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イタリア旅日記 (5) ピサ

2/29(日)

 昨夜の強行軍のことを,わーさんが配慮してくれて,今朝はゆっくりの出発となった。
 8時半に朝食。コンチネンタルブレックファウストで
    
パン(3種類),スクランブルエッグまたはボイルドエッグ,ハム,チーズ
 缶詰フルーツ,ジュース(2種類),コーヒーまたは紅茶
       
                                           
 というメニューであった。
 いままでで一番貧しい朝食だ,明日もまた同じものかと思うと,いささか抵抗を感じる。
 まっ!安いツアーだからしかたないか!

 ホテル発10時 
 バスは,すぐアルノ川をわたって郊外に出る。田園地帯だ。
 北方に昨夜の雪をうっすらかぶった森が広がっている。
 これが,世界中の子供たちを楽しませてくれる”ピノッキオ”を生んだ風土なのか!
 ピノッキオの作者はたしかフィレンツェ生まれ。 
 
  [トスカーナ,夜明け前。寝静まるフィレンツェの街を白い馬車が走る。200匹のネズミに引かれたその馬車には、
青い妖精が乗っていた。どうやら道に迷ったようだ。困った妖精が青い蝶を放つと,やがて一本の丸太にとまった。
すると,寒々とした街に朝陽が射し,“それ”は誕生した・・・・・・・・・] 

 車窓の景色を眺めながら,柄にも無くほのぼのとした幻想にふけっている(本当はうとうとしていた)と,

 日本人現地ガイドKさんのおしゃべりが始まった。昨日の雪のこと,フィレンツェの空港は小さいがとっても便利なこと,3月の初めごろ男性から女性にミモザの花をプレゼントすること,トスカーナ地方には中小企業が多いこと,ピサ大学は数学が優れていることetc,etc    半分眠りながら聞くうちに11時20分ピサ着。

 専用バスに乗り換えて,ピサの斜塔のある地区へ向かう。
 ここのスリはプロ中のプロで,かつかなりしつっこいので気をつけるようにとの厳重な注意をうけ,観光に入る。

 ピサの斜塔

 先ずは斜塔,ピサ大聖堂の鐘楼であり,観光スポットである。
 傾いた姿ゆえにだれもが知っているあの斜塔が眼前にある。

    
傾いていなかったら誰もピサくんだりまでやっては来ないだろう。

 実際に見ると、写真以上に傾いていて,今にも倒れそうな感じがする。
 両腕をかかげて押すよう変な格好のポーズで写真を撮っている人がいる,倒れかけた斜塔を両手で押し戻す恰好の写真となるそうだ。
 
 ピサ大学の学生だったガレリオが,この斜塔からリンゴを落とす「落下の法則」の実験をしたことで有名というが,これは作り話だと言う説もある。

 斜塔の上部に上っている人も居る,おっかなくないのかな?
 ガイドさんが希望者を募っていたけれど,いささか「高所恐怖症」気味のわたしは登る気はしない。

   
 なんで傾いたの? どんな対策工事をしたの?

 帰国後,調べた結果は下記のごとくである(いささか専門的な記述になった,興味ない方はさっと読み流して欲しい)
 
 1174年に着工されて3年後に傾きはじめ,今日までの約800年間で5・6メートル傾斜したという。
 
 傾斜の理由:
 
 斜塔の基礎地盤は地表から10mほどが砂層で,その下に粘土層がある。結構やわらかい地盤である。
 
 わたしの推測だが,何らかの理由で南側部分が先行して施工され,荷重が不均等になって南側の方の沈下量が大きくなった。いったん傾斜が始まると荷重が傾斜した側にかかるので,この偏った重量によってますます片側のみ沈下が進行してしまったのではないか(いわゆる不等同沈下である)


 右の図が斜塔直下の地盤状況である。

 ものの本には南側の地盤が北側に比べて柔らかいので不等沈下した云々と書かれているが,この図からは,粘土層の強度や厚さに南側と北側で差があるようには読み取れない。
 やはり当初の施工手順ミスが最初の不等沈下を起こしたのではないか?

 
 対策工事 :

 1370年の竣工時に,塔は既に1.6度も傾いていた。その後,塔が倒れるのを防ぐため莫大な金と労力が投じられた。 (1990年以降に使われた金額だけでも3500万ドル,約40億円を超える。)

 1838年の大工事。

 1934年の薬液注入。現場の地盤は鋭敏比(自然状態の強度とこねかえした状態の強度の比)が非常に高く,攪乱によって強度が著しく低下し,沈下は更に進んでしまった。

 1960年代、現地一帯での井戸水汲み上げによって地下水位が下がり,地盤の圧密収縮によりまたも傾斜進行という危機を迎えた。

 1964年2月ついに、イタリア政府はピサの斜塔を崩壊から回避するための国際的支援を求めた。
 世界各国の建設会社などから様々な提案(地盤改良工法,アンカー工法などなど)がなされた。
 
 1990年1月,安全のため公開をストップして,傾斜を是正するために改修工事が行われた。
当初は沈み込んだ側と反対の北側におもりを載せることでバランスをとろうとしたが,根本的な解決には至らなかった。
 
 ワイヤ鋼線で引っ張っておく方法に続き,最近は傾いた反対側の土を少しずつ掘って調節する方法が行われ,とりあえず落ち着き,あと2〜300年は大丈夫だろうと言うことになった。
 
 2001年6月16日,10年間にわたる作業が終了し公開が再開された。


 ドゥオモと洗礼堂

 まずドゥオモに入る。

 ドゥオモはピサが最も繁栄していた頃に着工された11世紀イタリア・ロマネスク様式の最高傑作で白大理石の美しい建築物だ。

 1063年,イスラム勢力からシシリアを奪還するための戦いに,ピサのガレー船団が派遣された。
 ピサ艦隊は,大勝利を収め莫大な戦利品を持ち帰った。
 その勝利を記念する為,大聖堂の建設が始められ1118年完成,イタリア最古のカテドラルである。

 外壁にはローマ時代の遺跡から掘り出された大理石も使われている。大理石に刻まれた文字をわざと逆さまになるように配置したり,帝政ローマ時代を憎む姿勢がありあり感じられる。

 ドゥオモの入口に上部の大理石には篆刻のようなかなり緻密な彫刻が施されている,白大理石で統一した内部の装飾もまた素晴らしい。
 
 天井からなが〜いシャンデリアが下がっていた。ガレリオが「振り子の法則」を発見するきっかけとなったというシャンデリアだ。(これも作り話か?)

 今日は日曜日で教会内でミサが行われているので,内部をさっと眺めて退散。
ピサの斜塔 てっぺんに沢山の観光客が上っている。 ドォウモとその鐘楼たるピサの斜塔 ドゥオモ内部,ガリレオが振り子の実験をしたというながいワイヤーで釣り下げられたシャンデリア,見えますか? 洗礼堂 屋根の片側だけ瓦が載せられている。 残響効果の素晴らしい洗礼堂内部 なんとなくアラビックな感じ。

 
ドゥオモを出て、隣の洗礼堂へ。

 1152年,建設が始まり14世紀完成。「美しい宝石箱」と呼ばれている。

 中は薄暗いが,音がものすごく共鳴する。(先にガイドさんが案内してくれた際に,守衛さんが発声練習をするように美声を聞かせてくれ,残音がこだまのように堂内をぐるぐる回るように響き,一同 ひぇ〜 と驚く!)

 コーラス仲間のFさんが得意のテノールで唄って,外国人から拍手喝采されたと言っていた場所は,きっとここに違いないと確信する!(帰国後本人に聞いたところ,矢張その通りであった)


 洗礼堂の中には説教壇と大きな洗礼盤がある。2階をへて屋根裏というかクーポラの縁までふ〜ふ〜言いながら上る。
白亜のドゥオモ,斜塔,ピサの美しい町並みが素晴らしい。

 洗礼堂の屋根は,海風が吹き付ける側だけ瓦がつけられている。建設当時のピサの力が衰えて後年は省マネーに徹した結果なのだろうか?いかにもイタリアらしい!

 全員スリにも遭わず,あわただしいピサの観光を無事終えて,城外のレストランで昼食。
メニューはミネタローネ(野菜のスープ)とサラダつき骨付き鶏肉+茹でたポテト+タルト 飲み物にカモミールというハーブティーを試飲する。


 ピサ発 13時50分 フィレンツェ着 15時05分


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