 別名“トンド・ドーニ”とも呼ばれるこの作品はアンニョロ・ドーニとマッダレーナ・ストロッツィの婚礼の際に描かれたと言われている。 ちなみにトンドとは丸を意味する。 多くの壁画を残しているミケランジェロの絵のうちで唯一運搬可能な作品だそうだ。 まずこの絵で気が付くのはパステルカラーが使われていて,すごっく鮮明できれいな絵だということ。隣と隣の色がはっきり離れるからすっきりした印象を与えるのだろうか。 マリアは幼子キリストを「どっこらしょ」と肩越しに受け取るような仕草が面白い。より筋肉を強調するのにこうゆうポーズをとったためだそうだ。 第26展示室「ラッファエッロとアンドレア・サルト」 ラッファエッロはイタリア盛期ルネサンスの画家で,21歳でフィレンツェに来た時ミケランジェロは29歳,ダ・ヴィンチは52歳であった。 二人の天才の芸術に触れ,多くの肖像画製作の経験を通して大きく成長する。 ラッファエッロはその生涯で多くの聖母子像を残して,いつしか「聖母の画家」と呼ばれるようになる。 わずか37歳で突然の高熱でなくなるが,最も完成された美の規準として,西欧の古典主義絵画に大きな影響を与え続けた人と言われている。 大変なプレイボーイだったそうだ。下に掲げた自画像も結構な美男子である。 納得! 「自画像」 ラッファエッロ・サンティ(推定) (Raphael Santi 1483−1520) 若い頃のラッファエッロが最初のフィレンツェ滞在を終えた後の1506年故郷ウルビーノで描いた自画像だと言われている。 ラッファエッロ作と言われる多くの自画像のうちで最も有名で,数え切れないほど模写された作品だと言う。 「ヒワ鳥の聖母」 ラッファエッロ 1704年 トリブーナに展示されて以来,これも繰り返し模写されたという大変有名な作品だ。 現在,修復中とかで「copia」と表示されていた。 ガイドのKさんが「これが実物です 比べて見てください」と言って絵葉書大の写真を見せてくれたが,わたしには違いがわからない。模写した人もいい腕なんだろう。 戸外の風景の中に聖母マリア・幼子キリスト・洗礼者ヨハネがのどかに描かれている。 ヨハネの手の中に一羽のヒワ(カナリアの仲間と言っていたが,わたしにはマヒワに見える)が描かれているのでこの名が付けられている。キリストも右手をヒワにかかげている。 マリアの幼子たちを見るまなざしに,何とも言えない”やさしさ”を感じる。 ぼやかした背景は,なんとなくレオナルド風である。 第28展示室「ティツィアーノとピオンポ」 ティツィアーノはヴェネツィアを中心に活躍した画家。 彼の画風は,はっきりと,濃く描き,暖かさも感じられる。また宗教色もなく,日常的な雰囲気がよく伝わってくる。 ティントレット,ルーベンス,レンブラントとともに,わたしの好みの画家の一人である。 「ウルビーノのヴィーナス」 ティツィアーノ(Tiziano Vecellio 1488-1567) ヴィーナスはそれまでの女神ではなく1人の女性として描かれている。 恥じらいのようなものは感じられず,むしろ,こちらを見て誘惑とも取れるような視線・・・・。 まことにエロティック。これまた有名な絵だ。 第32展示室「パッサーノとティントレット」 「レダと白鳥」 ティントレット(Tintoretto 1518−1595) 時代の好みなのか「ウルビーノのヴィーナス」とともに,おなかが少し出ているのに気がついた。胸もだいぶ小振りのようだ。 変なところに気がついちゃあいけないね,もっとまじめに観賞しよう。 第41展示室「ルーベンス」 ルーベンスは,「この世界すべてが私の生まれ故郷だ」と言っているように,非常にコスモポリタン的精神の持ち主である。 ルネサンス盛期にヴェネツィア派のティツィアーノに色彩を学び,ミケランジェロに人物の重量感を学びそして同時代人のカラヴァッジョの影響を受ける。 ベルギーアントワープ生まれのルーベンスは,若くしてイタリアので宮廷肖像画家となった。1609年から21年までスペイン領ネーデルランドの統治者アルベルトの宮廷画家となる。 アルベルトが亡くなると外交官となる。 1628年イザベラ王女はルーベンスをマドリードへ派遣する。 そこでルーベンスはベラスケスと会う,ベラスケスはルーベンスよりも22歳年下である。 「勝利」 ルーベンス(Pieter Pauwel RUBENS 1577−1640) ルーベンスの絵はダイナミックかつな華やかである。 「勝利」はフランス王アンリ4世の生涯を題材とした連作の一環でもう一作の「戦闘」とともに興味深い経緯をたどって現在UFFIZIに収まっている。 いま展示されているのは,見事に修復されたものであるが,入手した下の画像は修復以前の写真のようで,あまりパッとしない。 ツアーとしてのKさんの説明はここまで! 後は,休憩するなり,ショップで買い物するなりご自由にとのこと。この先にレンブラントの絵があるのでご希望の方はどうぞと言うことで,西棟の端にある43〜45展示室へ向かう。 第43−45展示室「1600−1700年代絵画コレクション」 ここにはカラバッジョ,レンブラント,ゴヤ,ダイク,ヴェラスケスなど1600〜1700年代の巨匠の絵画が展示されている カラヴァッジョ わたしには,初めて名前を聞く画家である。 17世紀のイタリアの画家でミケランジェロなんとかっていう本名があるが,カラヴァッジョ村に生まれたからカラヴァッジョと呼ばれているそうだ。 ルネッサンス以降,その影響力から抜け出て”新しい絵画スタイル”を確立して行ったのがカラヴァッジョである。 何が新しいのかと言うと,それは光と影の劇的な使い方であると言われている。 光と闇のコントラスト・大胆な構図・猟奇的なシーン・リアルな描写力…。 UFFIZIにある絵しか見ていないが,なんとなくおどろおどろした恐ろしさを感じる画風である。 殺人まで犯しているという性格から来ているのかもしれない。 「若きバッカス」 カラヴァッジオ(Caravaggio 1573−1610) バッカスはお酒の神様である,祝祭の主でもある。 お酒を飲むと気分が良くなり,酩酊状態になると狂気乱舞する人もいる。 そんな所からバッカスの性質として陶酔・狂気・激情などがあげられる。(バッカスはローマ神話の名前で、ギリシャ神話ではディオニュソスという) カラヴァッジオのバッカスは,「んっ! これがギリシャ神話のバッカスかいな?」と思うような顔立ちである。愛くるしい少年のような眼と真っ赤なほっぺをしている。 が,右腕は青年のたくましい腕である。表情はというと,なんかだるそう! 手前の果物を良く見ると豊穣の産物であるりんごやびわが半分腐っている。 いったい何を表現したいのかよく分からない絵である。 「メデゥーサの頭部」 カラヴァッジオ メデゥーサとはヘレネスの神話に出てくるゴルゴンの3姉妹の末娘。 以前は美しい娘だったが,ポセイドンの求愛をうけたメデゥーサは女神アテナに嫉妬されて,美しい髪の毛1本1本が蛇にされてしまい顔も醜く変えられてしまう。そして「その姿を見た者を石に変えてしまう」という魔力を持ってしまった。 ペルセウスがその首を切り落としアテナに捧げた。 その時,ほとばしり出た血から天馬ペガサスが生まれたと言い伝えられている。 丸い凸 状の盾に描かれたメデゥーサはやたらと迫力がある。 騎馬試合用の小盾に上から絵を書いたと言われていたが,数々の検査によって布が張られた板に描かれたのだと分かったと言う。 カラバッジョの絵としてこのほか「イサクの犠牲」,その隣にキリストの横腹の傷に手を入れる聖トマスを描いた特徴的な絵があった。 レンブラント (Rembrandt 1606−1669) ルーベンスが古典的で国際的な人間であったのとは対照的にレンブラントは根っからのオランダ人であり,その視線は常に自分自身へと注がれていた。 レンブラントは,生涯を通じて自らの姿を描きつづけた。思春期の肖像から,どこか諦観を感じさせる老年期の肖像まで合計80点に及ぶ自画像は,レンブラントの人生のあらゆる段階の感情を如実に示すものである。 ここにある「レンブラント自画像」は1634年ごろ,28歳頃の作品と言われている。 レンブラントの絵の特徴は,まるでスポットライトを当てたように絵の中央部だけが光っていることだと言われているが,この絵もまさにその通り,顔から首筋にかけて光を集中させ,光の明暗が見事だ。 ゴヤ (Francisco de Goya 1746−1828) ゴヤの作品は,「マリア・テレザの肖像」と,馬に乗った青い服を着た貴婦人「騎乗するマリア・テレザ」を見ることができた。 なんとなくゴヤっぽくなくて逆に面 白い。 これで終わり!! 一時間半では,じっくり見て回るのは到底無理だが,ウィーン美術史美術館とかプラド美術館などと違って回りきれないほど広いというほどでもなく,密度が濃いので,短時間でもそこそこの観賞はできた。 でも,もう一度ゆっくり見たい気はする。(実は,この日記を書くためにも,ガイドブックなどしっかりと眼を通したのだが,本当は事前にある程度は勉強しておいてから入館すべきであったと思う。そういう意味で,もう一度訪れてみたい) グラウンドフロアーのショップで「日本語ガイドブック」(9.5ユーロ)と「ウフィッツィ美術館ー芸術・歴史・コレクションー」(29ユーロ)とお土産に栞を買い込み,ウフィッツィを後にしたのが17時50分。 観光バスの待機場所まで,アルノ川沿いの道をおおよそ1kmくらい歩かなければならない。朝とは違う場所である。 もう1箇所観光する場所がある。アルノ川左岸のミケランジェロの丘から市内の夜景を楽しむ。 フィレンツェの街の夜景はあまりけばけばしくない,楚々とした美女と言った風情である。 ドゥオモとサンタ・クローチェ教会がライトアップされていた。 ホテルに戻ったのが19時10分。 夕食はホテルの食堂で リボリータ(スープ),ブラザード(牛肉の蒸し煮),パイナップルケーキ,紅茶, キャンティークラシカという赤ワイン でした。 さあ 明日は最終訪問地 ローマへ向かう。早く寝ようっと! ▲ このページのトップへ△ このページの中段へ
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