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イタリア旅日記 (10) ローマ(2)
帰国
3/3〜4(水〜木) 今日は,11時30分ホテル発で帰国の予定。 それまでの時間,各自思い思いに過ごすことになる。 わたしたちは テヴェレ川沿いを散策し,時間があったら,カラカラ浴場遺跡あたりまで歩いて見ようと出かける。 大きな荷物はまとめて預かってくれたので,機内持ち込み荷物だけホテルのフロントに預ける。 「あっ,いけね〜」ガイドブックを部屋において来てしまった。 あわてて,いったんチェックアウトした部屋のカードキーを再設定してもらって部屋に入る。 既に掃除が終わっていて,忘れ物は見当たらない。 困った様子で廊下に出ると,ルームメイドさんが「BOOK?」と聞いてくる。 「んだ!んだ!」と言ったら,「預かってる,ちょっとまってね」と言って持ってきてくれた。 グラッチェ!グラッチェ! 無事戻った,早く気が付いてよかったあ〜。 今日は,久しぶりに天気が良い! 絶好のフリータイム日和だ。 地下鉄B線チルコマッシモ駅下車。 横断歩道の青信号の時間が極端に短い。車道の中間くらいで点滅し始めてしまう。 ローマの人は,早足なんだろうか?それともせっかちなんだろうか? そして信号の無い交差点が多い。みんな平気で渡っている,私達も手を上げて早足で渡ることとする。 ベトナムみたいにゆっくり歩いていたら,どやしつけられるだろう! ところ変われば品変わるだ。 怪しい奴あらわれる! ところで,横断歩道を渡ったところで,普通風のイタリア人が,携帯電話の画面をわたしに見せながら,ナンやら言っている。 英語ではない,何を言っているのか分からない。怪しい! 携帯画面に気を取らせておいて,自分の指に”芸術的働き”をさせるつもりだろう。 その手にゃ 乗らないよ! 「なんだかわかんない! ター・チャイナ!」と一喝したら,去っていった。(「ターチィナ」とは,ヒンズー語で「おら 知んね〜よ!」だ) 右手一帯がチルコマッシモだ。幅200m,長さ600mくらいの原っぱみたいなのがずう〜と続いている。 紀元前7世紀から6世紀頃に作られた戦車競技場だそうだ。 当時は15万人収容の円形競技場で馬の引く戦車競技が行われた。 今は,ジョッギングに好適そうな,ただの空き地。背後はパラテイーノの丘。 映画「ベンハー」の戦車競争の場面に使われたそうだ。 またもやおかしな奴現る! チルコマッシモ沿いの歩道を進んでいると,またもやおかしな客人がやって来た! 車の運転席から「Can you speak English?」だとさ。 「ばかたれっつ!」と呟き,一切無視する。 すぐ走り去って行った。 映画「ローマの休日」の舞台, 真実の口 チルコ・マッシモの西端に,サンタ・マリア・イン・コスメディアン教会という建物がある。 この教会の入り口左手にあるのが「真実の口」。 映画『ローマの休日』で「嘘をついた人がこの口に手を入れると,噛み切られる」という言い伝えが,世界的に有名になったあの「真実の口」だ。 直径約1.5mの人面を模した円盤,実は「井戸もしくは下水溝の蓋」だったといわれている。 わたしたちが訪れたのは,午前10時ちょっと前で門扉が閉ざされていて近寄ることができなかった。鉄格子の間からシャッターを切る。 教会前は広場になっていて,噴水とふたつの神殿がひっそりと建っている。 フォルトーナ神殿(四角形)とヴェスタの神殿(円形)だ。 前者は川と港の神を祭ったBC2世紀の神殿でローマの神殿の中ではもっとも保存状態の良い神殿だ。 後者は炉と火の神に捧げられた神殿。 両神殿を後にして,テヴェレ川沿いの通りに出る。
すぐ上流側に壊れた橋とティベリーナ島が見える。 この島は,紀元前 291年に医学の女神アェスクラピオが蛇の姿になって現れ,神殿を建立したといういいつたえがある。 神殿の跡にサン・バルトロメオ教会と病院が建っている。 右岸に架けられたチェスティオ橋は,紀元前60年に造られ,その後365年に左岸にあるマルケルス劇場の石材を使って大改修された現役の橋である。 ファブリチオ橋を渡った左岸に建つのがマルケス劇場。 紀元前11年頃の古代円形劇場で90年後に建てられたコロッセオはここを手本としたとのこと。 当初は3層のアーチだったが,現在は2層のアーチの上にルネッサンス後期の建物が付加され住居として使われているそうだ。 右となりに,現役の官庁建物(戸籍庁)がある。オフィスならばトイレがある筈。守衛もおらず出入りがフリーだったので,ここでトイレを借用, う〜っ 助かった! チルコ・マッシモとパラティーノの丘の間の道沿いに歩き,20分足らずで地下鉄チルコ・マッシモ駅に着く。 次は、カラカラ浴場跡 まだ,時間があるので,地下鉄駅をはさんで反対側7,800m位のところにあるカラカラ浴場まで足を伸ばす事にする。 世界史の教科書に出ていて,なんのために,そんな大きな浴場を造ったんだと疑問に思って,印象に残っていた場所だ。 カラカラ浴場は,紀元217年カラッカラ帝の時代に完成した。 大浴場や蒸し風呂・体育室・バー・レストランや図書館などを併設した建物で,当時の社交センターというかレクリエーションセンターというかヘルスセンターみたいなものだったのだろう。 中は,完全な廃墟,むき出しのレンガの壁が残るのみで,所々に床や壁面のモザイク模様断片が残っている。 こんな巨大な娯楽施設があったとは・・・ まわりは,静かな丘陵地といった感じの場所である。 古代ローマの人達は,こういったところで1日のんびりと過ごしたんだあ〜。 ローマ〜ロンドン間の機窓から,雪をいただく山並みをみせるコルシカ島が,どのあたりなのか漁港の町が確認できるほどはっきりと見えた。 ロンドン〜成田間は,夕食(缶ビール1,日本酒1,白ワイン1付き)をとった後,映画「半落ち」を終わりまで見ないうちに寝込んでしまい。眼を覚ましたら成田まで残り4時間ほどとなっていた。帰りも,長時間をあまり感じなかったフライトであった。 ヴァティカン宮殿などぜひとも見学したいところがあったが,またの機会にと言うこととする。 往復ともロンドン経由で,そこでの待ち時間が長かったことが唯一の不満であったが,パックツアーにしては,ところどころでフリータイムがあったり,親切な添乗員,気さくな同行者に恵まれ,良い旅行を楽しむことができた。
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